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「はしっかりしとるな」 彼はそうやって、にこりと私に微笑む。『しっかりしてる』。彼―――白石くんが私によく言う褒め言葉。私はそれに甘んじる。そうなの私はしっかりしてるの。周りのか弱い、くだらない女とは違うの。女は見た目じゃないの、中身なの。そう言い聞かせてもうどれくらい経つのか。 可愛いだなんて言われたことがない。でもそれが妥当なのかもしれない。だって成長期の中学生がそのへんの女の子に向かって直接「自分かわいいなあ」なんて簡単に言う?言わないでしょう。そんなこと言うのは、そしてそれを許されるのは、好きな人とイケメンとチャラ男くらいだ。ちなみに蛇足として付け加えるなら、白石くんはそんな男だ。(でもチャラくはないかな。) 「恋愛には興味なかってん」 たまたま三年間同じクラスで、席もしょっちゅう隣で、「なんや俺ら、目に見えん糸でも繋がっとるんかもなあ」と笑い合う仲の白石くんは、その日何の前触れもなくそう呟いた。この時、ああ、白石くんも普通の男の子なんだあっていう気持ちと、今から何を言われるんだろうというドキドキと、白石くんの口から出てくるかもしれないあの子の名前に怯えたのをよく覚えている。私は物事を一気に処理できないみたいで、そんな白石くんの次の言葉を遮るかのように「そう」、とだけ零した。 今から何が起きようとしているのかわからない未来への不安で、いっぱいだったのだ。 「興味なかってんけどな、今は何故かしてみたい気もするんや」 「……そうなんや。せやったら私、応援したほうがええんかな」 「…せやな。応援してや」 にっこりと私に向けられる何度目かの微笑みに、しまったと思った。応援するなんて言わなければよかったんじゃないのかと。しかし時間が戻ることも、白石くんの記憶のその一部分だけ消えることもない。人はこうしてチャンスを逃すのかと、絶望に近い感情が頭を過ぎった。チャンスがあったかなんて、今まで思い当たらないけどでも、私も目に見えない糸のことを信じたかったのに。それでも懲りない私の乾いた口から、また自分を追い込む言葉が吐きだされた。 「白石くんは誰が好きなん?私に出来ることって何かあるかな」 正直自分の口を針と糸で縫いとめて、これ以上何も言わせないほうがいいんじゃないかと思うくらい、今の自分には幻滅した。 なんでもっと可愛くなれないんだろう。 「それはにも言えんなあ。秘密や。ああ、でもちゃんと応援してや」 「うん、わかった。任せて」 「頼むわ。ありがとうな」 ああ今すぐにでもここから逃げ出して、二度と失言をしないようにこの口をとってしまいたいと思った。 それ以来、私は白石くんの好きな人の相談相手になっている。白石くんに会える平日が、楽しい時間から辛い時間に変わることに時間はかからなかった。本当なら、席が隣ということも、休憩中の雑談も、授業中に目が合うことすら喜んで、いつかもしかしたら私が白石くんの彼女に、なんていう妄想をすることに忙しい日々を送っていたはずなのだ。だけど日常の一部と化したそれらが、今は苦痛でしかなくなって悲しくなる。私が白石くんの彼女だったらなんて妄想、一体どの口が言えるんだろう。 「白石くんが好きな子って、どんな感じの子なん?」 私の嫌いなこの口が、また思ってもない言葉で私を追い詰める。 「せやなあ…なんて言ったらええかわからんなあ」 「じゃあ、どんな雰囲気な子?」 「雰囲気…まあ可愛いなあとは思う」 白石くんが誰を好きなのかわからない。 見た目がかわいいあの子。話が上手なあの子。甘え上手なあの子。サバサバして付き合いやすいあの子。誰にでも同じ態度で信頼されてるあの子。ちょっと引っ込み思案だけど意思がまっすぐ通ってるあの子。笑顔がかわいいあの子。運動が得意なあの子。センスがいいあの子。“あの子”みたいになれたら、白石くんは私を好きになってくれる? 「そっかあ、じゃあ私とは全然掛け離れてるような子やね」 言うと白石くんは綺麗に笑った。 やっぱり妄想しか、恋は上手くいかないようだ。私は黙って笑顔を返した。 白石くんは完璧だった。 最初からそう。思えば入学して初めて白石くんを見たときからそうだった。ベッドに横になって薄暗い天井をぼんやり見つめる。彼は完璧な、私の理想の男の子だった。早い話が、彼に見合う女の子になりたかったんだと思う。だから三年間クラスが同じことも席がしょっちゅう近くになることも、運命だって思ったし、白石くんの「なんや俺ら、目に見えん糸でも繋がっとるんかもなあ」なんて言葉は、馬鹿な自分を舞い上がらせるには充分だった。 ああそうか、私はずっと前から好きだったのか。初めて同じクラスになって、初めて席が隣になって、初めてその容姿を見て、初めて言葉を交わしたあの日からずっと白石くんのことが。随分長い片想いだった。それももうすぐ終わるのかと思うと、涙がじわりと目に滲む。 どうせ実らない恋なら、楽しかったあの日のまま、時間が止まってくれたらよかったのに。 「なあ、は好きな奴…」 「え?」 「……いや、なんもあらへんよ」 「?そう」 「部活行ってくるわ。気ィつけて帰りや」 「うん、がんばってな」 今日も何事もなく一日が終わった。もう白石くんに恋愛相談されるのも、何事もないと思ってしまう程になってしまった。ホームルームでの先生の話も終わって、帰り支度をする人や部活へと足を向ける人で教室がざわめく。部活の準備が整ったらしい白石くんが何か言いかけたみたいだけど、なんだろう。白石くんの口からもう恋愛絡みの話題はあまり聞きたくなかった。話しかけられる度に、私は白石くんにとってただの友人の一人にしか成り得ないことを思い知らされるからだ。胸のちょっと下の、真ん中あたりを右手で握り締める。制服の皺が目に入っても、この痛みに比べればまだマシだった。 「ねえさん。大丈夫?顔色、悪いけど」 「…あ、うん。大丈夫だよ、ありがとう」 あまりに長い時間握り締めていて、不振に思われたかもしれない。声をかけてくれた男の子になんでもなく振舞う。 「ああ、それと、ちょっとええかな」 にこりと笑うサッカー部の男の子。爽やかな子だ。 なに?と問うと「ここじゃちょっと。向こう行かへん?」と返された。何の用だろう。よくわからないまま男の子の後ろについて行くと、まだ教室に残っていた人たちから好奇の目を向けられる。彼ら彼女らが想像しているようなことは、私なんかにありえないのに。模試の張り紙を横目で見ながら、彼の背中を追いかけた。 「返事、あとでええし。考えといてな」 サッカー部の彼はまた爽やかに笑って部活に出ていった。また明日、と返し自分も教室へ足を運ぶ。彼に言われた言葉を脳内で繰り返しながら向かう教室は、とても遠く感じた。私なんかにありえない、そう思っていたことが現実になってしまったことに動揺を隠せない。彼は私のどこを好きなんだろうという疑問に首を振る。ちがう、そうじゃない。別にそれは大したことじゃない。初めて告白というものをされて動揺はしたものの、やっぱり頭の中に浮かぶのは白石くんのことだった。もう誰も居なくなった教室に戻り、鞄に教科書を詰め込む。人に好きだなんだと好意を抱かれるのは悪くない気分だけど、私はこれからどうしたらいいんだろう。ひとつ長いため息をついて、重い足取りで家路についた。 どれだけ考えても、もう白石くんとは元の関係には戻れないことがわかってた。ならばあの爽やか君の告白を受けようかとも何度も思った。でも、きっと私が白石くんへの未練を断ち切れるって自信がない限り、彼への誠意がないかもしれない。でも、でも。同じことを繰り返し考えるうちに寝落ちてしまったらしく、夢見もそんなに良くなかった。どんよりとした顔で教室に入り、自分の席につく。最近気分が優れない。 「どないしてん、そんな暗い顔して」 朝練が終わったらしい白石くんが隣の席につきながら私の顔を覗き込む。 こんな顔させてるの、あんたのせいやって言いたい。 「昨日、色々あって。考え事しててん」 「なんや告白でもされたんか」 白石くんの言葉にぎくりとする。きっと白石くんからしたら冗談で言っただろうことはすぐにわかったけれど、思わず顔に出てしまって焦ってしまった。白石くんの顔から笑顔が消えていくのを、ただ見つめるしかなかった。 「……え、ホンマにされたんか?」 「あ…ええと…」 「誰や、誰にされたん」 「し、白石くんには関係ないやん」 「関係ないわけあらへんやろ」 「なんでよ、白石くんには好きな人おるやろ!」 「アホ、そらのことやっちゅーねん!」 えっ、と声を出すと白石くんのほうも自分の言葉にはっとしたようだった。 「あかん…あまりにがアホすぎてつい言ってもうたわ…」 「え、どういうこと…」 「が鈍すぎっちゅー話や」 「にぶ…ッ鈍ないよ!普通やって!」 「おま、どの口が言うねん!」 「やって白石くん、いつも私にしっかりしとる言うやんか!」 「アホ、しっかりしとることと鈍いことは別や!」 そうこう言い合っているうちに教室には先生が入ってきてホームルームが始まる。こんな風に白石くんと言い合うなんていつぶりだろう。以前みたいに戻れたようで安堵はするものの、先ほどの言葉が頭のどこかに在るのを感じた。白石くんは私を好きだと確かに言ったけど、でも、これ以上私から聞いてもいいのかわからなかったのと、勇気が出なかった。先生の話をぼんやり聞きながら窓の外を見る。雲ひとつない青空だった。 時間割変更で1限目の数学のあと、2限目が自習になった。自習となれば当然騒ぎ出す生徒が多く、周りを見渡すと最早ほとんどが勉強しようとする姿勢すら見せなかった。いつもはなんとなく教科書を開く私と白石くんも、今日に限っては何も開いていない。自習の時間は、朝の続きを話すいい機会でしかなかった。 「なあ」 「うん」 「は俺の恋愛相談、どんな感じで聞いてたん」 「どんな感じって…」 「俺がのこと好きやって、全然思わんかったんやろ」 頬杖をつきながらこちらを見る白石くんの言葉に俯く。 どこか冷ややかに感じる視線に、居心地の悪さを覚えた。ずるい。だってどれだけ白石くんから恋愛相談されたって、私とは全然違う女の子だって思ったし、それを口にするといつだって白石くんは笑うしかしなかったのに。そこから白石くんが私のことを好きだって、誰がどうして自惚れるというの。 「白石くんが…私のこと好きなん、想像もつかんかった」 「アホやな自分。相当なアホや」 「…そんなアホアホ何回も言わんでもええやん」 「アホはアホや。さっきは勢いで言ってもうたけど、もう一度改めて言うからよう聞きや」 白石くんが身体をこちらに向けて真顔になると、さっきまでなんともなかった心臓がどんどん早くなるのがわかった。まるで全身が心臓になったみたいに、周りの喧騒よりも今は鼓動の音が煩く思える。耳も目も、麻痺したみたいに、白石くんのことしか受け付けていなかった。 「俺な、が好きや」 「え…あ、うん」 「うんってなんや、他に言うことないんか」 「え、わ…私のどこが好きなん」 「なんや聞きたいんか」 笑いながらからかうように白石くんが問う。やっぱりいい、と言う私の言葉に耳を傾けるつもりはないのか、その綺麗な薄い唇から、こちらが恥ずかしくなるような言葉が続けられた。 「俺な、のこれでもかっちゅー気遣い好きやねん。初めてが教科書忘れて俺が貸したら翌日手作りのクッキー持ってきてくれたやん?あれ実はめっちゃ嬉しかってんで」 「1年のときの文化祭で演劇やるって決まったとき、たまたまクジでが主役ひいたの覚えてるで。あの主役の書かれた紙、は別の女子に渡してたのも覚えてる。あとから聞いた話やと、その主役代わった女子は相手役の子が好きで、はそれを知っててこっそり変えよった言うねんから、この子はどうしようもない気ィ使いやなって思ったんや」 「せやからは俺が幸せにしてやらな思たんや」 「それからな、」 確かに、言われてみればそんなこともあったと、私にとって気にも留めなかった過去のことが次から次へと白石くんの口から出てくることに驚く。私がしてきたこの3年間は、なんて意味のあるものに変わっていたのだろう。 「どうや?俺がどんだけのこと見てたかわかったやろ」 何も言えずにこくこくと頷くと、白石くんは満足そうにその微笑みを色濃く滲ませた。 「返事、まだ聞いてへんけど、勿論答えは決まっとるやんな?」 |