芥川龍之介作品*さ行

芥川龍之介作品 * さ行


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さ 行 作 品 一 覧 表
さまよえる猶太人(さまよえるゆだやじん)
(さる)
酒虫(しゅちゅう)
(しらみ)
青年と死(せいねんとし)
仙人(せんにん)


さまよえる猶太人(1巻379〜392頁)
彼は、子供を抱いたまま、思わず往来に跪いて、爪を剥がしているクリストの足に、恐る恐る唇をふれようとした。

基督教国にはどこにでも「さまよえる猶太人」の伝説が残っている。これに関して疑問がふたつある。第一に「さまよえる猶太人」は日本に渡来しなかったのか。第二に、どうして「さまよえる猶太人」ただひとりが基督の呪いを背負わなくてはいけなかったのか。このふたつの疑問が、ある古文書を発見したために解かれた。
(1巻148〜158頁)
そうして出来るだけ、靴の音がしないように、暗くなりかけた甲板を、また艦首から艦尾へ、ひき返しました。

私の半玉(軍艦の候補生)の年期が終わろうとしていた頃の話。艦内で盗難事件が起きた。上甲板で身体検査が行われる。その間に下甲板で兵員の手箱やらが検査される。すると私と同じ候補生の牧田が、奈良島という信号兵の帽子の箱から盗まれたものを発見した。すぐに信号兵が集められる。しかし、奈良島が来ない。自殺するのかもしれないというので、副長が特に慌て捜索の命令が下った。私は奈良島を探しながら、以前猿が時計を取ってそれを追いかけ回して捕まえた経験を思い出した。
(1巻89〜98頁)
船中の侍たちが、虱のために刃傷沙汰を引起こしている間でも(略)金毘羅船は、まるでそんな事には頓着しないように、(略)西へ西へと走って行った。

前田家の一行が長州征伐に加わるため、大阪から船を出した。その船での話。
この船、狭い上に虱が沢山いる。乗り込んでいる人々はいつも麻疹に罹ったかのような風体だった。その中にひとり変な男がいた。名は森権之進という。この男は虱を集めて自分の服の中に入れるという奇妙なことをしていた。何故かというと、虱を服に入れれば、痒くて掻く。するとそこが熱を持ってくるので暖かく風邪を引かなくて済むからだ。すると皆それを真似し始めた。勿論それに異議を唱える者もいる。井上典蔵という男だ。彼は虱を片っ端から食う。親から貰った身体を傷つけるとは不幸も甚だしい、と森に反対する。ふたりの言い合いはやがて抜刀にまで至り、周りの者が止めねば、命に関わっていただろう。ふたりはただ「虱、虱」と叫んでいた。
酒虫(1巻99〜112頁)
これらの答の中で、どれが、最もよく、当を得ているか、それは自分にもわからない。

炎天下の打麦場に三人の男がじっとしていた。ひとりは素っ裸で寝ころぶ劉大成。残りのふたりは草房に立つ蛮僧と劉の呑み仲間孫先生である。ある日金持ちな上に大酒のみの劉が孫先生と碁を打っていると、蛮僧が訪ねてきた。彼は、劉の身体の中に酒虫というものが居て、それが貴方を酒に酔わなくさせているという。劉は動揺した。それでも蛮僧が治せるというので好奇心も働き蛮僧が言うように、裸になって寝っ転がった。炎天下であったので甚だ暑い。耐えながら続けて、それも我慢の限界にくる頃、劉の口から何かが飛び出た。酒虫である。それからの劉は酒を一滴も飲めなくなった。のみならず、健康は害されるは、財産は消えるはして劉は何とも貧しくなった。人々曰く、「酒虫は劉の福だったのにそれを失ったからこうなった」、「酒虫は劉の病だった。だからそれが失われただけでも良しとすべきだ」、「酒虫は劉の福でも病でもない。酒虫は劉であり、劉は酒虫であった。だからそれを去らせた劉が劉でなくなり、財産を失うのも当然である」と。どれが本当のところなのかは判らない。
青年と死(1巻17〜28頁)
己はすべてを亡ぼすものではない。すべてを生むものだ。

ある国の後宮での出来事。后たちが次々に謎の妊娠をし宦官たちは不思議がっていた。しかしそれはただAとBというふたりの男が、姿の消えるマントを着て、後宮を訪れているからであった。Aは生きることへ常に死を結びつけて生きている男であり、死のない生活は欺罔と感じながらそれを破るために後宮に訪れていた。Bはただ生き、ただ快楽のために後宮を訪れている男だった。その彼らの前に「死」という存在が現れる。Bは死を忘れていたために殺される。Aは死を望んだが、死を忘れることなく生きたため、「死」によって生かされる。
仙人(1巻41〜51頁)
「あなたは私に同情して下さるらしいが、」こう云って、老人は堪えきれなくなったように声をあげて笑った。

北支那に李小二という見世物師がいた。彼は、家族の名を付けた鼠五匹でもって芝居をさせる男である。しかし、天気の良い日はまだ良いが雨期に入ったりなんかすると全く商売にならない。腹が減ったり寒いのを、生きているなら当たり前の苦しみだと思って何とか耐えていた。ある日の雨の寒い日のこと。雨宿りした廟で李はひとりのみすぼらしい道士に出会った。李は、彼のあまりなみすぼらしさに様々な窮状を挙げてそれを正当化してみせた。すると「私は金に不自由はしていないから同情しなくてもかまわない。」と道士はいった。道士は仙人であった。道士は術によって李に大金を与えた。仙人が何故みすぼらしい格好をしていたのかといえば、おそらく人間の生活が懐かしくなったためであろう。
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