芥川龍之介年表*横須賀海軍機関学校教官時代

横須賀海軍機関学校教官時代(大正5年12月〜大正8年3月)

西暦
日付
出 来 事
作 品
1916(大5) 24 12月
1日




7日

9日


11日
12日
20日
30日




一高の恩師の紹介で、横須賀の海軍機関学校に嘱託教授として就職。
英語を教える月給60円、持ち時間週12時間だった。
*鎌倉町和田塚に下宿(八畳間、部屋代五円、食費一食50銭)。

「尾形了斎覚え書」脱稿。

午後6時45分、夏目漱石死去。朝、久米より「センセイキトク」の電報を受け取ったが、着任早々の上、授業のため向かえなかった。

午後、夏目家に到着。通夜に参列。

青山斎場での葬儀で受付をする。

「運」を脱稿。

「道祖問答」を脱稿。

この月、文子との婚約が成立。縁談契約書が交わされる。
なし
1917(大6) 25 1月
1日




28日
2月
上旬


14日

28日


3月
1日


11日

15日

4月
1日


11日

15日

20日




5月
10日

23日


6月
1日


6日


20日

24日


27日

7月
1日


初旬


24日


25日

29日


8月
1日


10日

15日


9月
1日



3日


5日




14日



17日

下旬



10月
1日



4日


20日

11月
4日


5日


10日


24日


下旬


12月
4日


8日


9日


11日

15日


下旬

「MENSURA ZOILI」を『新思潮』、「尾形了斎覚え書」を『新潮』、「運」を『文章世界』のそれぞれ新年号に発表。
*5日付管忠雄宛書簡に「三つが三つ共気に食はない(中略)と云つても自分に対しての問題で(中略)人が悪口を云へば腹を立てます」とある。

「道祖問答」を『大阪朝日新聞』に発表。


早くも、教師、作家という「二重生活」に嫌気がさし始める。
*9日付恒藤宛書簡に「ボクは相不変本職と副職の間にはさまつてきゆう云つている」とある。

「忠義」を脱稿。


「狢」を脱稿。




「忠義」を『黒潮』に発表。


「狢」を『読売新聞』に発表。


『新思潮』の「漱石先生追慕号」に「葬儀記」を書く。これで第四次『新思潮』は終刊。


「偸盗」を『中央公論』に発表。




道章を伴って京都へ旅行する。途中、恒藤に会う。




 「続偸盗」を脱稿。


この月 初めて、佐藤春夫が訪問。


「さまよへる猶太人」を脱稿。


処女短編集『羅生門』刊行。森田草平、鈴木三重吉、和辻哲郎などに献本する。
*14編収録。定価1円。印税は8%。


「さまよへる猶太人」を『新潮』に発表。


「東京日日新聞」に『羅生門』の広告が載る。




軍艦「金剛」に乗り、横須賀から山口県由宇まで行く。




夜、『羅生門』出版記念会が日本橋のレストランで催された。谷崎潤一郎ら23名が出席。


「続偸盗」を『中央公論』に発表。


佐藤春夫と共に谷崎宅を訪問し、以後交流が深まる。


夏期休暇で実家田端へ戻る。




「軍艦金剛航海記」を『時事新報』に発表。






「産屋」を『鐘』に発表。


「二つの手紙」を脱稿。


「或日の大石内蔵之助」脱稿。




「二つの手紙」を『黒潮』に「或日の大石内蔵之助」を『中央公論』に発表。


「戯作三昧」を書き始め、「蛙」、「女体」、「沼地」を脱稿。


夏目筆子を巡る事件について文子に釈明の手紙を書く。
*「愛するものは何事をも征服します 死さへも愛の前にはかなひません」などと烈しい気持ちをぶつけている。


鎌倉から横須賀市汐入580番地に転居。
*下宿は資産家で、二階の八畳を借りた。しかし、文子と結婚すればまた鎌倉に戻るつもりだった。


「片恋」を脱稿。


二重生活に本格的に嫌気がさし作家一本でやっていくことを考え始める。
*19日付文子宛書簡に「だから将来は 一つにする気もあります(中略)勿論一つにすれば 小説ですね」とある。


「蛙」、「女体」を『帝国文学』に、「片恋」を『文章世界』に、「黄梁夢」を『中央文学』に発表。


志賀直哉「和解」読む。大いに感心。
*12日付池崎忠孝宛書簡に「『和解』を読んで以来どうも小説を書くのが嫌になつた」とある。


「戯作三昧」を『大阪毎日新聞』に連載。(21日は休載。全15回)




文子を自宅に訪ね、夕食をご馳走になる。


第二短編集『煙草と悪魔』を新潮社より刊行。
*収録作は「煙草と悪魔」、「或日の大石内蔵之助」、「父」、「煙管」など11編。


「英雄の器」を脱稿。


『新小説』のために「開化の殺人」を執筆するが、結局「西郷隆盛」になり、翌年の『中央公論』に発表。



「首が落ちた話」を脱稿。


神楽坂「末よし」で行われた漱石一周忌の会に参加。


漱石の一周忌法要に出席する。


下島勲宛書簡で初めて「我鬼」の号を用いる。
*「十二月十一日 我鬼生 空谷先生梧右」とある。


「西郷隆盛」を脱稿。


文子との結婚の日取りが決まったようで、鎌倉に知人を通して借家を捜し始める。
*26日管忠雄宛書簡に「もし借家が見つかつたら教へて下さい」とある。
「MENSURA ZOILI」
「尾形了斎覚え書」、「運」

「道祖問答」
















「忠義」


「狢」


「葬儀記」



「偸盗」


















『羅生門』




「さまよへる猶太人」















「続偸盗」










「軍艦金剛航海記」





「産屋」










「二つの手紙」 「或日の大石内蔵之助」 






















「蛙」、「女体」 「片恋」 「黄梁夢」






「戯作三昧」







『煙草と悪魔』
1918(大7) 26 1月
1日


13日


31日



2月
2日





3日



13日

26日


月末


3月
29日



4月
1日


16日

22日

25日




5月
1日

22日




13日


15日


6月
1日


5日


6日


7月
1日


8日



15日


月末


8月
12日

13日

27日


9月
1日


4日

22日


21日


10月
1日


16日

21日


23日

12月
13日


24日


11月
2日

8日


17日


12月
5日


9日


15日


30日

「首が落ちた話」(『新潮』)、「西郷隆盛」(『新小説』)、「英雄の器」(『人文』)、「文学好きな家庭から」(『文章倶楽部』)などを発表。

初めて室生犀星を知り、以後親交を深める。


薄田泣菫に大阪毎日新聞社社友の件について依頼する。
*書簡に「その節御話の件もよろしく願いますこの二月から生活状態が少しちがふので月収が非常に気が強くなるのです」とある。


文子と自宅で結婚式を挙げ、披露宴を田端の自笑軒で行った。
*披露宴には友人の菊池、江口渙、久米、池崎が出席。漱石の妻鏡子より机が贈られた。


鈴木三重吉の紹介で、自宅に小島政二郎が訪れ、以後親交を持つ。


大阪毎日新聞社社友となり、教官のまま報酬は月50円、原稿料は来通りとの契約を結んだ。


この日までに新居が決まる。


「地獄変」を起筆。



新居に転居する。鎌倉町大町宇辻小山別邸内。女中と伯母フキと妻四人で暮らし始める。が、伯母は翌月には田端に帰る。
*八畳二間、六畳一間、四畳二間、浴室、台所、手洗の構造。


「袈裟と盛遠」(『中央公論』)、「世之助の話」(『新小説』)を発表。


「蜘蛛の糸」を脱稿。


月額70円に昇給。


夏目筆子と松岡譲が結婚する。


この月、「地獄変」が多忙も重なり、下旬までかかる。



「地獄変」(『大阪毎日新聞』)を連載。うち、5日、16日は休載。


この頃、管忠雄の紹介で高浜虚子に師事し句作を始める。


「地獄変」脱稿。


次の連載小説に「踏絵」と表題をつけ起筆。(「邪宗門」に変更、未完)



「悪魔」(『青年文壇』)を発表。


3句が『ホトトギス』に掲載。


大阪毎日新聞社を訪ね、泣菫に会う。
*先月30日〜10日まで程の出張中。


初めての童話「蜘蛛の糸」(『赤い鳥』創刊号)発表。


短編集『鼻』刊行。13編収録。「西郷隆盛」以外は『羅生門』既収。
*「羅生門」の末尾が「下人の行方は、誰も知らない」に改稿。


「開化の殺人」(『中央公論』)を発表。


「素戔嗚尊」の着想が生まれたと泣菫に書き送る。
*「書きたいものがあるから書きます題は日本武尊か素戔嗚尊」とある。


「奉教人の死」を脱稿。


「枯野抄」を起筆。


 転職運動を開始。
*30日付小島宛書簡に「来月から田舎教師職がまた始まるんだと思ふとうんざりします実際一日も速く東京へ舞ひ戻りたい」とある。


「奉教人の死」(『三田文学』)を発表。



この間、慶応教官への招きの話が進む。海軍拡張のため学校の生徒数が三倍、授業数増加も懸念され、転職をますます考えるようになった。


「枯野抄」を脱稿。





「枯野抄」(『新小説』)を発表。


「或悪傾向を排す」を脱稿。


「邪宗門」を起筆。






「邪宗門」(『大阪毎日新聞』夕刊)に連載するも、休載が多く、結果的には未完中絶となる。





「邪宗門」五回分を脱稿。




「るしへる」(『雄弁』)を発表。

スペイン風邪で辞世の句が浮かぶほど衰弱する。


小島宛に慶大用の履歴書を送る。





「毛利先生」を脱稿。


漱石の三回忌に出席。


本郷燕楽軒で催された劇団の招宴に招かれ、佐佐木茂索を知る。以後、親交を深める。


「あの頃の自分の事」を脱稿。

「首が落ちた話」「西郷隆盛」「英雄の器」「文学好きな家庭から」


































「袈裟と盛遠」「世之助の話」














「地獄変」















「悪魔」









「蜘蛛の糸」

『鼻』




「開化の殺人」
















「奉教人の死」













「枯野抄」
























「るしへる」
1919(大8) 27 1月
1日



12日



15日


2月
1日


8日

15日

17日

20日

24日


3月
1日


8日


12日

13日

15日


16日


28日


31日

「毛利先生」(『新潮』)、「犬と笛」(『赤い鳥』)、「あの頃の自分の事」(『中央公論』)を発表。


泣菫に大阪毎日新聞社の社員にして欲しい旨を伝える。
*書簡に「あなたの方の社の社員にしてはくれませんか」とある。社に出勤の義務を負わず、年何回か小説を書く条件を出す。


 第三短編集『傀儡師』刊行。
*「奉教人の死」、「枯野抄」、「蜘蛛の糸」など11作品収録。芥川文学のピークを飾る作品集。


「開化の良人」(『中外』)発表。


菊池の大阪毎日新聞社入社の仲立ちをする。


菊池と共に採用が内定。


インフルエンザにより発熱。世界的に流行。


泣菫に内定の礼状を書く。


この日までに学校に退職願を提出。



「きりしとほろ上人伝」(『新小説』)を発表。


大阪毎日新聞社から社員決定の辞令が届く。月額130円。原稿料は別に貰う契約。菊池は70円。


文子との婚姻が本所区役所に届け出られる。


実父敏三がインフルエンザで入院。芥川も病院に泊まる。

友人のロイター通信貴社トーマス・ジョーンズと食事をする。(「点鬼簿」より)


朝、敏三が東京病院で死去。(享年68歳)


最後の授業をする。教科書などをストーブで燃やしてしまう。
*岡栄一郎宛書簡に「甚せいせいしてゐます」とある。


海軍機関学校を退職。

「毛利先生」 「犬と笛」 「あの頃の自分の事」





『傀儡師』




「開化の良人」

















「きりしとほろ上人伝」
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