芥川龍之介年表*作家【中期】時代

作家中期時代(大正10年8月〜12年)

西暦
日付
出 来 事
作 品
1921(大10) 29 8月
上旬


12日

20日


9月
1日


7日


8日




18日


20日


10月
1日



4日


8日


12日

16日

20日
ごろ


31日


11月
4日


6日

18日


24日



25日


12月
2日



20日

7月の疲れから体調が優れず、下痢に悩まされた。「支那游記」を起筆。


9月12日まで「支那游記」(『大阪毎日新聞』)を発表。


「支那游記」(『東京日日新聞』)9月14日まで発表。



「母」(『中央公論』)を発表。


小穴が二科展に入選し、祝いの手紙を書く。


『戯作三昧他六篇』刊。
体調不良のため、「上海游記」終了後「蘇杭游記」まで一週間の猶予を申し出る。(結局、翌年1月「江南游記」まで執筆されず。)


『地獄変他六篇』刊。


健康問題から静養を考え、南部を誘う。
「好色」を脱稿。




「好色」(『改造』)を発表。
静養のため湯河原へ。宿は中西屋旅館。


小穴、小沢碧童が訪ねて来て、6日まで滞在。


犀星、滝井孝作に近況報告をする。
*犀星宛書簡に「神経衰弱は中々根治しさうにありません」とある。


文子の母・鈴より煙草と甘栗が送られ、礼状を書く。


小穴に、安眠できないと書き送る。


田端に帰る。




下島に睡眠薬の調合を頼む。




下島に下島編『井月の句集』を贈られ、礼状を書く。


新年号の仕事に忙殺され始める。


『或日の大石内蔵之助他五篇』刊行。


新年号の仕事が片付くまで、「江南游記」の執筆を待ってくれる泣菫に申し入れる。
*書簡に「願くは新年号を退治するまで御待ちくださるやう願ひますその代り今度始めたら中絶しません」とある。


「将軍」起筆か。




『中央公論』の原稿(「俊寛」)締め切りだっただが、脱稿できない。


この頃までに、「藪の中」、「俊寛」、「神神の微笑」、「将軍」など脱稿。
*神経衰弱が最も烈しい時期に、旺盛な仕事をするという皮肉な結果になった。





「支那游記」





「母」





『戯作三昧他六篇』




『地獄変他六篇』







「好色」
































『或日の大石内蔵之助他五篇』
1922(大11) 30 1月
1日




21日


27日


28日


30日

31日


2月
1日


3日
ごろ


10日




16日


18日

3月
1日


15日

19日


22日



31日




月末


4月
1日




2日


13日

25日

28日


5月
1日


10日

15日


16日


18日




24日



29日


6月
1日


2日

12日





7月
1日


4日




9日


27日



月末


8月
1日


7日





13日

26日


9月
1日


8日


中旬


10月
1日


7日

14日

25日


11月
8日



上旬


13日

18日

20日


27日


12月
2日

15日

18日



「江南游記」の連載開始。以降、1日1回分ペースで執筆。
「藪の中」(『新潮』)、「俊寛」(『中央公論』)、「将軍」(『改造』)、「神神の微笑」(『新小説』)を発表。


小穴宛書簡で初めて「澄江堂主人」の号を用いる。



講演のため、菊池、小島と名古屋へ。


「形式と内容」と題して講演。夜、菊池が睡眠薬を飲みすぎ二日二晩昏睡状態となる。


菊池が回復したので残し、小島と鎌倉に一泊(芥川家には内緒)。


小島を伊東に誘うが断られたため、帰宅する。



「三つの宝」(『良婦之友』)を発表。『芋粥他六篇』刊行。


泥棒が入り、外套二着、マント一着、コート一着、帽子三つなどが盗まれる。


「江南游記」を脱稿。次の「長江游記」まで一週間猶予を貰える様泣菫に依頼する。
*この時には、書簡で「湖北游記」、「河南游記」、「北京游記」、「大同游記」を5〜10回の連載も申し出るが、空回りで大毎ではこれで終わりとなる。


「トロッコ」を脱稿。


「長江游記」を盧山まで書き進めたが、体調優れないため、しばらくの中止を泣菫に願う。


「トロッコ」(『大観』)を発表。


『将軍』を刊行。収録は「猿」、「運」、「藪の中」、「虱」、「秋」等九篇。


「長江游記」の執筆を再開。


旧友に力石平蔵を雇ってくれるよう依頼。
*「トロッコ」のモデルで、「百合」や「一塊の土」の素材を提供した芥川ファン妻子と上京し、芥川家の雑用をしていた。


「お富の貞操」執筆のため、上野戦争時の天候や様子を山本さと(文の祖母)に問い合わせる。
*塚本八洲宛「どうか下三項につき御祖母様に伺った上ニ三日中に御返事をして下さい」とある。


書斎を「我鬼窟」から「澄江堂」に改め、下島筆の扁額を掲げる。


「報恩記」(『中央公論』)、「澄江堂雑記」(『新潮』)を発表。
儔とフキを連れて、京都・奈良方面に旅行に出かける。


「仙人」(『サンデー毎日』)を発表。


神田青年会館において「ロビン・ホッド」と題して講演する。


長崎再訪の旅に出る。


京都に滞在。恒藤を訪ねたり、祇園で遊んだりした。



「お富の貞操」(『改造』)に発表。


長崎に到着。宿は渡辺庫輔の世話で本五島町の旅館花屋。


最初の随筆集『点心』を刊行。


渡辺と大音寺、清水寺などを見、以後愛憎するまりあ観音を手に入れる。


渡辺、蒲原春夫と丸山の待合たつみで遊び、芸妓照菊(杉本わか)を知り、以後ひいきにする。
*滞在中、河童図中最大の力作といわれる「水晩帰之図」を照菊に与えた。


お金が足りなくなり、『点心』の印税と、新潮社の中根駒十郎に300の電報為替を頼む。
*「金星堂の印税をあてに旅行したる所当地より催促するも主人旅行中のよしにて金参らず」という嘘をついた。


長崎を発ち、途中鎌倉に寄って、帰宅の途につく。



田端の家に戻る。


「長崎小品」(『サンデー毎日』)に発表。


「庭」を起筆。


この頃、小島とみつ子(三重吉妻楽子の妹)が結婚。仲人を務める。


「庭」(『中央公論』)を発表。


フキが神経痛で寝込む。
「支那游記」の続編を催促されるが、筆が進まない。
『沙羅の花』の校正も終わらない。


森鴎外死去。その死を悼む。


小穴とともに、初めて我孫子の志賀直哉を訪ねる。
*志賀に、スランプ時代はどうしていたかと訊く。スランプ脱出のための参考としようとしたらしい。


『沙羅の花』の校正を終える。



「六の宮の姫君」(『表現』)、「魚河岸」(『婦人公論』)を発表。

南部とトラブルがあり、絶交寸前までいくが、芥川が何とか冷静に対処。
*南部宛書簡に「交を絶つ絶たないは僕がきめるべき事ではない。(中略)お互の為に計れば喧嘩なぞせぬ方がよいかも知れない。」とある。


作品集『沙羅の花』刊行。
*小説17篇、童話3篇、紀行文2篇、小品文3篇、随筆1篇の計26篇。


南部との関係が修復。芥川宅に小穴と共に一泊する。



「おぎん」(『中央公論』)、「お富の貞操」(『改造』)を発表。

第九回二科展で小穴による芥川の肖像画「白衣」が入選。

渡辺庫輔・蒲原春夫が上京。芥川に師事する。
*渡辺は考証物、蒲原は創作活動。



「百合」(『新潮』)を発表。


「三田文学」講演会で「内容と形式」という講演を行う。


「わが散文詩」を脱稿。


作品集『奇妙な再会』を刊行。




次男・多加志が誕生。小穴を名づけ親とする。
*病弱で、しばしば家人を心配させた。


不眠症の症状が始まる。


『邪宗門』を刊行。収録は表題作のみ。題字はフキによるもの。


学習院で「文芸雑感」と題して講演。


新年号の依頼を全て断り、湯治静養を決意する。


小穴の病状は「脱疽」と判明。ショックを受ける。
*書簡に「だつそと云ふおん病のよし驚き入りそろ」とある。




『明星』に2.3枚随筆を送る。


小穴が順天堂病院に入院。


小穴の手術に立ち会う。


この頃、「知己料」を発表。

「江南游記」
「藪の中」「俊寛」「将軍」「神神の微笑」




















「三つの宝」 『芋粥他六篇』


















「トロッコ」


『将軍』





















「報恩記」「澄江堂雑記」


「仙人」













「お富の貞操」





『点心』

























「長崎小品」









「庭」



















「六の宮の姫君」「魚河岸」






『沙羅の花』







「おぎん」










「百合」








『奇妙な再会』










『邪宗門』
























「知己料」
1923(大12) 31 1月
1日


4日


22日






2月
7日


9日


27日



3月
1日


上旬



16日

20日

25日
ごろ


26日


4月
初旬


13日


14日

15日


5月
1日

18日


6月
8日


9日


10日



11日


中旬

27日


7月
3日


8日




8月
1日


2日



5日



7日





20日

25日

29日

31日


9月
1日








2日





5日



7日


28日



10月
1日


11月
10日


17日



18日


12月
1日


10日


15日

16日

17日

18日

20日
ごろ

29日


30日


31日

菊池の創刊した『文芸春秋』に「侏儒の言葉」を連載。1925年11月まで続く。

小穴が再手術を受け、右足首を切断。手術に立ち会う。


松岡譲に「この春は病院と警察庁を往来して暮らした」と書き送る。
 *病院は小穴の件、警視庁は西川豊が市ヶ谷刑務所に収監されていた件。


この頃、葛巻義敏(当時13歳)を引き取り、養育する。


感冒に罹った多加志診察のため、下島が来訪。


「「春服」の後に」を脱稿。


与謝野鉄幹に、泣菫からの原稿催促があると進退窮まっていると漏らす。
*書簡に「休めば薄田の田守やかましくでん報を打ち候間この頃は小生も進退谷まり居り候」とある。


「雛」(『中央公論』)、「猿蟹合戦」(『婦人公論』)を発表。


小穴が退院する。快気祝いも届けられ、文の代筆で礼状を出した。


静養のため、湯河原の中西屋に4月15日まで滞在。帰る頃には不眠も治り、食欲も旺盛になった。


戯曲「二人小町」(『サンデー毎日』)を発表。


「おしの」脱稿か。




中西屋の別荘から本館に移るか。



仕事で来た、正宗白鳥、佐佐木茂索らに会う。


脱稿したばかりの「保吉の手帳から」を小穴に送る。
*書簡に「君の自画像の向うを張り、僕も自画像を書いたれど自信はあまりなし」とある。


『ホトトギス』投稿用の俳句を高浜虚子に送る。


田端の自宅に戻る。



「保吉の手帳から」(『改造』)を発表。   


第六短編集『春服』刊行。収録15篇。



多加志が消化不良で、下島の来診を受ける。


多加志の病状が悪く、下島が三度来診する。


多加志を宇津野病院に入院させる。面会日だったため、犀星や成瀬が来訪するが、その夜になると多加志を見舞う。


多加志の病状が好転したと連絡があり、夕方見舞いに行く。


多加志が退院。


『羅生門』(縮刷本)、『傀儡師』(縮刷本)刊行。



「子供の病気」を脱稿。 


有島武郎波多野秋子の死体が、前日軽井沢の別荘で発見されたことを知る。
*小島に「死んじゃ、敗北だよ」と語ったという。『眼中の人』にある。



「子供の病気」(『局外』)、「白」(『女性改造』)を発表。


前日夜半の新宿発列車に乗り、山梨県北巨摩郡秋田村の清光寺に到着。


この日まで滞在し、県教育会主催の夏季大学講師として毎日二時間文学論の講義をした。


鎌倉の平野屋別荘に避暑に行き、25日まで滞在。
庭を隔てた隣に岡本一平、かの子夫妻一家が来ており、共に一夏を過ごす。
*後にこの時の見聞が、「鶴は病みき」(昭11)になる。


訪ねてきた長崎の永見徳太郎らと話し込み、終電に乗れず東京ステーションホテルに泊まる。


自宅に帰る。


発熱甚だしく、また鎌倉に行きたいと思う。


病状、好転。



「春」(『中央公論』)を発表。
午前11時58分、昼食を終えようとしていたところに関東大震災が発生。
被害は、屋根瓦の落下と石灯籠の倒壊で済んだが、新原家、西川家は焼失。
食料の買いだめをする。
小島夫妻が避難してくる。


空は煙が充満している。渡辺に文子の実家と新原家、西川家の見舞いに行ってもらう。文子の実家は無事であった。その他の二家も後無事が判る。
夜になって39度の熱を出す。


小島を見送りつつ、川端康成今東光と共に吉原の焼け跡を見に行く。


新原家の焼け跡を見に行く。


焼け出された親族のために新潮社に100円の前借をする。
犀星が金沢に引き上げることになり、堀辰雄を紹介され、以後親しくする。



「お辞儀」、「大震目録」(いずれも『女性』)、「大震雑記」(『中央公論』)を発表。




「芭蕉雑記」(『新潮』)を発表。


久米の結婚披露宴が行われ出席する。その後神楽阪「ゆかた」から里見ク、菊池、直木三十五などの寄せ書きを贈る。


堀の詩を二篇読み初めて才能を認める書簡を出す。
*「わたしは安心してあなたと芸術の話の出来る気がしました」とある。




「あばばばば」(『中央公論』)を発表。
  飯田蛇笏より「雲母」を贈られ、礼状を送る。


勝峰晋風に「澄江堂句抄」の原稿を送る。


この日までに、新年号の作品「一塊の土」、「糸女覚え書」を脱稿。


京都・大阪方面に旅行に出発。


京都に到着。恒藤を訪ねる。


小林雨郊と古道具屋を回り、掛け軸を一幅買う。



パーキンソン病で退社した泣菫を見舞う。


滝井と、志賀のもとを訪ね、里見と直木も交えて夕食をすることになったが、寒気がしたのでひとり宿に帰る。


田端に帰宅。


下島に京土産として木綿の袴を贈る。久米に野口功造からの結婚祝を届ける。

「侏儒の言葉」

























「雛」「猿蟹合戦」









「二人小町」


























「保吉の手帳から」

『春服』





















『羅生門』(縮刷本)
『傀儡師』(縮刷本)









「子供の病気」「白」





























「春」




























「お辞儀」
「大震目録」
「大震雑記」



「芭蕉雑記」













「あばばばば」
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