芥川龍之介年表*作家【後期】時代2

作家後期時代2(大正15年・昭和元年)

西暦
日付
出 来 事
作 品
1926(大15・昭元) 34 1月
1日



7日


8日



上旬


13日


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20日




中旬


21日


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2月
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21日


3月
4日


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4月
1日


初旬


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5月
1日



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9日




上旬

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6月
1日




初旬


8日


上旬



中旬


14日

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7月
1日


6日






7日

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月末

8月
7日


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ごろ


12日





中旬


24日


月末




9月
1日


2日


3日


9日


10日

15日


16日

25日


29日
ごろ


10月
1日

15日


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19日

22日


下旬


26日

11月
10日

13日

21日

25日

27日


月末


12月
初旬



2日




3日


5日



13日


16日


20日


31日

「湖南の扇」(『中央公論』」)、「年末の一日」(『新潮』)などを発表。


「新潮合評会」に出席。


前日に谷口喜作(うさぎや主人)に好物の一口最中贈られ、礼状を書く。


不眠症、胃腸不良などに苦しむ。
*8日付谷口宛書簡に「小生目下胃腸を害し居る為」とある。


茂吉を訪ね、診察を受ける。


佐藤春夫に彼経由で堀口へ『支那游記』を献本してくれるよう依頼する。


湯河原の中西屋旅館に湯治に行く。胃腸が悪く、神経衰弱と痔疾もあった。
夕刊で佐佐木夫人の父が自殺したことを知る。
*山本有三宛書簡に「なぜ僕の関係する縁談はかう不幸ばかり起るかと思つて大いに神経衰弱を増進した。」とある。


犀星に梅を見に来ないかと誘う。


小穴に書簡で佐佐木の件で憂鬱になった事を伝える。
*「大橋女史のお父さんが変死したので又ぞろ少々憂鬱になりました。」とある。


下島に2週間分程胃薬を調合してくれるよう依頼する。
佐佐木に体調のことを伝える。
*書簡に「胃わ悪し、腸は悪し、神経衰弱は甚しいし、(中略)二月近くの不眠症未だに癒らず」とある。


比呂志が東京高等師範附属小学校に通る。


フキに湯河原へ来るよう勧める。
*道章宛書簡に「をばさんなる可く早くお出で下され度候。」とある。


佐佐木に体調についての手紙を送る。
*「ひそかに維?曼青居士と号さん乎と思ひ居り」とある。胃腸慢性の意。




茂吉の紹介で、神保孝太郎(内科医)の診察を受ける。神経衰弱、胃酸過多症、胃アトニーと診断される。


『地獄変』(再刊本)、『或日の大石内蔵之助』(再刊本)を刊行。


佐佐木に固形スープ、谷口喜作から沢山のお菓子を貰い、礼状を書く。
小穴に、アダリンを使わなくなっただけ、不眠症が良くなったと記す。


この日か、翌日からフキが湯河原に来る。


細木元三郎(実父の弟)が脳溢血で倒れたため、急遽帰京。


鉄幹に講演を依頼されるが、病気を理由に断る。



南条勝代が来訪するか。


室賀文武から聖書が届き、礼状を書く。


照菊に、お見舞いのお礼とお返しを送る。


下島の養女死去。芥川は彼女を可愛がっていたため、衝撃を受ける。


下島養女・行枝葬儀。菊池や犀星、久保田万太郎らが参列した。


徳富蘆花に『近代日本文芸読本』作品収録の事後承諾を依頼。



「追憶」(『文芸春秋』翌年2月まで連載)を発表。


比呂志が東京高等師範附属小学校に入学。


渡辺に体調について書き送る。
*「あひかはらず神経衰弱はひどし、胃腸は悪いし、痔にも悩まされて鬱々と日を送つてゐる」とある。


下島に養女の追悼句を作ってもらうよう依頼される。
*更けまさる火かげやこよひ雛の顔


アロナアル・ロッシュ、アダリンなどの睡眠薬を常用するようになっていく。


徳富蘆花から掲載許可の返事が届き礼状と掲載料を送る。
「カルメン」を脱稿。


小穴を訪ね、自殺の決意を伝えたとされる。


文子と、也寸志と共に、鵠沼の東屋旅館に養生に出かける。
*鵠沼には八洲が療養のために住んでいたので、馴染みがあった。


「発句私見」脱稿。


渡辺に激励の手紙を送る。
*「僕が永見よりも君を重んじてゐる事は君自身も知つている筈だ。破門されたなどと莫迦な事をいふものには僕に手紙を見せろ。」とある。




佐佐木に栗を贈られた礼状を書く。
*「目下散薬、水薬、注射薬并用。定刻散歩。」とある。


「小説作法十則」を脱稿。


也寸志の初節句で、文子と也寸志は田端に帰宅。その間力石が世話をする。


山本有三に『近代日本文芸読本』に関する愚痴を書く。
*書簡に「あのお礼は口数が多いので弱つた。興文社から少し借金した。編サンものなどやるものぢやない。」とある。


睡眠薬がますます増える。


「近松さんの本格小説」を脱稿。


佐佐木が栗を土産に、訪ねてくる。


温灸をやりながら、薬を服用し、締切日のある仕事は断るようにする。


夜、田端に戻る。(8日まで滞在)


萩原が書いた犀星の大立ち廻りの文章を読んで、犀星に手紙をやる。
*「敬愛する室生犀星よ、椅子をふりまはせ 椅子をふりまはせ」とある。


泣菫から『泣菫全集』を贈られ、木村毅から『文芸東西南北』を贈られ、礼状を書く。


佐佐木に来客数に触れた手紙を送る。
*「鵠沼に一月ゐる間の客の数は東京に三月ゐる間の客の数に匹敵す」とある。客が帰ると縁側に倒れてしまうことも多かったと後に文子が語っている。


文子と也寸志を伴って、湯河原へ一泊旅行に出かける。


田端から鵠沼に戻る。


作品執筆のためしばらく止めていた睡眠薬の服用を再開。


下痢が続き、腸カタルになる。痔も併発し、心配した塚本鈴が八洲の看護婦を回してくれた。


「滝井君の作品に就いて」を脱稿。


やっと半熟卵が食べられるようになった。


下痢のため文芸春秋社の講演会を断念。佐佐木に原稿を代読して貰うよう社に依頼。
下痢が続くので不安になり、田端に帰宅。


下島の来診。大腸カタルによる衰弱が激しい。


小康を得、犀星に会ったあとまたぶり返す。


痔の手術を考えるが、下島に、もっと栄養をつけてからでなければ無理といわれ、断念。
この頃、足袋を履き、足の裏にカラシを塗り、足湯を使う状態であった。


「カルメン」(『文芸春秋』)を発表。


鵠沼に戻る。茂吉の勧めで、東屋の貸し別荘「イの四号」を借りて、簡易生活に入る。
*何かにつけて気を遣う年寄りから離れて、久しぶりに妻と三男とだけで生活する事ができた。
芥川はこれを「二度目の結婚」といった。



秀しげ子が子どもを連れて見舞いに来る。


「三つのなぜ」を脱稿。


「鵠沼雑記」を脱稿。
比呂志、多加志が来てにぎやかになる。比呂志は腹を壊し4・5日で帰京。


前の家にバイオリンを弾く青年が入り、音に悩まされる。
粥のようなものを食べている状態。


かかりつけの富士医師から、芥川の胃腸は薬餌療法では無理とサジを投げられ、悲観する。
家の周りの騒音に恐れをなし、転居を考える。


小穴が鵠沼のイの二号に住み始める。食事、散歩など親しくする。

富士医師の診察を受け、睡眠薬の飲みすぎを注意される。

犀星に何も書けない事を訴える。
*書簡に「その上又下痢をした。何も書けずにいらいらしてゐる。」とある。


堀が来訪する。



佐佐木に来訪を促す。土産はアロナアル・ロッシュ2瓶を所望。
*書簡に「お土産は入らぬ故、アロナアルロツシユを二びん買つて来てくれ給へ」とある。
「春の夜」を脱稿。


思い立って、文子と新婚生活を始めた鎌倉の家を訪ねる。


下島を鵠沼に誘う。


睡眠薬を飲みすぎ、約50分うわ言を言い続けた。


この頃、田端に戻る。


「春の夜」(『文芸春秋』)を発表。


新潮社から12月に出す随筆集を『梅・馬・鶯』に決める。


鵠沼に戻る。


「点鬼簿」一応脱稿。


得二一家が鵠沼に来る。得二は日蓮宗に凝って出家すると騒ぎ立て、芥川の神経を悩ませた。


枚数を加筆して「点鬼簿」を改造社に送るか。


相変わらず、体調が優れない。
*佐佐木に「多事、多難、多憂、蛇のやうに冬眠したい。」とある。


土屋と茂吉が見舞いのため、来訪する。


アメリカから帰国した恒藤が鵠沼を訪れる。三年ぶり最後の対面となった。




「点鬼簿」(『改造』)を発表。
*この作品で初めて母が狂人であったことを明かした。


「「梅・馬・鶯」小序」を脱稿。


田端に帰る。
「報知新聞」での広津和郎の文芸時評に礼状を書く。
*「近来意気が振はないだけに感謝した。」とある。


鵠沼に帰る。


『梅・馬・鶯』の初校を終える。


借家を裏の二階家に変える。


「悠々荘」を脱稿。
小沢碧堂が30日ごろまで滞在。



秋声の「点鬼簿」悪評のショックを引きずっている。
*佐佐木宛書簡に「秋声は岡の叔父だけある。」とある。


「彼」を脱稿。


茂吉にアヘンエキスの送付を依頼。


小沢などが訪ねてきて、句作する。


宇野浩二が鵠沼を訪れる。容量の得ない事をいって帰る。

胃腸は徐々に回復するが、神経衰弱が回復に向かわない。



アヘンエキス、ホミカ、下剤、ベロナールなどを常用する。痔の座薬も用い、家人からみても痛ましかった。


佐々木に体調について書き送る。
*「鴉片エキス、ホミカ、下剤、ヴエロナアル、――薬を食つて生きてゐるやうだ。」とある。


「玄鶴山房」の執筆が2,3枚いった所で停滞する。


当時、大学生の中野重治の詩を読み、感想を犀星に送る。


茂吉にアヘンエキスを二週間分送ってくれるように依頼する。


「玄鶴山房」が完成せず、『中央公論』1,2月号分載となる。


随筆集『梅・馬・鶯』を刊行。装丁は佐藤春夫。別れの記念だったといわれる。


鎌倉の小町園へ静養に出かける。女将の野々口豊子の世話になり、この時行き詰まりを感じて家出を考えたともいわれる。

「湖南の扇」 「年末の一日」

























































『地獄変』(再刊本)
『或日の大石内蔵之助』(再刊本)





































「追憶」





























































































































「カルメン」































































「春の夜」































「点鬼簿」






































































『梅・馬・鶯』
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