芥川龍之介年表*作家【後期】時代

作家後期時代(大正13年〜14年)

西暦
日付
出 来 事
作 品
1924(大13) 32 1月
1日




8日



2月
1日


12日




22日

3月
7日

13日

20日
ごろ

4月
1日



7日

10日

20日
ごろ

25日


5月
1日





2日

14日

15日


18日

23日

24日

25日


28日

6月
4日


6日






10日


25日


7月
1日



9日




14日


18日

22日


23日



24日


26日


27日


8月
3日



4日

10日





13日


18日



23日


26日


9月
1日


3日


5日





17日

18日

25日


下旬


10月
3日


6日


7日



9日


11日

20日

22日


25日

29日


11月
5日


上旬


24日


12月
1日


9日


19日



月末



「一塊の土」(『新潮』)、「糸女覚え書」(『中央公論』)、「三右衛門の罪」(『改造』)、「伝吉の敵打ち」(『サンデー毎日』)を発表。


大阪毎日新聞社との間にトラブル発生か。
*入社後、他の雑誌には書いているのに新聞には目立った仕事がないことへの不満か?


「金将軍」(『新小説』)を発表。


正宗白鳥の『文芸春秋』二月号に寄せた「一塊の土」評と「往生絵巻」への旧評への礼状を送る。
*書簡に「十年前夏目先生に褒められたとき依頼最も嬉しく感じました」とある。


作品の取材のため、千葉県八街に出かける。のち「美しい村」で起筆されたが、未完。


自笑軒で行われた「新小説」の座談会に参加。


小穴の作品が入選したのに対し、祝い状を送る。


「第四の夫から」、「文章」、「寒さ」、「少年」を脱稿。



「第四の夫から」(『サンデー毎日』)、「文章」(『女性』)、「寒さ」(『改造』)、「少年」(『中央公論』)を発表。


泉鏡花より『七宝の柱』を贈られ、礼状を書く。


『春服』(縮刷本)を刊行。


「少年」(続篇)を脱稿。



岩波書店経営者である岩波茂雄に面談を申し入れる。(用件は不明)


再度、岩波に面談を申し入れる。
「少年」(続篇、『中央公論』)、「続芭蕉雑記」(『新潮』)、「或恋愛小説」(『婦人グラフ』)、「文故古」(『婦人公論』)を発表。

玄文社から王朝物の短編集『泥七宝』を出すことにり、装丁を小穴に依頼するが、玄文社が倒産したため実現しなかった。

金沢に向かう。

金沢着。岡栄一郎の親族と会う。翌月に結婚する岡の媒酌人を引き受けていたため、家族の了承を得るのが旅の目的だった。
犀星の世話で、兼六園内の「三芳庵」の茶屋に滞在。

大阪へ赴き、泣菫を見舞う。

滝井の案内で桂離宮見学に行く志賀に会う。芥川編集の『近代日本文芸読本』への短編収録許可を貰う。


岡に、家族と会ったことを報告する。


田端へ帰宅。


旅行で金を使い果たし、中根駒十郎(新潮社)に150円の借金を申し込む。


岡本綺堂から『綺堂戯曲集』の一巻を贈られ、礼状を書く。

新潮社の中根に、随筆集のタイトルを『全家宝』から『百艸』に変更すること、200円の印税前借を申し出る。
*「随筆題は『全家宝』をやめ、百艸といたし度候(中略)又々欲しきものありても買はれぬ故お金二百円ばかりどちらかの印税よりお借しくだされ度願上候」とある。


第22回全国教育者協議会で「明日への道徳」の題で講演する。


岡栄一郎と野口綾子の結婚式の媒酌人を夫婦で務める。



「続々芭蕉雑記」(『新潮』)、「桃太郎」(『サンデー毎日』)を発表。


午前3時頃、強盗が便所から侵入。短刀を突きつけられた上20円を盗まれる。
*犯人は16歳の早稲田実業本科生で10月6日逮捕された。


「「続晋明集」読後」を脱稿。
編集を担当した英語教材『The Modern Series of English Literature』の配本が始まる。


短編集『黄雀風』を刊行。収録は16篇。装丁は小穴。


軽井沢の鶴屋旅館に着き、一ヶ月間滞在する。


交通事故に遭ったという嘘の手紙を家族に出す。
*「その拍子に左の腕を折り、目下軽井沢病院に入院中(中略)但シコレハミナウソ」とある。
犀星を誘う。


夜、浅間山が鳴動し、真っ赤な噴煙を見る。


蒲原に鏡花や白鳥ら16人に『黄雀風』を献本するよう依頼する。


グリーンホテルに山本有三を訪ね、一泊。
松村みね子(片山広子)が避暑に鶴屋旅館へ来る。



軽井沢に犀星が来る。鶴屋旅館の離れに移り、隣の部屋になった。


堀が鶴屋旅館を訪れる。

『改造』の記者に居催促を受け「十円札」を脱稿。
小穴に来るよう誘いの手紙を出す。また、義母、伯母にも繰り返し誘いの手紙を出す。
*13日付フキ・儔宛書簡に「おばさんとおばあさん無精を云はすに来なさい」とある。


夜、犀星と片山親子と鶴屋主人と自動車で碓氷峠へ月見に行く。


片山、鶴屋主人と追分に出かけ、美しい虹を見る。この頃から片山に「愁心」を感じ始める。
*19日付小穴宛書簡に「しかしもう一度廿5才になつたやうに興奮してゐる」とある。


田端の自宅に帰宅。


追分近くの土地を買わないかと犀星が誘い、片山が買うといい、芥川もそのつもりだったが実現しなかった。


「十円札」(『改造』)、「長江游記」(『女性』)、「軽井沢日記」(『随筆』)を発表。


「新潮合評会」に久米、菊池、宇野らと出席。


『婦女会』主催による菊池寛「新珠」をめぐる座談会(11月号)に出席。

この頃、片山から手紙を受け取る。「わたくしたちはおつきあひができないものでせうか」などと記されていた。


随筆集『百艸』を刊行。


床のなかで句集「ひとまところ」を作る。


犀星から『高麗の花』を贈られ、礼状を書く。


持病のようになっていた胃腸不良のため床につく。




佐藤春夫に翌日の来訪を依頼する。


「東京日日新聞」に『高麗の花』の紹介文を書く。


志賀が古美術写真集作成のため上京したのに付き合い、目黒の山本悌次郎宅で中国画を見せてもらう。


上京した谷崎に会う。


スコットコールで開かれた、早稲田第一高等学院主催の講演会で「プロレタリア文学」と題して講演する。


叔父竹内顕二(道章の弟)が食道ガンで死去。


岡本綺堂に寄贈本の礼状を書く。


〈歴史物語傑作選集2〉として『報恩記』刊行。収録は14篇。


 義弟・八洲が喀血し、驚く。




『影燈籠』(縮刷本)刊行。


書斎の増築が始まる。


鏡花から『愛府』、泣菫から『茶話全集下』を贈られ、礼状を書く。




「新潮合評会」に出席。


「大導寺信輔の半生」を脱稿する。


新潮社の中根に新潮社版『羅生門』『傀儡師』の増刷を申し入れ、その印税と、『煙草と悪魔』の印税を至急送るよう依頼する。


書斎の増築を終える。

「一塊の土」
「糸女覚え書」
「三右衛門の罪」
「伝吉の敵打ち」



「金将軍」























「第四の夫から」
「文章」、「寒さ」
「少年」


『春服』(縮刷本)










「続芭蕉雑記」
「或恋愛小説」
「文故古」



























































『黄雀風』





















































「十円札」
「長江游記」
「軽井沢日記」










『百艸』




































『報恩記』








『影燈籠』
1925(大14) 33 1月
1日


8日


9日


21日


31日




2月
1日


5日




7日


8日



14日





18日




21日


28日


3月
1日


上旬



12日




21日


4月
1日





上旬



5日


6日


10日


13日


16日






17日



20日

26日


29日








5月
1日


3日



6日


13日

20日

21日

22日


6月
1日


上旬



17日



7月
4日

12日


20日


31日


8月
9日





11日


12日

13日






20日

23日

25日

26日





28日

31日


9月
1日



初旬


4日


6日






7日


8日



上旬


23日


25日


下旬


10月
11日


15日

18日


24日



27日


下旬


11月
初旬


1日


3日


7日



8日




14日

15日

22日

24日

25日


26日


12月
1日


10日



15日

「大導寺信輔の半生」(『中央公論』)、「馬の脚」(『新潮』)、「早春」(『東京日日新聞』)を発表。

「新潮合評会」に出席。


自笑軒主人、宮崎直次郎死去。


佐佐木茂索『春の外套』(金星堂刊)の出版記念会に発起人として出席。


下旬から風邪で寝込み、犀星に魚の見舞いを貰ったので礼状を書く。


この月、犀星は単身で上京し、2月には田端608番地に移り、家族を迎えた。

「学校友だち」(『中央公論』)を発表。


隣家の香取秀真から鴨を貰う。
八洲の容態が悪く、文子が比呂志を連れて見舞いに行く。


蒲原と共に『近代日本文芸読本』の編集作業をする。


精養軒で行われた野口功造も十日祭に出席し、徳田秋声に会う。


流行性感冒のため数日外出できないか。
与謝野晶子から歌集『瑠璃光』を贈られ、礼状を書くと共に「越びと」の『明星』への掲載を依頼する。
*書簡に「この手紙と同封して旋頭歌を少々御覧に入れます。御採用下さるのならば明星におのせ下さい。」とある。


前年媒酌人を務めた岡夫妻が不仲になり、野口真造(夫人の兄)が来訪。
夜、八洲は三度目の喀血をし、下島と二人で塚本家にかけつける。


小・中時代の同級生清水昌彦が結核であることを知り、励ましの手紙を送る。
*書簡に「僕も生きられるだけ生きる。君も一日も長く生きろ。」とある。


土屋文明から第一歌集『ふゆくさ』を贈られ、礼状を書く。


「越びと」(『明星』)を発表。


野口夫妻の離婚話、八洲の喀血が重なる。面会日を中止して執筆する。


鏡花から『鏡花全集』宣伝のための「鏡花全集目録開口」執筆に対し、礼状が届いたので、返事を書く。
*「何度試みても四六駢麗体の評論のやうなものしか書けず、」と謙遜。しかし、一代の名文といって良いものである。


佐佐木茂索と女性作家大橋房子との結婚式が行われる。



新潮社から現代小説全集の第一巻として『芥川龍之介集』が刊行。
*巻末の自筆年譜で始めて養子であることを明かすが、「母の病の為」と発狂の事実は伏せている。


比呂志が聖学幼稚園に入園。
萩原朔太郎が田端32番地に転居し、親交を結ぶ。


「詩集」を脱稿。


「ピアノ」を起筆。


病気療養のため、修善寺温泉に出かける。新井旅館に滞在。


西川英次郎(三中から東大まで同級生)に、清水の死を知らせる。


父の病のため長崎に帰っていた渡辺を叱咤激励する手紙を書く。
文子に「比呂志毎日欣々として幼稚園へ通ふよし珍重、何でもひとりでさせるがよし。」と書き送る。
*この日までに、「北京日記抄」、「『文芸一般論の『内容』」、『文芸春秋』の原稿を脱稿。「温泉だより」を起筆。


犀星に原稿の催促に閉口している事を書き送ると同時に、詩を披露。
*後に「相聞」と題される芥川の代表的詩のひとつ。「また立ちかへる水無月の/…」。


鏡花夫妻が修善寺を訪れ、同宿。


清水の葬儀に、代理で蒲原を行かせる。


フキや儔に、列車の時刻、乗り換えの三島駅ホームの図、旅館の図まで添えて、熱心にこちらへ来るように誘う。
*文子宛書簡に「をばさん、おばあさん、ちょいと二三日お出でなさい。」とある。

この月、犀星一家が田端523番地に転居する。




「鏡花全集目録開口」(『新小説』)を発表。


修善寺から帰途につく。途中鎌倉の久米を見舞ったり、八洲の転地先を探したりした。


田端の自宅へ戻る。


『近代日本文芸読本』への三重吉作品収録許可が出、礼状を書く。


法政大学講堂で「ポーの一面」と題して講演する。


茂吉から『朝の蛍』を贈られ、礼状を書く。


水上滝太郎に『第三貝殻追放』を贈られ、礼状を書く。



「温泉だより」(『女性』)を発表。


萩原の「郷土望景詩」(『日本詩人』6月号)を読んで感激し、寝巻きのまま萩原家を訪れる。


母校三中の教師台国太郎が「鏡花全集目録開口」を教材としたいという手紙に対し、返事をする。
*「赧顔このことに存候あれは唯好い加減な文句を対になるやうに並べただけに有之、」と照れる。


眼科医に結膜炎と診断されたことを茂吉に伝える。


三男・也寸志が誕生。恒藤を名づけ親とする。


堀に、「ハイカラなもの」を書くより「写生的なもの」を書く方が成長のためには大切と書き送る。


佐佐木より也寸志に帽子が贈られ、礼状を書く。また佐佐木の妻の保証人として入籍届に署名して送る。



鏡花に借用(5月10日から)していた『ユーゴー小品』を返却する。
*『近代日本文芸読本』3巻に「ルヰ・フイリップ王の出奔」がここから収録されたものと思われる。


「海のほとり」執筆が進まない。夕方の完成を約束したが、結局13日朝までの延長を『中央公論』の高野敬録に申し出る。


『中央公論』高野にさらに夕方まで待ってくれるよう依頼。


「尼堤」を脱稿。


この頃、「海のほとり」脱稿か?(しかし初出には8月7日とある)



軽井沢に向けて出発。鶴屋旅館に滞在した。


犀星、堀と共に碓氷峠へ登る。


犀星が帰京する。


『改造』記者の居催促で「死後」を脱稿。


この頃、堀が、片山親子と追分にドライブする。後、「ルウベンスの偽画」に書かれる体験となった。


片山親子帰京。入れ替わりで小穴、佐佐木夫妻が来る。


小穴、堀、佐佐木夫妻と碓氷へ月見をしに行く。



「海のほとり」(『中央公論』)、「尼堤」(『文芸春秋』)、「死後」(『改造』)を発表。


風邪で4.5日寝込む。小穴、堀に看病される。


比呂志が、蒲原に連れられて軽井沢に来る。


夜、地元の有力者たちと食事に出かけるが、比呂志が泣く。
*7日付塚本鈴宛「昨夜は小生がここの政治家や実業家と御飯に呼ばれ、九時頃までかへらなかつた所、比呂志は寂しがつて泣き出してしまひました。」とある。


比呂志を連れて帰京する。


穎原退蔵編『蕪村全集』(大正14年11月18日、有朋堂書店)のために請われて、「「蕪村全集」の序」を送る。


田沼利男(堀の友人)からフランス語を習っていた。


南条勝代が初めて澄江堂を訪ねる。日本文学一般の個人教授のため。
*昭和2年1月まで続いた。


新潮社の中根を通して300円の借金をする。


『支那游記』の校正が始まる。





「『私』小説論小見」を執筆。


「微笑」(『東京日日新聞』)を発表。
也寸志が夜熱を出し、芥川も氷を準備するなど看病した。


来客が多く、疲労する。


フランス画の展覧会に出かける。
犀星夫人とみ子に、父親死去に悔やみの口上を送る。
谷崎精二からの芥川作品翻訳の許可願いに承諾する。


滝田樗陰(『中央公論』編集長)死去。夜、犀星と弔問に行く。


也寸志の病気が癒えず、落ち着かない日々を送る。




新年号執筆のため忙殺され始める。


南条勝代に、個人教授の日程を一週間延期するよう伝える。

『支那游記』(初刊本)を改造社から刊行。


本郷図書館において、図書週間講演会で「芭蕉に就て」と題して講演する。


編集を担当した『近代日本文芸読本』(全五集)同時刊行。
*大変苦慮した編集作業から1年3カ月ぶりに解放されるが、無断収録や印税分配問題が起こり、心労の種となった。


多忙なため、南条に翌月20日まで教授中止を伝える。


「一人一語」を脱稿。


「澄江堂雑記」を脱稿。


「『新作仇討全集』の序」を脱稿。


穎原退蔵から『芭蕉全集』が贈られ、礼状を書く。


堀内大学に詫び状を書く。
*芥川が中国旅行中に、芥川の作品を翻訳したい旨の手紙が来てそのままにしていた。



「湖南の扇」一回分を送る。

『改造』新年号を断る。
『新潮』も「湖南の扇」が脱稿できず、締め切りを3.4日延ばしてもらえるよう依頼する。

「年末の一日」を脱稿か。(『湖南の扇』には12月8日とある)

「大導寺信輔の半生」
「馬の脚」、「早春」
















「学校友だち」



































「越びと」








































































「鏡花全集目録開口」






















「温泉だより」








































































「海のほとり」
「尼堤」「死後」








































「微笑」



























『支那游記』(初刊本)





『近代日本文芸読本』(全五集)
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