芥川龍之介年表*晩年と死・その後

晩年と死・その後(昭和2年〜)

西暦
日付
出 来 事
作 品
1927(昭2) 35 1月
1日




2日


3日



4日




6日










8日


9日


16日


19日


中旬


28日

30日


2月
2日







4日


7日



11日




12日


13日



15日


16日


19日




25日


27日





28日





3月
1日






2日


6日


7日

14日

17日

23日

27日


28日





29日

30日





4月
1日





2日


3日




4日





5日



7日


16日


17日



中旬




30日


5月
1日



2日





3日





4日


5日


6日


8日



13日


14日

15日

16日

17日


18日


19日


20日


21日

22日

23日
24日

27日


30日


下旬






月末


6月
1日


2日


4日


7日

10日






上旬


15日


20日

21日


25日

7月
1日


5日


10日

14日


15日


17日

18日


20日


21日




22日



23日




24日













25日







26日


27日





28日




8月


9月

12日


10月


11月



12月
6日


20日

「彼」(『女性』)、「彼第二」(『新潮』)、「玄鶴山房」(『中央公論』)、「悠々荘」(『サンデー毎日』)を発表。
鎌倉の小町園で新年を迎える。


鎌倉から田端に戻る。


「或社会主義者」(『東京日日新聞』)を発表。
嘔吐し、下島の来診を受ける。


義兄・西川豊の家が焼ける。直前に多額の火災保険がかけられていた為、放火疑惑で西川が取調べを受ける。
夜、小穴、下島、平松麻素子、文子らとカルタで遊ぶ。


西川が、千葉県山武郡土気トンネル付近で、鉄道自殺を遂げる。
死後、高利の借金がある事が判り、その他火災保険や生命保険の問題で、芥川が東奔西走する事になる。
*9日付宇野宛書簡に「その後又厄介な事が起り、毎日忙殺されてゐる。」、12日付佐藤宛書簡に「親戚に不幸出来、どうにもならぬ。唯今東奔西走中だ。」とある。
この頃、平松の父の世話で帝国ホテルに部屋を取り、執筆する事もあった。


「新潮合評会」に出席する。


漱石忌に出席するために、夏目家を訪れる。


「玄鶴山房」の二月号分を執筆。義兄の家の事で落ち着かず脱稿できない。


下島、明石敏夫が訪ねてきて、二人をまえに「玄鶴山房」の推敲をした。


『梅・馬・鶯』装丁のお礼の為、佐藤宅を訪れる。


茂吉に使いをやり、ヴェロナアルとノイロナアルを出してくれるよう依頼。


宇野が「玄鶴山房」を褒めてきた事に礼状を書く。



茂吉に薬の礼状を書き、「蜃気楼」と「河童」を執筆している事に触れる。
*「唯今『海の秋(後の「蜃気楼」)』と云ふ小品を製造中、同時に又「河童」と云ふグァリヴアの旅行記式のものをも製造中」とある。また二伸に「唯今でも時々錯覚(?)あり。今夜はヌマアルを用ふべく候。」と幻覚にも触れる。


「蜃気楼」、「芝居漫談」を脱稿。


義兄の問題に悩まされながら「河童」(60枚)、「軽井沢で」(3枚)などを執筆。


この日までに堀の「ルウベンスの偽画」に眼を通し、犀星と共に添削。
堀の作品に眼を通すのはこれが最後。
*佐佐木宛書簡に「堀の小説は一度僕や室生が読んで 二度目にフラグマンしたもの。よろしくお引立てを乞ふ。」とある。


小穴に鵠沼に戻れない事への、詫び状を書く。


「河童」を脱稿。
*3月27日付滝井宛書簡に「河童は近年にない速力で書いた。蜃気楼は一番自信を持つてゐる。」とある。


西川家の事で親族会議がある。
この頃、「文芸的な、余りに文芸的な」の前半を書き上げる。


ヴェロナアルを常用する。


改造社招待の歌舞伎観劇に犀星と出かけ、芝居を見ず久米と話す。閉幕後、里見に誘われて吉原の茶屋へ行く。深夜帝国ホテルで佐藤、久米、谷崎と話し込み、ホテルに宿泊。


帝大仏教講堂で行われた新潮社の世界文学全集刊行記念講演会で講演する。


改造社の円本全集宣伝講演のため、佐藤らと共に大阪へ。
*現代日本文学全集(円本)は空前の大ヒットとなった。芥川は姉一家救済のため、宣伝映画、講演に参加。死の直前に渡された1000円はおそらくこの時出来たものであろう。


中之島公会堂で「舌鼓小説」の題で講演。谷崎宅に一泊。
この日、小穴の田端での下宿が見つかり、引っ越す。
*芥川は、小穴が常に自分の傍にいることを望んでいた。




「河童」(『改造』)、「蜃気楼」(『婦人公論』)を発表。
この日、大阪で佐藤、谷崎両夫妻と文楽を見る。その後佐藤は帰京したが、谷崎を宿まで誘い、話し込む。
その際、宿の紹介で根津松子に会う。谷崎は後に松子と結婚することになった。


松子に誘われ、ダンスへ行くが自分は踊らなかった。


大阪から帰京する。


「誘惑」を脱稿。


「浅草公園」を脱稿。


仕事場にしていた帝国ホテルから、帰宅する。


「歯車」の「一 レエン・コオト」を脱稿。


「歯車」の「二 復讐」を脱稿。


茂吉に「この頃又半透明なる歯車あまた右の目の視野に廻転することあり(中略)唯今小生に欲しきものは第一に動物的エネルギイ、第二に動物的エネルギイ、第三に動物的エネルギイのみ」と書き送る。
午後、文子と多加志と共に鵠沼へ赴き「歯車」の「三 夜」と「たね子の憂鬱」を脱稿。


「歯車」の「四 まだ?」を脱稿。


「歯車」の「五 赤光」を脱稿。


この頃、岡本かの子と偶然列車で同車し、近くにいた子どもに「オバケ」といわれた。


「三つのなぜ」(『サンデー毎日』)、「誘惑」(『改造』)、「浅草公園」(『文芸春秋』)を発表。
「文芸的な、余りに文芸的な」(『改造』5,6,8)の連載を始め、谷崎と〈筋のない小説〉論争を始める。


夜、田端に戻り、親族会議に出席するか。


吉田泰司の「河童」評に対する礼状を書く。
*「あらゆる『河童』の批評の中にあなたの批評だけ僕を動かしました。」とある。


鵠沼滞在中の文子から多加志が熱を出したことを伝えられ、見舞い状を送る。
*「多加志はすつかりなほるまでそちらに置いた方が良いかも知れない。」とある。


前日に書いた、久保万太郎の句集『道芝』ための「「道芝」の序」を届ける。


「歯車」の最終章「六 飛行機」を脱稿。


菊池宛に遺書を書く。小穴宛のものもこの頃のものと思われる。


帝国ホテルにおいて、平松と心中する計画があったが、平松が小穴に打ち明け家族に知らせたため未遂に終わった。(7日という説もある)


興文社『小学生全集』とアルス『児童文庫』の間で、企画を盗んだ盗まないと争いが起こった。
芥川は前者に執筆を、後者に編集を依頼されていたので神経を悩ませる。


平松麻素子が引越しの挨拶に来る。



「たね子の憂鬱」(『新潮』)を発表。
小穴と堀が来訪。堀に出来かけの短編を読んでもらう。


文子が也寸志を連れて、鵠沼の実家へ行く。
「本所両国」第一回、第二回の挿絵を小穴の指導で描いていると、小穴が描いても良いことになり、喜ぶ。
「本所両国」第七回分を脱稿。


小穴が「本所両国」第一回分の挿絵を持ってくる。
疲れが酷く、ホミカ、カスカラ錠、ベロナールなどを服用して寝る。



文子が鵠沼より帰宅。


「新潮合評会」に出席。


「本所両国」の連載開始。(22日まで)


『文芸春秋』の〈堺利彦、長谷川如是閑座談会〉に藤森成吉、久米、菊池と出席。


改造社の『現代日本文学全集』宣伝のための講演旅行で、里見と東北、北海道方面に上野駅から出発する。


仙台に到着。東北大学にいた小宮豊隆、木下杢太郎と昼食をとる。午後から講演。


「夏目先生の事」と題して、盛岡で講演。


22時に函館に到着。


函館市公会堂にて「雑感」と題し講演する。


札幌では、北大公会堂で「ボオの美学について」、大通小学校にて「夏目先生の事ども」と題し講演する。


旭川到着。錦座で「表現」と題し講演する。
*文子宛書簡に「こんなに烈しい旅とは思はなかつた。」とある。


小樽到着。花園小学校にて「描かれたもの」と題して講演する。若き日の伊藤整が聴衆にいた。


青森市公会堂で「漱石先生の話」として宣伝旅行最後の講演をする。聴衆には太宰治もいた。


北周りで新潟に向かう。


新潟高等学校講堂で「ポオの一面」と題して講演する。




田端に帰宅。


『文芸春秋』主催の<柳田国男・尾佐竹猛座談会>に菊地と共に出席する。


再び帝国ホテルで自殺を計画したが未遂に終わる。
文子達が駆けつけた時には服薬後で昏睡状態であったが、手当てが早く覚醒する。
文子が、後に後にも先にも本当に怒ったのはこの時だけ、と回想している。


宇野浩二が発狂する。



「歯車」(『大調和』一のみ)を発表。


茂吉に宇野を診察してもらう。


「冬と手紙と」の「一 冬」を脱稿。


「冬と手紙と」の「二 手紙」を脱稿。


「三つの窓」を脱稿。


この頃、編集者や来客を避けるため、自笑軒近くに家を借り、仕事場としていた。


茂吉の紹介で、嫌がる宇野を王子の精神科医院小峰病院に入院させる。


「古千屋」(『サンデー毎日』)を発表。 


「或阿呆の一生」を脱稿。原稿を久米に託す文を書く。
生前最後の創作集『湖南の扇』を刊行。


「東北・北海道・新潟」を脱稿。


小穴と共に谷中の新原家の墓参りをした後、浅草の待合「春日」に行き、馴染みの芸者小亀に別れを告げる。


「冬と手紙と」(『中央公論』)、「三つの窓」(『改造』)を発表。

犀星が来訪。翌日犀星は軽井沢へ行っており、これが最後の面会となった。


「西方の人」を脱稿。


室賀文武が来訪。深夜までキリスト教について話し合う。


電報で永見を呼び、形見わけのつもりで「河童」の原稿を与える。


文子と観劇に行き、金の鎖のついた金時計をプレゼントした。


小穴を訪ね、座布団の下に50円を置いて帰る。


フキと諍いを起こし、フキが泣き出したため宥めたが、気持ちはおさまらず、花瓶を庭に投げつけた。


夜、偶然近くに住んでいることを知った佐多稲子と堀を通して面会し、七年ぶりに再会する。
自殺未遂の経験をもつ佐多に、芥川は自殺に就いて詳しく尋ねた。


下島の来診を受け、睡眠剤の飲みすぎを注意される。
夜、葛巻に今夜死ぬつもりだが、「続西方の人」が完成しないのでやめにした、という。


朝9時頃起床。朝食は、半熟卵四、牛乳二合を飲む。書斎にこもって「続西方の人」を描き続け、深夜脱稿。
昼食は、文子や子どもたちと談笑しながらとり、夕食は来客と階下でとった。


午前1時過ぎに「明日の朝下島さんに渡してください」といって伯母の所へ来た。「自嘲水洟や鼻の先だけ暮れ残る」という句を書いた短冊を渡した。
その後、午前二時ごろ致死量のベロナール及びジャールを飲んで、聖書を読みながら床に就いた。
午前六時頃、隣で寝ていた文子が芥川の異常に気付き、声をかけたが返事がなく、伯母が下島を呼びに走った。しかし、下島の処置も手遅れで7時頃死が告げられた。
小穴がデスマスクを描き、同時に滝野川署の検死が行われた。遺書は、文子、子どもたち、小穴宛5通が全集に収められる。
午後九時、家族の反対もあったが久米の説得で「或旧友へ送る手記」が発表され、自殺が公表される。


「或旧友へ送る手記」(『東京日日新聞』)が掲載。
午前二時ごろから納棺、客間の八畳間に移された。
24日は日曜であったため、芥川の死は、この日一斉に報道された。
公開された遺書の「将来に対するぼんやりした不安」という自殺動機は、昭和の不安な幕開けを予兆させるものだった。


友人、知人の通夜。酷暑三日間の通夜だったため、花や香水を用いて異臭を消すのを苦労した。


午後三時から谷中斎場で葬儀。弔辞は先輩総代泉鏡花、友人総代菊池寛、文芸家協会代表里見ク、後輩代表小島政二郎が読んだ。
弔問客は、文壇関係者七百数十人を含む約1500人。遺体は、日暮里の火葬場で荼毘にふされた。


骨拾いの後、遺骨は染井の法華宗慈眼寺境内に葬られた。
墓石は愛用の座布団をかたどり、碑面の「芥川龍之介墓」は、故人の意志により、小穴の筆によるものである。


「西方の人」(『改造』)を発表。


「続西方の人」(『改造』)を発表。


『芥川龍之介集』(新潮社)



「或阿呆の一生」(『改造』)、「歯車」(『文芸春秋』)を発表。


昭和4年2月にかけて『芥川龍之介全集』(全8刊)が岩波書店から発刊された。
*小穴、谷崎、恒藤、犀星、宇野、久保田、久米、小島、佐藤、佐佐木、菊池編。小穴装丁。


『侏儒の言葉』(文芸春秋)刊行。


『澄江堂句集 印譜附』(文芸春秋)刊行。
*句集と所蔵の印影を収め、香典返しとしたもの。

「彼」「彼第二」
「玄鶴山房」
「悠々荘」




「或社会主義者」










































































































「河童」
「蜃気楼」












































「三つのなぜ」 「誘惑」 「浅草公園」











































「たね子の憂鬱」




















「本所両国」

































































「歯車」






















「古千屋」


『湖南の扇』










「冬と手紙と」 「三つの窓」



















































































「西方の人」


「続西方の人」

『芥川龍之介集』


「或阿呆の一生」 「歯車」

『芥川龍之介全集』(全8巻)



『侏儒の言葉』

『澄江堂句集 印譜附』
2style.net