夜に取り残された
















兄が帰ってきたのは、本当に突然だった。
北の地へ消えていったのと同じように。
本当に、なんて自由で勝手な兄らしいと思った。
しかしそれでも俺は嬉しかった。
兄が帰ってきてくれたことが、またこうして会えたことが。

そう、会えるはずだったのに。



「…だからっ、何故会わせてくれないんだ…!」

「…まだ体調が優れないそうなので。」

「お前は会っているじゃないかオーストリア!」

「一日一回、食事を運ぶ為です。」

「……っ、一目で、いいんだ…」

「…本人の意思ですので。」


私からも言ってはいるんですけどね、とオーストリアは深くため息をついた。
分かっている、彼に当たるのは間違っている。
けれど、もう我慢の限界だった。

兄が帰ってきてからもう数ヶ月。
俺は一度も兄と会うこと、顔を見ることすら出来ていなかった。
兄が帰還したと聞いて、多分生まれて初めて仕事を放り出して、
まさに飛んで帰ってきた時には兄は自室にかたく篭ってしまっていた。
最初は体調不良だと聞いていた。
東西の格差は思った以上に激しく、兄の体を蝕んでいた。
それは自分にも覚えがあることだったので、ただただ心配して回復を祈った。
また自分が仕事を今まで以上に精を出すこと…
東西ドイツの繁栄こそが、兄の回復への一番の近道だと思っていた。

しかし、いくらなんでも流石におかしい。
兄は例え負傷して片足を引き摺っていようが、片目が塞がっていようが、
国の為、上司の為、民の為…俺の為にと、すぐにまた戦場に舞い戻るような人だ。
それに、オーストリアを筆頭に極僅かな者達だが、他者との接触はあるのだ。
つまりそこから導き出される事実は一つ。
分かっていた、分かってはいたが、見ようとしないでいた認めたくない事実。
兄は、ひたすらに俺との交流を、俺を拒んでいる。


「…やはり、俺達はもう別のものになってしまったのだろうか。」

「どういう意味です。」

「俺は西ドイツだ。アメリカやイギリスの手を借りて出来た、西ドイツと言う国だ。
…東ドイツとは、俺を弟と呼んだ、ゲルマンの帝国を築き上げた兄さんとは違う。」


兄さんが築き上げた、大切な大切なドイツ帝国はもうない。
それはもう何十年も前に焦土と化した。
俺の上司の手で。俺の手で。


「……だから、俺達はもう別モノだ。だから、兄さんは俺を恨んでも仕方ないと思う。」


兄さんの大事なものを全部奪って、全部壊して。
そんなヤツをまだ弟と愛してくれるだなんて、とんだ思い上がりだ。


「…もし貴方達がもう別のものだとしたら、それで貴方は彼を嫌いになるのですか?ドイツ。」

「俺はっ…!俺は、兄さんが一番好きだ。兄さんを嫌うなんて有り得ない……!」

「彼も同じように考えているとは思わないのですか?」

「だったら何故っ…兄さんは俺を拒むんだ……」

「…受け入れるだけが愛情ではないんですよ、ドイツ。」


まだ若い貴方には分からないかもしれませんが。
良き隣人であり親戚は、そう言い残すと静かに暗い廊下へと消えていった。





キラキラと、月の光が乱反射する。
まるで星の瞬きが地上に降ってきたようだ。
月明かりだけが支配する部屋へ足を踏み入れると、
パリン…と何かが砕ける音がした。
嗚呼、また鏡を割ったのですかとさして驚いた様子もなく、オーストリアは語りかける。


「ドイツが貴方に会いたがっていましたよ。」

「…会えるわけねえだろ。」

「何故です?何時までも私にお守りをさせないで下さい。全く、本当に末っ子は甘ったれで困ります。
…ドイツは今でも貴方が一番好きなんですよ。」

「はっ…!ヴェストは今の俺を知らないからなっ」


見てみろよ、と月を背負って立ち上がる。
硝子の破片で何処かを切ったらしく、すうっと伝う赤が妙に生々しかった。


「この髪の色っ…!まるで雪みたいに、アイツみたいに真っ白だ!」

「この瞳を見ろ!血の色だ、壁に殺されたヤツ等の血の色だっ!」

「この体…!ひ弱で、折れそうで、何処が騎士だ!」


彼が忌まわしいと言ったその銀色が、緋色が闇夜に光る。
それがオーストリアには、自分でも不思議な程、とても美しいものに思えた。
この男には赤が似合う。戦場の赤が似合う。
それこそが何よりも騎士らしいと思わないのだろうか。


「ヴェストのプラチナブロンドとは、ブルーアイズとは全然違う。アイツこそがドイツだ、ドイツ民族だ。
…こんな姿、見せれるわけねぇだろ。俺とヴェストは、もう別ものなんだ。同じであってはいけないんだ。」

「…いいえ、貴方がたは本当に良く似ていますよ。」

「…どこがだよ。」

「それはご自分で確かめなさい、お馬鹿さん。」


ふざけやがって、と浴びせれた言葉に返事をしないでいたら、
どうせお前も俺のことを頭の狂ったヤツだとか思っているのだろうと、
ガラスのグラスを−彼は自分の姿が写るものを激しく嫌った−投げ付けられた。
オーストリアは何もふざけているわけでも、まして彼を奇異の目で見ているわけでもなかったので、
少し不快に思ったが、いつものように表情には御くびも出さず部屋を後にした。

薄暗い夜の部屋には、月明かりと、月明かりを集めた破片と、美しい銀の髪と赤い瞳の男だけが残っていた。
夜に取り残された可哀相な男を連れ戻すことが出来るのは誰か。


「…本当は、ご自分は一番分かっているでしょうに。」


静かに呟いた言葉は夜の深い闇に消え静寂が訪れ、
ガラスの割れる音がまた訪れた静寂を切り裂く。
夜明けはいまだ遠かった。

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