涙でにじんだ白い薔薇





 朝、下駄箱で靴を履き替えていると、名前を呼ばれた。振り返れば、仁王が白い薔薇を持っていた。立海の深緑の制服がまるでタキシードに見えるほど、その薔薇は彼にとても良く似合っていた。彼の髪色に似ている、少し銀色かかった白い薔薇。
 彼の周りだけ時間が止まっているような空気に、引き込まれるように私の体も思考も停止していた。けれど時間が止まっているはずもなくて、仁王は私に薔薇を差し出した。

「プレゼントじゃ」

 そうしてフッと笑う仁王に、私は驚きながらも反射的に薔薇に手を伸ばした。

「ありがとう」

 戸惑いながらも答えれば、仁王は何も言わずにそのまま校舎の中に消えてしまった。一体なんだったんだろう、なんで突然白い薔薇なんて…

「先輩はよーっス!」
「赤也」

 考え込もうとする私を遮るように、テニスバックを肩にかけた赤也が元気に挨拶をしてきた。けれどすぐに「あっ」と声を上げて私の持っている薔薇を指差した。

「白バラ!」
「え?」
「お断りの白バラっしょ!誰にもらったんスか?朝からむなしいっスねぇ」

 哀れんでいるのか笑っているのか、90%笑っているであろう赤也が私の肩を叩いた。“お断り”も“むなしい”の意味も分からない私は、仁王からもらったということはとりあえず赤也に伏せておくことにした。

「ねぇ、どういうこと?」
「あれ、先輩知らないんスかぁ?」
「知らない、けど」
「男からバレンタインに白いバラを渡すとチョコお断りっつー意味で、逆に赤いバラはチョコちょうだいっていう告白の意味があるんですって!」
「………」
「ねぇ、誰にお断りされたんスか?」

 まさか仁王に、そんな意味があるものをわざわざ渡されるなんて思いもしなかった。知らなかった事実に意識が違う所にいきそうになるのを堪えながら、にやにや面白がる赤也を私は睨んだ。

「赤也のチョコはブン太にあげとくね」
「ぇえ!?俺は白バラ渡してないっスよぉ!」

 私があげなくともたくさんのチョコを女の子からもらうだろうに、私の“あげない”の一言に素直に謝る赤也が何とも可愛らしい。それに免じて、私の手にする白バラに笑ったことには目を瞑ってあげることにした。むしろ、知らなかった白バラの意味を教えてくれてありがとう、というべき所なのかな。用意していたチョコを渡せば、赤也は嬉しそうに笑って、お礼を言って二年の玄関へ向かった。
 私の心に残ったのは、可愛い可愛い後輩の笑顔と、可愛い可愛い後輩が教えてくれた笑えない事実。

 隠したくとも、鞄に突っ込むことが出来ない白バラを皆の視界に入れないように自分の身体と鞄の間に持って歩く。でも、これを持ってたら私、“お断りされた女”っていう目で皆に見られるんだよね?教室に入ってからどうしよう……いくらお断りの意味があっても、ゴミ箱に捨てる気にはなれなかった。綺麗な薔薇に罪はないから。どんな意味があろうと、仁王が私に、くれたから。
 それにしても、笑って『プレゼント』だなんて言いながらお断りのバラを渡してくるって、いったいどういうことなのよ。 いらないって、一言言えばいいだけじゃない。泣きそうになるのを堪えながら、私は俯いた。すると頭に誰かの手が乗せられ、後ろから声がかけられた。

「下を向いて歩くとぶつかるぞ」
「柳」
「俺もいるんだけどな」
「お、はよう」

 柳になら、と思ったのに、幸村までいたら相談も出来ない。幸村に話したら、赤也以上に哀れんで笑い転げるに決まってる。

「あれ、なにその薔薇?」

 誰にもバレないように隠してたのに、幸村は目ざとく白薔薇を見つけて私の手首を掴み持ち上げた。

「ちょっ」
「造花…じゃ、ないな」
「離してよっ」
「どうして?見るくらい良いじゃないか」
「いい、けど、皆に見られちゃう」
「皆に見られたらまずいの?」

 何も言えずに、口を噤んだ私に、柳は「精市」と幸村をたしなめて、手を下げてくれた。

「柳、知ってるの?」
「お前が薔薇を見られたくない理由について聞いてるのなら、答えは“知らない”だが」

 気を使ってくれた所から、柳なら白薔薇の意味を知っているのかと思えば幸村と同じように“知らない”との返事。私と同じように二人とも知らなかったなら、この薔薇の意味はあまり知られていないの…?
 知られていないとしても、白薔薇が持っている意味は変わらないのだけれど。

「化学準備室に行くか?」
「え?」
「俺に何か相談したいことがあるんだろう」
「蓮二がサボりだなんて珍しいな」
「一限目は自習らしいからな」
「らしい、って」
「今うちのクラスの生徒がそう話しているのを聞いたし、先ほど職員室に寄った際に担当の教師がいないのも確認済みだ」
「自分だけサボリにならないってワケか」
「精市は授業に出た方が良いんじゃないか」
「自分だけ面白い話聞こうっていうの」
「精市にとって面白い、だけだろう」
「そうだよ。まぁ英語だしいいか。俺もお前の面白話付き合ってあげるよ」
「……幸村はいい」
「何か言った?」

 有無を言わせない笑顔に、私はため息をついた。

 そうして三人で準備室に来たはいいけれど、何をどう話せば良いんだろう。授業に出る気分になれなくて、白薔薇を持ったまま教室に入りたくなくて、ここに来てしまったけれど。全てを話せば私が仁王に“お断り”されたことが二人にバレてしまうし、何より私がそのことに落ち込んでいる“理由”が、二人には分かってしまう。この出来事を話さなくても柳には気づかれていそうだけれど。

「さ、面白い話をどうぞ」
「…この薔薇、このままだと死んじゃうよね」
「とりあえず水につけとくか。後で長持ちする栄養剤持ってきてあげるよ」
「ありがとう」

 花のことになると流石、と言うべきか幸村は私の手から白薔薇を取り、てきぱきと科学室にあるビーカーに水を入れ、白薔薇の茎をカットしてから入れた。ビーカーに入った白い薔薇。なんとも不思議な光景だった。
 綺麗で、少し不思議な色をした白い薔薇。

「面白い話の前にさ、この薔薇どうしたの?こんな色見たことないけど、造花じゃないし」

 薔薇の花を間近で眺めながら、幸村が私に問いかけた。

「…もらった、の」
「へぇ、誰に?」

 薔薇を眺めたまま再び問う幸村に、私は答えられなかった。それは、一番答えたくない質問だった。

「その前に、俺に知っているのか、と聞いた薔薇を見られたくない理由を聞いてもいいか」

 私が答えたくないのを察したのか、それとも薔薇の謎を解くために話を進めるためにか、きっと両方なんだろう。私は柳の閉じられた瞳を見つめて、どちらにせよ答えにくいけれど、この話をしなければ始まらないのだ、と息を吐いた。

「バレンタインに、男の人から赤い薔薇を渡すとチョコを下さいっていう、告白の意味があるんだって」
「ふーん、西洋や欧米では男から花を渡したりするってのは知ってたけど、色に意味があったのは知らなかったな。…と、そういえば。まだお前からもらってないな」

 じっと見続けていた薔薇から視線を外し、にっこり笑って私に手を差し出してくる幸村に私は眉尻を下げた。本当に、自由すぎる。白い薔薇の意味を話せば一体どれほど馬鹿にされるのかと、今から肩が落ちる。

「精市、後にしろ」
「まさか用意してないってんじゃないだろうな?」
「用意している確立97%だから安心しろ」
「用意しない残りの3%はなんだよ」
「風邪で休んで登校しない確立だ」
「というか蓮二、バレンタインのチョコの確立まで分かるなんて流石だな。じゃあ俺がもらうチョコが本命の確立は?」
「そんなものは計算していない。話を戻すが」
「そんなものって言いながら、こいつがチョコを用意してくれる確立を計算してるあたりお前も…」

 そう幸村が言いかけた所で、柳はノートをバッと開いて何やらものすごいスピードで計算を始めた。それを幸村は満足げに眺めている。
 ……ほんとにもう、いいけど、別に。
 泣きそうな気分だったのに、なんだか気が緩んでしまう。良いんだか悪いんだか…良いということにしとこ。
 ほんの数十秒で柳は顔を上げ、口を開いた。

「86%だ」
「んー、まぁ良い割合かな」

 まぁ良い、なんてもんじゃないと思うんだけど。10個中8個は本命ってことでしょ?幸村のもらうチョコの数はブン太や仁王の半分だけど、あの二人は飛ぶように義理チョコが届いてるから、そう考えると本命率がもの凄く高い。一体何人の女の子を落とせば気が済むんだろう。

「すまないな、話を戻してくれ。赤い薔薇の意味が告白なら、白い薔薇は……そういうことか」

 ノートを閉じて、仕切り直すように私を見た柳だったけれど、私が話す前に白い薔薇の意味を察したようだった。

「うん、白い薔薇はチョコはお断りっていう、意味なんだって」
「断るのにわざわざ薔薇を渡すわけ?というか断るためにわざわざ薔薇を用意しとくってどんな男だよ」

 俯き加減で私がそう言えば、予想外の幸村の声色。てっきり笑い飛ばされると思ってたのに、その声は思いのほか低かった。顔を上げれば、幸村はつまらなさそうに薔薇の花びらを弄っていた。
 確かに、どうしてわざわざこんなことするのって私も思う。だけど、それでも私はこの薔薇を捨てることが出来ないのだ。
 ビーカーごと手にとって、不思議な色をした白い薔薇を眺める。悲しいだけの白い薔薇なのに、それなのに私はこの白い薔薇を大切にしていたいと思うのだ。それが、余計に悲しい。
 白い薔薇が、ぼんやりとにじんで見えた。

「バレンタインの薔薇にそんな意味があったなんて知らなかったな」
「うん、私も知らなかった」
「有名な話なわけじゃないのか?」
「有名なのかは分かんないな…私も知らなくて今朝赤也に教えてもらったから」
「赤也から?」

 わずかに柳の声色が変わり、その横で幸村が「あ」と声を上げた。にじんだ視界に幸村の手が見えたかと思えば、幸村は薔薇を持ち上げ逆さにし、そのままビーカーに突っ込んだ。

「っちょ、幸村!」

 いくらお断りの薔薇でも、私にはその薔薇が…!

「ははっ、なるほど赤也ね。どうりでそんな話聞いたことないわけだ」

 笑いながらビーカーの中で薔薇を揺らす幸村の腕を私は掴んだが、そんな私の肩に柳の手が触れた。柳を見れば、薄く微笑んでいる。

「精市は花には優しい男だ」

 だから見ていろ、と。

「花には、ってなんだよ。間違ってはいないけどね」

 薔薇の頭を水につけておいて、花には優しい?意味が分からない、と困惑していると「ほら、ご覧」と私が掴んでいた幸村の腕が上がった。顔をそちらに向ければ、幸村の手には赤い薔薇があった。

「なん…で、赤」
「薔薇に塗料が塗られていたようだな」

 薔薇をつけていたビーカーを見れば、水は白く濁り、きらきらと輝いていた。

「で、この薔薇を誰にもらったんだって?」

 幸村は頬杖をつきながら、意地悪な笑みを浮かべて私に薔薇を差し出した。私はその薔薇を受け取りながら、今朝とは違う意味で泣きそうだった。

「どうりで薔薇の話を聞いたことがなかったわけだ」
「アイツもまだまだガキだな。お返しってことでやらなきゃいいんだよ、チョコレート」
「お返しというか仕返しだろう、それは」
「そうとも言うね」
「まぁ、俺も幸村の意見に賛成だが」

 そう言って、柳は私にハンカチを差し出した。どうやら私は泣きそう、だったわけではなくて、泣いていたようだった。片手に赤い薔薇、片手にうぐいす色のハンカチを手に、化学準備室で柳と幸村と私の三人。なんとも不思議な光景だ。

「で、俺へのバレンタインチョコは?こんなに優しくしてやったんだから、もちろん本命だろ?」
「おさがりで良ければあるけど?」
「良い度胸だね」

 鞄の中で、存在を消してしまいたかった銀色のリボンがかかったバレンタインチョコレートに、ほのかに熱がともったような気がした。私は銀色のリボンがかかった箱の横にあった、うぐいす色と藍色のリボンがかかったチョコレートを取り出して、二人にお礼を言った。

「ありがとう」

 授業終了のチャイムが鳴ったら、赤い薔薇を見せつけるようにB組の前を通って、銀色のリボンがかかった箱は帰る間際までしまったままにしておこう。渡さない、なんて仕返しは私には出来そうもないけど、いつも翻弄されてばかりで悔しいからこれくらいの仕返しは可愛いもんでしょ?

 あぁでも、胸の奥で疼く気持ちを放課後まで抑えきれないかもしれない。早く渡しに行きたいのに。結局ここでも私は彼に翻弄されるなんて、やっぱり悔しい。

「お迎えが来てるぞ」
「え?」

 どうしようかと考えていた私の肩に柳が手を乗せた。顔を上げて見れば、教室の入り口には先ほどもらった銀色がかった白い薔薇と同じ髪の色をした、仁王がいた。
 私の計画も、逸る気持ちも、全部意味がなくなってしまった。結局、私は彼の翻弄から抜け出すことなんて出来ないのだ。全てを分かったように、薄く笑ってこちらを見ている仁王が、にくい。
 でも、私からは歩いて行かないんだからね。仁王がこっちに来るまで、私は動かないんだから。そんな意味を込めて、私は入り口に向けていた顔を背けた。
 なんて、本当は緊張して足がちょっぴり震えてるせいで今すぐに立てそうもないからなんだけど。

 近づく足音が目の前にくるまで、あと5秒。赤くなった顔を隠しきることは出来そうもないみたい。






20120217
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