めざめのさえずり

※成人済み設定






 ぐっすりと眠っていた私の意識は、弾むように軽やかなクラシックの旋律によって起こされた。

 もうちょっと寝ていたい─────けれど私が寝ているにもかかわらず景吾がピアノを弾き出したということは、もう随分と寝坊しちゃってるのかもしれない。きっとこれは、いい加減起きろという景吾の合図だ。
 私は瞼を擦った後、ゆっくりと持ち上げた。

 するとそこには、私の右隣ですやすやと眠る景吾の寝顔。

「…………」

 何度か瞬きをして意識を覚醒させて、耳に届くメロディの元を辿った。するとどうやらこのメロディは、景吾のスマートフォンから鳴り響いているようだった。これは確か、電話の着信音だったはず。
 音に気づかずに寝ているなんて珍しい。
 景吾の寝顔をゆっくりと眺めていたい気持ちを抑え、私は右腕に力を入れて体を少し持ち上げた。
  そもそも、腕が体に回されていたのに景吾がピアノを弾いていると思っただなんて、完全に寝ぼけていた。
 景吾の腕から少しだけ抜け出し、彼に覆いかぶさるようにしてベッドサイドテーブルに目を向けると、スマートフォンのディスプレイには予想した通りアラームではなく侑士からの着信を表示していた。
 私は手を伸ばしてスマートフォンを掴み、もう一度景吾の腕の中に戻った。そして空いている手で彼の頬を撫でて、控えめに声をかけた。
 もうちょっとだけ、この寝顔を堪能していたかったのに。

「景吾、電話だよ」

 私がそう言うと、景吾は目を開けることもなく私の手ごとスマートフォンを掴んでベッドに縫い付け、私に覆いかぶさった。
 それからようやくゆっくりと瞼を持ち上げた彼のアイスブルーの瞳には、寝起きで反応が鈍いながらも驚いている私の顔が映っていた。
 どうやら、私が寝顔だと思っていたものは“寝たふり顔”だったらしい。

「目が覚めたらまずは good morning か、おはようのキスだろ?」

 私から「good morning」とは言ったことはないけれど。返事を待たずに近づいてくる景吾の顔に、おはようのキスを待ちながら素直に瞼を下ろした。
 けれど唇が触れる前に、私の左手に握られたままになっているスマートフォンから気怠そうな低い声が響いた。

『なぁ、電話繋がっとるんやけど。キスしてへんやろなぁ』
「!!」

 驚いて目を開けると、侑士の声に構うわけもない景吾はいつものように私に唇を重ねようとしていた。
 鳴り止んだメロディは、てっきり通話を切ったからだと思っていたのに。電話が繋がっているなら、侑士の言う通りにこれからキスをすることがバレてしまう。
 だって───────


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 大きなリップ音を響かせて、景吾は私の唇に触れた後に顔を離した。

「good morning
「…………おはよう」
『どっちか言うてたのに、どっちもやの?』

 自分の左手から聞こえる侑士の声に、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
 景吾は、侑士に聞こえるようにわざと大きな音をたててキスをしたんじゃない。おはようのキスは、まるでそれが目覚めの合図のように、リップ音を響かせるのが景吾の中での決まりらしい。だから今日が特別なんじゃなくて、いつもこう。
 景吾は私の手からスマートフォンを奪い、ベッドの上に適当に投げ出した後、再び横になって自分の腕の中に私を閉じ込めた。
 頭上で、小さな欠伸がひとつ聞こえる。

「忍足、何の用だ?」

 撫でるように私の髪を梳きながら、ようやく景吾は侑士に声をかけた。

『なんやほんま……洋画みたいなやっちゃなぁ』
「用件がねぇなら切るぞ」
『待ってぇな。ここでふたりの朝を邪魔する男友達から電話がかかってくるっちゅうのも、映画っぽいやろ?男友達は実はライバルやねん』
「お前が俺のライバル?笑わせるんじゃねぇ」
『そんなんに聞いてみぃひんと分からんやろ。なぁ、俺がライバルなのも悪くないやろ?』

 一体なんの用事があって電話をかけてきたのか、用件も言わずに映画みたいだと話し出す侑士に私は笑い声で返事をした。けれど景吾の腕の中にいる私の声は侑士のところまで届いていないらしく、数秒の間の後に訝しむような侑士の声が聞こえた。

『なんでに返事させへんねん。まさかまた口塞いどるんちゃうやろな』
「バァカ、お前に寝起きのの声を聞かせるかよ」

 言いながら景吾は私の頭をそっと自分の胸に押し付けた。私は小さく笑いながら目を瞑り、そして欠伸をひとつした。
 用件が分からない侑士の電話がなければ、もう少し寝ていられたのに。
 けれど、朝からふたりの良い男の声を微睡みの中で聞けるなんてとっても贅沢な時間だ。会話の内容があんまり色っぽくないのが残念だけど。

『そんなん言われたら意地でも聞いてやりたなるわ』
「いいから早く用件を言え」

 私のおでこをするりと撫でた景吾は、呆れた声を出しながらそのまま唇を寄せた。

『今キスしとるやろ』
「「…………」」

 景吾の唇が私のおでこに触れる寸前で侑士がそんなことを言うものだから、私は驚いて目を丸めて、景吾は眉間に皺を寄せた。
 それぞれ反応は違うけれど、心の中で思っていることはきっと同じ。

 景吾は私の髪を撫でていた手を止め、放り出されていたスマートフォンに伸ばし、そのまま通話を切った。

「なんなんだあいつ……」
「ビデオ通話だったわけじゃないよね?」
「んなわけねぇだろ」
「あ、また鳴ってる」
「ほっとけ。お姫様はまだ寝てたいんじゃねぇのかよ?」
「そうなんだけど……」

 すっかり目が覚めてしまった。
 それに、用件をまったく言わない侑士の電話の“理由”がなんだったのか気になってしまう。用がないのに、わざわざこんな朝早くに電話をかけてくるとは思えない。
 もう電話に出る気がないのか、景吾は私を抱きしめたまま瞼を下ろした。小鳥がさえずるようなクラシックだから、着信音だと思わなければ朝のBGMに感じなくもないのだけれど……。
 気になってしまった私は、腕を伸ばして投げ出されたスマートフォンをもう一度引き寄せた。

「あれ、ジロちゃんからだよ」
「ジロー?」

 いつだって寝ているジローちゃんが、まさかこんな時間に電話をかけてくるだなんて信じられない。驚きながら画面を景吾に見せると、景吾は溜息をつきながら画面に触れた。

「おい忍足、いい加減にしろ」
『なんやバレとる』
「ぇえ?」
『お、の寝起きの声聞けたで』
「「…………」」

 ジローちゃんの電話からかけてきたってことは、今一緒にいるってこと?益々わけが分からない。
 景吾は私の声を侑士に聞かれたのが悔しいのか、私の口を手で塞ぎ、喋るなよとでも言いたげな目線をくれた。
 もうすっかり起きちゃって、寝起きでもなんでもないのに。
 私は小さく笑いながら、大人しく頷いて応えた。

「お前、朝から暇なのかよ」
『暇っちゅうか、テニスやろうて岳人がうるさくてなぁ』
『───────くそくそ侑士、俺の名前出すなよ!』
『はよ電話せな跡部が連れてデートに行ってしまうっちゅうたの、がっくんやんか』
『───────昨日ゲームで負けたんだからちゃんとやれよ!』
「お前ら、罰ゲームで俺様に電話をかけてくるなんざ良い度胸だな」
『ちゃうねん、みんなでテニスしたかっただけやねん。な、がっくん』
『───────だから俺の名前出すんじゃねえっつうの!』
『言い出しっぺは岳人やん』

 ようやくここで、電話をかけてきた理由が分かった。
 誰の家にいるのかは分からないけれど、昨晩は侑士と岳人とジローちゃんの3人でゲームをしていて、こうして朝まで一緒にいたらしい。そしてゲームに負けた侑士が、テニスのお誘いをするために朝早くから景吾に電話をかけてきているようだった。
 昔から見た目は大人っぽくて、ようやく年齢が見た目に見合って来たというのに話している内容は昔と全然変わらない。
 ほっとするような、ちょっぴり呆れて笑えちゃうような、そんな気分になりながらも今も変わらず彼らがテニスを愛していて、こうして繋がっていることが嬉しかった。

「ハァ……なんで休みなこと知ってんだよ」

 電話越しに一方的に会話を繰り広げている侑士と岳人に溜息をついた景吾に、私は喋らない代わりに手を上げた。

『ジローが昨日言うてたで、とデートやって』

 そう、私がジローちゃんに言ったのだ。一昨日、一緒にパフェを食べに行った時に「明後日は景吾とデートなの」って。

「じゃあ邪魔すんじゃねぇ」

 そう答えた景吾に、私は口元にある彼の手をよかして声を出さずに口だけを動かした。
 ─────── テ ニ ス 、 見 た い
 お利口さんな私は、言い終わった後に景吾の手を自分の口元に戻して、そうして笑った。
 そんな私を見て、景吾も仕方がなさそうに口元を緩めた。

 邪魔すんじゃねぇ、なんて言いながらもテニスのお誘いが本当は嬉しいこと、お見通しなんだからね。

『ええやん、おひいさんも跡部のテニス見たいんちゃう?』
「「…………」」

 さっきから、見ているんじゃないかと思うようなタイミングで言葉を挟む侑士に私と景吾は再び無言で目を見合わせた。

「仕方ねぇな、いつものコートに───────」
『岳人の家におるからお迎え頼むわ』
「アァン?テメェ、誘っておいて迎えに来いだァ?」
『俺らじゃジローすんなり起きひんやんか』
「ったく、じゃあ昼前に───────」
『せっかくやから一緒にモーニングせえへん?こないだ見た映画でホテルAMNのガーデンテラスで撮影したシーンあったんやけど、むっちゃ良かってん』

 ふふ、と思わず笑い声が漏れてしまった。

『お、のOKでたやんな?』
「お前のミーハーさに呆れてんだよ」
『ちゃうねん、あの映画むっちゃ良かってん』
「もういい、ジロー準備させとけよ」
『努力はするわ』
「また後で連絡する」

 そう言って、景吾は再びスマートフォンをベッドに投げ出した。

「うるせぇ……」

 疲れた、とでも言いたげに私を抱きしめて体重をかける景吾の背中に腕を回して抱きとめると、寝起きの熱を持った体温が心地良かった。
 そのあたたかさに再び瞼を閉じてしまいたくなりながら、数時間後の騒がしい時間を想像して自然と笑い声が漏れる。

「今日、デートのプラン立ててくれてた?」
「ゆっくりの寝顔を眺めた後、“お腹空いた”って言い出すまで腕の中に閉じ込めておくつもりだったな、誰にも邪魔されずに」
「ふふ、ひとつも叶わなかったね」
「いや?最初のプランはもう達成済みだ」
「えっ、いつから起きてたの?」
「さぁ?いつからだと思う?」

 景吾は私を抱きしめたまま仰向けに倒れ、自分の体の上に私を乗せた。

「可愛い寝言は聞きそびれたな」
「……私、寝言なんて言わないでしょ」
「自分の寝言に気づいてる奴はいねぇだろ」
「言わないってば……もう、その顔やめて!」

 まるで重大な秘密を、私が恥ずかしがるような寝言を知っていますとでも言いたげな景吾の笑顔に耐えきれなくて、私は景吾の頬を両手で挟んだ。
 絶対に言っていないはずなのに、何かを言ってしまっているような気分になる。絶対、とは本当は言い切れないから、余計に。

「ま、とりあえず……」

 ─────あと10分は俺のプラン通りにしてろよ?

 景吾は私の頭を優しく胸元に押し付けて、そう耳元で囁いた。

 それなのに、静かになった部屋の中に再び小さな音が鳴り響いた。今度は景吾のスマートフォンからではなく、私のお腹の中から。

「「…………」」

 聞こえていませんように。
 その願いも虚しく、景吾の胸は揺れるように小刻みに上下していた。

「ここにも邪魔者がいるみてぇだな」

 景吾は笑いながら私の背中をノックするように叩いて、上半身を起こした。

「ほら、俺の腕から解放されるための合言葉をどうぞ」
「…………“お腹空いた”」

 ハハッ!と景吾は笑い声を上げた。楽しそうに揺れる景吾の胸に頬をぴたりとつけながら、空気の読めない自分のお腹を恨んだ。
 私だって、まだこうしてベッドの上でゆっくりしていたかったのに。

「拗ねるなよ、Next plan だ」
「続きがあるの?」
「あぁ。シャワーを浴びて、俺の選んだワンピースに袖を通す」
「ワンピース?プレゼントってこと?」
「そうだ。喜んだは“景吾大好き”って言うだろうな?」
「それはどうかなぁ」
「俺の予想しない邪魔者がまだいるのか?」

 思い出したように笑い出した景吾に墓穴を掘ったと思っていると、今度は景吾のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。
 ディスプレイには“忍足”の文字。

「……これ予想してた?」
「聞こえねぇ」

 画面を確認もせず、景吾は私を抱き上げてベッドを降りた。
 首に腕を回しながら、私は景吾の顔とスマートフォンを交互に見た。

「いいの?」
「そう簡単に邪魔はさせねぇよ」



 そう言って、景吾は弾むようにリップ音を響かせて私の唇にキスをした。








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