秘密の花園







「どこに行く」

 授業開始のチャイムが鳴りクラスメイト全員が着席している教室内で、俺は廊下に向かって声を放った。
 今廊下を歩いている人間がいるとすれば、教室に向かっている教師くらいのはずだった。けれどその静かな廊下を、はひとりで歩いていた。既に教室に入っている教師もいるはずにも関わらず、は焦り急ぐことも見つからないように忍ぶこともしない。廊下側の席に座る俺がドアを開けかけた声が、に届いていないわけがなかった。むしろ、視界に入っていないわけがない。それなのには一瞥もくれずにただ真っ直ぐと歩いていた。
 あれで、聞こえないふりのつもりか。
 俺は溜め息をつき、隣の席の生徒に保健室に行ったと教師に伝えるよう言いを追いかけた。



 もう授業が始まる。既に開始しているクラスもある。そんな中で、廊下にはの背中が少し先にぽつんとあるだけだった。小さく、頼りないその背中を見つめ一定の距離を保ったままついて行く。こんなことをしている間にも教師に見つかるのではと思うものの、意外にも教師とすれ違うことはなかった。
 まるでそれが分かっているかのように、は臆する様子もなく歩いていた。

 静かな廊下を渡り、突き当たりの階段を下りる。廊下に響くのは俺と、の小さな足音だけだった。は俺がついて来ているのを気付いていて、何も言わず、そして振り向くこともなかった。距離を離すように足を速めることも、忍ぶように慎重に歩くこともしない。一定のリズムで、はただ目的の“何処か”へと真っ直ぐに歩いていた。ただその背中だけが、ひどく不安げだった。
 一階の非常扉を開け、は上履きのまま外へ出た。非常扉と言えど、ここの扉から外に出る生徒は多い。中庭や校庭への近道になる。しかし上履きのまま出入りする生徒が多いせいで扉付近の廊下が汚れ、見つかればすぐに教師に咎められるため大っぴらにこの扉が開かれることはない。だがは何の躊躇いもなく扉に手をかけ、外に出た。授業中で誰もいないとはいえ、あまりにも手慣れたその動きに小さく眉根を寄せた。
 も、あの扉を使う常習犯のひとり。そして俺も、今からその仲間入りというわけだ。
 見えなくなった背中を追いかけながらそんなことを思い、扉に手をかけた。扉の先には、上履きのまま砂利を踏みしめ歩き続けるの背中があった。
 まったく、どこまで行く気だ。
 



 を追いかけ辿り着いた先は、中庭の奥にあるフラワーガーデンだった。そこでようやく、の足が止まった。同じように立ち止まれば、は振り向かずに声を発した。

「授業始まってるよ」
「それは俺のセリフだ」

 はそれ以上何も言わず、低い木をかきわけて茂みの中へと進んで行ってしまった。振り向きもせず、躊躇いもせず。
 いつも虫が嫌いだと騒ぐくせに、よく平気で進んで行くな。
 本来なら、草木をかき分けるような場所に好んで進んだりはしないはずだった。けれど、それが気にならない“何か”がこの先にあるのだろう。呆れ、関心しながらも再びついて行けば、数メートルほど進んだ辺りで視界が開けた。
 生い茂っていた木や草が囲うようにして、2m四方の空間を作っている。まるで草木が自然と避けているように見えるが、きっと手を加えているのだろう。地面にはそこだけ、まるで絨毯のように青々とした短い草が隙間なく生い茂っている。ぽっかりと開いた空間は揺りかごのような、なんとも言えない不思議な空間だった。草木で出来た洞窟のようなその場所で、は座って俺を迎えた。

 は不安げな瞳で俺を見上げていた。だが、背中で揺れていたそれはいくらか消えてなくなっているようだった。
 が求めていたのは、この場所か?

「ここのこと、秘密にしてね」
「お前が作ったのか?」
「ジローの場所」

 首を振り答えたに、俺は納得した。
 そうか、ここはジローの昼寝スポットというわけか。
 日差しと日影が交互に差し込むここはあたたかく、そして清々しい風が入り込む。草のベッドも静けさも、さぞかしあいつにとって心地の良い場所なんだろう。こんな場所で寝ているから樺地が探しに行っても見つけられずに戻ってくるのだと、時たまある事を思い出して溜め息が漏れた。

「ここにジローを探しに来たりとか、そういうのも絶対にだめだよ」

 手を引かれ、の前に腰を下ろす。草が生い茂っているせいで土汚れはつかなさそうだったが、これでは草の露が付きそうだった。

「露がでない草だから寝ころんでも大丈夫。ハーブも混ぜてあるから虫も寄ってこないの」

 教室で聞いた俺の問いかけには返事をしなかったくせに、は怪訝な俺から全てを読みとったのかジローのことも草のことも、どちらにも問いかけずとも口を開いた。
 だから虫に大騒ぎするが平然と座っているのかと納得すれば、は引いた手を離さないまま話し続けた。
 けれど手を掴む力はひどく弱い。

「幸村くんに教えてもらったんだって」
「立海の?」
「うん」
「わざわざご丁寧なことだな」
「だから眠るとすーっとして気持ち良いんだよ」
「お前、ここで寝たのか」
「…………」
「授業をサボったんだな?」
「……お昼休み、とか」

 明らかな動揺に、が授業をサボったのは一目瞭然だった。
 は昼寝しているジローを見かけ、起こしている途中でそのまま一緒に授業に現われなかったり、遅刻することが多々あった。ジローの昼寝によるサボり癖は目に余るほどで、がジローを授業に参加させようと思う気持ちは大いに助かる。ジローの人柄や監督と俺の配慮、そして担任の理解のおかげで特に咎められることはないにせよ、あまりにサボり癖がつくのはジローのためにも良くない。しかし同時に、もそこまで授業をサボることに頓着がなかった。自らサボることはないものの、ジローと共に授業をサボることにあまり罪悪感を抱かない。最初こそ気にとめていなかったが、回数が増えるにつれ俺はに注意をした。
 ────────お前まで一緒にサボってどうすんだよ。ジローを起こすのはいいが、サボるのは禁止だ。
 はその言葉に、口の先を尖らせながら返事をした。つまらなさそうにしながらも、良くないことは当然理解しているため素直だった。
 本心を言えば、そこまで咎める気はない。
 自由にすれば良いのだ。ただ、ジローのサボりは周りが寛容になっていても、はそうじゃない。遅れてくれば咎められ、授業に出なければ後で職員室に呼び出されることもある。それを俺が止めに入るわけにもいかず、野放しにする気もなかった。
 それ以来、が授業をサボることはなくなった────────そう思っていた。
 を軽く睨めば、肩をすぼめて小さな声を出した。

「ごめん」
「今まで隠れてここに来てたくせに、今日はやけに堂々と出て来たな」
「……うん」

 そう曖昧に答え、はそのまま口を噤んだ。

 ここに来たい、何かがあったのだろう。

 があれ以来ジローを起こしつつも共にサボるということはなくなった。その約束は恐らく破られてはいない。
 ただどうしても、ここに来たい理由がにはあったのだ。

 とジローは、似ている。 
 ジローのお気に入りの昼寝スポットは中庭の木の下だ。それが西側の時もあれば、東側の時もある。いつも変わらない、樺地が探し出せる場所。だか時折、樺地がジローをつれて来ない時がある。それが、ここにいる時なのだろう。樺地が見つけられなかった時は無理に探させたりはしない。あいつが自分から出てくるまで放っておくか、帰りになっても出て来なきゃジローの名前を呼んでやればふらりと現れる。だからここは、探されたくない時、そういう時のジローの昼寝スポットなのだろう。
 そんな場所をが知っている経緯がどういったものかは知らねぇが、俺が知らない間にはここに来ていたのだ。ジローと一緒か、もしくはひとりでか。それなのに今、俺の目の前だというのにここまで来て、誰にも秘密だという場所を教えている。今朝からあまり調子が良さそうではなかったが、それがこうなるまで来てしまったのだ。

 座り込んだまま黙っているの隣で、俺は寝転がった。座ったままじゃ見えなかったの表情がよく見える。とても不安げな顔だ。
 ここに来たいと思った胸につかえている“何か”と、今までここの存在を俺に秘密にしていたこと、ここに来ていた自分について。全てがないまぜになった不安を、は今抱えている。その“何か”を俺には伝えられない罪悪感を含めて。

「バァカ」

 笑って腕を引けば、は少し驚いた顔をして俺の隣に倒れ込んだ。するとが倒れた衝撃で、ハーブの香りが舞った。すうっと胸に入る香りとこの静かな風の音は、確かに心地が良い。
 そしてこの香りには、覚えがあった。
 何度かこの香りがから香ったのを覚えている。ハーブティーやキャンディを口にした後なのだろうと気にとめていなかったが、ここに来ていたからだったのか。けれど記憶を辿ってみても、この香りがした時のに感情の揺れは感じられなかった。ということは、ここはジローにとってだけではなくにとっても大切な場所になっているということなのだろう。

「昼寝しに来たんだろ」
「……うん」
「俺を連れて来たことがジローにバレたら怒られるんじゃねぇのか」
「大丈夫。ジローが“いちばん大切な人だけ連れてきていいよ”って言ってたから。だから、ここにはジローのこと探しに来ないであげてね」
「分かってるよ」

 “いちばん大切な人”なんて回りくどい言い方しやがって。俺には言ってもいい、と素直に言えばいいだろ、と教室で寝ているであろうジローに心の中で小さく舌打ちをする。
 まさかの“いちばん大切な人”が俺であるかどうか、試したわけじゃねぇだろうな?だとしたら、良い度胸だ。
 前髪を上げるように頭を撫でれば、は瞳を閉じた。そしてもう一度瞼を持ち上げて、俺を瞳に映した後、再び安心したようにゆっくりと瞼を下ろした。

「ヤキモチ妬いた?ジローの秘密の場所、私が知ってて」
「妬かねぇよ、お前とジローは似てるからな」
「ちょっとはヤキモチ妬いてもいいじゃん」
「妬いたからってどうなるんだよ」
「だって、いちばん大切な人だけ連れてきていいってジローが言ったんだよ?」
「ジローのいちばん大切な人はお前だ、ってか?」
「そうなるかなぁ、なんて」
「いいことじゃねぇか」
「えぇ?……景吾がヤキモチ妬くことってないの」

 独り言のように呟いて、は俺の胸に顔を埋めた。の髪を撫で、俺は目を細めた。
 ジローに嫉妬心を抱くわけがない。
 ジローとは似ている。二人にはとても繊細な部分がある。俺はそれを、とても愛しいと思っている。
 だから俺は、サボることを咎める気なんてない。息苦しくなれば、こうして自分の心地良いと思う空気を吸いにくればいい。しかしとジローは、俺のそんな考えを嗅ぎ取り甘えきってしまう。俺が注意したいのはそこだけだ。甘えきるだけではなく、律する心も必要なのだということ。
 けれど俺は、こうしてに手を伸ばしてしまう。ジローのサボり癖は治らない。
 俺は無意識に、この二人を甘やかしてしまう所があるらしい。恋人であるだけならまだしも、ジローまでもだ。だからこそ、この場所はジローとにとって大切な場所だったんだろう。

 は深く息を吸い込んだ後、ゆっくりと吐き出した。

「やっぱりここが1番落ち着く。誰にも教えたりしないでね」
「念を押されなくても言わねぇよ」
「違うよ、ここのことだけじゃなくて”ここ”のことも」

 そう言って、は額をオレの胸に小さくぶつけた。
 いつの間にか話がこの小さな空間のことから、2人の間にある更に小さな空間へと移っていたようだった。
 俺はを抱き締めて、柔らかな風とハーブの香り、そしての香りを体中で感じた。
 確かに、とても心地が良い。
 瞼を閉じて、緩やかな眠りへと誘われるままに意識を手放す。

 言いたくないことは言わなくていい。
 言葉にしなくても、がどんな気持ちでいてどうしたいのかが見れば分かるように、が俺の瞳に映っていれば十分だ。
 だからもし、がまたここへ来たいと思うのならそうすればいい。ハーブの香りをまとい、俺の前に現れてくれればそれでいい。ここに来たいと思ったことにも、俺に隠れてここへ来ていたことにも、罪悪感など感じなくていいのだ。

 ただ、目が覚めたらに伝えなければならない。
 が誰にも教えたくないと呟いた小さな小さなこの空間は、いつだってだけのものだということを。
 いつだって、望んだ時にを抱き締めることが出来る。望んでも良いのかと、躊躇う必要などない。



ここまで来なくとも、いつだってのすぐそばに俺がいるのだということを。








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