片恋むすび





 眠れない。深夜1時をとうに回ったと言うのに、私は頭から布団をかぶり、その蒸し暑さのせいで余計に眠れなかった。
 眠れないのは、暑さのせいだけじゃない。そのもうひとつの理由のせいで、私は熱帯夜の中、布団を頭からかぶり息苦しい思いをしていた。それも全て、仁王のせいだ。

 それは、6時間目の現国の授業でのことだった。
 きつねと猟師の小説を出席番号順に音読していた途中で教室のドアがノックされた。そしてそのまま先生を呼びに来た事務の人と共に「10分くらいで戻るから、それまで自習」と言い残して先生は教室を出て行った。
 先生がいなくなった教室で、言われた通りに自習をしている生徒は2・3人くらいしかいない。徐々に教室はざわつき始めていた。その中で、ブン太はつまらなさそうに噛んでいたガムを膨らまし、パチンと割れたところで仁王が「そういえば」と口を開いた。
 私を真ん中に、左にブン太、右に仁王と3人並んだ座席で、声を発した仁王を見るように私とブン太は顔を右へ向けた。

「きつねの話、知っとるか?」

 きつねの話。
 アバウトすぎるその言い方に、何も答えられずにいるとブン太が口を開いた。

「なにそれ、どのきつねだよぃ」
「片恋を食べるきつねの話じゃ」

 片恋、恋を食べるきつねの話?そんなの、聞いたことがない。
 そもそも、聞いたことがあるきつねの話というのも、小学生の頃に習ったごんぎつねの話か、こっくりさん位だ。

「恋って食ってうめぇの?」
「いや、そこじゃないでしょ」
「流石ブン太、目の付け所がええの」
「え、いいの?そこなの?」

 相変わらず食いつくのは食べ物の話か、とツッコミを入れるものの、それに同調する仁王に肩の力が抜ける。

「恋を食べると寿命が5年伸びるんじゃ」
「で、味は?」
「熟した果実の味らしいの」
「ふーん。どうやって食うの」
「簡単じゃ、深夜2時に心に口を付ければいい」
「心ってどこにあんだよ」
「さぁのぅ。ここらへんじゃなか?」

 胸のあたりを指さす仁王に、ブン太は膨らませていたガムを再びパチンと割った。

「それじゃ食えねーだろぃ」
「ブンちゃんはどっちかっていうときつねやのうて、たぬきじゃろ」
「んなマヌケそうなのと一緒にすんなよ。オレはオオカミって感じじゃね?」
「ブンちゃんハレンチー」
「つーか、仁王の方がきつねって感じだよな」
「ピヨ」
「いや、ひよこはねぇよ」

 噛みあってるんだか、噛みあってないんだか、よく分からないままに続く会話を黙って聞いていれば、仁王は私を見て何かを含むように笑った。

「気をつけんしゃい」
「え?」
「きつねは恋をしてる奴をねらっちょる」
「私は……べつに」

 仁王のその言葉に、私はドキリとした。
 密かに抱いている恋心が、見透かされているんじゃないかと思ったからだ。

「こいつのはうまくなさそーだろ」
「どういう意味それ」
「D組の美々子ちゃんのとかうまそーだよな」

 学年一可愛い、と言われている子の名前を上げ、だらしなくニヤけるブン太を私は睨んだ。

「顔で味が決まるわけじゃないでしょ」
「そうじゃ」

 思わぬところで同意を得られて、私は少し驚いた。

「味は想いの大きさで決まる」
「大きさねぇ。その食われた恋はどうなんだよ?」
「消えてしまう」
「え、恋が?」

 口を挟めば、仁王は神妙に頷いた。

「食われてしもうたら、想いが消えて好きだった相手のこともどうでもよくなってしまうんじゃ」
「えぇ…それは切ないね」

 そう言う私に、仁王はゆっくり頷いて、私の目を見つめた。

「きつねの鳴き声がその合図じゃ。食われんように気ぃつけんしゃい」

 真面目な顔をして仁王は私にそう告げた。
 その言葉を最後に、先生が戻ってきてしまい授業は再開されてしまった。


 気をつけろって言われたって、何をどう気をつければいいのか分からない。
 詳細を聞きたくても、聞き直せばまるで私に食べられたくない片思いの恋があると言っているようで、再びこの話を口にすることは出来なかった。
 そもそも、いつもからかわれて後で嘘や作り話だったと気付かされて赤面してばかりいるのに、この話もまた真に受けていると思われるのは悔しかった。

 それなのに、こうして眠れないのだから結局心のどこかで信じているのだ、私は。
 別に頭から布団に入る必要はない。けれど、もしきつねが来たらどうすればいいのか分からない。現れるのがきつねだからだろうか、変な恐怖感も浮かんでくる。
 心を隠しておけばいい?そう思ってみても、そもそも心のある場所が分からない。私も胸の辺りにあるとは思うけれど、もしかしたら違う場所にあるのかもしれない。それに隠すって、どうすればいいのだろう。手で覆う?それだけで隠せたことになるのだろうか。実態のない恋というものを食べることが出来るきつねからしたら、手で隠そうが布団で隠そうが意味がないように思えてしまう。
 布団の中のこの暑さと、また仁王に踊らされているという事実に私は溜息をついた。
 すると突然、携帯が鳴った。
 こんな時間に誰だ、と驚かされたことに苛立ちながら携帯を手にすれば、ディスプレイには“仁王”という文字が表示されていた。全ての原因の、人物。
 どうせ私が怖がって寝ていないとでも思って、からかおうとしているんだろう。
 事実はその通りだったけれど、悔しいので絶対に悟られないようにしようと私は意気込んだ。

「もしもし?」
「…………」
「もしもーし、仁王?」

 布団の中で喋るのは、更に熱がこもり息苦しかった。
 私は思わず布団から顔を出し、返事をしない仁王に再び声をかけた。けれど仁王からの返事はない。不審に思いながらもう一度声をかけようと口を開きかけると、小さな声が聞こえてきた。はっきりとは聞き取れない、小さな声。
 私は携帯を耳にしっかりと当て直して、もう一度仁王の名前を呼んだ。

「……におう?」

 すると──────コーン、ときつねの鳴いた声がした。
 
 肩どころではない、身体ごと震わせて私は慌てて布団を頭までかぶりなおした。
 暑さのせいではない汗が、身体にじんわりと浮かぶ。
 どうしよう、どうしよう。私の片思いを食べられちゃうだなんて、嫌だ。

「もしもし?電波悪いんかの」

 ぎゅっと目を瞑る私の耳に、ようやく仁王の声が響いた。
 いつもと変わらないその声に、私は怖がっているのを悟られないように意気込んでいたのも忘れて、すがるように声をかけた。

「仁王!」
「どうしたんじゃ、慌てて」

 心配そうな声に、私は捲し立てるように喋った。

「どうしよう、今きつねの鳴き声が聞こえた!」
「ほんまに聞こえたんか」
「ほんとだよ!い、今布団かぶってるんだけど、これでいいの?」
「だめじゃ、ちゃんと心を隠さんと」
「隠すって言われたって、心がどこにあるか分かんないもん。布団かぶって全身を隠すのじゃだめなの?」
「それじゃ意味なか。外に出て来んしゃい」
「えっ?」

 外?家の中にいてもこわいのに、外に出るなんて出来ない。
 そう思っていると、仁王は安心させるような声色で私に言った。

「今外におるから」
「こんな時間に?」
「そうじゃ。家の前におるから、窓から見てみんしゃい」

 そう言われて、布団をかぶったまま恐る恐る窓の外を見る。すると本当に、仁王がそこにいた。

「わ、私このまま外出て平気なの?ほんとに平気?布団いらない?」
「大丈夫じゃ」

 その言葉を電話越しに聞いて、私は布団を投げ出して慌てて家を出た。



「仁王!」
「しーっ、こんな時間に大きな声出すんじゃなか」
「だって……」

 家を出て見つけた仁王に思わず声を出せば、仁王は口元に人差し指を当てて小さな声でそう言った。
 だってもう、2時になってしまう。きつねの声が、聞こえてしまった。
 じわりと浮かぶ汗は暑さのせいじゃない。早くきつねから逃れる方法を教えてと、仁王の目の前まで来て私の体は固まった。
 人差し指で隠された仁王の口元が、弧を描いている。
 これは、いつも私を騙した時にする時の笑い方だ。

「っな、」
「コーン」
「また騙したの!?」
「ほらほら、大きな声出すんじゃなか」
「──っ」

 電話越しに聞いたきつねの声が仁王の口から聞こえて、私はまた騙されたのだということを確信した。
 またからかわれているんだと、そう思っていたけれど。だけど、きつねの声が聞こえたんだもん。食べられたくない、消えてほしくない気持ちがあったんだもん。
 私の口を塞ぐ仁王の手を、噛んでやりたかった。私がこんなに汗ばんで、焦っていたというのに仁王の手は反対にひやりとしていた。それが私と仁王の温度差のような気がして、悔しかった。

「そう睨みなさんな」

 手を離しながら、仁王は笑う。噛まれずに睨まれるだけで済んでありがたく思いなさいよ、と心の中で叫ぶ。どうしてわざわざ、こんな真夜中にネタばらしするような大掛かりな騙し方をするんだろう。それも、からかってなんか欲しくない私の気持ちを弄ぶような、こんな嘘。

「おやすみ」
「待ちんしゃい」

 低く言い捨てるように仁王に告げて、家に戻ろうと背中を見せればその背中に声がかけられた。けれど私は振り向かずに、その声を無視した。それなのに、腕を引かれて思わず振り返ってしまった。

「あの話は本当じゃ」
「もういいってば」
「あと2分で2時になるぜよ、消えてええんか」
「……じゃあ、どこをどうやって隠せばいいの」
「それは知らん」
「なにそれ?もういいよ、離して」
「けど、片恋じゃなくなればええんじゃ」
「そんなの、」
「なぁ、誰に恋しとる?」

 私を見下ろす仁王の瞳が確信に満ちていて、私は口を噤んだ。嬉しそうな口元に、またじわりじわりと私の体に汗が浮かぶ。
 だから、どうしてわざわざこんな……。

「もういい、消えていい」
「それじゃあ俺が困る」

 ほら、もう2時になる。そう言って私の唇を塞いだ仁王の唇は、ひやりとした手と違って熱かった。






20120802
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