恋は一見に如かず





 ドリンクを配って歩いている最中に、私は財前くんの目の前でテニスボールを踏んで盛大に転んだ。私はよく転がっているテニスボールを踏んで転ぶから、「足元見て歩きや」って白石にいつも言われてるのに、またやっちゃった…と思いながら顔を上げれば、手から離れたドリンクボトルは砂まみれで中身が零れていた。
 あー…もう、しかもよりによって財前くんの前で転ぶって、ついてない。

「ほんまどんくさい」

 予想通り。私が財前くんに毒を吐かれないわけがない。転んだこと、ドリンクを無駄にしたこと、財前くんの意地悪な言葉、今の私には大ダメージだ。もう無理、起き上がれない。

「いつも言うてるやろ、足元ちゃんと見なさいって」
「だってあちこちボール転がってるんだもん」
「テニスコートなんやから当たり前ちゃいます」

 起き上がらない私の腕を掴んで起してくれた白石に唇を尖らせれば、財前くんの冷たい言葉が私の胸にグサリと刺さった。いつものことながら、言われる度に悲しい。それが顔に出ていたのだろう、白石が困ったように笑った。

「財前、そないに当然のこと言うて返したらこいつが可哀想やろ」
「…白石、なんのフォローにもなってない」
「手塚ゾーン使うてボールを集めとるんやもんな?」

 ドリンク配りながらボールも集めて偉いなぁ、と笑いながら私の頭を撫でてくる白石のお腹を殴った。すると後ろからは盛大な溜息。

「はぁ…俺喉乾いたんすけど」
「ご、ごめん、今持ってくる」
「水道行くからええわ。それより膝どうにかしたほうがええんとちゃいます」

 私と目も合わせずに背中を向ける財前くんを引きとめることも出来ずに、私は項垂れた。あぁもう、なんでこうなっちゃうかな。確かに私は財前くんが嫌いそうなどんくさい女だけど、財前くんを不愉快にさせたい気持ちなんてこれっぽっちもないのに。というかむしろ、財前くんの笑顔が見たいのに。

「気にせんと、いつものことやろ」
「何が?転ぶこと?ドリンク渡せなかったこと?財前くんを不機嫌にさせちゃったこと?」
「全部やな」
「フォローする気あんの!?」

 さっきから!と、二度目の拳を白石のお腹に入れる。でも本当、全部いつものことなのだ。でもね、いつものことだからって私が悲しまないわけがなくって、いつもいつも悲しいのよ。分かってくれる?私と違って無駄のない白石部長!

「使えないマネージャーなりにお仕事してきます…」
「そないなこと誰も思ってへんで」
「今更いいよ」
「ほんまやって、んな顔せんと、後で財前にドリンク持ってってやり」
「…頑張る」

 今日はもうこれ以上ダメージ受けたくないけど、と思いながら砂だらけのドリンクボトルを持ち上げる。

「しゃーないなぁ……膝の手当てちゃんとするんやで」
「うん、ありがと」

 もう転ばないように、と私は足元を見ながらとろとろ歩いてコートから出た。



 私の片思いはもう実る見込みはないんだろうか、とドリンクボトルの砂を流しながら悲しくなった。財前くんが毒を吐くのは何も私にだけじゃない。謙也やユウジの方がいつもすごいこと言われてる。だけど、私以外の女の子に財前くんがそんなことを言うのを私は見た事がない。それって、そういうことだよね。謙也とユウジに言っているのを見てる分にはじゃれあっているというか、楽しそうに見えるけど、私への言葉には笑いも何もない、きっと財前くんの本音。
 今日だけじゃない、今までの言葉を思い出しながら私は溜息をついた。泣きたい、けど泣いてる場合じゃない。そんなところ見つかったらまた何か言われちゃう。

「なにしとるんですか」

 水音にまぎれて、財前くんの声がして私は慌てて顔を上げた。

「ドリンク作り直そうと思って」

 危ない、泣かないでいて良かった…!私は慌てて蛇口を止めて、綺麗になったドリンクボトルを財前くんに見せながら笑った。すぐ作ってくるから、と走りかければ、財前くんに腕を取られた。突然のことに驚けば、財前くんはものすごく不機嫌な顔をしていた。
 どうして?これ以上こんな顔見たくないのに。

「ごめんね、すぐ出来るから」
「俺の話聞いてなかったんスか」
「え?喉、乾いたって…」
「水道行く言いましたやん」
「うん、でも」

 私の言葉も聞かずに、財前くんは不機嫌な顔のまま私の手を引いた。声もかけられずに引きずられるようにして歩けば、着いたのは部室だった。
 椅子の前まで連れていかれて手を離されて、何かと思えば財前くんは救急箱を持って戻ってきた。

「膝、どうにかした方がええって言いましたよね」
「ドリンク作った後で……今やります」

 後でいい、と言おうとしたのに、財前くんに睨まれてしまえば黙って先に消毒するしかなかった。私は財前くんから救急箱を受け取って、自分で手当てを始めた。血の滲む膝がにくい。転ばなければ、財前くんを不機嫌にさせることも、こんなに気まずい空気の中で二人でいることもなかったのに。
 じわりと、瞳に涙が浮かぶ。違う、これは、消毒液が沁みて痛いせいだ。悲しいからじゃない。

「なんでそないな顔してはるんスか」
「消毒、沁みるの」

 立ったままだった財前くんが急にしゃがみこんで、私を見上げた。見られたくない、のに。私はこれ以上は絶対に涙を出さない、と唇を噛んで堪えた。そして気を逸らすように、消毒液を膝にかけた。傷に沁みるのは、本当のことだ。

「嘘やろ」
「本当だよ」
「…どこの傷、っスか」
「どこの、って」

 膝しか怪我してないのに、と思えば財前くんはふいと顔を逸らした。

「白石部長に…いや、なんでもないすわ」

 白石に?白石がどうしたんだろう。手を止めて財前くんを見ていれば、彼は救急箱から絆創膏を出して私の膝に貼った。その手付きは、いつも私に言う言葉とは違ってとても優しい。

「先輩、人の言うこと素直に受け取りすぎですわ」
「べつに普通だと思うけど」
「せやけど人の態度は素直に受け取らんやろ」
「受け取ってる、けど」

 それってどういうことなんだろう。財前くんの突然言い出したことがよく分からない。素直に受け取りすぎ?そんないちいち裏をかいて聞く人なんていないでしょ。それなのに、態度は素直に受け取ってないって…財前くんの態度を見て、いい加減近寄るのをやめろってことなのかな。

「分かってへん顔しとりますね」
「だって財前くん分かりづらい」
「人の言葉だけやなくて態度も素直に受け取ってくれへん、て言うとるんです」

 財前くんの言葉だけじゃなくて、態度も?
 私はいつも、財前くんの言葉を態度を素直に受け取って、それで悲しんでるっていうのに、それ以上どうしろって言うんだろう。財前くんは私に何を分かって欲しいんだろう。意味が分からないまま、私は財前くんとの過去のやりとりを思い出してみた。
 思い出してみて、浮かんでくるのは財前くんに言われ続けた意地の悪い言葉の数々ばかりだ。どんくさい、めんどいすわ、邪魔、いたんすか、キモい、引くわ、どーでもいいっす……思い出すだけでまた悲しくなってきた。それでも私はぐっと堪えながら記憶を辿った。言葉だけじゃなくて、態度も。
 ほんまどんくさい、って言いながら一緒に備品を運んでくれた。虫が怖くて挙動不審な行動をする私を見てキモい、って言いながら虫をはらってくれた。どーでもいいっす、って言いながら、いつもいつも財前くんは私のそばにいた。意地の悪い言葉をいっぱい私に聞かせながら、それでも隣にいてくれた。悲しくなってばかりだけど、それでも私には財前くんとの思い出がたくさんある。私の記憶に、財前くんはいつも映ってる。それは私が財前くんを想ってるから、目で追ってるからじゃない。ちゃんとそこに、財前くんがいる。

「どんだけ鈍い上に頭の回転遅いねん」
「財前、くん」

 財前くんの態度を私が素直に受け取ったら、どういうことになるか分かっててそういうこと言ってるの?言葉よりも自分の態度を素直に受け取って欲しいって、それって、

「頭の悪い女は嫌いすわ」
「でも、私は財前くんのこと好きだよ」

 するりと、今まで言いたくて仕方なかった言葉が私の口から零れた。なんだか、今まで悲しんでいた自分が“ほんまアホ”みたいだ。

「ありえへん」
「え」

 じわじわと熱くなっていた身体が、一気に冷める。まさかの、勘違いを私はしてしまったのだろうか。顔を上げればこれでもかと眉間に皺を寄せ不機嫌なオーラ全開で私を睨んでいた。

「信じられへんホンマ、ここでそれ先に言います?」

 ぐっと手を握られて引っ張られて、私の身体は財前くんへと傾く。不機嫌な財前くんの顔が目の前に迫った。
 でも、“先に”ってことは──────その先を考える間もなく、財前くんの唇が私の唇に触れた。

 棘のある言葉で、私を強く引き寄せたのとは反対に、とてもとても優しく、財前くんは私の唇に触れた。








20120108
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