まるで夢うつつ





 デスクで頬杖をつきながら、雑誌をめくる。ロイズさんがいないのをいいことに、仕事をする手をとめて私は午後の休憩をとっていた。他のスタッフも出払ってるし、斜め隣にいるタイガーだってバーナビーがいないのをいいことにデスクに突っ伏して眠っているんだから問題ないでしょ、なんて。

 ぱくり、とチョコを口に含んで、またページをめくる。
 タイガーがくれたこのチョコは、予想外においしい。コンビニチョコかと思えば“俺の穴場”だというどこだかのお店のものらしく、フランクな見た目とは反対にしっかりとした味わいだった。けれど重々しくないほどよい味に、次から次と手が伸びてしまう。このおじさんは、こういう所が何だかずるい。色々なことにうとくて気が抜けているように見えて、そうではないのだ。こうして一緒に仕事をして、彼と過ごす時間が多ければすぐに分かる。いつも外れた調子でいるけれど、大事な所は決してはずさない。それがヒーローの活躍としてももう少し表に出せればいいのに、と思う。だってほら、こうしてめくった雑誌の見開きに大きく現れるのは、いつも彼の相棒のバーナビーなのだ。バーナビーはタイガーと違ってとても分かりやすいイケメンであり王子様なヒーローだった。そしてそれを表に出すのが、とてもうまい。だって誰も、KOHのバーナビーが毒舌で冷めた視線がお得意だなんて、知らないでしょ?
 タイガーからもらったチョコをもう一粒口に含めて、雑誌の文字に目を移す。

 “憧れのヒーローを落とすテク!”

 バーナビーのヒーロースマイルの横に大きく記載されたその文字を見て、ふうんと思う。毒舌で冷めた目線がお得意だけど、冷たい人なわけではないのだ。タイガーとは違う部分で不器用な彼が、あたたかいものを胸の奥に隠しているのを私は知っている。口の中で溶けるチョコに、私は先日バーナビーからもらったチョコレイトのことを思い出した。
 可愛らしい箱に入った、高そうなチョコレイト。パソコンと睨めっこをしていた私に、仕事から戻ったバーナビーが机の上に置いてくれたのだ。顔を上げれば「雑誌の取材で行った店のものです。甘いもの好きでしたよね」と、そっけない。けれどそんなものは慣れっこで、まるでジュエリーでも入っているかのようなその箱に私は興奮してお礼を言ったのだった。あのチョコレイトは、まだデスクの引き出しに残っている。あの箱を入れるために引き出し一段を空っぽにしたものだから、その下の引き出しがぐちゃぐちゃになってしまっていた。だってあんなジュエリーが入ってそうな箱を、他のものと一緒に引き出しに突っ込むなんてこと、私には出来ない。
 私はタイガーから貰ったチョコをまた一粒口に入れた。次々と箱の中から消えていくチョコは、この時間だけで食べ尽くしてしまいそうだった。タイガーが買ってきてくれるくらいだから、そんなにお高いものでもないだろうし、ストックとして何箱か買っておきたいなぁ、と少し失礼なことを考えながら、未だ寝続けるタイガーをチラリと見る。今日、定時になってもヒーローの呼び出しがなかったら、買いに連れて行ってもらおうかな。
 口の中で溶けるチョコを味わいながら、雑誌に目を戻した。紙面いっぱいのバーナビーの隣に並ぶ、大きな文字。

 “ヒーローを虜にするには、彼に守りたいと思わせるか弱い乙女であれ!”

 そんな、市民を守るために戦ってる彼に更に自分を守らせようとするわけ?か弱い乙女じゃ戦いに挑む彼の背中を安心させてあげられないでしょ、なんてツッコミをいれながら記事を流し読めば、か弱い乙女ルックやグッズ、か弱い肌を守るためのスキンケアや仕草、表情までもがご丁寧に特集されている。こんなんでヒーローが落ちるんだろうか。か弱い自分作りに楽しんでるだけのように見えるんだけどなぁ……タイガーが起きたら聞いてみよ。

「僕のこと、落とそうとしてるんですか?」
「っ!?」

 突然落とされた声に、私の肩が跳ねた。顔を上げる必要もなく、雑誌を覗き込む私の顔の隣にバーナビーの顔が並んだ。足音も何も聞こえなかったのに、彼はいつの間にここまでやってきたのだろうか。激しくなる心臓の音をバーナビーに聞かれないようにと、私は大きめの声を出した。

「いつの間に戻ってたの!?」
「たった今、ですよ」
「お、かえり、あのね、これは」
「貴女がか弱い乙女に見えたことはありませんが」

 バーナビーの最初の一言になんて返そうかと悩む私に、いつもの毒舌が返ってきた。確かに、か弱い乙女なんてキャラじゃないけど、と思いながら私は口をすぼめる。

「守りたいとは、いつも思っていますよ」
「……え」

 守りたい、と。いつも思ってくれている…?バーナビーが、私を?
 その言葉に驚きながらも、嬉しさで私の頬にはじわりと熱が集まっていた。バーナビーが、私を守り……ちょっと待って、なに喜んでるのよ私。それって、彼がヒーローとして、市民である私を守りたいっていう、ヒーローとしてのただの信念じゃないの。そう気付いた瞬間、“私を”なんて喜んでしまった自分が恥ずかしくて、眉が寄るのを感じながら返事をした。

「ありがと、ヒーロー」
「……」

 そんな私に、今度はバーナビーが眉を寄せた。無言の瞳に緊張してしまう。こんなに、近い距離で向き合ったことなんてないから、余計に。無言の空間に、私の心臓の音は彼に聞こえてはいないだろうか。眼鏡の奥の翡翠色の瞳にじっと見つめられて、余計に緊張してしまう。
 今まで、こんな空気になったことなんてないから、どうしたらいいのか分からない。いつもは、喧嘩するタイガーとバーナビーを止めに入って結局三人で言い合ってロイズさんに怒られたり、冷たいバーナビーの言葉に口を尖らせたり、そっけないバーナビーにちょっかいをかけてタイガーと楽しんだりして、こんな二人きりで言葉ひとつひとつに緊張しちゃうような空気、感じたことなんてない。
 無言のバーナビーにどう反応していいのか分からなくて、口籠ってしまう。

「な、なに?」
「鈍い人ですね」
「え?な…んっ」

 小さく開いた唇を覆うように唇を押し当てられて、私の頭は真っ白になった。

 やわらかい、あたたかい、その感覚だけを唇で感じている。



 真っ白な頭が意識を取り戻したのは、口の中に残っていたチョコがバーナビーに舐めとられた瞬間だった。

「っん、ぅん」

 真っ白な頭がようやく状況を把握すれば、目を開けていることすら耐えられなくて、私は強く瞳を瞑った。固くなる私の体とは反対に、バーナビーの意外と大きな手が私の後頭部に優しく触れた。その部分から、じわりと熱が侵食する。唇を覆うあたたかな熱は、まだ離れない。

 チョコが熱く溶けていく。私の舌の上でなのか、彼の舌の上でなのか分からなかった。

 息が苦しい。彼に唇を塞がれ、酸素を吸い込めないせいだけじゃ、ない。彼の熱が、私の心臓を焦がすせいだ。焦げて焦げて、どうにかなってしまいそう。いつもの心音とは違うこの音は、もう心臓の機能が壊れてしまったかのようだった。
 苦しいのに、心地よい。私自身も、壊れてしまったみたいだ。

 チョコが溶けきった所で、名残惜しそうに唇が離れた。最後にひとつ、可愛らしいリップ音を残して。

「甘いな。僕があげたチョコレイトですか?」

 小さく、息が乱れるのは私もバーナビーも、同じだった。まさか、彼の心臓も私と同じようになってしまっている?
 そんなことを思いながら、私は彼の質問に答えた。

「……タイガーが、くれたやつ」

 予想通り、バーナビーの眉間には深く皺が寄った。先ほどより少し離れた距離で彼を見れば、いつの間に眼鏡を外したのか直接合わさる瞳に、私は思わず顔を伏せた。けれど、後頭部にあったままのバーナビーの手が私の頬を撫で顔を上げさせるものだから、再び彼と瞳が合わさってしまう。熱っぽいバーナビーの瞳に、もう心臓は焦げ、息が出来ないほどだというのに。

「僕があげたチョコレイトは?」
「ぜんぶ食べちゃった」

 なんて、本当は嘘。一粒一粒、大切に食べているからまだ6粒も残っている。だけどそんなこと、バーナビーには言えないから。何も入っていない引き出しの中に入っている綺麗な箱を思い出しながら、私は嘘をついた。

「また買ってきます」
「えっ、いいよ」
「……口に合いませんでしたか?」
「すっごく美味しかった、け、ど」
「けど?」
「ち、近い、よ」

 吐息がかかるこの距離で、普通に話しかけてくるバーナビーになんとか返事をしていたけれど、それももう限界だった。それに、あの言葉の意味は、口付けの意味は?問うように見つめてみても、返ってくるのは求めた返事ではなかった。

「話が繋がっていませんよ」
「それは、バーナビーもでしょ」
「僕が?何がですか」
「だって、なんで、急にこんなこと」

 私よりも先に、話を脱線させたのはバーナビーの方だ。それなのに、彼は私に対して溜め息をつき、その息が唇に触れて私の心臓は更に不自然に跳ねた。

「本当に鈍いな。僕のことを落としたいと思ってくれていたんじゃないんですか」

 チラリと雑誌に視線を落とすバーナビーの伏せられた睫毛が、金色でとても綺麗だった。柔らかそうな、金の糸。触れてみたい、と思っていればバーナビーのその睫毛が、私に近付いた。触れてしまいそうなその距離まできて、そうして、小さな口付けをひとつ。

「好きです」

 まるで夢の中の出来事のように、バーナビーの声が体を包み込む。
 けれどどこか、遠くに聞こえた。とても現実で起きているようには、聞こえないのだ。私はただ、ゆっくりと瞬きを繰り返した。

「まだ分かりませんか?」

 現実に感じられず鈍い反応を返す私に、バーナビーは不満そうな顔をする。
 だって、そんなこと言われたって。

「で、も」

 不満そうなバーナビーは、再び私に唇を寄せてくる。私は慌てて彼の肩を押した。これ以上はもうダメ、心臓がもたない。仕事だって、これからまともに出来そうもないっていうのに。

「だって、そんなの……今まで少しも」

 分からなかった、と尻すぼみになりながら言えば「それはこっちのセリフです」と返された。

「でも、貴女の雑誌を見る目が、恋をしている乙女の瞳でしたので」

 なんだか少しバカにしたような顔で、バーナビーは笑った。その笑顔は、とても満足げだった。
 私の雑誌を見る目が、恋する乙女の瞳だったから?それがバーナビーに分かったなら、いつも瞳が合わさっている時にとっくに気付いていたはずだ。今気付いたみたいなそんな言い方、

「バカにしてるでしょ、こんな特集見てたことも、か弱くないことも」
「いいえ?」
「ただ眺めてただけだからね、こんなことする気なんてまったくないからっ」
「じゃあ、僕を落とす気はなかったんですか」
「う…だから、それは」

 落とす気、と言われれば「うん」とは言いにくい。ただ、バーナビーのことを、恋する瞳で見ていたという部分は、否定できない。

「それは?」
「……分かってるくせに」
「分からないですよ。僕はまだ返事を聞いていない」

 頬を撫でられて、体に甘い痺れが走る。ゆっくりと近付いてくるバーナビーに、私は再び肩を押し返した。

「ち、近い、ってば」
「早く返事を聞かせて下さい」
「だ、から」

 こんなに近付かれたら、ただでさえ言いづらいことが更に言えなくなってしまう。肩を押しても動かないし、顔を離したくても彼の手に抑えられて動けない。早く、と急かしてくるくせに彼は距離を縮めてくるばかりだ。

「早く、

 いつもは、名前でなんて呼んでくれない。貴女、と呼ぶだけで、私の名を口にすることがあったとしても名字にさん付けだった。
 急に呼ばれたその名前に、声に、私の口は自然と開いて引き寄せられるように音が発せられた。

「す──」

 それなのに、最後の言葉はバーナビーの唇に塞がれてしまった。彼のジャケットをぎゅう、と強く握る私とは反対に、やはり彼は優しく私の頭を撫でた。
 触れる時はとても突然で力強いのに、離れる時はひどくゆっくりと離れていく唇にじわりともどかしさを感じる。近い、と彼に言うのは私なのに、“離れないで”と心が叫ぶのだ。



 遮ったのは、バーナビーなのに。再び急かすバーナビーを小さく睨めば、彼の口元が緩んだ。

「聞かせてくれるまで、離れません」
「今っ、私が言お──ん、っバ、バーナビーちょっと」
「はい?」
「っ──聞く気ないでしょ!」

 私が話すのを次から次と遮るバーナビーを睨んで見ても、彼は楽しそうに笑うだけ。最近雰囲気が柔らかくなってきた彼だけれど、それでもこんなに柔らかい表情を見るのは初めてだった。そんな笑顔を見せられてしまったら、何も言えない、何も出来なくなってしまう。でも、このままだと悔しすぎる。私は精一杯の抵抗として、顔を横に逸らした。こうすれば、直接合わさる瞳にドキドキすることも、唇を塞がれることもない。私からも、ちゃんと気持ちを伝えられる。そう思ったのに。

「ありますよ」
「──ひゃ!」
「ほら、早く」

 あろうことかバーナビーは、私の首筋に唇を落とした。ぞくり、と駆け上がる感覚に私は泣きそうだった。壊れてしまったように騒ぐ心臓を抑えて、乱れる息を隠すのに必死だったのに。私を守りたい、だなんて言いながら、どうして私を壊していくようなことするのよ。いきなりの展開に私の頭も心もついていけない。もう少しゆっくり、少しずつ近づいてくれたらいいのに。そしたら私だって心の準備とか、慣れたりすることが出来るのに。バーナビーの近づき方は急で、強すぎる。紙面では紳士な王子様をきどっているこのヒーローは、強引に私の心を焦がして壊してくる、まるでダークヒーローだ。

「──っや」
「だァ!!いつまで続くんだよ!」

 突然起き上がり声をあげたタイガーに驚いて振り向けば、苦虫を噛み潰したような顔で私たちを睨んでいた。
 わ、忘れてた、タイガーがいること!

「空気が読めない人ですね、いつもなら起こしても起きないくせに」
「空気読んで寝たふりしてやってたのに、お前が長々と続けるからだろ!」
「寝たふり!?寝てたんじゃなかったの!?」
「寝ようとしてた所にバニーが帰ってきて起きかけたら、お前らがちゅっちゅとおっぱじめて黙ってるしかなかったんだよ!」
「終わるまで黙っててくださいよ」
「終わらせる気なかっただろお前!」
「じゃ、じゃあ全部聞いて」
「趣味が悪いですよね」
「お前がな!俺はバニーが帰ってきて一度顔を上げたぞ!気づいてただろ!」
「えぇ!?」
「さぁ、知りませんけど」

 ちょっとちょっとちょっと、待ってよもう!なにそれ、じゃあバーナビーはタイガーが起きてるのを知っててこんなことをしてきて、タイガーは最初から全部聞いてたってわけ!?
 身体を起き上がらせて私から離れたバーナビーに、心臓がいつものリズムを少しだけ取り戻す。けれど、私の頬に集まる熱はまだおさまらないようだった。眼鏡をかけて、冷めた視線をタイガーに向けるバーナビーを、私は一層強く睨んだ。

「バカ」
「もしかしてそれは、僕に言ってます?」
「そう、バニーちゃんに言ってんの!」
「なっ」
「だっはっは!バニーちゃんはまだ乙女心を分かってねーなぁ」
「もう起こしませんから、今すぐ僕が眠らせてあげます」
「おまっ、永遠に眠らせる気だろ!」

 足下せ!というタイガーの声と、振り上げられたバーナビーの足を視界の隅にうつしながら、私は最後になってしまったタイガーからもらったチョコを口に入れた。相変わらず美味しいのに、何故だか少し甘さが足りなく感じてしまう。バーナビーのせいだ、と思いながら私はタイガーのようにデスクに突っ伏した。
 いつもの二人の言い合いに、やっぱりさっきまでは夢だったんじゃないかと思ってしまう。けれど、夢ではないようだった。私の肩に触れて、バーナビーが私の名前を呼ぶ。



 まるで夢のような、現実だった。






20111024
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