わがままをいっぱいに





「退ちゃーん……退ちゃん退ちゃん退ちゃァ──────ん!!」

 縁側に寝転びながら私は大声で叫んだ。大きく息を吸って、屯所中に響け!なんて想いを込めながら。
 それでも、いくら屯所中に響けと思っても実際私の声は屯所中には響かなかっただろうし、そもそも退ちゃんが任務に出ていたら、ただの私の独り言だ。私の声が途切れ、しーんとする中で退ちゃんの返事は返ってこなかった。
 あーあ、任務に出てるのかなあ。
 返ってこない返事に気落ちしながら、私は瞼を閉じた。あんなに大きな声で呼んだのに、いないだなんて。近くにいた隊士には聞こえていただろうから、なに叫んでるんだアイツって、バカにされてるに違いない。ちぇ、退ちゃんのせいだよ、ばーか。
 なんて、独り言になってしまった大声に便乗して、心の中でも独り言を続けていた。すると、バタバタと足音が近づい来た。

「はいはいはい!呼んだ?」

 近づいてくるにつれて聞こえた声に、私はパチリと目を開けて、口元は自然とにんまり緩んだ。

「呼んだーあ」
「なに、どうしたの?」
「あのね、お腹がいたい」
「えっ大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「じゃあ薬…何でお腹痛いか分かる?」
「わかんない」
「困ったな…とりあえず薬見てくるからちょっと待ってて。布団もひいてこようか?」

 寝転がったまま見上げれば、退ちゃんが眉尻を下げて私を見下ろしていた。
 退ちゃんが、私を心配してくれてる。嬉しくて、私は緩む口元をバレないようにぎゅっと結んだ。それが痛みを堪えているように見えたのか、心配そうな退ちゃんの顔に困った表情までもがプラスされる。その顔を見て、私の胸はまたきゅうっと締め付けられるのだ。
 いつもいつも、私は退ちゃんに甘えて、困った顔を見るのが好きで、わがままを言ってしまう。きちんとかまってくれる退ちゃんはどこまでも優しくて、困った顔をするのは私のことを考えてくれている証拠だ。だから私は、退ちゃんを困らせるのが好きで、その顔を見るのが好きだった。
 だけど、好きな人を困らせるなんて本当は良くないってこともちゃんと分かってる。もしかしたら、嫌われちゃうかもしれないってことも。だけど退ちゃんは困った顔をしても、嫌な顔を一度だってしたことがないのだ。そのせいで私は、懲りずに退ちゃんにわがままを言ってしまう。
 でもね、退ちゃんの困った顔が見たくてわがままを言うけど、嘘をついたことはないよ。お腹が痛いのは本当なの。だけど、

「薬も布団もいらない」
「え?痛いんでしょ?」
「薬嫌いだもん飲みたくない」
「でも飲まなきゃ痛いままだよ」
「飲んでもきっと治んないもん」
「飲んでみないとわかんないだろ。今持ってくるから」

 そう言って薬を取りに行こうとする退ちゃんの足を、私は慌てて掴んで止めた。

「やだやだやだ!」
「えぇ?じゃあどうしたいのさ」
「…痛いの治したい」
「だから薬」
「い・や!」
「それじゃあ治らんでしょって!」
「薬飲まないで治して!」
「んな無茶な、医者だって薬出すのに医者でもない俺が薬も使わずにどうにも出来ません」

 その言葉を聞いて私は退ちゃんの足から手を離し、ごろりと寝返りをうって背を向けた。

「…ふうん、あっそ」
「え、なにその冷たい反応」
「退ちゃんは私がお腹痛くてもどうでも良いんだ」
「だから薬持ってきてあげるって言ってんでしょーに!布団もひいてくるから、薬飲んで大人しく寝てなさい」
「それが嫌だって言ってんのー!」
「じゃあ痛いままでいなよ」
「ほらやっぱり私のことどうでもいいんだー!薄情者ォ!」
「はいはい、じゃあね」
「えっ…ちょ、退ちゃん!」

 背後で足音が聞こえたと思って顔を向ければ、退ちゃんは本当にこの場に背を向けて歩き出してしまっていた。私が呼んでも振り向きもしない。そして遂にはその黒い背中も、見えなくなってしまった。本当に、行ってしまったのだ。
 お腹は痛いし、退ちゃんは冷たいし……もうやだ。

 お腹痛くて気分が落ち込んでたから退ちゃんに会いたくて、痛みをまぎらわせるために退ちゃんと少しお喋りしたかっただけなのに。薬を飲んで寝てたら、退ちゃんを見れないし、退ちゃんとお喋りも出来ないじゃん。
 なのに行っちゃうなんて…退ちゃんのバカ。
 そう思っても、困らせた私の方がもっとバカなのだ。ずきずきとしたお腹の痛みが、心にまで上がってきてしまった。
 退ちゃんは優しいからいつも私にかまってくれてただけで、本当はうんざりしてたのかもしれない。困った顔をして私のことを考えてくれてるんだと思ってたのも、本当は違ったのかもしれない。そう思うと目に涙が浮かんだ。ひとつ、悪い方に考え出すと全て引きずられてしまうのが片思いのやっかいな所だ。さっきまでは退ちゃんの困った顔に胸をきゅんとさせていたのに、今はその顔がずきんと胸を刺すのだ。
 お腹を抱えるようにうずくまって目を閉じて、退ちゃんのバカ退ちゃんのバカって小さな声で私は呟いた。
 私はもっとバカだけど、でも、やっぱり…退ちゃんのバカ。

 痛む心とお腹に、私は唇を噛んだ。





 痛む心を堪えていると、更には先ほど以上にお腹が痛くなってきてしまった。全部の痛みを閉じ込めるように、体をぎゅうっと丸めると、体にパサリと何かがかけられた。
 目を開けて見ると、少し怒っている退ちゃんが私の顔を覗きこんでいた。

「っ!」
「誰がバカだって?」
「……さがるちゃん」
「そんなこと言うんだったら治してあげないよ」
「治せるの?」
「でも俺バカだから無理かもなァ」
「うそうそ、バカじゃない、退ちゃん天才っ」
「現金なやつ」
「だって…退ちゃんがいなくなるから悪いんだもん」
「タオルケット取りに行ってただけだよ」
「じゃあねって言ったくせに」
「わがままばっかり言うからでしょ」

 でも、やっぱり戻って来てくれた。
 退ちゃんがこんな風に優しくしてくれるから、私はいつまでたってもこうして退ちゃんを困らせてしまうのに、そんなことも知らずに優しくしてくれる退ちゃんは…やっぱりバカだよ。だけど、さっきまでは悲しかったのにもうすっかりそんなことも吹き飛んでる私はきっともっとバカだ。
 こんなこと繰り返していたって、退ちゃんがいつか私に想いを寄せてくれるどころか呆れて離れて行ってしまうかもしれないのに。
 だから今度は、素直に言うこと聞いておこう。例え薬を飲んで寝ることになっても、退ちゃんとのお喋りの時間がなくなっても、退ちゃんがそうしろと言うならその通りにする。そう想いながら私は口を開いた。

「…治すって、薬持ってきたの?」
「持ってきてないよ、飲みたくないんでしょ」
「飲みたく…ないけど」
「ていうか本当に痛いの?それにしては元気だよね」
「ほんとうに痛いもん」
「まぁ、それだけ元気なら薬飲まないでも大丈夫そうだけど。まさか食べ過ぎとかじゃないよね?」
「ち・が・い・ま・す!」

 膝をついて私を見下ろしていた退ちゃんは、呆れたように溜め息をつきながら寝転がる私の頭上に腰を降ろした。
 食べ過ぎだなんて、女の子になんてこと言うのよ!と口を尖らせながら睨めば、私の視界が揺れた。自分の意識とは関係なく、頭が持ち上がったのだ。退ちゃんに頭を持ち上げられたのだと気付いた頃には私の頭は退ちゃんの膝の上に乗っていた。後頭部には少し硬い退ちゃんの足に、目の前には退ちゃんの顔。

「さ、退ちゃん、これ」
「ん?なに、照れてんの?」
「ちが、ちがいますゥ!」
「それにしては耳も顔も真っ赤だけど」
「ね、熱も出てきたみたい!」

 風邪かな、と誤魔化す私の額に、今度は大きな手が乗せられる。更に熱くなる身体に、なんて余計なことを言ったんだ、と思いつつも触れられていることに嬉しさを感じてしまう。

「なんか本当に熱いけど、薬飲まなくていいの?」
「い、いの、横になってれば治るの」

 退ちゃんの手のひらを振り払うように顔を横に向けて、私は目を閉じた。
 こんなことされたら、お喋りどころじゃなくなっちゃう。嬉しいけど、その喜びを素直に満喫出来ない。私は心を落ち着けるように、ゆっくりと息を吐いた。するとそれにあわせるように、ぽん、ぽん、と退ちゃんの手が私の腰を撫でた。

「痛いの痛いのとんでけー」
「…まさか、薬飲まないで治す方法ってこれ?」
「そう。どう?とんでった?」
「私、子供じゃないんですけどォ」
「薬飲みたくないなんて言ってるうちはお子様だと思うんですけどォ」

 子供じゃない、だなんて言いつつもそのリズムとあたたかさは痛みを和らげてくれていた。
 ドキドキと心臓は早まるのに、心地が良かった。

「まったく、俺はあとどれくらいわがままに振り回されるんだろ」
「……どれくらいなら振り回されてくれるの?」

 退ちゃんの言葉に思い切って聞き返してみれば、返ってきたのは呆れた声ではなく、笑い声。

「一体どれだけ俺にわがまま言いたいんだよ」
「退ちゃんが、聞いてくれるだけ」

 うんざりされているわけではないと分かった私は、嬉しくて素直な気持ちを口にした。

 退ちゃんが、私のわがままを聞いてくれるだけの、たくさんのわがままを言いたい。退ちゃんが私にかまってくれる分全部、かまってほしい。少しでも多く、そばにいたい。
 想ってる気持ち全部を口に出すことはまだ出来ないけど。でも、退ちゃんがまだもう少しでも、わがままを聞いてあげるよって言ってくれるなら、私のわがままを許してくれるなら。私、頑張るから。想いを伝えられるように、想いを抱いてもらえるように。

 顔を上げて、退ちゃんを見上げれば、柔らかい笑顔がそこにはあった。

「じゃあ俺は一生わがままに振り回されるんだね」
「そう、いっ────── 一生!?」

 少しでも、と思っていた私に予想外の“一生”という言葉。驚きで私の目は瞬きを忘れ、心臓は本来のリズムを忘れて早すぎる鼓動を刻んでいる。
 な、なに言ってんの、なに言ってんの!?退ちゃん、一生って、一生の意味分かって言ってんの!?

「一生って、一生だよ!?一瞬じゃないよ、ずっとだよ!?」
「そうだよ?ちゃんが一生俺にわがままを言う気なら、俺は一生聞いてあげる気だけど」
「えっ、だって、それ、一生って…」

 本当に、意味が分かって言ってるの?一生って、ずっとなんだよ?退ちゃんは、ずっと私のわがままを聞いてくれるの?なのに、なんでそんな平然としてるのよ。ずっと私のわがまま聞いてくれるって、ずっとこうして、一緒にいてくれるってことでしょ?それって、そういうことなんじゃないの?私の傍にずっといてくれるって、そういうことだと思っていいんだよね?なのになんで、なんで平然としてるの!?
 いつもと変わらない笑顔で私を見下ろす退ちゃんに、私はますます意味が分からなくなった。いつも通りの退ちゃんの笑顔に、いつもとは違う言葉。どっちも本当なのに、現実なのに、私の中で退ちゃんの笑顔と言葉が重ならない。
 ねえ、どういうことなの?言葉通りの、意味なの?
 平然としている退ちゃんに、私はひとり焦るばかりだ。まさか、ただの私の勘違いじゃないよね?別に深い意味はなくて、ただの言葉のあやでこんなこと言って──────もう、わかんない!

「嬉し涙?」
「違うよ!」
「えっ、違うの?」

 いつもの退ちゃんの笑顔なのに、いつもとは違う言葉が重ならなくて、意味が分からなくて焦る私はパニックを起こしていた。そのせいなのか、じわりと涙が出てきた私に、退ちゃんは笑った。
 嬉し涙って、なによ。そう聞くってことは、やっぱり私の解釈であってるわけ?ずっと傍にいてくれるって、そういうことでいいの?
 混乱させる言い方をする退ちゃんに、私は不機嫌に声を出した。

「退ちゃんが、意味わかんないこと言うから」
「意味わかんないこと言ったつもりはないけどなァ」
「もっと分かりやすく、ハッキリ言ってよ!」
「わがままだなー」
「いっしょう、聞いてくれるんでしょ」
「そうだよ」
「っ痛!」

 そうだよ、と言って笑った退ちゃんは膝に乗せていた私の頭を遠慮なく落とした。落とされるなんて思いもしない私は構えることも出来ずに、重力のままに頭を床に打ちつけ、鈍い音と共に後頭部に痛みが走った。

「っい、たァ!なに、」
「この体勢じゃキスしずらいから」
「えっ、キ、ス!?」
「分かりやすく、ハッキリでしょ?」
「ちょっ、待っ、待って待って!」

 私に覆いかぶさるように肘を私の顔の横につけて、退ちゃんの口角が上がる。近づいてくる顔に私は先ほど以上の混乱。慌てて身体を押し返すのに、ビクリともしない。意地悪なその表情は、私が見たことのない退ちゃんの顔だった。その事実に、この状況に、背中にぞくりと何かが走った。

「わ、私は、“言って”って、言ったの!」
「うん」
「私のわがまま聞いてくれるんでしょ!?」
「うん、一生聞くとは言ったけど、でも全部を聞くとは言ってないよ」

 だから──────このわがままは聞けない。

 低く、そう囁かれて。
 塞がれた唇の柔らかさに息が止まる。瞳の奥がチカチカと眩しくて、私はぎゅっと瞼を降ろした。
 あたたかい退ちゃんの唇に、思考が、心臓が、心が、壊れてしまいそう。悲鳴を上げたいような、もっとと縋りたいような、私の混乱は止んではくれない。

 ぜんぶ、ぜんぶ退ちゃんのせいだ。

 触れていた唇が離れれば、まるでそれが夢だったかのように思えて、私は確認するように口を開いた。

「わ、たし、“言って”って」
「うん、後でね。後でそのわがまま聞いてあげるから」
「い、今ちゃんと聞きたい」
「今はだめ。ずっと我慢してたから、今は無理」

 今は──────俺のわがまま聞いてくれなきゃ。

 そう言って塞がれた唇は、今度はひどく熱かった。




 はやく、はやく。言葉で聞きたいのに。言葉で伝えたいのに。今はこの熱を離さないで欲しい、だなんて。



こんな私のわがままを、一生聞いてくれるの?






20110828
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