ほんとうのおと





  やけに冷える日だった。

 雨こそ降らないものの、どんよりとした雲が厚く空を覆っている。見回りと称した市中散歩も嫌になるほどの冷たい風に、俺は早々に散歩を切り上げることにした。
 こういう日は、部屋ん中で熱い茶ァ啜ってんのに限る。



 屯所に戻ってきて玄関を通らず、まず先に庭へと足を運んだのはそこにがいる確率が高いからだった。寒いからと見回りをサボる俺とは違い、アイツなら今日も真面目に洗濯物を干しているか、庭の落ち葉でも集めているだろう、と思ったのだ。庭と縁側が、この時間帯で一番出没率が高い場所だった。
 こんな天気の日に洗濯なんかしねぇかと思いつつ、いなけりゃ縁側から屯所に入り、の部屋に押しかけて裁縫でもしてる邪魔をしてやればいい。そんでもって熱い茶と茶菓子を用意するのが、アイツの新しい仕事だ。
 そんなことを考えながら庭に足を運んだ俺が見たのは、珍しいモンだった。


 いつもにこにこと無駄に笑っているが、微かに眉をしかめ、口をへの字に曲げていた。
 縁側に座り込み両手を床につけ何かをしているの表情は、まるで今日の天気のように暗い影がさしているようだった。ほとんどの人間からすれば、きっとただの無表情に見えるのだろう。現に、通り過ぎる隊士はの様子に気づく素振りもなく声をかけ、アイツも笑顔で「お疲れ様です」だなんて返事をしている。
 それでも隊士が通りすぎれば、の表情はまた、暗い影が落ちているように見えた。

 珍しいこともあるもんだと思った。
 心の暗さが滲むような、アイツのあんな表情は見たことがなかった。嬉しい、楽しい、悲しい、怒り、屯所で毎日顔を合わせりゃそんな当たり前の喜怒哀楽は珍しいモンでもなくて、盗み食いをした俺に怒って来たり、ヘマして帰って来た山崎に泣きながら手当てをしていたり、当たり前のようにの笑顔以外もたくさん見てきた。なのに俺は今、アイツの顔を見て珍しい、と感じた。
 それと同時に、だからか、と思った。
 きっとはこうやって、自分の中にある暗い感情を人には見せず、笑顔の裏にうまく隠してきたのだ。その感情が怒りなのか、悲しみなのかも分からない。ひとりでいる時ですら、微かに表情を歪めるだけで奥底に隠している。
 きっとそうやって、は心の中にある本当の気持ちを隠しながらきたのだ。誰にも言わず、ひとり自分の心に隠して。

 冷たい風が吹き抜けてるというのに、縁側に這いつくばっているの表情を眺めながら、何とも言えない気分になった。

 俺が声をかければ、アイツはまた笑顔を見せるのだろうか。





「さみい」
「おかえり、鼻の頭赤くなってるよ」

 声をかけた俺に顔を上げたは、笑顔を貼り付けたというよりも吹き出すように笑った。そういうの鼻の頭も、寒さで赤くなっている。

「お前ェは俺の男前さに顔面真っ赤になってっから鏡見てこい」
「なってません」

 俺の見間違いだったとでも言うように、はいつもと変わらない態度で俺に返事をした。それでも、根拠なんて何もねェのに、俺にはが何かを隠しているという自信があった。

「サボりかィ」
「誰かさんと一緒にしないでよ、床拭いてるんです」

 見れば分かるでしょう、と言いたげに雑巾を持ち上げたの手も、鼻の頭と同じように冷えて赤くなっていた。こんな寒ィ日に、なんでわざわざ戸を開けて縁側の床拭きなんてしてるのか理解に苦しむ。まさかそれで顔をしかめてたんじゃねぇだろうなと思いつつ、そんな理由であればきっとあからさまに嫌そうな顔をしているはずだった。
 が笑顔の裏にわざわざ隠しているのは、そういう気持ちなんかじゃない。

「イジメられてんのかお前、ぷぷダッセー」
「違いますう、総悟と違って真面目に仕事してるんですう」
「寒ィ日に床掃除なんてイジメ以外に何があるっつーんでさァ」
「それって、私がシンデレラみたいに可愛いってこと?」

 先ほどの俺の「男前」発言の仕返しのつもりか、したり顔で見上げてくるの顔面を冷えた手で覆った。
 手のひらに触れる鼻先も額も、俺の手と同じように冷たい。それでもじわじわと熱を帯びていくように、の心の奥にある感情を隠している笑顔を剥がしていくことは出来ねェもんかィ。

「っ、ちょ」
「でけーホッカイロ見っけ」
「冷た、っていうか痛いい!」

 力を入れれば、指の隙間からぎゅうと目を瞑ったの瞼が見えた。そんなあからさまに歪められた表情を見ながら、先ほど感じていた気持ちが少しずつ形になるような気がした。

 隠しきれない何かを滲ませるを、珍しいと感じる自分に腹が立ったのだ。

 表情の変化に気づけたところで、それは俺も他の奴らと同じように、今までの笑顔ばかり見てきた証拠だ。そして他の隊士と同じように、笑顔で迎えられた自分にまた嫌気がさした。

「総悟、いたいってば」

 俺にまで、笑顔で迎えたにも腹が立った。
 眉をしかめることがあるなら、口を曲げることがあるなら、隠して平然を装っていないでこうして思い切り顔に出せばいい。
 いつも笑顔でいて欲しいわけじゃねェ。

 入れていた力を緩め、俺はその手のひらをそのまま上へとすべらせ、前髪を持ち上げながらの頭に手を置いた。
 急に緩められた力にか、頭に手を置かれていることにか、ただ俺が見下ろしていることにか、それともその全部か。は訳がわからないと言いたげに、呆けるような顔をして俺を見上げていた。

「そお……ご?」

 俺はじっとを見下ろして、再び手に力を入れた。

「いっ……!」

 ぎゅう、と再び寄せられる眉、閉じられた瞳。目尻にはうっすらと涙すら浮かんでいる。

「歪んだ人間の顔ってのはイイもんでさァ」
「ドSぅぅううう」 

 けれどこうして、の歪む表情を見てふと思うことがあった。
 これからもが自分の感情を笑顔で隠し続けるのは嫌だが、かといって素直に歪めたその表情を他の誰かが見ることになるのは気に食わない。俺以外の奴がにその理由を聞くことも、がそれに答えることも、想像しただけで気分が悪ィ。

「お前のその顔、ぶっさいくだから他の奴に見せない方がイイぜィ」
「総悟以外こんなヒドいことしないから!」

 俺の手をどかそうとが持ち上げた腕から逃れるように、俺はそのまま後頭部へと手を滑らせ、の顔を自分の腹に押し付けた。

「俺はこのぶっさいくな顔、好きだけどねィ」



 何ひとつ、解決してねェ。
 言いたいことも、こんなことじゃねェっつうのに。

 何かあるならひとりで抱えて隠してねェで、俺のところに来て、俺にだけ聞かせろ。
 そんな台詞を、好きだとすら言えてねェ俺が、どのツラ下げて言えっつうんだ。よりによって初めて言った「好きだ」という言葉が、ぶっさいくな顔に対してだなんて、呆れて笑えちまう。
 ま、のぶっさいくな顔がむしろ好きなことは、間違いじゃねぇ。

「…………」
「オイ、」
「まだ……」

 黙って顔を押し付けられているに何か言えよと声をかければ、ぼそぼそと何かを呟やく声が聞こえた。
 今ならもう、後頭部を抑えいていた手を離してしまっても体制が変わらなそうなほど、は自ら俺の体に寄りかかっていた。

「まだ、ぶさいくだから……このままにしといて」






「終わったら熱い茶ァ淹れろよ」
「……ん」

 俺の前では隠さなくて良いんだと、その一言が言えねェのはきっと、かじかんだ唇のせいだ。






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