おやすみを隣で





 ぽたり、ぽたりと私は所内の廊下を濡らしながら歩いていた。夜も更けたこんな時間でも屯所内は隊士達があちらこちらにいるはずなのだけれど、珍しく今日は誰ともすれ違わない。だからこそ、私がこうして廊下を濡らしながら歩いていても誰にも責められることはないのだけれど。土方さんあたりに見つかったらきっと怒鳴られて、今すぐ拭けと言われるに違いない。だから、土方さんと出くわす前に早く見つけなきゃ。屯所から外出はしてないはずなんだけど…。

 更にぽたり、ぽたりと廊下を濡らしながら歩いていると、ふいに後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

?」
「あ、見ーっけ」
「ん?俺のこと探してたのか?って、髪の毛べしゃべしゃじゃないか!」
「うん」
「うん、じゃないでしょォ!乾かさなきゃ風邪を…」
「だから拭いてー」

 そう言って私は肩にかけていたタオルを広げた。探していた人を見つけられて満足な私はニコリと笑うと、それとは反対に困ったように近藤さんは笑った。外は雲ひとつない夜空。だから私は雨に降られたわけでもなくて、ただお風呂に入って、そして髪を乾かさないまま廊下を歩いていただけ。近藤さんに、髪を拭いてもらうために。

「なんか水がポタポタ落ちてたからついてきてみたら、お前だったのか」
「そんなに水落ちてた?早く蒸発してくんなきゃ土方さんに斬られるな…」
「風呂場にもドライヤーもあるのになんで乾かしてこなかったんだ」
「だって近藤さんに拭いてもらいたかったんだもん」
「えっ」
「ほらァ、風邪引いちゃうから早く拭いてね」

 そう言って私は近藤さんの手を取って近藤さんの部屋へと目指した。何も言わずに黙ってついてくる近藤さんを不思議に思い、振り返ってみればなんだか頬が赤い。お風呂上りの私と同じくらい、近藤さんの頬が蒸気している。

「なに照れてるの?」
「お、お前が可愛いこと言うから…」
「えっ」
「おっ、も顔が赤くなったぞ」
「いやいやこれお風呂上りだからね、火照りだから」
「またまたァ!」
「うっさいゴリラ!」

 ただの我侭を言ったはずだったのに、近藤さん的にはどこが可愛いかったんだろうか。わりと日頃から思ったことをストレートに言う人だけれど、こういった言葉は何度言われても慣れない。からかうのは良いけど、自分がからかわれるのはどうも恥ずかしい。誤魔化すように、と私は思い切り障子を開けた。

「ちょ、ちょっとォ!壊さないでね!」
「いっそ一回壊して頑丈な鉄柵つけた方がいいんじゃない、ゴリラには」
「いや俺人間だから!やめてチャン冷たくしないでっ!」
「…ばーか」

 猫撫で声を出す近藤さんに笑って私は座布団の上に座った。「お願いしまーす」と声をかければ「おう」と近藤さんは応えて私の後ろに胡坐を掻いて座り、私の肩にかかっているタオルに手を伸ばし髪をわしゃわしゃと拭きだした。

 …ああ、気持ちいい。近藤さんの手は大きくて、あったかくて安心する。優しく拭いてくれようとしてるんだけど力加減が分からないのか、力の入り具合がばらばらだったり少し戸惑いがちに拭くところが大好き。私大切にされてるなァって感じるの。いつまでもいつまでも私の髪が濡れていたら、いつまでもいつまでも近藤さんは私の髪をこうして拭いていてくれるのかな…

 なんてバカみたいなことを、ぼぉっとする頭で考えていたら後ろから近藤さんの声が響いた。

ー?寝るなよー?」
「んー…」
「あ、ドライヤーないじゃん。の部屋行って乾かせば良かったな」
「ちゃんと拭いてくれたら後は自然乾燥でいいよ」
「だめだめ、風邪引くだろォ」
「そういえば近藤さん…」
「ん?お前声が寝そうになってるぞ、寝るなよ?」
「私結構探したんだけど、どこにいたの?」
「おお、悪かったな。ちょいと厠に、ンブゴォ!?」
「オイィィィィイイイイ!」

 どこにいたのだろうと思い問いかければ、返ってきた言葉は厠。ちょ…厠!?衝撃の事実を知った私は眠気も良い気分も当然吹っ飛んで、勢い良く頭を後ろに反らした。狙い通り頭は後ろにいた近藤さんのアゴに直撃したようで、とんでもない声が聞こえた。振り返って見ればアゴを押さえてうずくまっている。だってだって、お風呂上りの綺麗な私の髪を、厠に行った手が触ったの!?半べそをかきながら私は叫んだ。

「私の髪にウンコついたァァァアア!」
「お、女の子がウンコとか言うんじゃありません!」
「だってついたんだもんんんん!」
「ついてないから、ウンコなんてついてないから!」
「じゃあタマ菌ついたァァァアアア!!」
「ついてないからァァァァアア!なんてこと言うのこの子ォォオ!」

 どこで覚えてきたのォォォォオオオオ!? 土方さんんんんんん! なんてやりとりをしながら私は髪をタオルで隠すようにスッポリと被った。近藤さんは逃げ腰でいる私に、とにかく落ち着いて、と肩に手を伸ばしてきたのだけれど反射的に私は近藤さんの手を避けてしまった。すると、近藤さんは更にショックを受けた顔をした。

「あ、ごめんゴリラ…つい」
「謝る気あんのそれェ!」
「あるけどォ…タマ菌…」
「ちゃんと手は洗いましたっ!」
「…えー」
「なにその疑うような目は!それにタオルの上から拭いてたから直接は触ってないだろォ」
「うー…信じる、けど」

 私よりも泣きそうな瞳で訴えてくるもんだから、ちょっと悪いことしたかなァと反省。アゴも痛そうに赤くなってる。それに厠に行った後の近藤さんと触れ合うのなんて、きっとこれが初めてじゃないだろうし今更騒いだってしょうがないか。近藤さんのタマ菌が私に移ってたら近藤さんのせいだからね。タマ菌カップルとか…嫌だなァ。

「まぁ、近藤さんだから…いいけど」
「え?」
「アゴ、ごめんね」

 お詫びにと近藤さんに近寄り、肩に手を乗せて赤くなっているアゴに軽くキスをした。目を丸くしながら私を見下ろす近藤さんの顔は赤くて、アゴが赤いのが目立たなくなるくらい。そんな顔を見て微笑んで、私は立ち上がった。

「じゃあ髪も乾いたし寝るね」
「え、もう行くのか?」
「うん、だってお仕事まだ残ってるでしょ」

 机に積まれた書類を見て私は答えた。本当はまだ一緒にいたかったけれど、きっと今部屋を出ないと長居してしまう。お仕事の邪魔をしちゃいけない…机にはまだたくさんの書類が残っているんだもの。だけどほんの少しだけ、一緒にいる口実が欲しかった。だから髪を濡らしたまま近藤さんを探していたのだけれど、逆効果だったみたい。思いのほか私は近藤さんに髪を拭いてもらうのが好きだったようで、思いのほか私は近藤さんのそばに来ると離れるのが難しいみたい。みたい、なんて言わなくてもわかりきったことなんだけれど。少しだけ近藤さんと一緒にいたら満たされると思ったのに、もっともっと…一緒にいたくなる、私は欲張りな女なのかな。

 だけど、どうしてもお仕事の邪魔はしたくない。

「お仕事頑張ってね。じゃあおやすみ」

 そう言って急ぐように障子に手をかけた。早く部屋に戻っちゃわないと、またわがままを言ってしまいそうだったから。私がどうしてもしたくないことを、してしまいそうだったから。また近藤さんは「可愛いこと」だなんて言ってくれるのかもしれないけど、今度は喜ぶことが出来ない。お仕事の邪魔だとか足手まといとか、そういう風には絶対になりたくない。本当は、一緒にいたいけど…そんな想いをぐっ、とこらえて障子を開けると、その音と重なるようにもうひとつ戸が開く音がした。思わず振り返ると、近藤さんが押入れの戸を開けて布団を出している。

「え…仮眠、するの?」
「いいや、仕事がたまってるからな」
「じゃあなんで…布団ひいてるの?」
が寝るからさ」
「え、私!?」
「おう。ホラ、おいで」

 てきぱきと布団を引いて、布団に寝転がりながら近藤さんは私に手招きした。

「早くゥ、寝るまでついててやるから」
「い、いいよ自分の部屋で寝るから、近藤さんはお仕事して」
が寝たらやるよ」

 ダメ、ダメだってば…お仕事の邪魔したくないからって今部屋を出ようとしたんだから!近藤さんの隣に寝転びたい衝動を抑えながら私は自分に言い聞かせた。ダメ、近藤さんに甘えすぎちゃダメ!なのに近藤さんは笑顔で私のことを見ていた。近藤さんの笑顔はいつも私の決心をいとも簡単に崩してしまうから、私は見ないようにと下を向いて返事をした。思いのほか小さい声が出てしまった自分自身に呆れてしまう。邪魔したくない、なんて思いつつもこんなにも心が揺れている。

「わ、たし…お仕事の邪魔したくないから自分の部屋に」
「邪魔になんかならんさ。が寝たら仕事やるから、それまで休憩って所だ」
「でもっ」
「息抜きも大切って、いつもお前が言ってくれるんじゃないか」
「…そうだけど」
「だからおいで。あっ、でもお前いびきかくなら邪魔になるかもしれないなァ」
「かかないよ!!」

 決心虚しく、思わず勢いに乗せて近藤さんの隣に転がり込んでしまった。けれど、近藤さんが満足そうに笑ってくれたから…良いかなァ、なんて。あんなにダメだって、お仕事の邪魔したくないって思ってたのに簡単に隣に寝転んでしまった自分が恥ずかしくて、私の決心を簡単ににぶらせる近藤さんの笑顔を思い出すと胸が疼いて、擦り寄るように近藤さんの胸に顔をうずめた。それに答えるように近藤さんは私の体に腕を回してぎゅう、と抱きしめてくれた。甘えすぎちゃダメだって思ってるのに、近藤さんが甘えさせてくれるから私はどうも甘えすぎてしまう。今だってほら、私に甘えさせてくれて、私の思考を読み取ったような言葉をくれる。

、邪魔になんかならないから一緒にいたいときは言ってくれて良いんだぞ」
「そんなこと言ってない…自意識過剰」
「なにィ?が何か俺にお願いするときは一緒にいたいときだろ?」
「ちっ、違うし!自意識過剰ゴリラ!」
「なんだ、隠したって俺には分かるんだぞォ」

 どこか嬉しそうにガハハ、と笑う近藤さんに私はもう一度ゴリラ、って小さく呟いて図星で赤くなる顔を隠すように近藤さんの胸に顔を押し当てた。どうして近藤さんは、優しくてあたたかくって…こんなにも私のことをわかってくれるのだろうか。本当はこんなことしてる場合じゃなくて、今すぐ書類に目を通したりしなければいけないはずなのに。きっと土方さんに見つかったら怒られる。私だって追い出されるに決まってる。だけどどうか、どうか土方さんが来ませんように。私は今すぐに眠って、そして近藤さんの邪魔をしないように大人しく眠っているから。こうやって近藤さんの胸の中にいたら安心して眠れるし、近藤さんの夢だって見られるはず。だから一緒にいられるし、寂しくなんかない。

 ドクン、ドクンと聞こえる心音が耳にとても心地良くて、暖かい腕に包まれた私はすぐに眠りに落ちてしまった。いつも近藤さんの優しさに甘えてしまってごめんなさい、ありがとう、と心の中で小さく呟きながら…。






20081103
2style.net