キスを待つのは王子様







 銀ちゃんが、おかしい。

 まぁ、今に始まったことじゃないんだけど、でも今日はいつもに輪をかけておかしい。朝ご飯を食べてから、仕事だと言ってぷらっと出て行ったかと思えば一時間ほどで血相を変えて帰って来たのだ。
 動いている洗濯機のそばにいた私は玄関が開いた音も銀ちゃんが呼んだ声も聞こえず、返事をしなかったせいで怒鳴る勢いで銀ちゃんに肩を掴まれた。何事かと思い驚いていれば、銀ちゃんは私と同じ目線になる様に体を屈めて、そして目を閉じた。さっぱり意味が分からず、とりあえず熱でもあるのかとおでこに手を乗せれば「違う」と言って振り払われてしまった。呆然とする私を置いて、銀ちゃんはバタバタと走って行った。
 そうしてまたバタバタと足音が近づいて来たかと思えば、今度は唇にご飯粒をつけて現れた。「ん゛!」と言って顔を近付けてくるものだから、不思議に思いながらもご飯粒を摘んでとってあげれば、また「違う!」と言って手を振り払われ、銀ちゃんは私に背を向けて行ってしまった。

「……なに?」

 そうして、今に至る。
 洗濯終了を告げる音すら、銀ちゃんが私の手を振り払った「違う」を告げているようで、無駄に私を責めた。でも、銀ちゃんが何をしたいのかも、私の何が「違う」だったのかも、さっぱり分からない。
 私は首をかしげながら、洗い終わった洗濯物を籠に入れて脱衣所を出た。騒がしい足音は戻ってくる気配もないし、違うと言われた“何か”はもういいのかな。そんなことを思いながら居間を通れば、銀ちゃんは両手を組みお腹の上に乗せ、ソファの上で寝ていた。テーブルの上には赤い林檎がひとつ置かれている。
 何だろう、一体何がしたいんだろう。
 とりあえず、放っておくとまた怒られそうなので、私は抱えていた籠をその場に置いて台所へ向かった。お皿と果物ナイフを持って戻れば、銀ちゃんの瞳は閉じられたままだった。さっきまで騒いでいたんだから、完全に狸寝入りだと思うんだけど、わざわざ寝たふりをしていることに何の意味があるんだろう。さっきから本当に分からない。
 寝たふりをしている銀ちゃんを眺めながら、私は林檎を剥いた。真っ赤な林檎を二つに切って、それを更に半分にする。皮を剥いてから、もう一度半分にして食べやすい大きさに切る。そうして残りの半分に手をかけた時、銀ちゃんの「違う!」という声が響いた。
 またか、と思いながら銀ちゃんを見れば、林檎を頬張りながら私を睨んでいた。

「うさぎの林檎が良かったの?」
「違う!」

 それしか言えなくなってしまったのだろうか。
 呆れつつ、残りの林檎も普通に剥いて、ひとつを自分の口に入れて私は立ちあがった。洗濯籠を抱えて歩き出せば、後ろで唸る声が聞こえた。
 私は一体何が「違う」のだろう。さっぱり分からない。

 近付いた顔、
 唇につけたご飯粒、
 眠る銀ちゃんの横にある林檎。

 全て「違う」と怒られたけれど、自分の行動に間違いを見い出せない。銀ちゃんの行動に統一性だって感じないし、私はどうすることが正解だったんだろう?

「よく分かんないなぁ」
「オイ」
「──っ!び、っくりした」

 洗濯物を干し終え、空になった籠を抱えて呟けば、突然背後で銀ちゃんの声がした。驚いて振り向けば、銀ちゃんは不機嫌なまま「あいつ等どこ行った」と言った。

「神楽ちゃんは定春のお散歩、新ちゃんはお通親衛隊の集まりだって」
「ふうん」

 目を泳がせる銀ちゃんに、私の謎は深まるばかりだ。でも何をしたって理由を話してくれずに「違う」と言うだけなんだから、もう放っておくしかない。そのうち勝手に話すでしょ、と思って通り過ぎようとすれば、腕を掴まれた。

「一緒に昼寝しようぜ」
「昼寝って、まだ十時だよ。銀ちゃんさっき起きたばっかでしょ」
「いいだろ、あいつ等いねぇし」
「ひとりでしなよ、私これからお買い物に行くんだから」
「んなもん後でいーだろ」
「冷蔵庫空っぽだよ、お買い物に行かなきゃお昼何にも作れない」
「米あっただろ、米」
「だからおかずがないんだってば」
「塩振って握っておきゃいんだっつの。なんなのお前、俺のこと嫌いなの!?」

 段々と語尾が荒くなってきたかと思えば、やっぱり最終的には怒られてしまった。

「嫌いとかじゃなくて、」
「じゃあ昼寝でいーだろ、来い!」
「えっ、ちょっと──っわ!」

 腕を強く引かれて洗濯籠を落としてしまい、床が傷ついてしまったような鈍い音がした。それを気にして床に目を向ければ、じれったそうな銀ちゃんの声がして私の体は浮いた。脇腹を抱えられて、まるで荷物のように抱かれた状態のまま、私は寝室へと連行された。





「ちょっと銀ちゃんホントにな……に」

 部屋に入り乱暴な足音が消え、荷物のように抱えられていた状態から私の視界は動いた。向かい合うように抱き上げられ、触れてしまいそうなほど近付いた顔にそのままキスをされるかと思ったのに、銀ちゃんはそれ以上近付かなかった。じっと見つめられている瞳に映るのは何故だか怒りだけではない。
 その怒りの先には、何があるの?

「ねぇ銀ちゃん」
「なに」
「なんで怒ってるの?」
「怒ってねぇよ」
「怒ってるじゃん」
「怒ってねぇっつーの」
「もう……」

 これじゃ埒が明かない。結局、何も答えてくれないのだ。
 銀ちゃんは私を抱き上げたまま畳に座り、そしてそのまま背を預けた。自然と私は銀ちゃんの体を跨ぐ体勢になり、寝転がっている銀ちゃんを見下ろしていた。昼寝をしよう、と言われたのだから私も横に寝転がるべきなのだろうか。このままの状態でいたら、また「違う」と怒られてしまうのかと思ったものの「違う」の言葉はなかなか飛んではこなかった。

「ねぇ銀ちゃん」
「んー」
「私、正解が分からないよ」
「ホントお前、なんで分かんないの?」
「そんなこと言ったって、私何か間違ってた?」
「間違ってた」
「じゃあ正解は何だったの?何が違ったの?」
「さぁなぁ」
「何で教えてくれないの」

 ぴたりと、銀ちゃんの口は動きをやめてしまった。いつもは饒舌なくせに、よく動くその唇は今日はまったく動いてくれない。

「もー、ほんと何なの?」
「…………」
「ちょっと、寝たの?」

 返事をしてくれない銀ちゃんに、私まで不機嫌になりそうだ。
 「違う」だなんて言って私の手を振り払って、勝手に人の中にもやもやを植え付けたくせに何も教えてくれずに寝出すだなんて。

「ねぇ銀ちゃん、教えてよ」
「…………」
「ねぇってば、起きて!」
「…………」
「銀ちゃん!」

 何度呼んでも揺すっても、銀ちゃんは瞼を持ち上げない。こんなの狸寝入りだって分かりきっているのに、どうして頑なに寝たふりなんてするんだろう。これにも何か意味があるのだろうか。もう、本当に意味が分からない!こんなもやもやした状態のままにされるなんて、気分が悪い。
 困惑から、段々と私まで怒りに変わってきてしまった。銀ちゃんを起こして「違う」の意味を吐かせるまでは気が治まらなくなってしまい、絶対に銀ちゃんを起こしてやる、と私は鼻息を荒げた。

 まずは、脇腹をくすぐる。
 すぐに腹筋に力を入れて起きているのがバレバレなのに、銀ちゃんは瞼を持ち上げなかった。唇を真一文字に結んで、くすぐったさを堪えている。頑張ってくすぐってみても、銀ちゃんは吹きだすことも目を開けることもなかった。
 じゃあ次は、ほっぺたを抓る。
 これなら痛みに耐えかねて起きるでしょう、と思ったのに、どうやらくすぐりよりも痛みの方が何倍も強いようで、銀ちゃんはぴくりともしなかった。もっと大きな傷を背負って帰ってくるもんね、といつかの銀ちゃんを思い出して胸が苦しくなったけれど、目尻に小さな涙が浮かんでいるのを見て私は笑いを堪えながら手を離した。そりゃあ痛いもんは痛いよね。
 それなら、最終手段。
 これで起きないなら、銀ちゃん貴方は男じゃないわ。
 なんて、ちょっと吉原の遊女みたいに気分になりながら、私は銀ちゃんの肩にかかる着流しをずらした。これくらいじゃまだ無反応なことは分かってる。銀ちゃんの服の前を開き、胸板に手を乗せ滑らせる。そうして顔を上げてみれば──────銀ちゃんの瞼は未だ閉じたままだった。
 え、ええええええええええええ!
 これでも起きてくれないの?私、これくらいでいっぱいいっぱいなんですけど、私の方が心臓ドキドキ言ってるんですけど…!どこまでやれば起きてくれるって言うのよ!
 ぴくりともしないその唇が、物凄く憎らしい。

「銀ちゃんのばか」

 私は小さく口を開けて、銀ちゃんの下唇を噛んだ。

 銀ちゃんなんて、そのままずっと寝てればいいんだ。

 血が滲むくらい、噛んでやりたいのに。この柔らかさを感じるとどうしても、愛しさが込み上げてきてしまう。
 結局、甘噛み程度しか出来ずに私は唇を離した。

 悔しさを感じながらも、もう本当に放っておいてお買い物に行こうと体を起こそうとすると、背中に銀ちゃんの腕が回り、私は銀ちゃんの胸に鼻をぶつけた。

「ん゛!」
「き──────たァァァアアアアアアア!!」
「っ!?」

 ツーン、と痛む鼻を堪えていれば、突然耳元で上げられた大声に今度は耳がキーンと痛んだ。
 さっきまでは私が何をしたってピクリともしなかったくせに、急に何!?

「遅ェーよおま……あれ、なに泣いてんの」
「鼻ぶつけたからでしょ!銀ちゃんのせいで!」
「わりーわりー。ほら痛いの痛いのとんでけのちゅーしてやっから」
「いらないよ、なに急に気持ち悪い。さっきまで起きなかったくせに、不機嫌だったくせに!」

 おかげで今は私が不機嫌ですよ!
 近寄ってくる銀ちゃんの頬を掌で押し返して、私は横に転がり銀ちゃんに背を向けた。もう知らない、お昼ご飯だって作ってやんない!

「ごめーんてちゃーん。これには深いワケがあったんだって」
「あっそう」
「マジで!俺の命がかかってたんだよ!」
「そうですか、どうせ教えてくれないんだからどうでもいいです」

 命、なんて大袈裟なことを言えば私が許すとでも思ってるんだろうか。急にいつもの調子で喋り出したかと思えばこれだもん、ほんと呆れてしまう。

「なァ、聞けって」
「だから、もう────」

 私に覆いかぶさる気配がして、撫でられる頬にしぶしぶ目を開ければ、胸元が肌蹴た銀ちゃんに不覚にも心臓が大きく揺れた。昨晩の光景を思わず思い出してしまい、そんな自分の脳内映像を消すように、私は慌てて顔を逸らした。
 そんな私を面白がるように、銀ちゃんは私の首筋に指を滑らせた。

「こ、こんな時間から何考えてんの!」
「お前の方こそ何考えてんのォ?俺をこんな格好にしたのはチャンですけどォ」
「べつ、に、銀ちゃんが起きないからでしょ!」
「あぁ、ありがとな」
「え?」

 茶化す銀ちゃんを睨めば、銀ちゃんは嬉しそうに笑っていて、私の鼻に可愛らしい口付けを落とした。
 …………ありがとうって、何が?

「ねぇ、いい加減どういうことなの?」

 この感じなら教えてくれるだろう、と聞いて見れば銀ちゃんは急に真剣な顔をした。

「呪いかけられちまったんだよ」
「はぁ?」

 何を言い出すのかと思えば、“呪い”?いつもこっちが信じられないような大きな戦いには平気で行って傷を負って帰ってくるくせに、お化けの類となるとすんなり信じて怖がるんだから銀ちゃんの感覚はよく分からない。
 傷を負ってこようがお化けを怖がって帰ってこようが、どっちにしろ私はいつも銀ちゃんに振りまわされてついて行くのに必死だ。

「愛する人からのキスで呪いが解けるらしーんだけど、自分からするんじゃダメだとか言いやがって」
「…………」
「それにキスしてってお願いすんのもダメだっつーから焦っちまってよ」
「…………」
「ただでさえからキスしてくることなんてねーのに、こんな時間からなんて更に難しいだろ」
「…………」

 ────────え?
 ────────呪い?
 ────────キス?
 何言ってるの銀ちゃん。

「いや〜呪いかかってから二時間以内にキスしてもらえねーと死ぬ所だったからホント良かったわ」
「……あたまだいじょうぶ?」
「心配しなくても銀さんの呪い解けたからもう平気ィ!」
「いやそうじゃなくて」

 どこで誰に何を言われたのか知らないけど、その呪いとやらを本気にして私を振りまわした、その頭の中が大丈夫かと私は聞いているのですが。そもそも、仕事をしに行ったんじゃないんですか。
 でもまぁ、だから顔を近付けてきたり、唇にご飯粒をつけて現れたり、最後の林檎の横で眠るのは白雪姫のつもりだったのね。「違う」と手を振り払われる度に、本当は小さく傷ついていた自分がバカみたいだ。

 銀ちゃんの方が、もっともっともっともっとバカだけど!!

「はぁ〜…お前がいないと死んじゃうトコだった」

 安心したように私に覆いかぶさって抱きついてくる銀ちゃんに、私の胸がきゅんと疼いた。銀ちゃんはたまに、こうしてバカみたいな甘え方をしてくるから困る。
 困るだなんて言いながら、銀ちゃんの背中に腕を回してにやける口元を堪えている私もやっぱりバカだ。




 ねぇ、銀ちゃん。


 ────────私達、とんだバカっプルだね。








20121027
2style.net