瞳の奥ではじけた花火





 ふわりふわり、ともやがかかったような白い場所で、目の前に突然総悟が現れた。

 あぁ、私は夢を見ているんだなぁ、とどこか頭の隅でそんなことを思う。
 目の前にいる総悟は、ちょいちょいと私に手招きをした。私は呼ばれるがまま、総悟に近付いて行った。実際は、自分の足で歩いている感覚などないのだけれど。とりあえずは総悟の顔が目の前にあるから、私は近付いたんだろう。
 私を呼んで何を言うのかと待ってみても、総悟は口を開かなかった。「どうしたの?」と声をかけたいのに、私の喉は音を発しなかった。いくら口を開いてみても、声だけが出てこない。もどかしく感じていると、総悟は笑った。いつもの意地悪な笑みではなく、嬉しそうに、楽しそうに、柔らかい微笑みだった。
 総悟がそんな風に笑うだなんて珍しい、と思えば唇に柔らかいものが触れた。そう気付いた時には、すぐ目の前に総悟の顔があった。

 伏せられた瞼に、唇に触れる柔らかい感触。

 まさか私……総悟にキスされてる?
 そんな、まさか、なんで!?とパニックになりながらも、私は見開いた目を瞑った。

 確かに瞑った、はずなのに──────何故か逆に視界は開けた。

 目の前には、先ほどよりも離れた場所に総悟の顔があった。いつもの意地悪な笑顔を浮かべた、総悟の顔。
 まだ夢の続きなのかと思い総悟の名前を呼ぼうと口を開けば、口の中に柔らかい何かが落ちてきた。驚いて反射的に身体を起こせば、その柔らかな何かは私の口の中で甘く溶けていった。

「っな、に」

 夢の感覚にしては、はっきりしすぎている。
 これはマシュマロ、だろうか。横にいる総悟を見れば、先ほどのように白くぼやけてはいなかった。

「起きてすぐ食うとは、さすが豚」

 うん、この憎たらしさは絶対に夢なんかじゃない。
 イラッとしながら口の中のマシュマロを噛めば、柔らかく私の歯を押し返した。その感触で、私は数秒前に見ていた夢を思い出した。
 マシュマロを口に当てられてたから、あんな夢を見ちゃったんだ……。それにしたって、なんで相手が総悟なのよ。
 なんて、その理由は自分が1番良く分かっていた。分かっているからこそ、恥ずかしくて悔しい。

「食べたんじゃなくて、勝手に口の中に入ってきたんですけど」
「豚がよく言うセリフでさァ」
「豚は喋らないし!ていうか、今何時だと思ってんの」

 静かな所内に、枕元の灯りだけが小さく揺らめく部屋の中。私が眠りに入ってから更に夜も深まっているのが気配で分かる。

「人がせっかく起こしてやったってェのに、可愛いくねぇこと言うのはどの口でィ」

 そう言って、総悟は私の口にマシュマロを三ついっぺんに詰め込んできた。
 柔らかい砂糖の塊が、私の口の中を押し広げていく。
 これ以上詰め込まれたら困る、と両手で口元を隠して、私はふとある匂いに気付いた。夏に嗅ぐ、あのなつかしい匂い。

「起こさなきゃビービー泣くだろ」

 総悟は私の腕を掴み、無理やり立ちあがらせた。
 私は寝起きに起きたいくつものことに頭も足ももつらせながら、総悟に手を引かれるがまま縁側に出た。
 そこには小さな焚火を囲んでいる近藤さんと退ちゃん、そして縁側に腰かけている土方さんがいた。近藤さんの手には、ちりちりと赤い火花を散らす花火が握られている。

「花火!」

 溶けきっていないマシュマロを口の中で噛みながら、私は声を上げた。
 なつかしい匂いは、花火の火薬の匂いだったんだ。起こさなきゃ私が泣く、というのはそういうことか。私はわくわくしながら自ら1歩を踏んだ。

「何始めてるんでさァ、こいつ起こすまでやらねぇって言ったのは近藤さんでしょーに」
「違う違う!ばらしてたらうっかりひとつ点いちゃって!」
「近藤さんはもうそれで終わりですぜ」
「俺が買ったのに!?俺の分1本だけ!?」
「近藤さんが買ってきてくれたの?私もやりたいっ」

 はしゃいで縁側に降りようとした私の足が、地面に降りる前に止まった。草履が、ない。取ってこなきゃ、と思った所で退ちゃんが立ちあがった。

「草履なら持ってきてあるよ、土方さんの横の所」

 言われた通りに土方さんの足元を見れば、私の草履があった。流石退ちゃん!と笑顔を返して土方さんの所に走ろうとすれば、総悟が掴んでいたままの私の腕を引き寄せた。

「1本だけだからな」
「近藤さんが買って来たんだから、近藤さんがいいっていう分だけやりますぅ」

 意地悪な腕を振り払って、私は土方さんの方へ走った。
 草履に足を通していると、「オイ」という土方さんの低い声がした。顔を上げれば、土方さんは私の襟元をくいっと引っ張って直した。

「火傷すんなよ」
「子供じゃないんですから」

 私は自分でも寝乱れた寝間着を直しながら返事をした。気崩れているのを直されている時点で、少し子供のようだけれど。

「させられんなよ、の方が正しいか?」

 えらく冷静にそう言う土方さんに、私は頷いた。

「気をつけます」

 土方さんは”総悟に火傷させられるなよ”と言ったのだ。その危険は大いにある。
 気をつけよう、と心に留めながら焚火を囲む三人に近付けば、火薬のにおいに混じって甘い匂いがした。よく見れば、退ちゃんの手に握られているのは花火ではなくて串に刺さったマシュマロだった。
 だから花火をするだけなのに、火なんか起こしてたのか。

「いーにおい。おいしそーだね」
「食べるか?」

 はふはふと口を動かしながら自分の持っていた串を差し出してくれる近藤さんの横にしゃがんで、私はその串に刺さったマシュマロをひとつ口に含んだ。カリッとした外側に、溶けている内側。先ほどの弾力とはまた違う触感と味に、私の頬はやんわりと緩む。

「近藤さん、これ以上豚に餌やんねーで下せェよ。こいつもう四つも食ってんでさァ」
「総悟が勝手に口の中に入れてきたんでしょ!」
「いーのいーの、女の子はマシュマロみたいにまるっと柔らかい方が可愛いんだから」
「「セクハラ」」
「なんで!?」

 総悟と声をハモらせれば、近藤さんは目を見開いて驚いて「なんでなんで」と騒いで退ちゃんに助けを求めた。けれど退ちゃんも「俺に振らんでください」とマシュマロを口に詰めてそっぽを向いた。私は笑ってそれを見て、涙目で地面に”の”の字を書く近藤さんの背中をばしん、と叩いた。

「嘘うそ、花火やりましょ花火!」

 夏という文字が世間に踊るようになってから、ずーっと花火がしたかったのだ。なんでこんな真夜中にやりだしたのか分からないけれど、花火が出来るならそれで満足だ。私はわくわくしながら、選びやすく広げられた花火を眺めた。
 最初は普通の、それでいてそれなりに火力のある感じのがいいな。
 そう思って、紙で火薬が巻かれた少し太めの花火を手に取った。今年最初の花火だ、と心の中でドキドキしながら焚火に花火を寄せる。ジジジ、と火が点き、ジュワッと火花が散った瞬間、自分に向けて火花が飛んできた。

「っわ、ちょっと危な────危ない!」

 予想してた、絶対にこうなるとは思ってたけど!まだ一本目もまともに楽しんでいないのに、この展開は早すぎでしょ!
 私は自分の手にある花火が綺麗に火花を散らしているのを見る余裕もなく、花火を私に向けて追いかけてくる総悟から逃げた。花火を私に向けて追いかけて来る総悟は、それはそれは楽しそうに笑っている。
 私はこれっぽっちも楽しくないのに!
 でもそれも、総悟の手にある一本から火が消えれば終わる。あと数秒の辛抱だ、と私は足を走らせた。

「こら総悟!危ないからやめなさい!」

 近藤さんが止めてくれても、総悟は花火を持ったまま追いかけるのを止めなかった。けれど、ここで私の花火の火が消えた。ほぼ同時に火が点いていた総悟の花火だってもう消えているはずだ。
 ぜえはあ、と息を荒くしながら振り返って、私は目を丸めた。
 総悟の手の中にある花火は、今点けましたと言わんばかりに火花を散らせているのだ。

「なんで!?」

 ゆるめていた速度を再び上げて、私は叫んだ。
 楽しみにしていた花火なのに、今年最初の花火なのに、なんでこれっぽっちも楽しめないで走りまわらなきゃいけないの!
 もう無理、今点いてる花火が終わったって、きっと総悟は他にも花火を隠し持ってる。そもそも今点いている花火からすら逃げ切れる自信がない。ここはもう逃げるのを止めて、どこかに隠れて総悟を諦めさせるしかない。近くを走っていればいつか助けてくれるだろうと思って近藤さん達の周りをぐるぐる走っていたのに、一向に助けてくれる気配はない。今や近藤さんはマシュマロじゃなくてイカを焼くのに夢中になってるし!
 そりゃ総悟がこんななのはいつものことだけど!私が火傷して傷ものになってもいいっていうの!?責任とってお嫁にもらってもらうからね!?
 と、勢いにまかせてそこまで考えて、自分で思ったことに驚いて私は喉を詰まらせた。
 お、お嫁とか、何言ってんの私…!

「っ、あ」

 動揺したせいで、私は足を捻って転んでしまった。
 花火はまともに出来ないし、足は捻るし転ぶし、何でこんな思いしなきゃならないのかと溜息をつきたかった。けれど溜息なんてつけないほど、私の息は荒い。

「どんくせェな」

 誰のせいだ、と思いながらもこんな状態になってまで流石に私に花火は向けてこないだろうと、ようやく花火から逃げ切れたことにほっとした。
 捻った足首も、打ち付けた膝も地面についた手も、全部痛かったけれど、もう走らなくていいんだということにほっとして、私は地面に寝そべったまま起きる気がなかった。息が整うまで、もう身体を動かしたくない。というか、動けない。
 そう思っていたのに、二の腕を掴まれて乱暴に身体を持ち上げられた。立ち上がる気力のない私は座った状態のまま、総悟を睨む。総悟は私の腕を掴んだ状態のままでしゃがみ込み、私より少し目線の高い位置にいた。
 静かな夜の中、私の粗い息遣いが響く。後ろでは「トシもイカ食うか?」という呑気な近藤さんの声が聞こえてきていた。真夜中、に。とてもおかしな光景だ。
 じっと私を見たまま、何も言わない総悟を私は不思議に思った。悪態をついてくるわけでもなく、黙っている。
 睨んでいたのも止めて、私は総悟が何を考えているのか探る様に見つめ返した。

「お前、さっきのマシュマロだと思ってんだろ」
「え────」

 じっと私を見つめていた総悟はようやく口を開いて、掴んでいた私の二の腕を引いた。近付く距離に、どこかで見たことがあると頭の隅で思った。
 暗闇の中でも、近付く総悟の顔はしっかりと見えた。
 だんだんと伏せられていく総悟の瞼、そうして唇に触れた柔らかさに私は夢で見た光景を思い出した。
 夢の中でも感じた、この感触。

 伏せられた瞼に、唇に触れる柔らかい感触。

 あれはまさか──────夢の中だけのことじゃなかった?

「そう、ご」
「……」

 触れあった部分はもう離れたのに、まだ柔らかい感触が残っている。じっと見つめられたままの総悟の瞳に吸い込まれそうになりながら、私はうわ言のように総悟の名を呼んだ。けれど総悟は返事をせずに、立ち上がった。
 そのまま見上げれば、目を覚ました時に見たのと同じ、意地悪な笑顔がそこにあった。

「近藤さん、俺にもイカ下せェ。魔王飲みやしょう、魔王」

 数秒私を見下ろして、総悟は近藤さんへ向けて声をかけた。

「なんだ、花火まだ残ってるぞ?」
「いやもう花火ではしゃぐガキじゃねぇんで」
「つい数秒前まで一番はしゃいでただろ」
「土方さん、それ俺じゃなくてお化けでさァ」
「ンでお化けだよ!」

 今二人の間に起きたことは夢だったのかと、これこそ夢だったんじゃないかと思うほどだった。総悟はあっという間に近藤さんの隣に立ち、退ちゃんに魔王を取ってこさせ、土方さんをからかっていた。

 私に柔らかな感触だけ押しつけて、さっさといなくなった総悟に私は頭を抱えた。
 息が乱れているのは走っていたせい、だなんて心の中で言い訳をしてみても意味がない。走っていた時以上の心音の乱れを、ひとり取り残された私はどうすればいいの?何もなかったかのように近藤さんとお酒を交わしている中に私は何もなかったかのように戻ることなんて出来ないのに、総悟は平然と私の名前を呼んだ。

 もう手の中にある花火は消えてしまったのに、目の奥でちかちかと光る眩しさが消えない。






20120730
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