夏の朝のできごと





「うわあ…すごい刺されてる」
「一晩でこれだよ…」
「蚊に好かれてるんだね」

 蚊に好かれたって、嬉しくもなんともない!
 最低でも十箇所は刺されているだろうか、私の手足や首を見て眉を潜めた退ちゃんに私は涙声で返事をした。
 今朝起きて、なんだか腕が痒いな、と思いボリボリとかきながら痒い場所を見てみればぷっくりと赤く腫れ、蚊に刺されていることに気が付いた。だから痒いんだ…とかき続けていると今度は足が痒くなってくる。そして足に手を伸ばしかいていると、今度は首が、二の腕が、太ももが、足首が、と次々と痒い場所が現れ、寝ている間に露出していたのであろう肌という肌に赤い斑点が見えた。二本の手では追いつかないほどあちこち刺され、そして異常な痒みが私を襲った。

「また障子開けっぱなしにしてたんだろ」
「だって開けなきゃ風通らないじゃん」
「女の子なんだからさあ、一応閉めておこうよ」
「いいの、覗いた奴は切腹」
「そんなこと言って…布団蹴っ飛ばして爆睡してるくせに」
「えっ、覗いたの!?退ちゃん切腹!」
「じゃあ首の後ろは自分で塗ってね」
「う…卑怯だ」
「開いてるんだから見えても仕方ないだろ、だから閉めろって言ってるの」
「でも暑いんだもん!」

 文句を言う私の首に、冷やりとしたものが塗られる。湿布薬のような匂いがツンと鼻腔をくすぐる。そしてそれは次第にスースーとしてきて、蚊に刺された痒みをすこしだけ和らげてくれた。
 痒くて痒くて仕方がなかった私は、キンカンはなかったかと医療箱を開けてみたものの見つけることが出来ず、痒さにいらいらしながら自室に戻ろうとしていたところ退ちゃんに会ったのだ。そうしてワケを話せば、運よく退ちゃんがキンカンを持っていて、今こうして退ちゃんの部屋まで訪れ自分じゃ手の届かない首にキンカンを塗ってもらうことが出来た。既に塗り終えた手足もスースーとして、先ほどよりは痒みがおさまっている。それでもまだ、痒いことには変わりないけれど。

「うー痒いよー」
「障子開けっ放しで布団蹴っ飛ばして寝てるんだから自業自得」
「だからさあ!」
「はいはい、分かったよ。じゃあ蚊取り線香焚けば?」
「え〜線香くさい」
「じゃあ今晩も刺されて全身腫れあがるね」
「なんでそういうこと言うの!?」

 にっこり笑顔でそう告げる退ちゃんに私は悲鳴を上げた。想像してしまったのだ、今の倍の痒さと腫れあがる肌を!絶対嫌、絶対無理!でも障子を閉めて寝るなんて暑くて寝ていられないし、肌を出さないようにしっかり布団をきることも暑くて寝ていられない。それじゃあ大人しく蚊取り線香を焚くしかないのかな…。そう諦めていると、開いた障子から総悟の声がした。

「山崎の分際で寝坊してんじゃ」
「あ、沖田隊長」
「…なにやってんでィ」
「すごい蚊に刺されてるから、キンカン塗ってあげてたんスけど…」
「総悟が退ちゃん起こしにくるなんて珍しいね」

 なんだか不機嫌そうな総悟の声に、おどおどした退ちゃんの声。振り向いてみれば総悟が私達を見下ろして立っていた。総悟こそ、寝坊しないなんて珍しい。これから任務があるのかな?

「障子開けっ放しで腹出して寝てるからだろィ」
「お腹は刺されてません!出してたのは手足!」

 赤くぽつりぽつりと腫れあがる手足を見せて私は抗議した。総悟にまで寝相を見られていたとは。やっぱり障子閉めとくべきなのかな…でもお腹は出してないからね!
すると総悟は私に近付いてきて、突然手を振り上げた。何かと思って見ていると       ばちん!

「痛った!え、な──────ばちん!

 なに!?痛い!!
 総悟は急にばちんばちんと勢い良く私の手や足を叩き始めた。止める隙もなく、次々とばちんばちんと叩かれていく肌は痛く、そして赤い部分が増えていった。

 ──────ばちん、ばちん

「ちょっ、総悟!!」

 ──────ばちん、ばちん

「痛い!痛いってば!!」
「キンカンなんかよりも、こっちの方が効きまさァ」
「効いてんじゃなくて、痛みで痒さ忘れてるだけだからそれ!」
「効いてんじゃねーですかィ」
「痛っ、効いてるって言わないー!」

 助けて退ちゃん!そう思い退ちゃんの方に顔を向ければ、わざとらしくゆっくりとした動作でキンカンをしまっている。ちょっと、無視!?なんで!?止めてよ!!

「そ、総っ」

 ──────ばちん!

 ひときわ大きな、そして痛いビンタを太ももに落とされて、ついに目尻に涙が浮かんだ。止んだビンタの嵐に総悟を睨みあげれば、既に背を向けて部屋を出て行こうとしている。

「山崎、俺を待たせたらどうなるか分かってんだろーな」
「今すぐ行きます!」
「ちょっ総悟!」

 引きとめようと声をかけても、さっさと総悟は部屋を後にしてしまった。刺された場所なんか気にならないほどに赤くなってしまった手足を摩りながら私は涙を拭った。確かに手足痛くて痒いどころじゃないけど、でも痛いなら意味がない。

「だ、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ!なんで止めてくれないの!?」
「えっと、キンカンしまってて気づかなくて」
「気付いてたでしょ!」
「いや…その。真っ赤だね」
「ほんとだよもう…なんだったの」
「…叩きたかったんじゃないかな」
「なんで?」
「蚊だけじゃなくて沖田隊長にも好かれてるってことだよ」

 叩かれたのに?というか退ちゃんいわく「叩きたかった」のに?

「それじゃ沖田隊長に殺されるから行くね!」

 そう言って走って部屋を出て行った退ちゃんの背中を見て、私は溜息をついた。
 ──────蚊に好かれるよりは、嬉しいけど。






20100821
2style.net