Creeping nightの幕引き

*名前変換注意:メインヒロインは桧山さんの恋人で、お友達は亜貴ちゃんの恋人です。
*マトリちゃん≠ヒロイン。ヒロインもお友達も一般人です。
*桧山くん本編の一部をオマージュし、自己解釈桧山くんならこうなる、という妄想を元にしたお話です。







 それは確かに安全なはずだった。は背筋が冷えるのを感じながら無意識にそんなことを思った。

 ほんの数分前。
 パーティ会場であるホテルの大広間から離れた廊下で、と桧山は一人の男に声をかけていた。穏やかな談笑をしていたはずだったが、桧山との会話の何かが癇に障ったらしい男は突然声を荒げ、目の前にあった部屋に追いやるように二人を責め立て、乱暴に押し込んだ。男が桧山のどの言葉に反応したのかまったく理解できないほど当たり障りのない会話を隣で聞いていたは余計に混乱した。
 当初の予定とは違う。
 パニックになったには、目の前で繰り広げられている桧山と男のやりとりがうまく理解出来なかった。けれど男が注射針をスーツの内ポケットから取り出し、桧山に渡したのを見て何かが弾けるように意識が戻った。男はか桧山のどちらかがそれを打てと言い放ち、桧山は躊躇することなくそれを自分の腕に打った。に打つという選択肢など、最初からないとでも言うように。
 が止めることも出来ないうちに注射針は空になり、床に座り込んだ桧山を見て部屋を出て行こうとする男の姿が彼女の視界の中で歪んだ。桧山と視線を合わせるようにがしゃがみこむと、桧山は小さく微笑んだ。身体中が冷えていくのを感じるのに、嫌な汗が溢れ素肌を這う。自分の身代わりに桧山が薬物を打ったというのに、何も問題のないはずの自分が視界を歪ませている場合じゃない。そうは思うものの、不安と焦り、そして桧山の身を案じる想いが溢れ、泣き出してしまいそうになるのを堪えるのには必死だった。
 大きな音を立てて扉が閉まり、施錠される音がした。その音に怯えるように身体が揺れ、はしがみつくように桧山の腕に触れた。今日のパーティのために、と桧山がプレゼントしてくれたブレスレットが、彼女の心細さを表すように小さく揺れる。
 あの男に声をかけたこの場所は、特別選んで狙ったわけではないと思っていた。けれどこの部屋の鍵を男が持っていたということに、自分の知らない何かがあるのではないかとの頭の中にもうひとつの焦りが生まれた。



 今日は新しく立ち上がった化粧品会社のローンチパーティーだった。神楽が招待されたパーティだったのだが、もともとマトリが追っていた売人もこのパーティに呼ばれているのが分かり、神楽の伝手でRevelの面々も参加することになっていた。元々過激な人物ではなく、今回は薬物売買の現場となるのではなく情報交換をするだけだろうと見込んでいたマトリは、このパーティが関係者のみで行われることから潜入を断念し、Revelの情報屋としての実力、そしてスタンドとしての実績も考慮した上で今回はRevelのみで情報を入手する、ということになっていた。情報を入手する、つまりはいつものRevelの仕事の範囲内ということだ。事前調査でRevelとしても危険がないと判断した上で、今回の潜入に神楽の恋人であると桧山の恋人であるも同伴をすることになった。元々、は神楽と共に出席予定であり、売人を不審がらせないためにもRevelのメンバーが男だけで集まるよりも、の友人であり桧山の恋人でもあるも参加した方が良いということになっていた。もし危険が潜むならば当然、桧山も神楽もそこに自分の恋人を立ち入らせるようなことはしない。がもともと参加予定だったように、このパーティには危険など何もない、そのはずだったのだ。

 桧山も神楽も、そしてRevelのメンバーが自分たちを危険なことに立ち入らせるはずがない、その絶対的な自信と信頼があったからこそ、は現状に対してまるで絶望を目の当たりにしたかのように震えていた。けれどそんなを安心させるように微笑む桧山の笑みは、いつもの穏やかなものではない。熱に浮かされたような、見えない何かに恍惚とするような、桧山らしからぬ初めて見る表情だった。目の前で自分を見つめる愛しい恋人のその表情が、余計にを絶望へと追いやった。

「ひ……やまさん」
「うん?」

 いつもなら、震えていても泣き出してしまっても、自分の腕をとって前を歩いてくれるのも抱きしめてくれるのも、桧山の役目だった。彼の絶対的な強さに、守られ安心していた。けれどどんな時にも揺るがない強さを持つ彼も、人間なのだ。薬物に立ち向かう術などない。
 だからこそ今は、自分が桧山の手を引く時なのだ。はそう決心し桧山の手を握るものの、不安で仕方がなかった。自分に桧山を守ることが出来るのか、絶対に安全だと思っていた状況を反転されられたこの場を、自分が抜け出すことなど出来るのか、と。

、好きだ」

 桧山はに握られた手を嬉しそうに握り返しながら、弾むような声で笑った。

「まっ、待って桧山さん、今は…」
「お前は本当に可愛いな。食べてしまいたいくらいだ」
「…ッ、ありがとう。でも今は逃げなきゃ!携帯、桧山さん携帯持ってる?」

 頬をすり寄せ、嬉しそうに笑った後に唇をひとつおとした桧山には動揺しながらも、焦るように空いている手で桧山のスーツのポケットを探った。薬物のせいで興奮状態になっているのであろう桧山の態度はに羞恥心と同時に絶望を味あわせた。桧山のどこか幼稚で理性を失ったような姿に焦らされるものの、確実にドラッグが効いているのだということを目の当たりにさせられ、一刻も早く助けを求めたかった。
 一秒でも早く、彼を安全な場所に連れて行きたかった。

「……ない。桧山さん、携帯は?」

 いつも入れているはずの胸ポケットに桧山の携帯は入っていなかった。ジャケットのポケットにもない。のクラッチバックはこの部屋に押し込まれる際にドアの外に落としてしまっている。自分の携帯が使えないからこそ、今は桧山の携帯が頼りだというのに、彼の携帯は奪われていないはずなのにも関わらず見つからない。余計にの焦りを増幅させた。

「桧山さん、携帯は?誰か……羽鳥に連絡しないと」

 焦るように問いかけても、返ってくるのは状況を掴んでいないような微笑みだけだった。
 誰に連絡をするのが最善なのか、は今日の計画を必死に手繰り寄せていた。
 安全だったはずの計画。それはパーティ会場で神楽とはぐれたふりをしてが売人の取引相手に近づき、そのせいで接触出来ずパーティ会場をうろつくであろう売人に桧山とが話を持ちかけ、情報を得る予定だった。想定外なことが起きた時のために槙は神楽とのサポート、そして羽鳥は桧山とのサポートをする予定だった。こんな想定外が起きることを、誰が予想していたのだろう。けれどきっと、羽鳥がすぐ近くで動いてくれているはずなのだ。
 はそう信じていた。自分ひとりで何は出来なくとも、自分には心強い仲間がいる。桧山を守りたい気持ち、そして仲間を信じる気持ちがの心に勇気をくれた。桧山の手を力強く握り返しながら、は絶対にあるはずの携帯を探した。
 上着にないのなら、とズボンのポケットを探ろうとしたところで、ポケットから落ちたのであろう、ジャケットの影に隠れ床に投げ出された携帯を見つけたは思わず「あった!」と声を出し、慌てて携帯を掴んだ。

「誰を呼ぶ気だ?は俺と2人きりでいるのが嫌なのか?」
「はとり、羽鳥を呼ぶから、桧山さんロックをはずして」
「何故羽鳥なんだ?のことが好きなのは俺だ、羽鳥には渡さない。のことはぜったいぜったいぜったい離さない!」

 子どものように大きな声を上げ、握っていた手を引き寄せ強く抱きしめる桧山には唇を噛んだ。
───────どうしよう、はやくしなくちゃ

「桧山さんお願い、今は……」

 そう言いかけたところで、部屋の鍵が開く音がした。助けに来てくれた誰かなのか、戻って来た犯人なのか、どちらなのかが分からない。は振り返るのが怖かった。
 けれど振り返る必要もなく、すぐに響いたのは聞き慣れた声。次いで聞こえるのは、いつものからかうような笑い声だった。

「桧山、はしゃいでるところ悪いけど、滞りなく進んだからもう終わり」
「そうか。神楽の方が心配だったが大丈夫か?」

 緩んだ桧山の腕から身体を捻り後ろを見れば、確信通りそこにいたのは羽鳥だった。安心するのと同時に、その羽鳥にいつも通りの声色と言葉で返事をする桧山には驚きで目を丸めた。

「桧山の予想通りちゃんがちょっとドジしちゃったけど、神楽がうまく立ち回ってくれたから大丈夫」
「それなら安心だ。よし、行くぞ……?」

 計画が無事に進んだことを確認し、立ち上がろうと腰を浮かせた桧山はの腕を取り立ち上がるように促した。けれどは腕を持ち上げられたまま、放心状態で桧山を見上げた。先ほどから次々と変わる展開についていけていないようだった。

「ひやまさん……ドラッグは?」
「あぁ、あれは偽物だ。安心しろ、体に害はない」
「……でも、いま」
「ドラッグをやった男っぽかっただろう?ちょうど京介が出ていたドラマの真似をしてみたんだが、イマイチだったか?」
「…………」

 それは確かに安全なはずだった。
 再びその言葉がの頭の中で響いた。そうだ、そのはずなのだ。万が一にでも危険が潜むような現場に、神楽も桧山も、そしてRevelのメンバーが、を連れ出すわけがないのだ。事前情報を彼らが入手し漏らすことも、違うこともない。つまりこのパーティは、桧山の隣は、安全な場所で間違いなかったのだ。
 けれどあの男がマトリの追っている売人であることには間違いなく、桧山の演技は疑えるようなものでもなかった。そしてこうなることは、少なくともは事前に聞かされていなかった。聞いていたのは桧山が売人と接触して会話の中で情報を引き出し、はその隣にいるだけ、そのはずだった。
 まさか桧山が演技していただなんて、誰が予測できただろう。は信じられない気持ちで桧山を見つめた。

「ッハハ、桧山、ちゃんの目が驚きで落ちちゃいそうだよ」
「迫真の演技だっただろう」
「女子高生みたいな演技だったけどね」

 微笑む桧山、そして思わず笑い声を漏らしてしまう羽鳥に、置き去りにされたように放心状態から抜け出せない。確かに、演技だと分かっている人間からすると桧山の言葉選びは稚拙だったのかもしれない。けれど何も知らないにとってはそんなことを考える余地もなかった。そして部屋に入って来たばかりの羽鳥が何故桧山の演技を知っているのだろうと考えたところで、携帯で連絡する必要などなかったのだ、とは力が抜けた。パニックになっていたせいで忘れていたが、桧山と神楽には隠しマイクがつけられていて、羽鳥と槙はそれを聞けるようにしていた。つまり、連絡せずとも羽鳥にはこの状況が全て分かっていたのだ。

「……ひやまさんのばか」

 脱力感に襲われ顔を伏せたを心配そうに覗き込む桧山の後ろで羽鳥の携帯が鳴った。大丈夫だよ今行くから、そう宥めるように羽鳥が会話する相手は恐らく神楽だろう、と予想したは、彼女は、神楽の恋人であるはこのことを知っていたのだろうか、と思った。
 支えるように腰に手を添えエスコートする桧山に誘導されながら、は羽鳥と共に部屋を出た。





ちゃんのバッグは俺が持ってるからね」

 そう言って安心させるようににバッグを見せた羽鳥は、安堵の声が返ってくるかと思いきや小さく睨まれてしまい、苦笑いを漏らした。

「あれれ、桧山のお姫様ご機嫌斜めだな。桧山の演技が相当うまかったみたいだね?」
、驚かせてしまって本当にすまない。後で詳しく説明するが、先ほどのことを企てたのは羽鳥だが止めなかった俺も同罪だ。羽鳥を責めるな」
「同罪っていうか、あんな楽しそうに演技してたら桧山の方が罪重くない?」

 説明されるまで口を開く気はないのであろう、は無言のまま連れていかれる部屋へと歩き、困ったように笑う羽鳥に桧山は眉を寄せた。




*
*
*




「あ、来た来たお疲れ様ぁ」
「お疲れじゃないから、話はまだ終わってない!」
「も〜いいじゃん無事に終わったんだから。それにあれは羽鳥が悪いもん」

 部屋に入って来た桧山、、羽鳥の三人に、ワインを片手に頬を染めながら声をかけるは会場でも既に何杯か飲んでいる様子だった。楽しそうにしている彼女とは反対に神楽はいつものように小言を口にしていて、宥めるように槙が間に入っている。自分とはまるでテンションが違う部屋の空気には驚くものの、いつも通りの光景に気が緩み思わず頬が緩んだ。

ちゃん酔っ払ってるの?」
「全然酔ってはいないんだけど──」
「酔ってる」
「うるさいなあ、酔ってないってば。酔ってないんだけど、あの人すんごい飲ませてくるんだもん!」

 あの人、とは計画していたの接触相手のことだろうか。羽鳥の話ではドジった、と言われていたが、それと何か関係があるようだった。
 計画としては売人の接触相手と神楽とが会話をし、その接触相手からうまく情報を引き出せた後、その情報から得られたもう一人の人物にが声をかけに行く段取りだった。人物の情報が得られなければそのまま談笑して終わり、逆に得られた場合は神楽と接触相手からは一人離れ、もう一人の人物の気を緩めるためにも、女性である彼女がひとりで先に声をかける予定だった。その予定通り上手く得られた情報で槙が人物を特定し、その男が会場のどこにいるのか先に見つけた羽鳥がに指示を出し、それから羽鳥は桧山とを追いかけていた。

「で、俺がちゃんに声をかける相手を教えたんだけど、別の男に声をかけに行っちゃったみたいで」
「だってあれは羽鳥が悪いじゃん!」
「いやあ、だってまさか俺が背を向けたあとに振り返った男がちゃんの好みだったなんて思わなくて」

 ことのあらましはこうだった。
 得られた情報から導き出された人物がいたのは年配の男ばかりの一角。それを見て、羽鳥はに耳元で小さく「あそこの一番スマートな彼」と伝えて背を向けたのだった。羽鳥がそんな抽象的な言い方をしたのは、そこにいた男全員が黒のスーツを着用していて服装の特徴は伝えづらく、かつその男は最近雑誌やテレビで取り上げられているベンチャー企業の社長だった。社名がSMARTなこともあり、スマートイケメンと囃し立てられていて、最近何かとつければいいと思われているような“イケメン”とは違い、本当に顔立ちの整っている男だった。そういう意味で羽鳥はわかりやすく「スマートな彼」と伝えたものの、残念ながらはその人物がSMARTという会社の社長であることも、最近やたらとテレビ等で取り上げられているという認識もあまりなかった。けれど、年配の男ばかりが集まるあの輪の中で「スマートな彼」と言われれば、その事実を知らなかったとしても簡単に目的の人物に声をかけられていたはずだった。
 しかしそれが出来なかったのは、羽鳥が背を向けた後に振り向いた男の方が、にとって“スマート”だった、という予想外のことが起きてしまったからだった。がドジったというのはつまり別の相手に声をかけてしまったということで、それに気づいた槙が慌てて神楽に連絡をし、神楽がその尻拭いをしたというわけだった。

「どう考えても羽鳥が背を向けた状態の男を指示するわけないし、あの男がSMART社の社長で最近テレビに出てたのだってこの間僕と一緒にいた時に見てたでしょ!」
「社名がSMARTとか、そんなの覚えてないもん!」
「テレビ見て格好良いって納得してたくせに」
「まぁまぁ、落ち着けよ亜貴。あれはちょっとキセキ的だったっていうか、にとっては仕方がなかったというか」
「しょうがないよね、まさかスマートな社長の横にいた男が、神楽に似てただなんて」

 スマートイケメンよりも、にとっては神楽に似た男の方が格好良い、と判断してしまったというオチだった。
 微笑ましく笑う槙とからかう羽鳥に顔を赤くする神楽と。神楽はのおっちょこちょいな部分を心配し、今後のためにも改善させたいつもりで声を荒げていたのだが、あらぬ場所に会話が着地してしまい、なんとも居心地が悪そうだった。桧山は「神楽の方が心配だった」と言っていたが、それは神楽に対する直接の心配でなく、神楽と行動を共にしているのことを指していたようで、まるでこうなることを予測していたかのように驚きもせず、彼は微笑んでいた。その隣では相変わらずのに、更にもうひとつ気が抜けて自然と笑い声を漏らしていた。
 話題を変えようと、神楽はからワイングラスを奪いながら桧山たちへと目を向けた。

「そんなことより、戻るの遅かったけど桧山くんたちは大丈夫だったの」
「あぁ、問題はなく進んだ」
「そのわりに、ちゃん微妙な顔してるけど」

 何かを言いたげに見つめるの瞳から、が何かを感じ取っていたようだった。不思議そうにするその態度を見て、は何も知らなかったのだ、とは確信した。
 の疑問に答えるように羽鳥が部屋であった出来事を話し、その反応から見るにどうやらだけではなく、神楽と槙も知らない計画のようだった。

「えっ、なんでそんなことになってたの!?今回は情報入手するだけって話だったよね?」

 羽鳥の話を聞いて、も先ほどのと同じように驚いて目を丸めた。今回が立ち入れたのは、安全であるという確証があり、そして入手出来る情報も部外者であるが耳にしても問題がないと判断されたからこそだった。つまりは、本当に安全であるはずだったのだ。

「それがセキュリティチェックの時に犯人が注射をひとつだけ持っていることが分かったんだけど、インスリンだって誤魔化してたんだよね。鞄に入った状態で、かつクロークに預けてたから俺たちの計画は予定通りで話は進めてたんだけど、一応外で待機してる由井さんたちがクロークの荷物を確認して注射を入れ替えておいてくれたんだ。そしたら案の定犯人が後でクロークに鞄を取りに戻って来て、神楽たちはもう接触を始めてたし、ちゃんとちゃんを不安にさせないためにも、とりあえず桧山にだけ状況を伝えて、俺たちは計画通りに動くことにしたんだよ」

 Revelは予定通り動きつつ、マトリからの指示でとにかく売人をホテルの外に逃がすことを優先し、外に出た売人をマトリが聴取のために連行するという計画が追加された、と羽鳥は話した。を怯えさせないためにも事実を伏せ、そしてもし売人が注射を出して来た場合は「中身は偽物だし、この間見たっていう京介くんのドラマの真似でもしてやりすごしてよ桧山」というのが羽鳥の冗談交じりの提案だったらしい。

「でもなんで逃がさなきゃいけなかったの?桧山くんだったらわざわざドラッグ打つふりなんてしなくても、あの男を簡単に捕まえられちゃったでしょ」
「それはスタンドの案件に関わるからちゃんたちには教えてあげられないんだけど、あの時どうしてもドラッグを打たなきゃいけない理由と、桧山が演技しなくちゃいけない理由があったんだよ」
「ふうん。でもわたしも桧山くんの迫真の演技見たかっ……」

 ほんの一瞬面白そう、と思っただったが、の表情を見てすぐにその言葉を引っ込めた。
 部屋に来てからどこか弱々しく笑うを不思議に思っていたが、羽鳥の話を聞いて、の顔色の意味が理解できた。もし桧山が神楽だったら?そう考えては顔を曇らせた。恐らくは、とてつもない不安に襲われただろう、と安易に想像が出来た。それはどれほどの恐怖だっただろう。
 いつものBARで会話をしている時なら、この間して見せてくれたように京介に教わったという桧山の演技も楽しく見えたのだろう。けれど、今は状況が違う。

 ───────きっとちゃんは本物のドラッグだと信じて、すごくこわかったよね

 いつものように笑って話していた羽鳥を、は責めるように睨んだ。
 けれども、も、既にもう理解していた。部屋に入って来た時のほんの少しの違和感。羽鳥は、敢えていつものように笑って話している。場を和ませるように、の不安をこれ以上煽らないように。の腰に腕を回し、離さずにいる桧山もまた、を心配し、申し訳なく思いながら寄り添っているのだろう。

 も気付いていた。この計画には、自分たちには決して明かしてもらえない何かを、彼らは抱えているということを。

 は静かに瞳を合わせた。言葉にしなくても、お互いに同じ想いであろうことを確信していた。
 これ以上何かを問いかけても、きっと彼らは自分たちの求める確信を答えない。そういうものを抱えているのが、Revelであり、スタンドメンバーである彼らなのだ。けれども、そのことに対する不安はなかった。信じているのだ、どんなことがあっても彼らは自分たちを危険に晒すことはない、と。その信頼と安心は、自分たちの身の安全に対して繋がるものではなく、彼らの自分たちへ向けてくれる想いへと繋がるものだった。だからこそ、全てを知ることが出来なくても、彼女たちは彼らを信じて、安心していることができる。
 けれどだからこそ、不安に思うことがあった。
 万が一、彼らが身を呈して自分を守ることがあったら。自分を悲しませるようなことは避けるであろうとは思いつつも、彼らは “万が一” がつきまとう場に身を置いているのだ。そのことを、改めて目の当たりにさせられたであろうはきっと、ひどく辛かっただろうとは心を痛めた。

「亜貴……わたし酔っちゃったから、もう帰りたい」

 その言葉は、と桧山を思いやってのことだった。
 精神的に疲れているであろうと、それを気遣って彼女から離れない桧山。きっと二人で話したいこともたくさんあるはずだった。ここに集まったのは恐らくマトリの聴取か何かがあるからなのだろうが、少しでも早く二人を帰してあげたい、とは思っていた。それを察した神楽は、いつもなら酔ったことに対する小言を返すところだったが何も言わず、水の入ったグラスをに渡し、彼女の背をそっと撫で部屋を出た。




*
*
*




 数分も経たないうちに、マトリである夏目と由井が神楽と共に部屋に入って来て、由井が桧山の身体チェックをした後に、桧山とは二人で先に家へ帰宅する許可が出た。神楽がマトリに何かを言ったおかげのようだった。
 桧山とが部屋を出た後、夏目と由井は残った神楽たちに聴取を始めた。

「……ちょっと、ちゃん、視線が痛い」

 話は主にスタンドであるRevelと交わしている。は特に口を挟む隙もなく、自分も知っている、知っていても問題のない情報のやりとりを聞かされているだけだった。何か恨み言を言うつもりはない。つもりはないのだが、ついつい目で夏目に訴えてしまっていたようだった。

「わたしマトリのみんなはイケメン揃いで大好きだけど、今日はだいっきらい」

 の言葉の意味は、その場にいる全員が理解していた。マトリの仕事も、スタンドの仕事も、そしてRevelの立場も、全て理解して何も言うつもりはないけれど、今日の出来事はちょっとひどい。そんな不満を、彼女はぶつけたかったのだ。

「……うん、ごめんね。今日はちゃんイチオシの由井さんがいるから許してくれる?」
「よし、キミも健康チェックをしようか。肌が少し蒸気しているな?」
「この子はただの酔っ払いだから構わないで。僕ももう帰りたいんだから早く話進めてくれない?」

 仕事の内容を教えてもらえることも、関われることもない。けれどもマトリのメンバーとは面識があった。みんな格好良い、と騒いだ後にわたしの推しメンは由井さん、とが指名したのはたまたまマトリメンバーが飲んでいた店に、Revelとが鉢合わせた時だった。
 夏目の冗談に乗るように由井がに伸ばした手が彼女に触れるよりも前に神楽が手で制し、不機嫌を露わにした。

 それから10分ほどで聴取は終了し、無事に解散することとなった。





 迎えの車が神楽の家へと向かう車内で、は何も口にすることが出来ずにいた。窓の外で流れ続けるネオンを、静かにただ見ていた。頭の中では今日の出来事がぐるぐると駆け巡り、そしてと桧山のことを思っては胸が詰まった。想うことも言いたいこともたくさんあるはずなのに、だからこそ言葉に出来なかった。の気持ちも、桧山の気持ちも、黙り込む自分の隣で優しく手を握り続けてくれている神楽の気持ちも、痛いほどよく分かるからだ。
 握られていた手が、ふと持ち上がった。つられるように視線を神楽へと向けると、彼は持ち上げた手を口元に寄せ、の手の甲に柔らかく唇を落とし、そして彼女の瞳を見つめた。

「今日はありがとう」

 は何故だか泣きそうになった。何もかもを打ち明けられないことが辛いのは、彼女たちだけではない。知ることが出来ないだけではなく、伝えることが出来ない彼らもまた、同じように辛いのだ。
 お互いにそれを分かっている。だからこそ、「ごめんね」ではなく「ありがとう」と神楽に言われたことに、は胸が熱くなった。

 ───────わたしもちゃんも、ただ守られてるだけじゃない

 一番、彼女たちが恐れたこと、それは “万が一” が起きてしまった場合のこと。守られているだけの自分たちのせいで、彼らの身に何かが起きてしまったら。起こりうるその事実を、改めて目の前に突きつけられた恐怖。彼女たちが言葉に出来ないのは、何かを口にしたところで何も変わらない、その恐怖のせいだった。
 けれど神楽の「ありがとう」の言葉が、言葉に出来ない恐怖を軽くし、の心を救った。

 「ごめんね」ではなく「ありがとう」は、が守られているだけの存在ではないということ。にも神楽を守り、力になれていることがあるということ。
 彼らをとりまく全てを理解しているからこそ、彼らの想いを全て信じているからこそ、なにも言葉に出来ないの気持ちごと、神楽は理解してくれていた。
 その全てが嬉しかった。愛しかった。

 は神楽の胸に顔を寄せ、涙を一粒落として瞼を閉じた。











*
*
*


scene: Hiyama’s room


 それはまるで桧山がに縋るようにも見えるほど、桧山はのそばから離れなかった。ホテルを出る時も、迎えの車の中でも、そして桧山の部屋に着いてから一層に、その距離は縮められた。
 桧山のこの態度は、に対する気持ちの表れだった。

 閉じ込められた部屋での出来事があってから、はほとんど口を開かなかった。最初は桧山がドラッグで様子がおかしくなったようなふりをしていたことに対する驚愕や安堵、そして徐々に桧山と羽鳥が何かを隠しているのであろうことに気づき、全員と合流してからそれが確信に変わり、彼らが自分に何も告げられない理由も、そのせいで抱かせているであろう想いも、全てが見えてしまって何かを言葉にしようという気持ちにはなれなかった。
 そしてあの部屋で見た恐怖に、押しつぶされてしまいそうだった。今回は冗談だった、けれどRevelである彼らにとってあれは絶対に起きないとは言い切れない出来事だった。何よりも、桧山にとってが危険に晒されるという選択肢は最初から存在しない、という意思は、にとってはこれ以上ない桧山からの愛情表現であり、それと同時に押しつぶされそうな恐怖の理由だった。
 けれどそのことを、は桧山に伝えることが出来なかった。

───────桧山さんのことを、信じてる

 紛れもなく、その想いがの心の中を占める真実だった。
 だからこそ、今回のことで桧山に何を伝えることも、桧山の口から何かを聞きたいということもなかった。

 けれどこわかった。
 どんなに信じていても、こわくてこわくて仕方がなかった。桧山が自分のために身を犠牲にすることも、桧山に何かがあった時に、自分がまったくの役立たずだということも。

「ひやまさん……」

 部屋に入ってから、何も言わないに桧山も何も言わず、ただ彼女をしっかりと抱きしめていた。ようやく聞こえたの震える声に、桧山は胸の奥がひどく痛んだ。抱きしめる自分の手が、彼女の声に共鳴するように震えてしまいそうだった。

「顔を見せてくれ」

 抱きしめる腕を緩め、桧山はの両頬に手を添え、目線が合うように屈んだ。震える彼女の瞳を見つめると、不安そうな色を抱えながらもしっかりと桧山を見つめ返してくれた。そんな彼女に、もう一度抱きしめたい衝動に駆られながらも、桧山はどんな想いも逃さまいとするようにしっかりと瞳をを合わせた。

、愛している」

 の言葉を待つつもりだった。彼女が望む中で、答えられるだけの全てを答えようとしていた。けれど彼女がきっと何も言わないであろうことを、桧山は理解していた。何も言わずにいることも、何も言えずにいることも、の不安や恐怖、その全てを桧山は理解していた。
 そんな想いを抱えて口を閉ざしているが居た堪れなかった。自分と共に歩くということは、そういうことなのだ。
 だからこそ、そんな自分と歩んでくれているに、謝罪でも感謝でもなく、口をついて出たのは「愛している」の、その一言だった。

 本来ならば謝罪をすべきであろう、弁明をすべきであろう、普通の女性と付き合っていたのであれば、しなければならないことがたくさんあるはずだった。桧山はそう考えて、いや、彼女も普通の女性なのだ、と思った。けれど、他の女性とは絶対的に違う、桧山にとって唯一の女性。そんな彼女に桧山が伝えた言葉は、「愛している」たった一言だった。本来すべきであろうその全てが必要ないのは、彼女が一身に、桧山を信じてくれているに他ならなかった。
 桧山の隣を共に歩き、揺らぎなく信じてくれている。
 その事実が、桧山にとってこの上ない力となり、これ以上ない、からの愛情だった。
 そんな彼女の瞳を目にして、桧山の心には「愛している」その言葉だけが、とめどなく溢れていた。

───────この想いに比べたら、俺の身を犠牲にすることなど厭いようもない



 彼が名を呼ぶ声は、まるでいつも「愛している」のように聞こえる、とは思った。それが今は、いつもの何倍にもなっての心に響き、必死に押しとどめていた涙を簡単に溢れさせるほどだった。
 泣いているのは不安だからじゃない、不満だからじゃない、そして信じていないからじゃない。その全てを伝えたくて、それでもやっぱり言葉にはならなくて、はただ必死に桧山の瞳を見つめ返した。そして安堵する。
 桧山から返ってくるのは、その全てを理解し包み込むような優しい微笑みだった。がよく知っている、大好きな桧山の微笑み。

「ひやまさん」

 ただ、こわかった。こんなにも大切にしてくれている彼を、守る力がこれっぽっちもないんじゃないかという自分が、こわかった。

、愛している」

 もう一度桧山の口から紡がれた言葉。そしてゆっくりと重なる唇に、の恐怖が吸い上げられていくようだった。

 愛している、しっかりと瞳を見つめて紡がれるその一言に、彼女の恐怖はゆっくりと溶けた。

───────桧山さんが、わたしを愛している

 それは何にも勝る言葉だった。

───────桧山さんがわたしを守ってくれるのと同じような力はわたしにはないけど、

 それでも。唇がそっと離れた後、強く抱きしめたのはの方だった。

───────桧山さんが、わたしを愛していると言ってくれるということ

 それが、何よりもの証拠だった。の想いの全てへの答えだった。
 一人で抱え込み、解決し、我儘も言わない桧山の強さの理由であり、に対する信頼感、そして甘えの表れだった。が桧山を守り、包み込むからこそ、戸惑いもなく真っ直ぐに彼女へと伝えることが出来る言葉。
 桧山の「愛している」の言葉の意味を、はしっかりと受け止めていた。腕の中に桧山を閉じ込めた彼女の心の中には、もう先程までの恐怖はなくなっていた。





「ひやまさん、今日はぜったい離れたくない」

 小さな腕の中に必死に桧山を閉じ込めるに、桧山は小さく笑い、そして彼女を抱き上げベッドへと足を向けた。

「離れたくないのは今日だけか?」

 少し意地悪な質問にが口を窄ませると、そこをついばむように唇を寄せ、桧山は微笑んだ。

「俺はずっと離れたくない。ずっとだ」

 念を押すように言葉を重ね、射抜くように見つめる桧山の想いに返事をするように、はゆっくりと瞼をおろし彼の熱を受け止めた。




───────「愛している」。それはわたしも、そして彼もを包み込む、わたしたちだけの特別なとくべつな言葉だった
















安全なはずの夜は、確かに安全なまま幕を閉じた。

ほんの少しの、目を背けられない現実を添えて。

けれど痛いほどの現実に彼らが押しつぶされることはなかった。

それは彼らの強さと、彼女たちの想いに支えられているからだった。



この先どんな夜を迎えようとも、

彼らの心の中で繋がる信頼が途切れることはないのだろう。









20200523
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