君に逢えたら。





 今私たちは、要の部屋で仲良く隣同士に座り宿題をしている。向かい合わせに座るより、こうやって隣に座った方が要に勉強を教わりやすいのだ。それに、目の前に要がいると私の集中力が教科書じゃなくて要に向いてしまうから、このほうが色んな意味で都合が良い。

「かおりせんせい」

 宿題をやっていた要に、宿題をやることを諦めた私がぽつりとつぶやく。すると要の肩は面白いくらいにビクリと揺れた。

「なん、誰だよ」

 なんて、誤魔化そうとしたって無駄ですよ要クン。私はしーっかりと、千鶴から聞いたんだから。幼稚園時代の要の、初恋の相手。かおりせんせい。
 職場体験で千鶴が見たというかおりせんせいは、それはそれは可憐で美しく、優しいけれどしっかりとした女性だったらしい。ほんわりとした、女性らしいひと。

「誰って、要の初こ」
「だああ!サルだな!」
「かおりせんせいはサルじゃないよ」
「ったりめーだ!」

 それ以上言わせまいと声を荒げる要に、私は特別驚きもせず返事をすれば要は更に声を上げた。ふうううん、かおりせんせいをサル扱いされるのがそんなに嫌ですか。

「人類、もとはみんなサルだけどね」
「ワケわかんねーこと言ってねーで宿題やれ。問1しか解いてねぇだろ」
「だって分かんないんだもん」
「ったく、この公式当てはめろって何度言わせんだよ」

 いいか、と言って距離をつめて私のノートを覗き込んでくる要に私の胸はどきりと反応する。ノートじゃなくて、私の顔を覗き込んでくれたらいいのに。シャープペンシルじゃなくて、私の手を握ってくれたらいいのに。

「私もかおりせんせいのこと見てみたい」
「なんっでだよ!」
「だって要の好きだった人がどんな人か知りたい」
「好きだったって…んなガキの頃の話ひっぱりだすな」
「ガキだろうと何だろうと、要が好きだったことは事実でしょ」

 最初は照れていたのか、話を逸らそうとしていた要だったけれど私の反応を見てからかっているわけじゃないことを察したのかいつもの冷静さを取り戻していた。それどころか余裕の笑みが口元に浮かんでいる。

「なに、嫉妬してんのお前」
「私とかおりせんせいって全然違う」
「は?当たり前だろ」
「要クンはかおり先生が好き。つまり要クンはほんわりとした優しい美人が好き」
「なんだその見解は」
「間違ってないでしょ」
「色々とツッコミたいことはあるが、まあ間違いじゃないな」
「私はほんわりとした優しい美人じゃないよ」
「そうだな」
「そこは彼氏として否定しとこうよ!」
「彼氏だからこそ自信を持って肯定できるんだよ」
「……どういう意味それ」

 心折れそう、と思いながらノートに頬をつけた。目の前に見える要の手は、相変わらずシャープペンシルを握っている。いつもいつも要の手にはシャープペンシルが握られている。そんなに好きならシャープペンシルと付き合えばいいじゃん。なんて、バカみたいなことを思う。だって、バカみたいなことを考えてないと悲しくなっちゃいそうなんだもん。
 千鶴から聞いた要の初恋の相手。かおりせんせい。初恋相手の存在に嫉妬しているわけでも、かおりせんせいに嫉妬しているわけでもない。私とは違うタイプの人だと言うことにちょっぴり悲しくなったのだ。

「寝るなよ」
「寝ないよ」
「拗ねてんのか?」
「ちがう。幼稚園時代の要に恋をしてもらえないのが悲しいだけ」
「なんだそれ。お前は5才児の俺と恋をしたいのか」
「そう」

 呆れた顔をする要を見上げながら、シャープペンシルを握る要の手にデコピンをする。
 ほんわり美人が好きなら、どうして私と付き合ってるの?なんてバカみたいなことは思わない。思わないけど、私とはまるで違うかおりせんせいの存在を知って胸がもやもやしてしまうのは仕方がないことだと思う。
 じっと睨むように見ていたシャープペンシルが、要の手からぽろりと落ちた。目線を上げれば要はまた、余裕の笑みを浮かべている。

「5才児の俺と付き合うんなら今の俺とは付き合えないけどいいんだな」
「なんで」
「かおり先生を好きなのはあくまでも5才の俺ってことだよ」
「……よくわかんない」

 どうして5才の要と付き合えたら、今の要と付き合えなくなるんだろう。そんなことを考えながら、5才の要とも本当に付き合いたいと思っている欲張りな自分に少し笑えた。今付き合ってるだけで十分なのに。そんなことを考えちゃうなんて。

「だから、お前の見解だと今の俺はお前みたいなのが好きってことだろ」
「うぅ、余計に分かんない」
「分かれよ!」
「だって」

 口を尖らせる私に、要は顔を寄せた。

「いいか、5才の俺が好きになるということはお前がほんわり美人だと言うことで、今俺が好きなのはほんわり美人じゃねぇんだから、お前がほんわり美人な奴だったら俺は好きにならないってことだよ!」
「なるほど、要は私のことが好きってことか」
「そっ、そういう話じゃねーだろ!」
「そういう話だったでしょ」
「論点が違う、論点が!」
「じゃあ、私のこと好きじゃないの?」
「そ、ういう話じゃねーだろ」

 ほんのりと頬を染めた要に、今度は私が余裕の笑みだ。そう思ったのに。結局いつも負けるのは私のほう。
 声に出していないのに。私のお望み通り、要は私の顔を覗き込んでくれて、私の手を握ってくれて、その上私のくちびるにプレゼントまでくれた。
 眼鏡が邪魔だ、と思う私の心の声までも聞こえたのか、要は眼鏡をはずしてぼそりと呟いた。

「そもそも、ほんわりしてるからとか美人だからとかで好きになるわけじゃねーだろ」

 お前の見解がおかしい、と言いながら要は私のくちびるにまた触れた。

「じゃあ、5才の時に出会えてたら、私のこと好きになったかな」
「さあな、かおり先生には敵わねーだろ」
「ひどい…でも今は勝ったもん」

 はんっ、と鼻で笑って要は私から離れて行った。やっぱりひどい。

「5才の要と15才の要は逃したけど、25歳と35歳と45歳と55歳の要は逃さないから」
「お前ほんとワケわかんねーな。んなことよりさっさと宿題やれ」
「分かんないから無理」
「だから公式!つうか起きろ!」

 再びシャープペンシルを握ってしまい問題の解き方をべらべらと喋る要を残念に思いながらも、左手で肩を掴まれたことに喜んでしまう私は要のことがほんとうに好きだと思う。それがたとえ無理やり起こされたのだとしても、だ。要はいつも優しく触れてくれるけど、たまに自分の力の強さを分かっていない。痛いと思うのだけれど、要が男の子なのだということを実感して私の胸はまたどきりと動く。私がこうして要のことで胸がいっぱいになって、要のことをよくばりに想うのと同じように、要も私のことを想ってくれてたらいいな。例え要が私とは違うほんわり美人だったり知的な人だったり色気のある人に魅力を感じることがあったとしても、それでも私のことを好きでいてくれたらいいな。
 25歳の要も35歳の要も、ぜんぶぜんぶ私の隣にいてくれる未来があればいいな。

「私、がんばるね」

 要の目を見てしっかりとそう言えば、要は呆れたように、苛ついたように、眉毛をぴくりと動かした。

「なら俺の話をちゃんと聞け!」






20120313
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