おかしな時間







 片思いをしている女の子なら、少しでも好きな人と同じ時間を過ごしたいって思うものでしょ?だから私は、いつもお菓子を持って学校に来る。一緒にお菓子を食べている間だけは、彼のそばにいられるから。
 そんな風にお菓子で一緒にいる時間を手に入れるだなんて、私は健気なのか、それとも浅はかなのか。

 どっちだっていいの、一緒にいられるなら。





「紫原くん」
「んー」
「じゃーん、見て!」
「あー、それもしかして新作?」
「そう!ストロベリーキャラメリゼ・ダークチョコチップwithホイップポッキー!」
「え〜……なんか良く分かんないけど食べたい」

 手を伸ばした紫原くんに微笑んで、私は空いていた彼の前の席の椅子を引いた。
 紫原くんの机の上には、彼がひとりで食べていたポテトチップスの袋が乗っている。その横に、私が持っていたポッキーの箱を置いて、袋を開ける。紫原くんはポテトチップスを口に運びながら、私が袋を開けるのを大人しく待っていた。
 これで、この休み時間の間は紫原くんと一緒にいられる。紫原くんは気付いていないだろうけど、私はこうして数百円で紫原くんの時間をこっそり買っているのだ。今日はお煎餅も買ってきてあるから、声をかけられるチャンスがもう1回ある。

「どう?美味しい?」
「うん」

 私が袋を開ければ、紫原くんはさっと手を伸ばしてその大きな手でポッキーを摘んだ。ポッキーを口の中に入れながら2本目に手を伸ばした紫原くんに続いて、私もポッキーを摘む。

「でも、この間のやつの方が好きかもー」
「この間の……あ、ティラミスムースのポッキー?」
「うん、それ」

 この間の、と言われて覚えていてくれたことに嬉しくなる。覚えていたのは私との時間ではなく、お菓子の味の方なんだろうけれど。それでもいい、頭の片隅にでも、そのお菓子を持ってきたのが私なのだと言うことが紫原くんの脳内に刻まれているのなら、それだけで私は嬉しい。

「今回の、色んな味がまざってて結局何味なのか分かんないね」
「まあ、美味しいけどー」

 そう言って、今度はポテトチップスに手を伸ばした紫原くんに私は笑った。

「甘い物食べたらしょっぱいもの食べたくなるよね」
「うん」
「あ、紫原くーん。このお菓子も食べる?」

 紫原くんの後ろから話しかけてきた女の子に、私と紫原くんは視線を向けた。

「食べかけなんだけど、もうお腹いっぱいになっちゃって」

 良ければもらって、と袋の開いたキャラメルコーンを持ちながら言う彼女から、紫原くんは何の躊躇もなくそのお菓子を受け取った。そしてすぐに袋の中に手を入れ、再び彼の口の中には甘さが広がった。
 「美味しい?」と聞く彼女に美味しいと相変わらずのペースで答えて、彼女はそんな紫原くんを見て嬉しそうに笑って「また今度あげるね」と言った。それに紫原くんは「待ってるー」と間延びした声で答えて軽く手を降った。そして彼はその手で私があげたポッキーを掴んで何事もなかったように口へ運ぶ。
 何事もなかったように、ではなく何事もなかった。紫原くんにとっては何事でもないこと。お菓子をもらえてラッキー、その程度。だけど私にとってはその程度ではなかった。

 “また今度”
 “待ってる”

 その言葉が頭の中で反芻されるけれど、その言葉にはさほど意味はなかった。私の心にひっかかるのは、そんな会話も紫原くんにとっては何事でもないということなのだ。紫原くんは、ただお菓子が欲しいだけ。それは彼女に対してだけではなくて、きっと私にも言えること。こんな風に紫原くんと一緒にお菓子を食べる時間を共有出来ることを私は喜んでいるけれど、そんなの紫原くんにとっては特別なことでもなんでもないんだ。
 自分でも分かってやってたのに。お菓子で紫原くんとの時間を買ってた、って。
 それなのに、お菓子をあげただけじゃなくて一緒にこうして食べる事が出来るのは少しでも自分が特別だからなんじゃないかって勝手に勘違いして、いざ事実を目の前にしたらへこんじゃうだなんてバカな話だ。

「ねー、なに急に落ち込んでんの」

 お菓子の箱を見つめて黙り込んだ私の目の前に、大きな手がかざされた。
 この手が掴むのは、いつもバスケットボールかお菓子だけだ。いつか私の手を掴んでくれたら、なんて今の私のこの状況じゃ目標どころかただの夢のように遠い。

「無視するならヒネリ潰すよー」

 紫原くんに返事もせずにまた考え込んでしまっていると、目の前にあった大きな手が迫っていた。驚いて目を見開いた時にはもう、私の視界は紫原くんの大きな手に覆われて何も見えなくなっていた。
 そして額には、あたたかい体温。
 大きな手が、私の頭をまるでバスケットボールのように掴んでいた。いつも眺めていた、お菓子を掴むその手。お菓子が小さく見えるほど大きくて、掴まれているお菓子を羨ましいとさえ思ってしまったことがある紫原くんのその手を、今私は初めて感じている。
 思っていた通りに、とても大きな手。
 思っていたよりも、ごつごつしている手。

「むっ、むら、」

 ヒネリ潰す、なんて物騒なことを言うわりに、その大きな手は覆っている程度の力加減で私の額に触れていた。そのおかげで私の血液は沸騰状態で口も上手く回らない。
 けれど、その手はすぐに離れてしまった。
 紫原くんにしてみたら、ただヒネリ潰すという意識しかなかっただろうけれど、私にとってはそれだけでパニックになるには十分だった。

「オレ、お菓子もらったからってそいつといちいち一緒に食べたりしないけど」
「え?」

 それって────誰とでも一緒にお菓子を食べるわけじゃない、ってこと?
 予想外の言葉に、私は目を見開いて紫原くんを見た。まさか紫原くんが、そんなことを言ってくるとは思わなかった。
 それって、ほんの少しでも私は特別だって思っていいってこと、なの?
 驚く私が不満だったのか、自分でもらしくないことを言ったと思っているのか、紫原くんはとても不機嫌そうに目を細めた。けれどそんな紫原くんとは反対に、私の口角はゆるゆると上向きに上がる。

「好きって言ってるわけじゃないしー。何にやけてんの」
「えっ、う、ん、そうだよね」

 “好き”という言葉に、自分の気持ちがバレてしまっているのではないかと焦ったのと同時に、どうして紫原くんは私が“落ち込んでいる”と分かったのだろう?と思った。私はただ黙りこんだだけなのに、それが落ち込んでいるのだと気付いて更にはその理由に返事までしてくれる、って──────まさか。

「あー、なんかお煎餅食べたくなってきたー」
「じゃ、じゃあお昼に一緒に食べない?」

 反射的に一緒に食べる提案をしたものの、自分の鞄の中に入っているお煎餅を思い出して内心驚いていた。紫原くんって、エスパー?と言うかちょっと待って、違う、それよりももっと重大なことを考えていた途中だった。もしかして紫原くん、私の気持ちに──────

「今食べたい」
「だめだよ、もう授業始まるし」

 駄目だ、紫原くんと会話の途中で考え事なんか出来ない。自分の席に戻ってじっくり考え直さないと──────

「うわーいじわるー。オレのこと好きなんじゃないの」
「…………え!?」

 ──────バレてるの!?

 動揺する私の背中に、先生の怒鳴り声が響いた。
 タイミングが良いのか悪いのか、紫原くんの発言に私は何も返せずに逃げるように自分の席に走った。






 考え直す間もなく、答えを出されてしまった。
 バレてる、バレてた!私の気持ち全部、紫原くんにバレてた!じゃあ私がいつもお菓子を持って紫原くんに声をかける時も、“ただのお菓子好きの女”じゃなくて“オレのこと好きな女”が来たって、そう認識されてたってこと!?お菓子を理由に紫原くんに近付いていたことも全部、バレてたってこと!?
 なにそれ恥ずかしすぎる、無理もう顔合わせられない。……もうだめ、終わった。
 しかもあんな平然と、それこそ何事もないように言われるだなんて脈ナシすぎる。お菓子をもらえるなら、紫原くんにとっては私がどんな気持ちを抱いていようときっと関係ないんだ。

 授業なんか少しも集中出来ずに、うるさい心臓の音だけが耳に響いていた私には授業終了のチャイムも聞こえなかったみたいだった。
 頭を抱えるようにして、机の上に広げた教科書に目線を落としていただけの私の目の前に突然ぬっと大きな手が現れた。それに驚いて肩が大きく跳ね、私は我に返った。
 目の前に現れたのは、先ほど私の頭を掴んでいた、大きな手。
 教室内の騒がしい喧騒に、鼻を掠めるお弁当の匂いで授業が終わりお昼休みに入ったことにようやく気付く。今の授業は10分くらいしかなかったんじゃないかと思うほどあっという間に感じた。そんな時間の感覚にも驚きながら、目の前にある大きな手の先を追って顔を上げれば、紫原くんが私を見下ろしていた。

「お煎餅は〜?授業終わったよ」
「あっ、うん、ごめん」

 先ほどの紫原くんの言葉が頭から離れないのに、彼は何事もなかったかのように平然としている。やっぱり、私が紫原くんのことを好きであろうがなかろうが、紫原くんにとってはどうでも良いことなのだ。
 私の気持ちも、紫原くんにとっては“何事でもない”ことのひとつだ。あれこれ考えて全身が心臓になったようにドキドキして、どうしようと溢れだしそうだった感情が、小さく萎んでいく。しょんぼりと、小さくなっていく。
 とりあえず私は鞄からお煎餅を出して、大きな紫原くんの手のひらに乗せた。紫原くんはその場で袋を開けて、お煎餅を口に入れた。バリバリと噛み砕くその音が、まるで私の恋が砕ける音を表しているようで悲しくなってきてしまった。

「ねぇ、だからさ、なんで落ち込んでんの」
「なんでって……」

 私の気持ちを知ってるなら、さっき落ち込んでた理由が分かってたなら、分かるでしょう?
 紫原くんを見ているのが辛くなって顔を下げれば、お煎餅の袋が机に投げ出され、その手で先ほどとは違って強く頭を掴まれた。無理矢理顔を上に向かされ、紫原くんの腕越しに見える彼の表情は、先ほどよりも更に不機嫌なものだった。

「バカなの?オレ“いちいち一緒に食べたりしない”ってさっき言ったじゃん」
「痛、いたたたた」

 ぐっと指に力を入れられて、頭と首が痛くてぎゅっと目を瞑る。
 痛みのせいで、あれこれ悩んでいた思考がシンプルになる。というか、痛いということに意識が集中して、思考が働かなくて多くのことを考えられない。
 今頭の中にあるのは“痛い”という気持ちと“いちいち一緒に食べたりしない”という紫原くんの言葉。
 そうだ、そう言えば、そんなことも言われたんだ。自分の気持ちがバレていることに動揺してすっかり忘れていた。

「む、らさき原くん、それって私のこと」
「好きとは言ってない」

 きっぱりとそう言い切るのと同時に手も離されて、そして今度は腕を掴まれて無理矢理立たせられた。ガタガタと鳴る机と椅子も、お昼休みのクラスメイト達のお喋りに掻き消されて誰も私達に意識を向けていなかった。
 私だけがきっと、今この状況に心臓を騒がせてる。

「腹減った。お昼食べよ」
「えっ」
「今日お弁当じゃないから食堂か購買でしょ」
「わたし、お金鞄に」
「4つまでならいーよ」

 私の腕を掴んだまま歩き出す紫原くんに、私は訳が分からず足がうまく動かせずにいた。一緒に歩く、というよりも連行されているみたいだった。頭の中にはたくさんの言葉が浮かんでくるのに、口から出て来るのは短い言葉ばかりで、それも紫原くんに平然と返事をされてしまえばそれ以上紡ぐことも出来なかった。

 お昼食べようって、私と一緒に?
 どうして私が今日お弁当持ってきてないって知ってるの?
 人にお菓子をあげたりしない紫原くんが、私にお昼を奢ってくれるの?
 私、お昼にパンを4つも食べたりしないよ。
 だけどそれよりも、どうして私が落ち込むことを不機嫌そうに見るの?
 私が喜ぶって分かってて“いちいち一緒に食べたりしない”なんて言うのに“好きとは言ってない”って、それってどういうことなの?

 分からないことだらけだ。一緒にお昼を食べながら質問をすれば、紫原くんは答えてくれるのだろうか。
 その答えを聞いて、私は落ち込まずにいられるのだろうか。

「紫原くん、お煎餅は」
「また後ででいーでしょ」

 とりあえずはそんなことしか聞けなくて。紫原くんの返事を聞いて彼と共有出来る時間は“また後で”あるんだということに喜べてしまう私は健気なのか、それとも浅はかなのか。
 だけどやっぱり、どっちだっていいんだ。

「あのさー、好きだとは言ってないんだからにやけんのやめてよね」

 とりあえず今は、私の気持ちを知っても拒絶しないでいてくれる紫原くんに喜んでいいのかもしれない。だって私が落ち込めば紫原くんは不機嫌になってくれる。もしかしたら彼の中で恋が少し始まって来ているのかもしれないんだから。

 まだ、好きなわけじゃないみたいだけど。






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