夢を見た。




 それは歓声の広がる大きな体育館で、たくさんのギャラリーに声援をかけられるバスケットの試合。選手達は汗を飛ばし、ボールを追いかける。大きな歓声の中、やけにボールのつく音が耳に響く。バッシュが床に擦れる音もやたらと大きく聞こえた。激戦を繰り広げる試合の中、オレは観客席にいて、コートの中に立っているのはだった。
 真剣な顔で、時折つらそうな顔を見せる、それでも諦めずに必死にボールを追うの姿を見てオレは彼女の名前を呼んだ。けれどオレの声は歓声に掻き消され、彼女の元へは届かなかった。




 観客席からコートまでの距離は、ひどく遠い。










 放課後、練習後にオレは体育館に残りひとりで自主練をしていた。
 ボールをゴールに放ちながら、今朝見た夢のことを思い出す。

 観客席から見るコートはひどく遠かった。
 けれどコートから見る観客席は、遠いなんてものではない。視界の先にはないものだった。集中してしまえば、観客席などないも同然。試合中、オレの世界はコートの中にしか存在していない。

 綺麗に弧を描いたボールは、ゴールリングに触れることなく綺麗に輪をくぐりネットを軽く揺らして床に音を響かせた。

 観客席から見るコートはひどく遠かった。
 いくらコート上の試合に集中し、声援を送り、想いを抱いても文字通り蚊帳の外。観客席はコートの外の世界なのだ。オレがいくら声援を送ってもコートの中にいるには届かず、コートの中にいるは観客席にいるオレの想いには気付けない。
 ひどく、ひどく遠かった。

 跳ねていたボールが動きを止めた頃、オレは静かな足取りでボールを拾いに行った。ボールに指が触れた時、背中に声をかけられた。聞きなれた、穏やかな気持ちになれる彼女の声。
 けれど歓声に掻き消されてしまう、彼女の声。

「黄瀬くん」

 ボールを拾い振り向けば、ペットボトルを抱えた彼女の姿があった。もうとっくに部活生も下校しているような時間に、彼女は笑顔で体育館の入口に立っている。

「こんな時間まで待ってたの?」
「そーだよ。って言いたいけど、友達とお喋りしてたらこんな時間になってたの」
「ガールズトークはいくら時間があっても足んないっスね」

 笑って答える彼女に近付けば、手にしていたペットボトルを渡され「お疲れ様」といつものように労いの言葉をかけられた。
 その言葉が、ちくりとオレの心を刺す。

「ね、。ちょっとバスケしない?」
「え〜?私できないよ」
「いーから、ちょっとここからドリブルして向こうまで行って、シュートしてみて」
「私ひとりでするの?」
「そう」

 突然のお願いに意味が分からないという顔をしながらも、は素直にボールを受け取ってドリブルを始めた。授業でしか触ることのないだろうバスケットボールを床にバウンドさせる彼女の手つきはおぼつかないもので、ゴールへと向かうその姿は少し不格好だった。

「下手っぴ〜」
「黄瀬くんがやれって言ったんじゃん!」

 オレを見ながら抗議する彼女の手から離れたボールは見事に彼女の足の上に落下し、跳ねて転がって行ってしまった。走ってボールを追いかける彼女を見て、オレは息を吸った。

頑張れ!」

 二人しかいない体育館の中に、オレの声は大きく響いた。
 例えオレとが二人きりではなくとも、体育館中にたくさんの観客がいたとしても、まで届くように。オレは大きな大きな声を出した。
 大声を上げるオレに、転がったボールに追いついたは驚いた顔をしていた。

「そんな大きい声出さないでよ」
負けんなー!」
「え?なに?なにがしたいの?」

 ボールを抱えながら、は恥ずかしそうに笑った。
 それでもオレは、ベンチで先輩方の試合を見ている時のように大きな声を出した。いや、ベンチではない。オレは今観客席にいるのだ。コートの中の世界には入ることの出来ない、ひどく遠い観客席に。そこからオレは、必死にへと声を届けるのだ。

「ほら、シュート!決めろ!」

 オレの熱気に押されたのか、困惑しながらもは再びドリブルを始めた。オレは不思議そうな顔をするに構わずに、必死に応援をした。
 本気で、がシュートを決めますようにと。
 はゴール付近まで近付いた後、たっぷりと狙いを定めてからボールを放った。けれどボールはゴールリングに触れることはなく、ボードにぶつかっただけで跳ね返って来た。
 オレは諦めずにを応援した。

「諦めんな!まだ行ける!」
「これシュート決まるまで続けるの?」
頑張れー!」
「も〜答えてよ!恥ずかしいし!」

 苦笑いを向けながらも、はオレの声援に応えるように跳ね返って来たボールをキャッチし、再びゴールへと放った。けれどまだボールはリングの中を通らない。
 ゴールが決まるまで、オレはのことを応援し続けた。
 そして7回目に、ようやくの放ったボールはリングを通り抜けた。

 は嬉しそうな笑顔を浮かべ、オレを見た。オレは体育館の入口から一歩も動かず、彼女に声をかける。

「やったね!すごいっスよ!」

 観客席にいる人間は、コートの中に入ることは出来ない。
 ここから拍手を送ることしか出来ないのだ。コートの中に入って肩を抱くことも、すぐに「おめでとう」の言葉をかけることも出来ない。遠いこの場所から、喜びを噛み締めて見ているだけ。
 拍手を送るオレに、は走って近付いて来た。

「ねぇ、急にどうしたの?」

 困ったように笑うを、オレは思い切り抱き締めた。
 想いをぶつけるように力一杯に抱き締めて、彼女の首筋に顔を擦りつけるように寄せる。そして今朝からずっと、言いたくてたまらなかった言葉を彼女の耳元で紡いだ。
 掠れてしまった小さな声は、観客席からだときっと届きはしないだろう。

ありがとう

 彼女は少し苦しそうな声で困惑の色を示し、オレの顔を見ようと腕から抜け出そうとしていた。けれどオレは腕の力を緩めてあげる気はなかった。

「ほんとにどうしたの?何のこと?」
「いつも……観客席はすげえ遠いのに、ごめんね」




  夢を見た。

 それは歓声の広がる大きな体育館で、たくさんのギャラリーに声援をかけられるバスケットの試合。選手達は汗を飛ばし、ボールを追いかける。大きな歓声の中、やけにボールのつく音が耳に響く。バッシュが床に擦れる音もやたらとよく聞こえた。接戦を繰り広げる試合の中、オレは観客席にいて、コートの中に立っているのはだった。
 真剣な顔で、時折つらそうな顔を見せる、それでも諦めずに必死にボールを追うの姿を見てオレは彼女の名前を呼んだ。けれどオレの声は歓声に掻き消され、彼女の元へは届かなかった。

 観客席からコートまでの距離は、ひどく遠い。

 ひどく、遠いのだ。それは観客席からも、コートからも。
 けれどコートからはそんなことを意識することはない。コートの上が、“世界”だからだ。だからこそ観客席から感じる遠さは、ひどく──────────この言い知れない感情を抱かせる。
 必死に声をかけても、その声が届くことはない。どんなにどんなに、真剣に想っていたとしても。

 夢の中で、オレはの“世界”の中にはいなかった。
 それが、こんなにもひどく遠いものだとは思いもしなかった。

 いつもはそんな遠い場所からオレを応援してくれていた。
 あんなにも遠い場所から、いつもいつも。

「ごめんね、ってどういうこと?」
「夢を見たんスよ」

 いつもオレが立っているコートの上にがいて、いつもが応援してくれている観客席にオレがいた。
 そう説明すると、は面白そうに笑った。

「いつもの逆だね。私勝ってた?」
「今のよりは上手にバスケしてたよ」
「いいな〜夢みたいにならないかな」
「オレはなんか……上手く言えねぇけど、さみしかった」
「さみしい?どうして?」
「いくら応援してもオレの声はに届かなくて……もいつもそうなんでしょ?」

 抱き締める力を一層強めて、を腕の中に閉じ込めた。
 顔を合わせられなかった。申し訳なかった。

 いつも一生懸命にオレを応援してくれる。試合の時だけじゃない、こうして普段の練習の時だってバスケばかりのオレに不満を言うどころか応援してくれる。まるで自分のことのようにオレのバスケの話を聞いて喜んでくれ、心配してくれ、いつも必死に応援してくれている。
 だからきっと必死であればあるほどに、彼女から見る、観客席から見るコートはひどく遠いものだったと思う。自分のことのように想ってくれる彼女だからこそ、自分がコートの上の“世界”に触れられないことをもどかしく、さみしい想いをさせてしまっていたのだと思う。
 オレはそのことに、少しも気付くことが出来なかった。
 いつも応援してくれる彼女に感謝の気持ちを抱くばかりで、そのさみしさに気付いてあげることが出来なかった。夢を見るまで、あのひどく遠い距離を知りもしなかった。
 たった一度見た夢の中でも、オレはコートの中に飛び込んでしまいたかった。観客席で応援する遠さに、その場に立っていられないほどだった。

「試合中に応援してる声ってやっぱ聞こえないのかぁ」

 残念そうに呟く彼女の声に、言い訳を添えながら返事をする。

「ウチでやってる練習試合とかの時には気付くこともあるけど」
「試合に集中してたら誰が何言ってるかなんて分かんないよね」
「……ごめん」
「どうして?私の応援って、本当に黄瀬くんに届いてないの?」

 答えられずにいるオレの胸を押して、顔を見たいと言う彼女にオレはゆっくりと腕を解いた。
 肩に頭を乗せているオレの頬を両手で包み、彼女はオレと目を合わせた。

「いつも応援ありがとうって、だから頑張れるよって黄瀬くん言ってくれるの、あれは嘘?」
「ッ────、嘘じゃねーよ、オレはホントに」
「でしょ?」

 にっこりと笑うのその笑顔は、いつもオレに見せてくれるものだった。
 練習が上手くいかない時も、疲れて体が言うことをきかない時も、練習が上手くいった時も、試合に勝った時も、負けてしまった時も。いつだってはオレに笑顔を見せてくれる。オレが試合に負けてしまった時、の瞳にも涙が浮かんでいても、それでも笑顔でオレの前に現れてくれる。
 いつだって本当に、オレを応援してくれる。

「練習を手伝うことも出来ないし観客席で応援することしか出来なくても、その声が黄瀬くんには聞こえていなくても、それでも私が応援していることはちゃんと届いてるでしょ?泣いてたって笑ってたって、いつも黄瀬くんがありがとうって私に言ってくれるから、何も出来ないって寂しく思う時があっても、それでも私には応援することが出来るって、ちゃんと届いてるって思うことが出来るんだよ」

 ずっと、ひどく遠い想いをしていたのは彼女の方なのに。
 それなのには微笑み、オレの目尻を優しく拭った。たった一度の夢を見ただけで、オレの方がきっと泣きそうな顔をしているのだろう。

「何にも出来なくて悔しいって思うことがあっても、それでも黄瀬くんがこうやって全力で私を抱き締めてくれるから、私の応援は届いてるって、何も出来ないわけじゃないって思えるんだよ。違う?」
「ちがわない」

 そうだ。
 の言う通り、例え試合中に鼓膜を震わせなくとも、彼女の声援はオレを支え、慰め、奮い立たせてくれる。例え観客席とコートがひどく遠いものだとしても、オレの心の中でが届けてくれた想いがしっかりと息衝いている。
 の応援は無意味なものでも、届かないものでもない。
 オレにとって必要不可欠で、大切なものだ。

 の額に自分の額を合わせて目を瞑り、今朝見た夢の断片を思い出してみる。

「でも、さみしい思いずっとさせてたのオレ気付かなかった」
「だから、そんなのへっちゃらなんだって」
「オレはたった一度の夢でも、コートの中にいるを観客席から見てんの嫌だったよ」
「夢はどこで終わったの?」
「観客席から試合を見てる途中」
「だからだよ」

 そう言っては一歩後ろに下がり、オレから離れた。そして屈んで目線を合わせていたオレの肩を下に押した。

「膝ついて立って」

 今度はオレが困惑する番だった。
 けれどと同じように、何をさせられるのか分からないまま言われた通りに膝を床につけた。は満足そうに頷いて、オレから少し離れた所まで走った。そうして振り返って、オレの名前を呼んだ。

「涼太!」

 嬉しそうに笑って、オレの所まで再び走って来た。

「勝ったよ!私の活躍見てた?」

 オレのことを抱き締めて、一度体を離して顔を覗き込んできたを珍しく見上げながら、オレは口を開いた。

「うん、見てたよ。スゲーかっこ良かった」
「涼太が応援してくれたおかげだよ。ありがとう」

 そう言って、はもう一度オレのことを力一杯に抱き締めた。

 あぁ、そうか。
 縋るように彼女の背中に手を回し、彼女のたくさんの愛情を受け止めるように目を瞑った。
 じんわりと、オレの心が満たされていく。

、ありがとう

 彼女は、いつもの試合後のオレの真似をしてくれていた。
 勝っても負けても、いつも試合後に彼女に会うと必ず抱き締めて、それまで応援をしてくれていた彼女に感謝を伝えるのだ。嬉しさや、悔しさと共に。
 それを知ることが出来ると、自分もあのコートに立てていたんだと知ることが出来る。
 が、さみしいばかりじゃなくて良かった。

「すっげぇ幸せ」

 噛みしめるようにそう言えば、はくすくすと笑った。
 大袈裟でも何でもない。こんなにもオレのことを応援してくれて、こんなにもオレの愛情を受け止めてくれて、こんなにも幸せなことがあるだろうか。
 
「そのセリフも、私の真似?」
「そうだよ」

 同じ気持ちであることが、本当に幸せだった。
 が彼女で本当に幸せだと思う。彼女はとても優しくて、そして強い。

「涼太は優しいね」
「え?」

 それこそオレのセリフの真似かと驚けば、そんなオレに気付くこともなく彼女は言葉を続けた。

「そんな風に私の気持ちに気付いてくれる。でも、気付く前から私のさみしい気持ちなんていっつもこうして埋めてくれてたんだよ。私には素直に表現するのがちょっと足りないのかな、だから夢の中で涼太を悲しませちゃったのかも」

 そう言ってはオレの体を力一杯に抱き締めた。
 それでも、全然苦しくなんてならないほどの小さく柔らかな彼女が、とても愛しかった。

「もうさみしくない?」
「うん」
「じゃあ、この後は私の背中に笠松先輩の蹴りね」

 試合後にを抱き締めて、そんなオレに怒る笠松先輩。いつもの光景を思い出して二人で笑っていれば、まさかの本人の声がした。

「流石に蹴りは入れらんねーよ」
「っか、笠松先輩!」

 驚いて離れてしまったにそれこそさみしい思いをしていれば、制服に着替え帰ったはずの笠松先輩がオレのことを睨んだ。

「お前何やってんだよ、練習しねーなら帰れ」
「すみません、私が差し入れ───────」
「今日は帰るっス」
「え?でも練習は」
「十分っスよ。一緒に帰ろ」

 立ちあがってそう言えば、は笠松先輩を伺いながら小さな声で聞いた。

「いいけど……いいの?」
「もう練習は終わってるしね」
「閉じまり忘れんなよ」

 そう言って、笠松先輩はあっさりと帰ってしまった。
 あーもう、邪魔しに来ただけなら止めて欲しい、なんて思いつつも邪魔しに来なければにキスをして、もっともっと愛情表現をしてしまいたくなっていたから、止めてもらって良かったのかもしれない。


「ん?」
「好きだよ」

 見上げる彼女に顔を寄せて、可愛い唇に自分の唇を重ねた。

「黄瀬ェ!学校でふざけたことしてんな!」

 すぐに飛んでくる怒号に、げんなりとしながら顔を離した。
 帰ったんじゃないんスか!

「すませーん!すぐ帰るっス!」

 体育館の入口で腕を組んで立っている笠松先輩は、今度こそ帰って行ったようだった。

「すぐ着替えてくるから待ってて、続きは後でね」
「えっ」

 顔を赤くするの肩を軽く叩いて更衣室に走り出せば、彼女は照れ隠しのように声を上げた。

「ちゃーんとオレに愛情表現させて!」
「もう十分伝わってるってば!」
「まだまだこんなもんじゃねーの!」

 にはいくら感謝したって、いくら愛情を注いだって、まだまだ足りないくらいだ。
 いくらだって、どんどんとオレの中から溢れてくる。
 こんな気持ちを、たくさん彼女には知ってもらいたい。






 観客席の中にいても、がオレを近くに感じられるように。






20140618
2style.net