みつばちのダンス







 お昼休み、私は友達とお弁当を食べた後に提出するのを忘れていたノートを持ってひとりで職員室に向かった。



 先生にノートを渡して、ぼーっと窓の外を眺めながら歩いていると、ふと花壇が目についた。手入れをしたばかりなのか土が濡れていて、黒く輝いている。私の目を引いたのは、これから何かを植えようとしている状態の花壇の中でぽつんと咲いている黄色い花。
 どうしてこの花だけ?
 興味を惹かれた私は廊下にいる数人の生徒がこちらを向いていないのを確認して、窓枠に足をかけた。外からはきっとスカートの中が丸見えだ。勢いをつけてもう片方の足も上げて、そのまま窓の外へと飛び降りる。ふわりと上がるスカートに羞恥心が湧くも周りには誰もいない。私は何事もなかったかのように立ち上がって花壇へ近寄った。

 花壇の一番手前の真ん中に咲いている黄色い花。1本の茎に3つの花を咲かせて、黒々とした土の中でとても目立っている。元からここで咲いていたのか、それとも新しく植えられたのか分からなかった。普段通る場所ではあるものの、昨日までこの花壇がどんな状態だったのかは私の記憶の中には残っていない。
 しゃがみこんで黄色い花を見つめながら、私は涼太のことを思い浮かべた。派手で目立つ黄色は、涼太みたいだ。この花のよう控えめではないけれど。

「名前、なんだったかなぁ」

 見たことのある花で、名前を聞けばああそれって思うと思うんだけど。思い出せそうで思い出せないのが気持ち悪い。小さいころから割と身近にある花で、大量に咲いてるのをよく見かけた。花弁を1枚ずつ摘んで、恋占いをしながら帰った思い出がある。
 頭の中を必死でかき混ぜながら答えを探すのに、なかなか出てこない。しゃがみこんだ膝の上に乗せた腕に頭を擦り付けてみても、出てこないものは出てこなかった。
 絶対に知ってる花なのに、思い出せないのが悔しい。
 遂には唸り声をあげそうになった所で、突然体を覆うぬくもりと重さに驚いて変な声が出た。前に倒れる、と思ったもののがっちり回された両腕に包まれて私の体は少し前に傾いただけでそれ以上は動かなかった。いや、動けなかった。

「っな────」
「“もうイヤ、私つらい!こんなときは格好良い恋人のリョータくんにぎゅって抱き締めてもらいたい。そしたらすぐに元気になるのに!リョータくん抱き締めてよ!”」
「……なにそれ?」

 突然体をすっぽり覆われて、こんなことをしてくる人間に心当たりは一人しかいない私はすぐに誰なのか理解したけれど、裏声で紡がれた言葉の意味までは理解出来なかった。

「ひとりで泣かなくていいんスよ」

 頬をすり寄せて来る涼太に、私は先ほどの裏声を思い返した。

「もうイヤ、私つらい、アホな恋人のリョータくんがぎゅって────なんだっけ?」
「違ェよ!なんスかアホな恋人って!」
「だって一人芝居始めるから」
の心の声を代弁したの」
「ざんねーん、泣いてないっス」

 そう言ってるのに、尚も涼太は私の体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。涼太の体にすっぽりと覆われてしまった私の体は、このまま小さくなってしまいそうだ。

「通りかかったらしゃがんで蹲ってるからビビッたんだけど」
「泣いてるかと思って?」
「うん」
「こんな目立つ所じゃ泣かないなぁ」
「じゃあ泣く時はオレの腕の中で泣いてね」

 じわじわと体中に広がっていく甘い痺れに、今度こそ唸り声を上げそうだった。
 どうして涼太はいつもこう、私が上手に返事が出来ないことばかり言ってくるんだろう。その度に私は言葉にならない感情を体いっぱいに感じて、零れないようにするのに必死なのに。それなのに、私は何も言えないのに、涼太はいつも嬉しそうに微笑む。今だって、涼太の笑う吐息が耳にかかってくすぐったい。言葉に出来ないでいる私の感情が、涼太には全部分かっているようだった。

「なにしてたの?」
「なんでこの花だけ咲いてるんだろうと思って」

 抱きしめていた腕を少しだけ緩めて、涼太は顔を上げた。私の頭越しに黄色い花を眺めているのを感じて、私は顔を後ろに向けた。

「この花の名前、分かる?」
「マーガレット?」
「えっ」

 分からない、と返事をされると思っていたのにすんなりと返された答えに私の肩は揺れた。しかも合っている。そうだ、マーガレット。いつも目にしていたのは白い花だったから、なかなか名前が出てこなかった。マーガレットって黄色もあったんだ。
 けれどようやく名前を思い出せてすっきりするはずが、あまりにも簡単な答えを思い出せなかったことに余計に悔しくなった。

「え〜〜〜なんで涼太知ってるの」
「なんスかそれ、思い出したかったんじゃねーの?」
「そうだけど、なんか悔しい」
「だってこの花、女の子がよくスキ〜キライ〜ってちぎってんじゃん」
「オレのことを想いながら?」
「おっ、ヤキモチ?」

 私の肩に顎を乗せて嬉しそうにする涼太を見て、さぞかし多くのマーガレットが涼太のせいで花弁を散らされたんだろうな、と思った。そしてそれと同時に同じだけの恋心も散っているのだ。
 そう考えると、多少妬いてしまうものの複雑な気持ちの方が大きかった。

「そんなことで妬きません〜。私もよくやってたもんね」

 それが涼太と出会う前のことであることは言わずともお互い理解していた。
 私も“スキ”で終わるまで何度も何度も繰り返し花弁を摘んだことがある。何度も花弁を摘むほど想っていた彼は、今何をしているだろう?私は今、1度もマーガレットで恋占いをしたことのない相手とこうしている。
 あの頃は、花弁を1枚摘むだけでドキドキした。思い返して見れば幼稚で、可愛らしい恋だったと思う。恋だったのか曖昧なほどに。

「オレは妬くよ」

 涼太の腕の力が、また強くなった。少し苦しいくらいに。

「オレにもやって」

 低くなった声に、本当に不機嫌になっていることに驚いた。まさか、涼太が昔の淡い思い出に嫉妬するなんて。

「やって、って……」
「絶対“スキ”で終わるから」
「それじゃあやる意味なくない?」
「…………」

 いつもは私を翻弄させる上手な行動をするくせに、たまに子供のような駄々をこねる。その度にいつも驚いてしまうのだけれど、いつもとても嬉しくなる。私ばかりが涼太を追いかけているような気がしても、実は涼太の方が私を追いかけているのかもしれないと思えるから。
 涼太の言葉や行動に上手く返事が出来ずにいる私を見て微笑む涼太の気持ちが、今ならよく分かる。先ほどの涼太と同じように、私も笑い声を漏らしてしまった。
 私のことを想って感情が揺れている姿を見ると幸せな気持ちになる。それだけ、私は涼太に影響を与えられる存在だって──────そういうことだよね?

「そんなことしなくたって涼太が私のこと好きなこと知っ……てる、し」

 口をすぼめる涼太をからかおうと思ったのに、自分の言ってることが恥ずかしくなってしまい私の口の方が小さくすぼまってしまった。
 いつも涼太は好きだと言葉にしてくれて、体で表現してくれて、私はそれを実感している。だから涼太が私のことを好きでいてくれることはもちろん間違いじゃない。だけど、いざそれを口に出してみると自惚れているようで恥ずかしかった。

「あ〜〜〜〜もうっ」

 大きな声を出して、涼太は私の肩におでこを擦りつけた。くすぐったくて身を捩りたいのに、弱まらない涼太の腕の力のせいで身動きが取れない。

「ちょっと、涼太。いい加減苦し──」
「──わいい」
「え?」

 肩口で埋もれたまま話す声は、涼太が小さく呟いたせいかはっきりと聞きとることが出来なかった。聞き返せば、涼太は本当に私を抱きつぶしてしまう気なんじゃないかと思うほど力を込め、そして叫んだ。

「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いッ!」
「っ!?な────ちょっと!」

 突然大きな声を出されたことに、そしてその内容に。私の目も口も、驚きで大きく開いた。
 何言ってんの──────というかここ学校!
 涼太の大声だけじゃなくて、そもそもこの状態の方がまずい。今更になってじわじわと湧いてくる羞恥心に、とりあえず涼太の腕から抜け出そうと体を動かした。

「涼太、ここ学校だから、もう離して」
「やだ」
「やだじゃないってば」

 いい加減、足も痺れてきている。回された腕を振りほどこうと自分の腕を広げてみても、びくともしなかった。

「だってかわいんだもん」
「や、めてってばそれ!」
「止めれない」
「りょ────」
「オイ、黄瀬」

 背後からかけられた声に、私の息は止まった。反対に心臓は激しく脈打っている。
 だから離してって言ったのに……!
 顔を後ろに向ける涼太を感じながら、私は項垂れるように顔を下げた。

「笠松センパイ」
「何やってんだ」
「花壇見てたっス」
「何も咲いてねーだろ」
「すっげー可愛い花がオレだけに見えるんスよ」
「……お前、病院行って来い。今日の練習は免除してやっから」
「えー!?」

 叫んだ涼太の声を最後に、笠松先輩の声は聞こえなくなった。たまたま通りかかって、呆れて、そして行ってしまったんだろう。

「センパイもう行ったよ」
「涼太のせいで見られちゃったじゃん」
「ん?オレに隠れてるからは見られてねぇよ」

 オレだけに見えるって言ったじゃん──────と言って涼太は項垂れていた私の首筋に唇を付けた。

「────っ涼太!」
「はぁ〜い」

 楽しそうに笑って、ようやく涼太は腕を解いた。
 解放感と緊張が解けた疲れ、そして痺れた足のせいで私は前に倒れ、両手と膝をついた。

「大丈夫?」
「涼太のせいで足痺れた……」

 そう言えば両手を差し出してきた涼太に、私は警戒心を露わにした。

「立たせてあげるだけっスよ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」

 手に着いた砂をはらいながら手を伸ばせば、涼太は自分が立つのと同時に私の手も引きあげた。その力に頼るように、痺れた足に何とか力を入れて立ちあがる。けれど予想以上に痺れているようで、このまますぐに歩ける気がしなかった。

「歩ける?抱っこしよーか」
「歩けます!」

 にやりと笑う涼太を睨むように見上げて、涼太から離れようと片足を上げた瞬間──────私は小さく悲鳴を上げて前のめりに倒れた。予想以上、の更に上。痺れを我慢して歩ける程度だと思っていたのに、片足に体重をかけただけでバランスを崩してしまうほど私の足は痺れていた。
 倒れてしまっても、目の前には涼太がいる。私はぶつかるように涼太に倒れ込み、転んでしまわないようにと咄嗟にシャツを握った。そしてそのまま、じりじりと何とも言えない足の痛みを堪えた。

「ホラ、やっぱ抱っこした方がいいじゃん」
「へ、い、きです」
「ふ〜ん?じゃあ離れないと、ここガッコだからね」

 面白がっているのが声色で分かる。お返しだと言わんばかりに私の言った言葉を真似する涼太に、私は唇を噛んだ。倒れた、と言っても傍から見れば私が涼太に抱きついているようにしか見えないだろう。しかもさっきまでは涼太の体に隠れていた私の姿も、今はふたりで向かい合い校舎と並行に立っている。窓からは私の右半身と、涼太の左半身が丸見えだ。
 とりあえず、歩けなくてもひとりで立たなきゃ。痺れが取れたら歩き出せばいい。離れていれば、ただ向かい合って話しているように見えるんだから。
 涼太の体を押すように、手に力を入れて体を少しずつ起こして行く。いきなり両足に力を入れればまた倒れかねないから、少しずつ、慎重に。恐る恐る、私は涼太から体を離して行った。
 そうして半分くらいまで体が離れた所で、私の足に再び急激な痺れが走り、一瞬で涼太に抱きつく体勢に逆戻りしてしまった。涼太が、私の足を小さく蹴ったのだ。

「〜〜〜ッ、りょうたぁ」
「オレは何もしてないっスよ?」

 顔を上げれば両手を顔の横にかざして、手を出していないとアピールしていた。
 勝手に抱きついているのは私だって?そう言いたいわけ?

「今、足蹴ったでしょ!」
「あ〜、オレの足が長いせいでぶつかっちゃったんスね」
「ムカツク……!」
「ごめんね。お詫びに抱っこするから」

 どんだけ私のことを抱っこしたいのよ!
 抱っこ、というより私が“離れて”と言ったことを根に持ってるんだろう。涼太はきっと、私から抱きついたり、近付くことを言わせようとしている。
 心配そうに首をかしげる涼太の姿を見て、勝手に胸がきゅんとする自分の心に呆れ、私の心がどう反応するのか分かっていてやっている涼太の仕草にむかむかした。涼太の思惑通りの反応をしてしまう自分にも。

「ぜったいにしない」
「何で!抱っこさせてよ!」
「だから──────」
「おっ…前ら、こんなとこで何やってんだ…!」
「笠松先輩!が抱っこさせてくれねーんスよ!」
「当たり前だバカ!」
「待っ、笠松せんぱ……!」

 笠松先輩には“私が足が痺れて動けないせいで涼太にしがみついている”のではく、ただ私達が抱き合っているように、涼太が私を抱きしめているように、そう見えているようだった。
 私がしたように窓枠に足をかけ、そのままいつものように涼太に飛び蹴りをしようとする笠松先輩を慌てて止めても──────もう遅い。
 笠松先輩の飛び蹴りが涼太の体勢を崩し、涼太に掴まっていなければ立っていられない私も同じように傾き、私まで倒れるとは思わなかった笠松先輩も動揺して着地を崩し、結局私達はもつれるように3人仲良く花壇に倒れた。

「お前ら何やってんの?」

 窓枠に肘をついて私達を眺める森山先輩に、誰も返事が出来なかった。






20130618
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