Chin up!






「本日の委員会は以上で終了です」

 委員長のその言葉を聞いて、私は溜め息を吐きそうになったのをぐっと堪えた。やっとこれで、今日が終わる。後は家に帰ればいいだけだ。

 今日1日、私の気分は最悪だった。うつむいてばかりいて、ふとしたときに吐きたくなる溜息を何度も堪えて、トイレに籠っては貼り付けていた笑顔をはがして、そしてもう1度無理矢理に貼りつけて教室に戻る。胸の奥につかえたもやもやが一向に晴れなくて、とにかく早く家に帰って蹲りたいと思っていた。
 だけど今日は、本当なら嬉しい委員会の日。笠松くんと同じ委員になったあの日から、いつも委員会の日を待ちわびていたのに。そんな委員会の時ですら、やっぱり私は胸につっかえた重さと同じように頭も重くて、うつむいてばかりいた。隣に笠松くんがいるというのに、晴れてくれないこの胸のもやもやに余計に気分が落ちた。
 笠松くんの前で、こんな自分でいたくないのに。きっと笠松くんには、私がずっとうつむいていてもプリントを見ていたようにしか思われないだろうけれど、それでもやっぱり、こんな風に気分が沈んだ状態で好きな人の隣にはいたくなかった。
 いつもなら委員会が少しでも長引きますように、なんて思うのに。今日は早く終わって欲しかった。こんな状態の自分を笠松くんには気付かれないように、今日だけは早く帰りたい。

 自分の憂鬱な気分を押し付けるように力強くプリントを二つに折って鞄に押し込みながら、重たい頭を上げて笠松くんを見ればパチリと目が合って驚いた。たまたま、顔を向けるタイミングが一緒だったのかな。まるで最初から見られていたんじゃないかと思ってしまうようなタイミングに胸の奥がそわそわと騒ぐけれど、それを隠すように私は笑って口を開いた。
 そのせいで、なんだかぎこちない笑顔になってしまった。

「部活頑張ってね」
「いや、今日は休み」
「そうなんだ、珍しいね」
「身体休めることも大事だしな」
「みんな毎日遅くまで頑張ってるもんね」
は?この後なんか予定あんの?」
「ううん、家に帰るだけ」

 ガタガタと教室を出る委員たちの音を遠くに感じながら、笠松くんの言葉に無意識に期待をして体が勝手にじんわりと汗をかいた。気分が落ち込んでいても、今すぐに帰ってしまいたくても、それでも私の乙女心というものは働くらしく部活がないなら“一緒に帰るか”と言われたらどうしよう、なんて考えてしまうのだ。

「じゃあ────」

 その一言を聞いて、期待が一気に高まった。“じゃあ”の、その次は?

「体育館に行くぞ」

 え──────、体育館?
 笠松くんと一緒なら、そりゃあどこへ行くのだって嬉しいけれど。でもまさか体育館に行こうと言われるとは思わなかった私は思わず聞き返してしまった。いくら期待しようとも、“じゃあ”の後は“気を付けて帰れよ”しか続かないだろう、と頭の片隅では理解していたのだ。
 けれど私の聞き間違いじゃなければ、笠松君は“体育館に行くぞ”と言った。

「体育館?」
「おう」

 立ち上がり、鞄を肩にかけて私に背を向けた笠松くんを反射的に追いかけて隣に並べば、笠松くんは独り言のように「あー、黄瀬がいるかもな」と呟いた。

「黄瀬くんはお休みの日でも練習するの?」
「まぁ自主トレする奴もいるけど、アイツは昨日仕事で練習出てねーから」
「仕事もバスケも頑張ってて凄いね」
「まあな。アイツいるとうるせえけど」
「確かに、ファンの子たち結構練習見に来てるよね」

 キャーキャー騒ぐ黄瀬くんのファンの子たちの後ろからこっそりと笠松くんを見ているから、あの子達の騒がしさはよく分かる。そのおかげで誰にバレることなくこっそりと笠松くんを見ることが出来るから、私としては大助かりだけど。でもあの子達は騒ぐだけ騒いで割とあっさり帰ってしまうから、もう少し長く練習を見ていたい私としてはいつも物足りなかった。
 だけど今日は、その練習している所を見れるのかな?でもそれならわざわざ私を呼んだりしないだろうし、練習するわけじゃないのかな。
 それならそれでどうして体育館に行くのかと疑問を感じながらも聞くタイミングが掴めずに、理由も分からないまま体育館にまで着いてしまった。







 いつもはバスケ部の掛け声と女の子の声で騒がしい体育館が静まり返っていた。聞こえるのは、バッシュが床に擦れる音と、弾むボールの音だけ。笠松くんの言う通り体育館には黄瀬くんが1人で練習していた。
 笠松くんは壁際に鞄を置いて、黄瀬くんに声をかけた。

「先輩も練習っスか?」

 私達から少し離れたゴール下にいた黄瀬くんはボールをつくのを止めて顔を向けた。

「ちょっとボールかせ」

 手を上げて合図を送る笠松くんに、黄瀬くんはきょとんとした顔をした。けれどそれはボールを求める笠松くんにではなくて、笠松くんの鞄の横に自分の鞄を置き、所在無げに経っている私に向けられていた。
 笠松くんに話があって教室に来る黄瀬くんを割と近くで見たことはあったけれど、その視線が私で止まることなんて今までなかった。この瞬間だけは、どうして笠松くんに体育館に連れて来られたのかという疑問と焦燥感は消え、“友達に自慢できる”だなんてミーハーな興奮が心に浮かんでしまった。だって流石モデル、やっぱり黄瀬くんは格好良い。
 そんな風に部外者である私に一瞬驚いた後、黄瀬くんはふわりと微笑んだ。そのおかげで私の体温はぐっと上がった。
 でも、そんな感情の波はまだまだ序の口だった。黄瀬くんの発言を聞くまでは。

「笠松先輩のカノジョっスか?」
「んな、ワケねーだろ!いいからさっさとボールよこせ!」

 カノジョ、という言葉にきっと私だけではなく笠松くんも変に反応してしまったんだろう。その理由は、私と笠松くんとじゃ違うのだろうけれど。
 ただでさえ黄瀬くんの頬笑みで上がっていた体温が、“笠松先輩のカノジョ“発言のおかげで沸点を振り切りそうになったものの、笠松くんの発言……というよりは反応のおかげで私は嫌と言うほど冷静さを取り戻していた。
 彼女じゃないから、否定されるのは分かっているけど。でも、そんな全力で即答しなくたっていいのに。まるで私と彼女だと間違われるのが嫌みたいで、悲しい。きっと笠松くんの心の中のどこかにそんな感情があるから、あんな風に全力で否定されたんだよね。
 私が笠松くんの彼女になるまでの道のりは、まだまだ遠いみたい。

 再び、私の顔がうつ向こうと傾いた。
 今日はずっとそうだった。鬱々とした気分で頭が重く、顔を持ち上げられない。何もなくてもそんな状態なのに、今は些細なダメージが私には大きく響く。笠松くんに関係することなら、どんな時だって些細なことではないけれど。今受けたダメージに引きずられるように、胸の奥に鎮座しているもやもやが溢れて来る。笠松くんと一緒にいるんだから、と奥に押し込めていたのに。頭が徐々に、重くなる。委員会中はプリントを眺めてるフリをして下を向いていても良かったけど、今は顔を下げちゃだめだ。
 そうは思っても、頭の重さを堪えて顔を上げれば今度は心が重くなる。天秤のように、重く揺れるのだ。平気なふりを装って顔を上げれば心が重くて息が苦しくなる。心の重さを少しでも軽くするためには、顔を下げるしかない。そうすれば天秤が動いて、心が少しだけ安定する。決して晴れることはない。そうして重さを移動させるだけ。だけど、それが私に出来る精一杯だった。そうして、今日1日をなんとか過ごして来た。
 あぁ、どうしよう。笠松くんと一緒にいるのに。
 葛藤を続けながら、少し顔を伏せた状態で止まっていると顔の先にオレンジ色のボールが見えた。顔を上げれば、いつのまにか笠松くんがすぐ目の前にいた。

「ほら」

 そう言ってボールを渡してくる笠松くんに困惑しながらボールを受け取れば、笠松くんはコートの中へと歩き出してしまった。

「私バスケできないよ!?」
「シュートくらい出来るだろ、ちょっとうってみろよ」
「えぇ……下手だから恥ずかしいよ」
「誰も見てねぇって」

 誰でもない、笠松くんに見られているのが1番嫌なんだけどなぁ。黄瀬くんと1on1でもしててくれたらいいのに。私はそれを眺めているだけで幸せだから。
 そうは思っても、ここで突っ立ってるわけにもいかない。私は渋々コートに足を踏み入れて、フリースローラインに立っている笠松くんに近付いた。
 一緒にいられるならどこだって、なんて思ったけれど、何でこんなことになっているのだろうと不思議で仕方がなかった。

「絶対に笑わないでね」
「笑わねーよ」

 笑顔を向けてくれた笠松くんに、胸がきゅっと締め付けられる。
 余計に緊張しながらも両手でしっかりとボールを掴み胸に引き寄せて、顔を上げてゴールを見つめる。少しだけ膝を折って勢いをつけて腕を伸ばしボールを放てば、ボールはゴールネットをかすりもしない高さで左に逸れて落下した。
 せめてボードにぶつかるくらいしてくれればいいのに、体育の授業でくらいしか触らないボールは思うように飛んでくれずに恥ずかしさで居た堪れなかった。
 転がるボールを拾いに行く笠松くんの背中を見ながら、私は唇を噛みたいような突き出したいような、不格好な動きをさせた。
 だって、笑わないって言ったのに、ちらりと見えた笠松くんの横顔が笑っていたんだもん。それがバカにするような笑みではなくて、楽しそうに微笑む様な表情だったから、余計に微妙な心境になってしまう。

「笑わないって言ったじゃん!」
「いや、まさかかすりもしないとは思わなくて」
「女子はこんなもんなんです」
「女子だってシュートテストあるだろ」
「その時には練習時間あるからもう少し上手に出来るよ、今は久しぶりだったから」

 拾ったボールを持って戻って来た笠松くんは、私の隣に立ってボールを構えた。

「まずはボールの持ち方はこう」
「その持ち方が難しいんだもん」
「慣れればこれが1番だから、ちょっと構えてみ」

 そう言って、笠松くんは私にボールを持たせた。私は笠松くんが構えていた姿を思い出しながら、ボールを構えてみた。バスケ部がしているこのボールの持ち方は、ボールを支えて放つのが難しくて上手く出来ない。

「右手はここで、左手はもう少し軽くこうな」

 そう言って、笠松くんは片手でボールを支えながら私の手に触れてボールの構え方を直した。
 喉の奥が、詰まった。笠松くんが、私の手に触れている。ただ持ち方を教えてくれているだけなのに、ほんの一瞬なのに、黄瀬くんに微笑まれた時よりも心臓が痛い。そんな私に気付いていない笠松くんは、まるで新入部員に教えるように私のフォームを直して行った。

「脇はしめて、肘をゴールに向けて真っ直ぐ」

 笠松くんの手が私の肘に触れて、開いていた腕を体の方にそっと押した。

「ボールを構える位置はもう少し上」

 されるがままに体を動かして、ちらりと盗み見した笠松くんの真剣な表情に緊張する。バスケをしている時の、真剣な顔だった。いつもクラスで見ている笠松くんじゃなくて、主将の笠松くんが今隣にいる。遠くで眺めていることしか出来なかった彼が、すぐそこに。

「肩の力も抜いて、ほら打ってみろ」

 私の両肩に手を乗せた後にぽん、と背中を押して斜め後ろから声をかけた笠松くんに、私は眉を下げた。こんな状況で、肩の力なんか抜けない。心拍数は上がる一方だ。

「真上にボールを押し上げるようにな」

 励ますような力強い言葉に押されるように、私はボールを放った。すると、やはり左にずれてしまったものの先程よりもカーブを描いたボールがボードにぶつかった。

「おぉ、いいじゃん!お前意外とセンスあるな」

 自分でも意外だった。まさかボールの持ち方を直されただけでこんなにも様になるなんて。すぐにボールを拾いに行った笠松くんは嬉しそうな笑顔を私に向けてくれて、つられて私も笑顔になった。
 今この瞬間は、笠松くんに褒められたということよりも、あの”バスケ部の主将の笠松くん”に褒められた、ということが誇らしくて嬉しかった。私はきっと主将である笠松くんを詳しく知らない。だけど今少し、笠松くんが部員に慕われている理由が分かった気がする。

「まだ左に逸れてっから、構えた時と同じように真っ直ぐなままうてるように意識しろ」

 少し離れた所からボールを私にパスする笠松くんを見て、私は小さく吹きだした。笠松くんには、コートの上にいる人間がみんな部員に見えるのかな。ほとんど主将の顔で私に接する笠松くんに、私の乙女心はむずむずとした。

 私が女の子だってこと、意識からなくなっちゃってる?
 それがちょっぴり切ない。
 だけど、女の子が焦がれ男の子が憧れるバスケ部主将、笠松幸男が今目の前にいる。
 それって、女の子じゃなかなかお目にかかれないことだ。

 結果、この状況はすごく嬉しい。
 私の感情は、笠松くんといると本当に忙しいなぁ。そんなことを思いながら、アドバイスを受けて何度もシュートを放った。
 ボールを放つごとに頭の中で考えていることも飛んでいくようで、次第にボールをゴールに入れることしか考えていなかった。どうすれば真っ直ぐに飛ぶのか、今のは変に力んじゃったから次は気をつけなきゃ、また肘が真っ直ぐじゃなかった────段々と、笠松くんだけじゃなくて私までもバスケ部の一員のような顔つきになっていたと思う。

 何度もボールを放つうちに真っ直ぐに飛ぶようになって、高さも安定するようになった。ゴールリングにボールが当たる回数も増え、段々と腕が疲れ始めた18本目。

 ボードにぶつかった後落下したボールがシュッ、と気持ち良くネットを揺らす音がした。

「はいった……やったぁ!!」
「おぉ、今のすげえフォームも綺麗で最高だったぞ!」

 嬉しくてその場で跳ねる私に、笠松くんも凄く嬉しそうに笑って右手を上げた。ハイタッチをするために掲げられた手だ。それを見て、私は益々嬉しくなった。
 私も本当にバスケ部の一員になったみたいだ。
 ドキドキしながら右手を上げて、笠松くんの掌に自分の掌をぶつけた。パシッ、と響く音に感動する。
 今私の胸にあるのは、笠松くんに対して男の子としてではなく主将として好きだと想う高鳴り。主将、笠松幸男の格好良さは、私がコートの外から眺めていたものよりももっともっと大きい。
 “惚れ直した”という言葉が頭に浮かんで、頬が熱くなった。

「顔上げろよ」

 突然の笠松くんの言葉に、ぎくりとするように胸が反応した。

「ちゃんと顔上げてねーと、ゴールも入んねぇからさ」

 ゴール“も”という言葉を深読みしてしまうのは、私が顔を上げられずに1日を過ごしていたからだろうか。それとも、うつむいてばかりいたことを──────笠松くんに気付かれていた?

「どんなに腕が重くて上がらなくても、足が震えてても、それでもしっかり顔上げてりゃゴールが決まる。いつも絶対ってワケじゃねーけど、顔上げねぇことには始まらねぇと思う」

 真剣な顔で私にそう言った笠松くんは、ゴールに向かって腕を上げまるでボールが本当にあるかのようにシュートのフォームを作り、しっかりと顔を上げて腕を伸ばした。
 シュッ────と風を切る音は清々しく、私の体の中から重く渦巻いていたものを吹き流してくれるようだった。笠松くんの手にはボールが納められていないのに、私にはボールがゴールネットを力強く揺らしたのが見えた。

「フォーム崩れないように、また見てやる」

 頼もしく笑う笠松くんに、私は無言で頷いた。
 もしかしたら本当に、笠松くんは私が今日1日うつむいてばかりいたことに気づいていたのかもしれない。それでこうして顔を上げるように、と突然シュートの練習なんてしてくれたのかな。笠松くんは特にそんなことを私には言わないから、本当の所は分からないけれど。それでも、今この時間があっただけで私には十分だった。

 今はもう、自然と前を向ける。顔を上げたからと言って、天秤は揺れない。胸の重さが消えたわけじゃないけれど、顔を下げていたってどうにもならないんだと思えた。笠松くんの言葉を聞いて、うつむいてたって何も変わらないなら顔を上げていられるように頑張ろうと思えた。
 何も関係がなくてもシュートを打とうと顔を上げただけで、自然と心は上向きになれた。もしかしたら天秤なんて存在しなかったのかもしれない。全ては比例しているんじゃないかと今なら思える。私が顔を下げたせいで、余計に心も重く沈み、どんどん顔を上げられなくなる。顔を上げて何かを見つけられたら、次第に心も軽くなれるんじゃないかなって思った。現に今、ただ顔を上げてゴールを見つけて、ボールを入れる楽しさを見つけて、それだけですっと軽くなるものがあった。
 うつむいてたら、ゴールも、何も、見えないよね。

 またうつむきそうになったら、笠松くんにお願いしたらフォームを見てくれるかな?例え見てもらえなかったとしても、今日のことを思い出してひとりでシュートを打つ練習をするだけでも元気が出そうな気がした。
 遠く、上にあるゴールを思い出して顔を上げて、笠松くんが真剣な表情で教えてくれたフォームを思い出して、ボールがネットを掠める気持ちの良い音を思い出す。
 そうすれば、自然と顔を持ち上げられると思った。

「ありがとう」

 幸せだ、と思った。
 今日はうつむいてばかりいたけれど、最後にこうして真っ直ぐと笠松くんを見つめることが出来た。それは、笠松くんが私にバスケを教えてくれたおかげ。顔を上げるように、教えてくれたおかげ。誰でもない、笠松くんに元気をもらえたのだから、こんなにも幸せなことはない。



 真っ直ぐに笠松くんを見つめて微笑めば、笠松くんはすっと視線を逸らした。逸らされた、と感じる間もなく笠松くんが私の腕を引き寄せ、私は足をもつれさせ体が傾いた。

「黄瀬!危ねーだろ!」

 笠松くんの怒鳴り声が、私の体に直接響く。それもそのはずだ、今私の体は引き寄せられた勢いで傾き、笠松くんの胸に寄りかかっている。バクバクと騒ぐ心臓の音は笠松くんのものなのか、それとも自分のものなのか分からない。私のものだとして、笠松くんの声が笠松くんの体を通して私に響いてきているように、私の心臓の音も笠松くんにまで響いてしまっていそうで混乱した。

 大きな音をたてて弾むボールの音に、黄瀬くんが間違ってこちらにボールを飛ばしてしまったことが理解できた。それを笠松くんは庇ってくれたのだろう。

「いやぁ〜、我ながらナイスパスだと思うんスけど」
「どこがだ!こいつに当たるとこだっただろ!」
「……だからっスよ」

 最後の黄瀬くんの声は、小さくてあまり聞こえなかった。けれど今ようやく思いだした、黄瀬くんが自主トレをしていたこと。きっと私が練習の邪魔をしてしまっていたんだ。
 笠松くんに腕を掴まれたままの状態で動くことも出来ず、そもそもこの状況に混乱し固まってしまった私の体は上手く動かせそうになかった。心の中で黄瀬くんに謝罪していると、再び笠松くんの声が響いた。

「わわわ悪い!」

 半ば突き放すように手を離され、よろめきながら笠松くんから体を離した。するとすぐにまた笠松くんの手が伸びてきて、よろめいた私を支えるように腕を掴まれてしまった。

「悪い、大丈夫か」

 笠松くんは流石バスケ部と言うべきか、反射神経が物凄く良いんだろうなぁと思った。私を引き寄せ近付いた距離に顔を真っ赤にして突き放すのに、次の瞬間には心配してまたすぐに腕を掴むなんて。やっていることは動揺する前も今も一緒だ。
 そんなことを思っても動揺しているのは私も同じで、きっと真っ赤な顔をしているんだろう。顔だけじゃない、身体全部が熱い。「大丈夫」と返事をした声がか細くて余計に恥ずかしかった。
 次の一言を互いに発することが出来ずに戸惑っていると、体育館にボールが弾む音がした。それに助けられるように、私は黄瀬くんに声をかけた。

「黄瀬くん、練習の邪魔してごめんね」
「平気っスよ!オレもボール飛ばしてすんませんっした」
「だ、だいじょうぶ、当たってないから」

 当たらなかった理由を思い出してまた顔を赤くしていると、黄瀬くんが時計を見た。

「そろそろ帰った方がいいんじゃないスか、暗くなってくるっスよ」

 つられるように時計を見れば、委員会が終わってから1時間以上も経っていた。友達と遊んでいれば遅く帰ることなんてよくあることだったけれど、今がタイミングだと思った。これ以上ここにいても黄瀬くんの邪魔をしちゃうだけだし、笠松くんも練習がしたくても出来ないだろうから。

「じゃあ私、そろそろ帰るね。笠松くん、今日は本当にありがとう」
「いや別に、フォームちょっと直しただけだし、礼を言われるようなことしてねぇよ」
「でも綺麗にシュートが出来て凄く嬉しかった。笠松くんも練習頑張ってね」
「お、おう」

 しっかり顔を上げて笠松くんを見上げて、委員会が終わった時に見せてしまったような不格好な笑みではなくしっかりと笑えたことが嬉しかった。壁際に置いた自分の鞄を持ち上げて、コートにいる二人に手を振る。

「えぇ、先輩も練習してくんスか?」
「うるせえな文句あんのか!」
「大アリっスよ、ほんとにも〜……」
「お前、いつも練習しようって騒ぐくせに…!」
「オレは空気が読める男なんス」
「はぁ?」
「今日はオレが指導するっスわ」
「ナメてんのか!」

 言い合う二人を見て、仲が良いなぁと羨ましくなる。私も部員だったら、毎日格好良い笠松くんを近くで見て、主将として憧れ尊敬できる部分をもっともっと知ることが出来て、あんな風に仲良く話すことが出来るのかな。もし私が部員だったら、笠松くんに恋することは出来ないけど。
 だから私は、女の子でいいのだ。

「気をつけて帰れよ!」

 黄瀬くんを足蹴にしながら叫ぶ笠松くんにもう一度手を振って、私は体育館を出た。
 委員会が終わってからの出来事の数々に、私の足取りは自然と軽く、固く結んでばかりいた口元も柔らかくなっていた。重くのしかかっていた心が少し軽くなり、嬉しい興奮でそわそわと揺れている。










 校舎を出れば、段々と夜が下りてきていた。
 私は大きく息を吐くのと共に、思い切り頭を下げた。それから大きく息を吸い込みながら顔を上げる。空を見ながら、笠松くんが教えてくれたようにフォームを作る。

 そして真っ直ぐに、空に向かって腕を伸ばした。

「笠松くん、ありがとう」






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