努力で実った恋の果実





「ねえ、海常と練習試合するの、次はいつ?」
「しばらくねぇよ」
「えぇ〜」

 はやく黄瀬くんに会いたいのに、とは呟いて日誌を書く手を止めた。どこか斜め上へ向く視線は黄瀬のことを思い出しているようである。そんなを見て日向は不機嫌そうに顔をしかめ、の頭をこつりと叩いた。そのせいで、思い出していた黄瀬の姿も消え、わずかに残る痛みには不満を漏らした。

「なにすんの」

 それは叩いたことだけでなく、頭上で見ていた黄瀬を消したことにもだった。

「早く日誌書けよ、オレはさっさと部活行きてえの」
「じゃあ日向が日誌書けば」

 どうぞ、と日誌をつきだすに、日向は日誌を押し返した。

「ふざけんな、オレが黒板消したんだからお前は日誌だろ」
「じゃあ書くこと考えてよ、私黄瀬くんのことで頭いっぱいで考えられない」
「んっとに黄瀬黄瀬黄瀬黄瀬って…」

 また黄瀬を思い出しているのだろう、呆けるに日向は苛立ちを堪えるように頬杖をついた。
 がこんな状態になったのは、黄瀬が黒子に会いに来たあの日からだった。その日たまたま監督の手伝いで体育館にがいたことを日向は大いに悔やんだ。監督の手伝いを頼んだのは他でもない自分だったのだ。何故よりによってあの日だったのか。たった1日ずれていただけで、こうはならなかったはずだ。
 以前からは雑誌で黄瀬のことは知っていて好みだったようだが、目の前で見て会話をして、の中の何かがはじけてしまったようだった。それ以来は口を開けば黄瀬くん、黄瀬くん格好良い、と頬を染めてどこか斜め上を見る。まるでそこに黄瀬がいるのではないか、というの表情とは反対に、日向の顔には苛立ちが募るのだ。

「だって黄瀬くん格好良いんだもん!また会いたいなぁ」
「もう会うこともねーだろ」
「あるもん」
「ないね、接点ねぇだろ」
「あるもーん」
「どこにだよ」

 否定をしても、何か根拠があるように期待に満ちた笑顔で返事をしてくるに日向は更に苛立った。

「黄瀬くんは、黒子くんの親友!そして私も、黒子くんの親友!だから黒子くんに紹介してもらうんだ」

 黄瀬が黒子の親友だということも、が黒子の親友だということも、黒子が肯定している所を日向は見たことがない。そして後者に関してはそのような事実がないということを日向はよく知っている。なのに自信たっぷりとそう言いきるは、どこか黄瀬に似ていた。

「黒子の親友って、それ勝手に言ってんだろ」
「違うよ、ちゃんと黒子くんに聞いたもん」

 そんなこと聞いてる時点で親友じゃねぇだろ、と思いつつも聞いた上でこの自信ということは黒子が認めたのか、と意外な事実に日向は僅かに目を開いた。

「黒子、何て答えたんだよ」
「”さんがそう思うのならそう思って頂いてもかまいませんが”って」

 それは肯定したうちに入んねぇだろ、と日向は呆れてついている頬が落ちそうだった。

「黒子くん、今度の土曜とか黄瀬くんと遊ばないのかなぁ」
「遊ばねぇよ、練習だ」
「じゃあ海常呼んでやろう!」
「やらねぇし。つか黄瀬はやめろ、無理だから」

 日誌の隅に小さく“黄瀬”と書きだしたを見て、日向は今まで思っていても口にださなかったことをつい、零してしまった。けれど、まずいという気持ちも浮かばず、の顔が拗ねて行くのを見ても口を閉ざす気にはなれなかった。

「無理かなんて分かんないじゃん」
「分かるだろ、あいつモデルだぞ」
「でも会った時、そういう嫌な空気の人じゃなかった」

 確かに、黄瀬の容姿はいざ実物を目にすると”モデル”という言葉を実感させられるようなものだったが、反対に性格や纏う空気は親しみやすく、世間が”モデル”というものに抱くような嫌味さなどひとつもなかった。だからこそ、は黄瀬をより好きになったのだろう。そこは日向も認める。そしてがそんな黄瀬と付き合える可能性がないなどと言える根拠もない。しかしそれを、日向は認めるわけにはいかなかった。
 難しい顔をする日向とは反対に、やはりはとろけるような顔をしている。日向の言葉も、さして気にしていないようだった。むしろ、出会った時のことを思い出して上機嫌のようにも見える。

「格好良いよね、黄瀬くん」

 何を言っても、二言目には黄瀬黄瀬黄瀬黄瀬、自分の言葉など本当に耳に入っているのかと思うようなの態度に、日向の中で何かがプツリと切れた音がした。
 再び日誌に”黄瀬”と書き始めたの手を止めるように掴み、顔を上げたの目を日向は強く見つめた。

、黄瀬じゃなくてオレと付き合え」

 真剣な日向には目を丸め、口を開けたまま止まった。
 今まで、日向はずっとのことが好きだった。の好きなことも、嫌いなことも、少しでも多く知りたくてたくさん話をした。知れるように、そばにいた。少しずつ、少しずつ近付いて、いつかにも自分と同じ気持ちを抱いてもらえるようにと努力してきたのだ。だからまだ、こんな風に気持ちを伝える気はなかった。けれどそれが、たった1回黄瀬が現れただけで一気に状況が変わってしまった。まるで今まで重ねてきた自分の努力が全て無駄だったんじゃないかと思ってしまうほどの勢いで。けれど日向は諦める気は更々なかった。重ねてきた日々が、消えたわけではないのだ。だからいい加減、が黄瀬黄瀬と口にすることが我慢ならなかった。
 じっと見つめる日向に、はぱちぱちと瞬きをした後にふ、と息を吹いて笑った。

「なに言ってんの?やだよー日向、黄瀬くんみたいに格好良くないし」

 日向が言ったことが冗談だと思ったは楽しそうに笑った。この状況でなければ、その笑顔が好きだと思うのに、今はその笑顔が日向にとっては憎らしかった。
 手を握る力を強めてしまいそうになるのを堪えながら、日向は次の言葉を探した。黄瀬はモデルだ、格好良さで自分が勝てるわけがない。
 黙る日向を気にせずには言葉を続けた。

「眼鏡とったら実はカッコイイーってわけでもないし?」

 あくまでも冗談だと思って返してくるの態度に、日向は苛立ちながら距離を詰めた。ガタリ、と椅子と机が揺れ、もともと机ひとつ隔てただけの距離が更に縮まる。

「オレが格好良くないから、嫌だって?」
「えっ…いや、あの、私髪長い方が好み、だし」

 日向の態度に、ようやく冗談ではないことを理解しだしたのか、は目を泳がせて苦笑いを浮かべた。だが信じきれないようで、顔には”まさか”と書いてある。やはり自分の気持ちにまだ気付いていなかったのか、と日向はわずかに肩を落としたが、それでいいと思った。黄瀬の存在のせいで今までのようにはしていられなくなったのだ。少しずつ、から強引にでも前に進むしかない。

「髪が長いから、黄瀬の方が好きなのか?」
「か、髪っていうか、その、黄瀬くん格好良いから」
「じゃあお前は黄瀬の見た目だけが好きなんだな」
「それだけじゃ、なくて」
「それだけじゃなくて?他は?」
「他…は、これから知ってくの!いいでしょ、別に!」

 うろたえるに、日向はそんなことだろうと思った。そしてこれから知って行く必要もない、と。自分の発言はいささか見切り発車だったような気もしたが、間違いじゃなかったという確信が持てた。
 甘い蜜に誘われる蝶のように、がその蜜を吸う前に、こうして引きとめておかなければ。

「そもそもな、黄瀬がの何を知ってるっつーんだよ」
「だから、それはこれから…ち、近いってば!」
「そりゃあ黄瀬は格好良いかもしんねぇけど、お前の好きな”格好良いこと”をしてくれるか分かんねぇだろ」
「私の好きな?…ていうか何、なんで眼鏡はずしてんの」

 の反応に手ごたえを感じながら、日向は眼鏡をはずす。
 掴んだ手を引き寄せて、自らも近寄る。少しずつ近付く距離にはたじろいだ。

「眼鏡はずした所、見せたことねぇよなあと思って。それに」

 眼鏡をとったからって格好良いわけでもない?見たこともないくせに、言ってくれるじゃねーか。確かに、眼鏡をはずしたからって黄瀬に格好良さで勝てるはずもない。スペックが違ぇんだ、んなこと分かってんだよ。だがオレは黄瀬よりも格好良いと“思わせる”ことが出来る。ずっとを見て、の“好きなこと”を知ってるのはオレの方だ。それに────男の格好良さっつうのは見た目じゃねぇんだよ。
 日向は口の端を上げ、眼鏡を机に置き空いた手での後頭部に手を置いた。の体が硬くなるのを感じ、更に口角が上がる。
 うわっつらの恋なんざ、すぐに内側から押し出してやる。の心の内側から攻めていたのは、このオレだ。なのにがそれに気付く前に黄瀬なんかに表面覆われて、気分悪いったらねぇな。

「キスする時は眼鏡をはずした方がいいだろ」
「知、らない、し、キスなんてしないし!」
「する」
「なに言ってんの!?私は彼氏としかキスしない!」
「じゃあキスしたら、俺がの彼氏だ」
「な────」

 僅かな抵抗を見せるに構わず、日向は手を引き寄せの唇に自らの唇を重ねた。そこから先へ進みたいのを堪え、今は触れあった部分を楽しみ、すぐに唇を離す。
 驚いて目も口も開いたままのに、日向は”オレの勝ち”だと思った。の瞳の奥に、嫌悪感など少しも見当たらず、むしろ揺れる瞳と染まる頬は黄瀬を思い出してはよくしていたあの表情だ。それが嬉しい半面、黄瀬の容姿はつくづく腹立たしいと思った。今まで日向が重ねてきた努力をすっ飛ばし、ただ目の前に立つだけでの心を奪い揺らしてしまうのだから。だがそれも、もう終わりだ。

「まぁすぐにオレが格好良いことに気付くから安心しとけ」
「あ、あんしんって、なにそれ」
「現にオレの彼女さんはドキドキして熱っぽい瞳でオレを見てる」
「見てない!」

 そんな嘘も強がりも、日向にとっては無意味でむしろ喜ばせるだけだということをはまだ気付かない。そして日向が自分の心に浸食していたということにも、まだ気がついていないのだ。ただ今は、日向にされたキスがこれっぽっちも嫌ではなく、高鳴る鼓動を感じることに精一杯だった。それが何を意味するのか気付くのは、もうすぐのこと。

「オレは黄瀬よりもずっとのこと知ってっからな。眼鏡はずされてドキッとしたろ?強引なのも好きだよなぁ」

 ニヤリと笑う日向が後頭部に回した手を離すのを心の隅で惜しいと思う自分と、日向の言葉を否定出来ない自分には唇を噛んだ。
 日々日向と話をしている中で、それは確かに自分が言ったことなのだ。そして事実、は日向に対して胸をときめかせている。

「その通りで悔しいんだろ」

 嬉しげに目を細め、の噛んだ唇を指でなぞる日向には言葉が出なかった。
 その通りだ。どうして自分以上に、自分の気持ちを理解しているのか。そしてさっきから自分の中に浮かんでくる感情が、何よりもは悔しかった。

 ──────日向、格好良い。






20120612
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