独占欲は爪の先まで





「あっ」

 右手人差し指にガツン、という衝撃が走り手先を見れば予想通り爪が折れていた。ショックのあまり私は折れた爪を見ながら悲鳴を上げた。

「あああああ」
「何を騒いでいるのだよ」

 突然声を上げた私に驚いたのか、怪訝そうな顔をした緑間くんが私に渋い目を向けた。私は爪が折れた指を緑間くんに見せながら悲しい声を上げた。

「爪折れちゃった」
「伸ばしているからそういうことになるのだよ」

 慰めの言葉を期待していたのに、そんなものを期待していた私がバカだった。緑間くんは慰めるどころか呆れた顔で私を見ていた。
 だって、長く伸ばしていた方が指先が細く見えて綺麗なんだもん。手が綺麗な緑間くんには私のこの努力が分からないんだろうけど。緑間くんに綺麗って思われたくて頑張ってることなのに、これじゃあ報われなくて余計に悲しい。私は彼の手の先まで見て愛しいだとか格好良いだとか日々思っているのに、緑間くんは私のことを見てくれていないのだろうか。
 確かに、いつも見ているのは私の方ばかりで緑間くんが私のことを見つめてくれていると感じることはほとんどない。
 爪だけじゃなくて私の心まで折れてしまいそう、なんて。

 興味がないのか隣に座っていた緑間くんが立ちあがったのを見て、私は爪が折れてしまったショックを声に出すのを止めた。今は緑間くんの部屋にいてポーチには爪切りを入れていないし、帰るまでこの爪が根元の方に折れてこないように気をつけよう。いつも爪の手入れをしている緑間くんなら爪切りもやすりももちろん持っていることは知っているけれど、今はもうこの話題を出したくなかった。
 高尾くんに報告したら慰めてくれるかな、なんて思って携帯を取り出せば戻って来た緑間くんが「貸せ」と言った。

「……携帯?」
「違う、お前の手だ」

 再び隣に座り、寄こせと言うように手のひらを突き出してきた緑間くんに私は不思議に思いながらもおずおずと携帯を差し出せば、そのまま奪われた携帯はテーブルの上に置かれ、空っぽになった私の左手を引き寄せられた。

「どの爪だ?折れていないだろう」
「折れたのは右手の指」
「見せてみろ」

 えええ、もうこの話題出したくないって思ったのに。

「何を渋っている?」
「べつにい」

 緑間くんが悪いんじゃん、と思いながら私は右手を差し出した。緑間くんは折れた私の爪を見て確認した後、左手に爪切りを構えた。

「えっ、何するの?」
「折れたまま放っておいては危ないだろう」
「いいよ、家に帰ったら切るし、ていうか自分で切る」

 そう言ってはみたものの緑間くんは私の意見など聞き入れてくれず、左手で掴んだ爪切りを私の折れた人差し指にあてがった。

 なんかこれ……ドキドキする。

 緑間くんに爪を切ってもらっている、というこの状況と自分以外の人間に爪を切られる、という不安のせいだ。緑間くんのことは信用しているけれど、切るということを誰かに任せるのは少し緊張してしまう。
 それに、こうして手を持たれるのは手を繋ぐ時とは違うドキドキがある。緑間くんが私の爪先をじっと見つめているのも、さっきまでは“見て欲しい”だなんて思っていたのにいざ見つめられると恥ずかしくなってしまう。
 それでも黙って緑間くんが爪を切るのを見ていたら、パチンと音がした後に私はまた声を上げた。

「あぁっ!」
「─────っ、なんなのだよ!」
「深すぎ!そんなに折れてなかったじゃん!」

 折れたのは爪の先の方。緑間くんが切ったのは爪の根元の近く。
 折れた所ぎりぎりで切れば、全体から見れば多少短めになってしまうもののまだ長さを保てていたのに。緑間くんが根元付近から切ってしまったせいで、短くまんまるな爪になってしまった。
 せっかく綺麗に揃えてたのに!

「伸ばしていたらまた折れるだろう」
「そんなしょっちゅう折ってないから平気だもん」
「爪はこの長さが一番清潔で安全だ」
「いいの私はオシャ……なんで他のも切ってんの!?」
「騒ぐな、危ないだろう!」

 短く切られてしまった人差し指に落胆していれば、緑間くんはその隣の爪もぱちん、と短く切りそろえてしまった。
 確かに一本だけ短いのは変だけど、でも他の爪は人差し指より少し長めにしてカモフラージュしようと思ってたのに!

「やだやだバカバカ!もういいから!」
「良くない!怪我をしたらどうする!」

 掴まれた手から逃れようと体ごと後ろに引くものの、緑間くんは私の手をしっかりと握って離してくれない。後ろに下がってる私の方が力を入れやすいはずなのに、私の指先を握った緑間くんから少しも逃れることが出来なかった。

「もういいよ、自分でやるってば」
「俺は失敗などしないぞ」
「そういうことじゃないの!だって、せっかく……」

 せっかく、少しでも綺麗になるように頑張ってたのに。
 それでも緑間くんが気付いてくれていないなら意味のないことだ。緑間くん自ら私の爪を短くまあるいものにされてしまったんじゃ、伸ばす必要がないと言われたも同然。
 もういいや、と半ば投げやりな気持ちで私は逃げるのを止めた。

「お好きにどうぞ」
「急に何なのだよ」

 大人しくなる、というよりは落胆をしたように静まる私に緑間くんは分けがわからないという顔をした。
 分かってますよ、緑間くんが鈍感なことは。そういう所も好きだもん。でも悔しいから、高尾くんに慰めてもらってやるんだから。
 ぱちん、ぱちんと手早く切り揃えられ解放された右手で私は携帯の画面に触れた。短くなってしまった爪が嫌でも視界に入ってなんだか悲しくなる。緑間くんは黙々と私の左手の爪を切り始めていた。

 た、か、お、く、ん、き、い、て、よ
 み、ど、り、ま、く、ん、が、わ、た、し、の、つ、め、き、っ、ち、ゃ、っ、た
 せ、っ、か、く、き、れ、い、に、し、て、た、の、に

 そう打ち込んで、送信ボタンを押そうとしたその時。

「綺麗にしているのは良いが、もう少し短くしている方が安全なのだよ」

 予想外の言葉に、私は耳を疑った。

「え……?」
「日頃からもう少し短く揃えろと言ったんだ」
「ちが、その前」
「安全だと言っているのだよ」

 だからその前────────、と思いながら私は長い爪の危険性についてあれこれと語る緑間くんの小言を受け止めた。

 “綺麗にしている”

 そう言ってくれた!私がちゃんとお手入れしてたことを緑間くんが気付いていたのかは分からないけれど、それでもちゃんと私の爪を見ていてくれたんだ。爪が視界に入るのは特に特別なことじゃないのかもしれない。だけど私にとっては些細なその一言だけで十分で、幸せなことだった。

「騒いだり黙ったり分けの分からないやつだな」

 また急に静かになった私に、緑間くんはそんなことを言いながら今度はやすりを手に取って私の爪を整えた。
 私はにっこりとしながら、私の爪先を真剣に見つめている緑間くんを眺めた。

 緑間くんが私のことをじっと見つめている。

 例えそれが爪を整えるためだとしても、こんなに嬉しいことはない。

「何をにやけているのだよ」

 私の笑みは濃くなるばかりだ。だって、良いこと思いついちゃったんだもん。

「緑間くん、また伸びてきたら私の爪切ってね」

 そうすれば、その度に緑間くんが私のことを見てくれる。
 それなのに、緑間くんの返事はそっけないものだった。

「自分でやれ」
「え〜、なんで?」
「いつも綺麗にしているんだから自分で出来るだろう」
「っ────────」

 “いつも綺麗にしている”

 もうやだ、なんでこんな予想外の時に嬉しいコンボを叩きこんでくるんだろう。しかも私を褒めようだとか喜ばせようだとかそういうのじゃなくて、淡々と素で言って来るからたちが悪い。

 数分前にヘコんでいた私がバカみたいだ。






──────────翌日──────────







「ねーねー、ちょっと手ぇ出して」

 にっこりと笑う高尾くんを不思議に思い手のひらを見せれば、高尾くんは私の手をくるりとひっくり返した。

「長いのも綺麗だと思うけど、短いのも可愛いくて好きだけどね」

 昨日緑間くんが嬉しいことを言ってくれる前に泣きついた私を慰めるような言葉をくれながら、高尾くんはポケットからピンクの可愛らしいマニキュアを出して私の爪に色を乗せた。

「どお?こうすればもっと可愛いっしょ」
「可愛い!このマニキュアどうしたの?」
「昨日ちょーど買い物してる時に連絡あったから、似合いそうだと思って買っちった。気に入った?」
「うん、すっごい可愛い」

 器用に私の爪をピンク色に染めていく高尾くんに笑顔で答えていれば、背後から大きな声が聞こえた。驚いて肩を揺らせば、少しだけピンクがはみだしてしまった。

「高尾!」
「うわ、なんだよ真ちゃん邪魔すんなよ。今オレは真剣なの」
「余計なことをするな!」
「なーに余計って。可愛いって喜んでもらってんのにサ」
「こ……こいつの今日のラッキーカラーは緑なのだよ!」
「はぁ〜?なに、オレ色に染まれ〜的な?」
「そんなことは一言も言っていない!」
「んじゃ別にいいじゃんピンクで、それとも真ちゃん緑のマニキュア持ってんの?」
「オレがそんなもの持っているわけがないだろう」
「じゃ〜あっち行って、あとちょっとで完成なんだから。中途半端は格好悪いっしょ」
「……お前は下手だから俺がやる!」
「そ?じゃーお願いするわ」

 目の前で繰り広げられる会話を黙って見ていれば、高尾くんは私の手をさっと離して行ってしまった。去り際にウインクをひとつ落として。
 マニキュアがはみ出したのは私が動いてしまったからで、高尾くんは十分上手だったのに。緑間くんは何が気に入らなかったんだろう。それとも本当に緑間くんの方が上手で見ていられなかったのかな?もしくは私がラッキーカラーじゃないピンクをまとうのを心配してくれたとか?でもマニキュアは持ってないし、緑のものって何かあったかな……

「後で緑のもの探しておくね?」
「必要ない」
「なんで?あ、緑間くんはみ出したよ」
「黙るのだよ」

 緑間くんも器用な方だと思ってたけど、やっぱり塗り慣れてないと難しいようで私の爪にはみ出したピンクが増えてしまった。これなら高尾くんの方が上手だったんじゃないかなぁ。なのに緑間くんは──────────

 どうして高尾くんのことを下手だなんて言ったんだろう?






20140410
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