暗号の導き





 “資料を取って来て欲しい”と先生に鍵を預けられ、日直である私と彼は今、旧校舎の階段を上っていた。普段ほとんど来ることのない旧校舎は、名前の通り壁や階段が古く人気のなさも手伝って寂れた雰囲気が漂っていた。それでも多少の修繕工事はしているのか、階段脇の壁の色だけが少し違っていた。壁に入ったヒビを埋めたかったのか、塗りなおされたクリーム色が校舎の中で浮いてる。それなのに結局はまた塗りなおした部分もヒビ割れてしまっていて、なんだか古代遺跡の中に描かれた壁画のようになっていた。

「ねぇ」

 壁のヒビに手を添えながら、数段上にいる彼に私は声をかけた。
 私の声に応えるように足を止めて、彼が振り返ったのが視界の隅に映る。私は壁のヒビを指でなぞり見つめながら、口を開いた。

「私、実はね。この壁に残されたメッセージを解くためにこの学校に来たんだよ」

 そう言って、私は真剣な顔で彼を見上げた。




*  *  *




火神大我の場合


 普段から見上げているのに、今は更に高い所に大我の顔がある。大我は振り返った体勢のまま固まり、私の顔をじっと見ていた。

「…………」

 段々と眉間に皺を寄せる大我に、わざと真剣な顔をしていた私は恥ずかしさで口元が緩んでしまいそうだった。
 もしかしてドン引きされちゃった…?ちょっとふざけてみようと思っただけだったんだけど。

「な、なーんちゃっ」
「マジかよ!?」

 冗談でした、と笑おうとすれば、数段上にいたはずの大我がたった一歩で私の前まで降りてきて、私の肩を掴んだ。その勢いで後ろに落ちる、と一瞬ひやっとしたものの、しっかりと掴まれた肩にそんな心配はすぐに消えた。
 というか、え──────なに?目の前にあるこの眩しい笑顔は?

「お前、そんなすげぇことしてたんだな!」
「あ、いや、あの」
「でも、オレに言ってよかったのかよ?お前、ボスとかに怒られたりすんじゃねーのか?」

 ボスって何?マフィアか何かと勘違いしてない?そしてこの新しいおもちゃを見つけたようなこの子どものような笑顔は──────大我、まさか真に受けたの?
 とりあえず今は、笑顔を消して心配そうに私を窺う大我に何か返事をしなくちゃ。

「大我が誰にも言わなかったら、大丈夫」
「そっか……オレぜってー言わねぇから!死んでも言わねぇ!」
「う、うん」
「オレに手伝えることがあれば何でも言えよ、頭は使えねーけど体使うことならまかせろ!」
「ありがと……」

 キラキラした瞳に見つめられて、何だか後には引けなくなってしまった。
 どうしよう、ちょっとふざけてみただけなんだけどな……あとで黒子くんに相談しよう。期待の眼差しを向けて来る大我の横を通り抜けて、私は足早に資料室まで向かった。後ろでは大我が「暗号解かないのかよ?」と声をかけてくるけれど、私は「長居して怪しまれたら困るから」と、恥ずかしさを堪えながら答えた。

 うぅ、大我のこの無邪気な所大好きだけど、大好きだけど!黒子くん助けて!




*  *  *




青峰大輝の場合

「んなバカなこと言ってオレの気を惹きたいなんて可愛い奴だなお前」

 そう言って青峰くんは私の頭を大きな手で撫で回した。
 乱暴に触れられることにも、言われた言葉にも、胸の奥がぐらぐら揺れて顔が熱くなる。それを隠すように私は声を上げた。

「ちがっ、そうじゃなくて!バカとか青峰くんに言われたくないし!」
「んだと?もーいっぺん言ってみろ!」
「キャ──────!」

 けれど逆効果。
 青峰くんは空いている腕を私の肩に回し体を固定して、更に頭を撫で回してきた。まるで自分が大型犬になったような気分だ。ぐしゃぐしゃと彼の手に絡まり髪が乱れるのが嫌だと思うのに、それが青峰くんの手だと心底嫌だと思えないのが悔しい。やめて、と言う私の声が喜んでいるように聞こえないかが不安だった。

 青峰くんはふいに犬がじゃれあうように私に絡んでくる。
 そっけなかったり気怠げだったり、黙っていると怖いとまで言われるものの本当はそれだけじゃない。無邪気で、まるで少年のような一面もある。そんな青峰くんに触れる度に、いつもとは違う彼の素の部分を見て私の心の奥はむずむずとする。可愛らしくて、嬉しくて。何のしがらみもなく、青峰くんが私にそんな風に接してくれるのがとても嬉しい。だけどいつも嬉しくてむずむずする気持ちの他に、どうしても気になってしまうことがある。

 私は女の子だっていうこと、ちゃんと分かってる?

 青峰くんと私はまるで男友達のようじゃないかと思ってしまうのだ。そんな思いをぶつけるように目線を送れば、青峰くんの顔が少し傾いた。

「なんだよライオン」
「なっ────ライオンじゃなくて、私は女の子!」

 乱れた髪を手で直しながら声を荒げれば、青峰くんの口から間の抜けた声が漏れた。

「はぁ?」
「青峰くんって、私のこと男友達のように扱うよね」
「……お前ってほんと」

 咎めるような私に青峰くんは呆れた声を出しながらも、口元は笑っていた。
 “ほんと”の続きは何だ、と構えていたら、今度は私の口から間の抜けた声が漏れる番だった。
 体が、宙に浮いたのだ。

「こうして欲しいんだろ」

 肩にかけられていた手が背中に回され、膝の裏には私の頭を撫でまわしていた青峰くんの手がある。お姫様抱っこをされているのだと気付いた時には、私の顔は隠しようのないくらいに赤くなっていた。
 青峰くんの体に密着している半身が、熱い。降ろしてと騒ごうにも、階段の上という不安定な場所のせいで身動きが取れなかった。そして何よりも、やっぱり──────嫌だとは思えなかった。

「なん、で」
「お前がこうして欲しいって言ったんじゃねーか」
「言ってな────」
「言っただろ、女扱いして欲しいって」

 どうだ、と言わんばかりの笑みが憎らしい。
 なんで──────なんでなんでなんで、女心に疎そうなくせに、乱暴なくせに、私が言葉にしないことを分かっちゃうのよ。王子様なんて柄でもないし、扱いも荒いくせに、どうして私の心をこんなにドキドキさせるのよ。
 心臓の音がうるさすぎて、どんどん威勢がなくなってしまう。

「降ろしてよ」
「嫌だね」
「なんで────ちょっ」

 楽しそうに階段を上りはじめた青峰くんに、落ちるのが怖くて思わず寄り添ってしまった。そんな自分の行動が恥ずかしくて、次に何を口にすればいいのか分からなくなってしまった。青峰くんに威勢良く噛みついてみたって、私だって女の子なのだ。こんな状況で、いつものように振舞っていられない。
 けれど私の思考回路を止めるのが青峰くんなら、また動かすのも青峰くんなのだ。固まってしまった私を動かしたのは、青峰くんの頭突きだった。

「痛った…!」

 目尻に涙が浮かぶほどの痛さに堪えながら“だから”と思った。
 こういう部分が、私のことを女の子として認識してるのか問いたくなる理由なんだってば!

「オレが男に可愛いなんて言うと思ってんのかよ、オヒメサマ」

 触れそうな距離で意地悪そうに笑う青峰くんに、お姫様はこんなことされないはずだと心の中で叫んだ。だけどもしかしたら、青峰くんのオヒメサマはこんなことをされる運命なのかもしれない。

「青峰くんはオウジサマって柄じゃないけど」

 悔し紛れにそう言えば、抱える腕を乱暴に揺らされ、私の悲鳴とチャイムの音が重なった。




*  *  *




黄瀬涼太の場合

 振り返った体勢のまま、黄瀬くんはぱちぱち、と大きな瞳を2度瞬かせた。

「…………」

 “なに冗談言ってんスかー!”なんて笑いが返ってくるのを予想していたのに、普段はくるくると表情を変える黄瀬くんの顔にはまだ表情が浮かばない。
 笑い返してもらえないくらい、つまんないこと言っちゃったかな。
 不安になって慌てて口を開けば、それを遮る様に黄瀬くんの大きな声が響いた。

「マジ!?すげーっスね、もう解けてるんスか?」
「いや、まだ……もうちょっと」

 あれえ?信じちゃうの?黄瀬くんまさか、こんなの信じちゃうの!?
 予想外の展開に驚いてる私を余所に、黄瀬くんは嬉しそうに階段を下りて私の目の前に立った。

「そんなすごいコト、オレに教えてくれるなんて嬉しいっス」
「黄瀬くんにしか言ってないから誰にも言わないでね」
「もちろん!」

 私の目線に合わせるように腰を屈めて、そして壁につけたままだった私の手のすぐ横に黄瀬くんも手をついた。そして壁のヒビをなぞるように指を動かして、最後に私の指に小さく触れた。

「オレ、ちょっと解けた気がするんスけど」
「え、私もまだなのに?」
「うん。知りたい?」
「う、ん」

 私もまだなのに、というかそもそもこれはただのヒビであって暗号でも何でもないから、解けるものじゃないんだけど。けれど黄瀬くんの何かを企むような笑みに押されて、私は首を縦に動かしていた。

「じゃあ、耳かして」
「そんなことしなくても誰もいないから聞かれないよ」
「絶対合ってる自信あるんスもん、細心の注意を払わないと」

 そう言って、黄瀬くんは私の耳に顔を寄せた。
 くだらない冗談を言っただけのつもりだったのに、なんでこんな展開になっているのか分からなかった。ただ私はうるさく騒ぐ心臓の音が黄瀬くんに聞こえないように息を潜めて、緊張のあまり後ろに倒れてしまわないように壁についた手に力を込めた。
 小さく、黄瀬くんが息を吸うのが聞こえ、吐き出された息に乗って届いた言葉に私は目を丸くした。

「I love you」

 耳に響いた言葉を理解した私は反射的に体を後ろに仰け反らせてしまった。そのままバランスを崩しかけたけれど、すぐに大きな手が私の腰を引き寄せて、私の足はしっかりと階段についたままだった。驚いて声を発せられずにいる私を、黄瀬くんは満面の笑みで見下ろしている。

「せーかい?」
「な、なななななにが!?」
「何がって、この壁の暗号」

 そう言いながら、黄瀬くんは触れていた指先を離してそのまま私の手の上に自分の手を重ねた。意地悪な顔をしている黄瀬くんは、私が動揺しているのを見て楽しんでいる。分かっているのに、動揺せずにはいられないのが悔しい。触れられている腰と手が熱くて、耳元で囁かれた言葉の余韻が消えない。

「ねぇこれ、誰が誰に残したメッセージなんスか?」

 冗談じゃないのなら、黄瀬くんから私へのメッセージなら嬉しいと思いながら私は突っぱねるように「知らない」と答えた。私が黄瀬くんをからかおうと思っていたのに、逆にからかわれてしまって、まさかこんな状況になるなんて思いもしなかった。

「じゃあ、頑張って解かないと」

 早い方がオレは嬉しいっスね、と笑って、私の手を握って階段を上りだした黄瀬くんに私は声を絞り出した。

「どうして黄瀬くんが嬉しいの」
「それはまぁ、解けば分かるっスよ」

 ずるい。これで自惚れた私の答えが間違っていたら、どう責任をとってくれるつもりなんだろう。
 憎しみにも近い気持ちを込めて握られた手を思い切り握り締めたら、黄瀬くんは楽しそうに笑った。






20130612
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