36℃と少し





 委員会の資料をまとめて、そろそろ帰ろうと思った頃には教室の外は真っ暗になっていた。外は寒いんだろうなぁ、と思うと学校を出る足が渋ってしまう。夏には”つめた〜い”だけが並んでいた自動販売機も、今ではすっかり”あったか〜い”のラインナップが豊富になっていた。
 ──────温かいものを飲んで、ホッカイロ変わりにして帰ろう。
 そう思って自動販売機の前で足を止め、お財布を出しながら何を買おうか迷った。コーンポタージュ、ココア、カフェオレ、ミルクティー。家に帰ればご飯が待っているし、コンポタはなしかな。カフェオレにしよう、とボタンを押ししゃがみ込んでから、やっぱりミルクティーにすれば良かったと思った。カフェオレの隣にあったミルクティーは、去年はなかった種類だったことを今になって気付いたのだ。次飲む時はそっちにしよう、なんて優柔不断なことを考えながら取りだし口に手を入れて、私は固まった。

「うそ──!!」
「なんだそこは真実の口か?」
「日向!」

 出てきた缶を掴んだ状態のまま悲鳴を上げればすかさず入ったツッコミに顔を上げると、そこには日向がいた。部活中なのだろうか、タオルを肩にかけて暑そうにしている。

「温かいの押したのに、冷たいの出て来ちゃった」

 涙声でそう言えば、日向はタオルで顔を乱暴に拭ってから「ラッキーだったな」と言った。

「ラッキーじゃないよ!」
「温かい押して冷たいモン出て来るなんて滅多にねーだろ」
「そんなラッキーいらないよ、寒いからホッカイロにしようと思ってたのに」
「なにお前、寒いの」
「寒いですよ」
「ちょっと待ってろ」
「え?あ、ちょっと」

 呼びとめる間もなく背を向けた日向に、なんなんだ思いながらも私は大人しく待っていることにした。なんだかもう立ち上がる気も起きない。悔しい。
 この冷たいカフェオレを私の体温であったかくしてやる、とようやく私は取り出し口から缶を取り出した。両手で必死に温めてみるもののそう簡単にあったかくなるわけもなく、掌が冷たくなるだけだった。やっうぱり悔しい。
 ──────もう新しいの買って帰ろうかなぁ、最初からミルクティーにすれば良かった。

「いつまでしゃがんでんだ」
「っ?」

 日向の声と共に振って来た何か、が私の視界を遮った。頭に被せられたものを手にとれば、それはバスケ部のジャージだった。

「それ着てろ」
「でも日向がこれ着て帰るんじゃないの?」
「制服に着替えるから着ねーよ。今着替え終わったら温かいの買ってやるから、それ着てちょっと待っとけ」
「え、いいよ、私自分で買うから」
「練習終わったばっかで暑ィから、その冷たいのはオレが飲んでやるっつってんだよ」
「……ありがと」

 突然の優しさにドキドキしながら答えれば、日向の手が私が握っていたジャージを持ち上げた。

「そこのベンチで待ってろ、すぐ戻って来るから」
「う、ん」

 ジャージを広げて肩に掛けられて、私はようやく立ち上がった。

「冷たいの飲みてーんだから、握りしめてぬるくすんじゃねーぞ」

 そう言って再び背を向ける日向に、私の返事は心の中でしか出来なかった。



 体温が上がったせいで
 ──────もう、ぬるくなっちゃったよ。










日向順平の場合


 明日の練習試合に備えて今日の練習は軽い調整をして終わった。帰る奴もいれば、そのまま少し自主トレをするべく体育館に残っている奴もいる。オレももう少し打ってから帰るか、なんて水道で顔を洗いながら考え体育館に戻ることにした。すると先ほどは誰もいなかった自動販売機の前でしゃがみこみ、「うそ──!!」と悲鳴を上げている女子生徒がいた。

「なんだそこは真実の口か?」
「日向!」

 こんな時間にいるなんて珍しい、と思えばバッと上げた顔には悲しそうな、悔しそうな表情を浮かべていた。

「温かいの押したのに、冷たいの出て来ちゃった」

 涙声で見上げられ、オレは息が詰まった。
 ──────そ、れは反則だろ!!
 汗を拭くふりをしてタオルを顔に押しつけ、緩む表情筋を引き締めるように乱暴に拭いニヤける口を噛んだ。
 ──────バカかコイツは!んなしゃがみ込んで!上目使いで!涙声に涙目…とまではいかねぇにしても、そんな体勢と顔で迂闊に男を見るんじゃねぇ!しかもこんな人気のない薄暗い廊下で!!
 ここを通ったのがたまたまオレだったから良かったものの、オレ以外の誰かがコイツにこうして見上げられていたのかもしれないと考えるだけで腹が立つ。
 が、今は心臓が騒ぐのを抑えるのに必死で、そこまで苛立ちを感じられずにいるのが救いだ。とにかくこんな感情を悟られまいとタオルで顔を隠している間に気合いを入れ、口を開いた。

「ラッキーだったな」
「ラッキーじゃないよ!」
「温かい押して冷たいモン出て来るなんて滅多にねーだろ」
「そんなラッキーいらないよ、寒いからホッカイロにしようと思ってたのに」
「なにお前、寒いの」

 寒い、というその一言で頭にひとつの考えが浮かんだ。

「ちょっと待ってろ」
「え?あ、ちょっと」

 返事も聞かずに背を向け、更衣室に向かう。ジャージを貸してやろうと、そう思ったのだ。
 ──────いや別に、やましい気持ちなんて、下心なんてねーよ!?オレのジャージを着てる姿をちょっと想像しちまったとか、その流れで一緒に帰ろうだとか、そんなん別に…………考えたっていいだろうが!こちとら健全な男子高校生ですゥ!好きな女にそんくらいのこと考えてバチあたんねーだろ!寒がってんのも心配してんのも本心だ。だからとりあえず、帰ったら家の周り走るんで今日はもう自主トレ切り上げさせて下さい!!


 そんな独り言を心の中で繰り広げながらジャージを持って戻れば、アイツはまだ自動販売機の前でしゃがんでいた。小さく丸くなっている、その背中。
 ──────くそ、可愛いな。

「いつまでしゃがんでんだ」
「っ?」

 ジャージを頭からかぶせてやれば、驚いたように顔を上げたのを見て、また息が詰まる。

「それ着てろ」
「でも日向がこれ着て帰るんじゃないの?」
「制服に着替えるから着ねーよ。今着替え終わったら温かいの買ってやるから、それ着てちょっと待っとけ」
「え、いいよ、私自分で買うから」
「練習終わったばっかで暑ィから、その冷たいのはオレが飲んでやるっつってんだよ」
「……ありがと」

 いきなり待ってろだなんて言って一緒に帰る流れを作って迷惑そうな顔をされないかと内心緊張していたが、嬉しそうにはにかむ顔を見てホッとした。それと同時に、タオルを部室に置いて来てしまったことをオレは後悔した。
 ──────ニヤけそうになる顔を隠せねぇ…!

「そこのベンチで待ってろ、すぐ戻って来るから」

 オレから意識を逸らさせるようにコイツが握っていたジャージを肩にかけてやれば、ようやく立ち上がった。オレを待っている間もずっとしゃがんだままで、どこの馬の骨か分かんねぇ男が通り過ぎた時の心配を、これでようやくしなくて済む。

「冷たいの飲みてぇんだから、握りしめてぬるくすんじゃねーぞ」

 走って部室に戻って着替えたいのを堪えて、平静を装ってゆっくりと背を向けた。



 本当にラッキーなのは
 ──────オレの方だな。






20121018
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