名を詠む 二節目



名を詠む 一節目の続編です。




 赤司くんと会話をしたあの朝から、特に彼とこれといった会話はしていない。隣の席になったと言っても、赤司くんは話しかけやすいタイプの男の子じゃないから、気軽に声をかけるだなんてことはなかなか出来ないのだ。けれどあの朝の一件以来、少しだけ赤司くんに近付けたような気がして、私はほんの少し優越感を感じていた。
 そんな優越感も、ほんの数日で消えてしまうのだけれど。




 最近、赤司くんの視線が痛い。

 おかしい、私は何もしていないはずだった。教科書を忘れて見せてもらう、なんて迷惑をかけることもなかったし、授業中に騒いで彼の邪魔をすることもない。そもそもあれ以来話しかけてもいないのだから、何か癇に障るようなこともないと思う、んだけど……私は何かをやらかしてしまったのでしょうか。
 と、思ってはみても“視線が痛い”なんて理由を彼に確認するには「私のこと見てる?」なんて自意識過剰みたいな聞き方しか思い浮かばなくて、どうにも解決が出来ない。
 でも、痛いほどの視線が注がれてるのは事実だった。ずーっと見られてるわけじゃなくて、ふと感じる鋭い視線。その時に振り向いて「なに?」って聞けばいいのに、それが出来る相手なら苦労はないですよね。





「はぁ……」

 誰にも聞かれないように、小さく息を吐く。
 さっきの授業中も一度、視線を感じた。ちょうど前の席の男の子に話しかけられて話していたのだけれど、そのせいで私は不自然に口を噤んでしまった。うるさい、という意味の視線かと思ったのだ。けれどその授業は生徒の話声も多く、私に話しかけてきた子も授業の内容についての質問だったから、私だけがうるさいことも授業に集中せずにお喋りをしてたわけでもなかったんだけど……それでも反射的に口を閉じてしまった。結局は赤司くんの視線の意味は分からないままだ。
 どうして赤司くんは、私に痛いほどの視線を送ってくるんだろう。私が喋っていなくても、真剣に板書をしているときにだって感じることがある。何もしてないはずなのに、とこうして何も気付かない私に余計に腹が立つのかな。でも本当に分からないんだもん。
 そもそも赤司くんは、腹が立っているの?

 何も分からない。私が赤司くんについて知ってることは、彼がバスケ部の主将だということと、凛と堂々としていて、人に背筋を正させるオーラがあるということ。そしてそんな彼に相応しい征十郎という名前だということ、それくらいしかまだ知らない。彼がどんな性格で、どんなことにどんな感情を抱くのかも、私にはまだよく分からないのだ。あの朝の出来事があったって、結局それは私が勝手に赤司くんに近付けたような気がしていただけ。近付けたわけではないのだ。
 それなのに、あの視線の意味が分かるわけもない。




 どうしたものか、と考えた所で解決策は見つからないことを承知でぼんやり考えていたら、後ろから名前を呼ばれた。振り返って、背後で笑っている人物を見て私は心の中で「げ」と声を漏らした。
 私を引きとめたのは、数学の先生だった。 
 運が悪い。たまたま通りかかった職員室の前で、この間提出したノートを返しておいてくれと頼まれてしまった私はクラスメイト全員分のノートを抱えて教室に戻った。次の授業で使うからちゃんと手元にわたるように、と言われたものの、それなら先生が自分で配ってくれればいいのに、と思う。
 心の中で溜息をつきながら、ノートに書いてある名前を確認して手渡して行く。教室にいない人には机の上に置いておくことにした。
 次は、と名前を確認して、目に入った文字を見て誰のノートかすぐに察しがついた。均等が保たれ、数ミリのブレも感じさせないこの字は、きっと彼の字だ。文字を頭で認識しなくても、形を見れば分かる。彼の字をまじまじと見たことなんてないけれど、それでも彼しかいないと思った。最近私に痛い視線を送ってくる、赤司征十郎くんの字。こんな所にまで彼が現れてるなぁ、と感じながら私は教室を見渡した。すると、赤司くんはちょうど教室を出て行く所だった。
 私はとっさに彼の名前を呼んだ。

「赤司くん!」

 すると一瞬、彼の足が止まったように感じた。けれど彼はそのまま教室を出ていってしまった。
 私が呼んだのに気付いたと思ったのに……聞こえなかったのかな。
 ちょっぴり悲しい気持ちになりながら、自分の席の隣である赤司くんの机にノートを置いた。雑だと怒られないように、机の真ん中にまっすぐと丁寧に。彼の字に相応しいように。
 なんて思いながら、彼の字に相応しいってなんだ、と自分でツッコミを入れてしまった。自分で言ったくせに、よく意味が分からない。でもなんかとりあえず、そういう気分になってしまったのだ。
 不思議だけど、赤司くんはそういう人。机に乗っているのはただの数学のノートなのに、なんだか違うもののように見える。機密事項がかかれた文書とか、人目を忍んで現代まで受け継がれた歴史書とか。そんなことを考えてじっとノートを見ていると、予鈴が鳴った。バカなことを考えている場合じゃない、と腕の中にある残りのノートの持ち主を探して、私は再び教室を見回した。



 授業が終わる直前、今やっているプリントを隣の席の人と交換して採点しあったのを次の授業で提出しろ、と先生は言った。どうしてこんなときに隣の席の人とそんなことをやらせるかなぁ、と先生の空気の読めなさに私は肩を落とした。まだ半分も終わってないのに、交換なんて出来ない。どうにか解けないかと頑張ってみるものの、日直の号令がかかって授業が終わるまでに解けたのはたったの一問だった。この数秒で最後まで解けたら、とっくに全部解き終わってるに決まってる。お隣の赤司くんはと言えば、授業が終わる10分前にはシャープペンシルを筆箱にしまっていた。
 彼を待たせるなんて絶対に怒らせる、でも半分しか解けてない状態のを採点して提出するのは私の成績に関わってしまう。赤司くんのプリントは受け取って、私のプリントは少しだけ待ってもらえるようお願いしよう、と顔を上げたとき、赤司くんは私の目の前を通りすぎようとしていた。

「赤司くん」

 引き止めようと慌てて名前を呼んだのに、赤司くんはそのまま教室を出て行ってしまった。
 さっきのはまだしも、今のは絶対に聞こえてたよね……?というか、さっきのももしかして聞こえてたけど

 ────────シカトされた?


「う、そ────」

 そんなに?シカトされるほど?あの朝以来まともに会話もしてないのに、私は一体何をやらかしちゃったの?
 無視をされてしまえば、赤司くんの視線の意味を聞くためのうまい言葉が浮かんだとしても確認すら出来ない。
 周りは騒がしくお昼休みをスタートさせているというのに、私はそんな陽気な気分になんてなれずに机におでこをぶつけた。
 分かんない、全然分かんない。というか、絶対分かんない!

「あかしくんのばか……」

「──ッ!?」

 解けない問題を愚痴るように小さく呟いた言葉は、唇の数センチ先にある机に吸い込まれたはず、だった。
 けれどすぐに凛とした声に名前を呼ばれて、私は飛び起きた。

「あ、あか、」
「バカはお前だ」
「き、聞こえて」
「僕の名前を絶対に忘れるなと言っただろう」

 小さい声で、しかも机に向かって言ったんだから絶対に聞こえないと思ったのに聞こえていただなんて、と体中から汗が出そうだったのだけれど、次いだ赤司くんの言葉に思考がピタリと止まった。

 ──────え?名前?

「忘れてないよ?」
「嘘を吐くな」
「え、ほんとに忘れてないよ、ちゃんと覚えてる」
「言ってみろ」
「征十郎、くん」

 私がすんなりと紡ぐと、赤司くんがあの朝の時のように一瞬反応したように見えた。けれど表情が変わるわけでもなくて、気のせいと言われてしまいそうなほどの一瞬だった。

「覚えていたなら何故呼ばない」
「……え?私が赤司く──せ、征十郎、くんを名前で、呼んでいいんですか」

 話している途中に注がれた鋭い視線に言葉を詰まらせ、そしてしどろもどろに名前を呼び直せば瞳の強さが緩んだ。それまでは感じていただけの視線を、直接瞳に送られると体が強張ってしまい、同い年のクラスメイトだというのに思わず敬語を使ってしまった。
 それにしてもまさか、赤司くんの痛いほどの視線の理由が“自分の名前を忘れられた”という所にあるとは思いもしなかった。だから“赤司くん”って呼んでも振り向いてくれなかったんだ。呼ばなくたって、忘れるわけなんてないのに。だって、名前を知ってるからって誰しもがその相手の名前で呼ぶわけじゃないでしょ?そもそも赤司くんを気軽に名前で呼べるわけがない。
 それなのに赤司くんは腕を組み顎を少し持ち上げ、私に言い放った。

「かまわない。そうでもしないとすぐに忘れるだろう」
「そんな簡単に忘れないけど……私って赤司くんの中でどんなキャラになっ──」
「僕が今言った言葉をもう忘れたのか」
「せ、征十郎くん」

 有無を言わさぬその威圧感に、自分が言いたかったことなんてもうどうでもよくなってしまった。
 とりあえず“征十郎くん”と、そう呼べばいいんだよね?どうして私に名前を忘れられたら嫌なのかも、赤──征十郎くんの中で私がどんな忘れん坊キャラになっているのかも、さっぱり分からない。
 考えられる理由としては“私如きに自分の名前を知られていないのは不愉快だ”とか、そういう感じかな。でも私、本当にそんな簡単に忘れたりしないんだけどなぁ。


「は、はい」
「お前はバカだな」
「ぇえ?そこまで言われるほどじゃ」
「まだ終わっていないのだろう」

 先ほどの生物のプリントに視線を落としてそう言う赤──────あぁもう、慣れない!
 征十郎くんに、私は最初に声をかけた理由を思い出した。

「そうなの、だからちょっとだけ待っ」
「次に数学があるのは明日の1限だ。待ったからと言ってまともに解けずに適当な回答で埋めるのが目に見えている」
「これくらい……ちゃんと集中すれば出来る、と思う、けど」
「いいや、僕の言った通りになる。いいから着いて来い、教えてやるから」
「えっ」

 驚いている私を置いて、赤司く──────征十郎くんは教室のドアへ歩いて行く。

「ほんとに教え──ていうか、お昼は」

 ──────ちょっと待って赤司くん!
 そう叫びたいのを私は慌てて堪えた。
 まさか本当に赤司くんが教えてくれるの?とか、お昼はまだ食べてないけどどうするの?とか、聞きたいことはたくさんあるのに、赤司くんは私の返事を聞く気がないのかスタスタと教室を出て行く。少しも、待ってはくれない。
 とりあえずプリントと筆箱、そして持ってきていたお弁当を掴んで私は席を立った。



 さっさと行ってしまった赤──────あぁ私また“赤司くん”って呼んでた。声に出していたら怒られる所だった。
 さっさと行ってしまった“征十郎くん”に、少しくらい待ってくれてもいいのにと思うものの、そのおかげで教室を出て行く彼の姿をこうしてまた見れたから、置いていかれても良かったと思った。これでもう本当に、分からない理由を探さなくてもいいんだ。



 だって──────征十郎くんの口元が、あの日の朝と同じだった!






20121029
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