11.あの日は今も、まぶしくて 





 三連休の真ん中。
 私はマジバでバニラシェイクをふたつ買って、学校へと向かった。
 溶けないように小走りで校門を抜けて体育館裏へと急げば、待ち合わせの時間にはぴったりだった。
 時間がずれるかもしれない、と昨晩連絡がきていたけれど、どうやら予想通りに休憩に入れたようだった。体育館のドアから少し離れた段差に腰掛けた彼が、私に気付いて手を振ってくれた。
 嬉しくて、思わず笑顔になってしまう。

「黒子くん、久しぶり」

 手を振り返して声をかければ、黒子くんは微笑み返してくれた。

「お久しぶりです」
「時間ぴったりだった?ちょっと待たせちゃったかな」
「ちょうど先ほど休憩になったばかりなので待っていませんよ。逆にさんをお待たせしなくて良かったです」
「黒子くんの貴重な休憩時間に比べたら、私が待つのは全然平気だよ。でも、溶けちゃうからぴったりで良かった」

 暑い日差しの中を小走りした甲斐がある。
 日陰に座っている黒子くんの隣に腰掛けると、汗ばんだ体がほんの少しだけ涼しくなった。
 溶けちゃうから、という私の言葉に不思議そうな反応をする黒子くんに笑いながら、私は紙袋からバニラシェイクを取り出した。それを黒子くんに渡すと、彼は驚いたようにゆっくりと瞬きをした。

「あ、ごめん、もしかして練習中に甘い物とかダメだった?」
「いえ……僕の好きなものだったので、驚きました」
「あぁ、そっか。黄瀬くんが黒子くんはマジバのバニラシェイクが好きなんだって言ってたから、本のお礼も兼ねて差し入れようと思って買って来たの」
「ありがとうございます。でも、気を遣わなくても良かったんですよ。本だってさんが持っていてもかまいませんし」

 バニラシェイクを受け取って「いただきます」を言ってからストローに口をつけた黒子くんを見て、私も自分の分を袋から取り出して口をつけた。
 火照った体に、ひんやりとした甘さがするすると溶けていく。
 黒子くんと海常の体育館裏で一緒にバニラシェイクを飲む日が来るなんて、なんだかおかしな気分だった。

「あの本、黒子くんのお気に入りだったでしょ?私が持って来るの忘れちゃったせいで返しそびれてたのが申し訳なくて。それに、またこうして黒子くんと本の話もしたかったし」
「そう思ってもらえると嬉しいです。僕もさんと本の話をするのは好きですから」

────────好き

 黒子くんの口から紡がれるこの言葉は、すんなりと私の心に響いた。
 私に不安も戸惑いも与えない。素直に、言葉のままを嬉しいと受け取ることが出来る。
 あの日黄瀬くんが私に零した言葉と同じ言葉なのに、どうしてこうも違うのだろう。

「ありがとう。今日は私のおすすめも持って来ちゃった」
「ふふ、僕も持ってきました」
「ほんと?楽しみ」

 黒子くんが教えてくれる本はいつも面白かった。
 私じゃ見つけられないような、手に取らないような、そんな本を教えてくれる。自分ではきっと選ばないような本でも、黒子くんが教えてくれる本は私の心の中にいつも何かをひとつを残していく。それが楽しくて、彼に借りた本はいつもより丁寧に読んでしまうのだ。
 今回はどんな本を持って来てくれたのかな。黒子くんは今、どんな本を読んでいて、なにを楽しいと思っているのだろう。
 教室ですごした休み時間や、委員会の仕事がある放課後にこうして本の話をして過ごした時間を思い出して、とてもなつかしい気持ちになった。

さん」
「ん?」

 黒子くんが、じっと私の目を見つめた。

「黄瀬くんと話すようになったんですね」
「あー……うん、実は同じクラスで、夏休み明けに席替えしてからね。バニラシェイクの話は黄瀬くんが一方的にしてただけなんだけど」

 一昨日の謎のたい焼きデートの時に、誠凛と練習試合がある、と黄瀬くんが嬉しそうに話していた。それを聞いて、本を返すチャンスだと思って久しぶりに黒子くんに連絡したのは私の方だった。
 どうやって練習試合があることを知ったのか黒子くんには言わなかったけれど、会えばきっと黄瀬くんの話になるとは思っていた。
 だけど本当は、あんまり黄瀬くんの話はしたくない。
 黒子くんが変な詮索をしたり、からかったりするような人じゃなくて良かったと思う。むしろ、黄瀬くんに会わないように帰りたい、という私の本心を相談してみるのも良いのかもしれない。

 けれど黄瀬くんは、いつだって私に心の準備をする時間はくれないのだ。

「黒子っち〜!?」

 体育館の中から、黒子くんの名前を呼ぶ大きな声が聞こえた。
 特徴的な呼び方じゃなかったとしても、あの声を聞けばそれが誰のものなのかすぐに分かってしまう。
 私は黄瀬くんの声を聞いて、思わず顔を俯けた。
 反射的に、逃げたい気持ちになってしまう。
 海常でバスケの練習試合をしているのだから、すぐ後ろにある体育館に黄瀬くんがいるのは当たり前のことだ。顔を合わせる可能性があることもちゃんと予想していた。だけど、黒子くんに本を返す数分くらいの間は黄瀬くんと顔を合わせずにいられると思って、体育館裏の出口で黒子くんと待ち合わせをしたのにいたのに。
 何度名前を呼ばれても黒子くんは返事をしていなかったけれど、この様子だと、きっと黄瀬くんはすぐにここまで来てしまう。

「いた!も〜、何で返事してくれないんスか」

 体育館から顔を出した黄瀬くんに、あっという間に居場所がバレてしまった。
 走り寄る黄瀬くんを黒子くん越しに見ながら、私はストローを噛んだ。

「黒子っち、一緒に昼メシ食おー……あれ、ちゃん」

 近付いて来た黄瀬くんは、黒子くんの隣にいる私を見つけて目を丸くした。
 大きな瞳を瞬きさせて、私と黒子くんが一緒にいる、ということがまったく理解できていないようだった。

「え、え?なんでふたりでいんの?ちゃん、黒子っちと知り合いだったんスか?」
「……うん」

 苦笑いで答えれば、黄瀬くんだけではなく黒子くんまでもが私を見て驚いていた。

「まさか彼、知らないんですか」
「たぶん」

 多分、というか、絶対。
 別に隠していたわけではないけれど、そんな話になったこともないし自ら言い出すタイミングもなかった、と思う。こうしていつかは分かることだと思っていたから、敢えて自分からは言わなかった───────なんて、嘘。
 本当は言い出しにくかっただけ。
 言わなくていいのなら言いたくなかった。だから今日、余計に黄瀬くんと会いたくなかったのだ。

「……もしかしてふたりって、付き合ってるんスか」
「君はそれしか考えられないんですか」

 深刻な声を出す黄瀬くんに、黒子くんは呆れて返事をした。

「いやだって……つか、じゃあ何繋がり?」
「同じ中学で、同じクラスで、同じ委員をやっていました」
「……は?同じ中学?誰が」
さんが」
「え!?ちゃん帝光!?」

 黒子くんに覆いかぶさるように身を乗り出した黄瀬くんに、私は小さく頷いた。

「黒子っちと同中ってか、オレともじゃん!マジで!?」
「まじ、です」
「うっそ……じゃあオレのことも知ってたの!?」
「……うん」
「なんで言ってくんなかったんスか!」
「なんでって言われても……」
「中学ん時、オレと話したことあった?」
「いや……あの、それは」

 衝撃の事実、とでも言いたげに根掘り葉掘り聞きたがる黄瀬くんとは反対に、私は何も説明したくなかった。
 ひとつ説明すればするだけ、自分が小さくなっていくような気がしてしまう。
 けれど黒子くんは私がそんな態度をとる必要などないとでも言いたげに、ハキハキと黄瀬くんに説明をしていく。

「僕とさんが一緒にいる時に黄瀬くんが来たことが何度かありましたよ」
「く、黒子くん、それは言わなくても……」

 大きな瞳を更にまんまるにして驚いた顔をしている黄瀬くんから、私は目を逸らした。
 だから言いたくなかったのに。
 私が黄瀬くんのことを知っていても、黄瀬くんは私のことを知らない。彼の記憶の中に、私の姿はないのだ。
 私と黒子くんは中学二年の時に同じクラスになってから、共通の趣味である読書を通して休み時間や委員会の仕事の合間によくお喋りをしていた。もちろん話す内容は本のことだけではなくて、黒子くんはバスケの話もしてくれた。だから私は、女の子たちの噂話が流れる前に、黒子くんから黄瀬くんがバスケ部に入ったことを聞いて知っていた。
 入学当初から黄瀬くんは有名だったから、話したことがなくても生徒のほとんどが彼のことを知っていて、彼の噂話もいろいろなところで耳にした。黒子くんから聞いた後に「黄瀬くんがバスケ部に入った」という噂話も同じように流れていた。
 黄瀬くんが黒子くんに会いに教室へ来るようになったのは、彼がバスケ部に入って少ししてからだった。その時に私が黒子くんの隣にいたことが何度かあって、三人で一緒に話をしたこともある。
 けれど、黄瀬くんにとってあの時の私は黒子くんのオマケにもならない存在だったということはなんとなく感じていた。
 そんなことを、わざわざ説明したい人がどこにいるというのだろう。

「うそ、じゃあオレちゃんと話したことあったの?」
「……うん、何度か」
「なんで言ってくれなかったの!?なんかめっちゃ恥ずかしいんだけど!」
「覚えられてないのに帝光だったって言う私の方が恥ずかしいよ」
「いや言ってよ!オレ、なんか変なことしてなかった?」
「君はいつも変です。そして暑苦しいのでいい加減どいて下さい」
「黒子っちひどい!」

 目の前で騒ぐ黄瀬くんの肩を押しのけて、黒子くんは私の差し入れたバニラシェイクに口をつけた。

「あれ?黒子っち、いつの間にマジバ行ったの」
さんからの差し入れです」
「え〜ずるい!黒子っちだけ!?」
「君は関係ないでしょう。さんは僕と約束していたんですから、あっち行ってください」

 黒子くんはまるで自慢をするようにストローに再び口をつけ、黄瀬くんを邪険にした。

「ひど!約束ってなに?なんで?」
「しつこいです、黄瀬くんには関係ありません」
「ふふ」

 なつかしいふたりのやりとりに、気まずかったのも忘れてつい笑ってしまった。
 黄瀬くんは覚えていないだろうけれど、中学の時もこうして黄瀬くんが黒子くんにあしらわれていた時に私も隣にいたのだ。
 物腰が柔らかそうに見えて言うことはきっぱりと言う黒子くんが意外だった。それ以上に、モデルだからとすましているのかと思っていた黄瀬くんが顔をくしゃりとして嘆いている姿がもっと意外で、今と同じように、そんなやりとりをしているふたりを見ているのが好きだった。
 黄瀬くんが覚えていない、私にとっての大切な思い出。

「も〜!ここに昼飯持って来て3人で食うっス!」

 黒子くんに関係ないと言われ、無理やりにでも仲間に入ろうと決意した黄瀬くんは立ち上がり体育館の中へと戻ってしまった。

「はぁ、困った人ですね」
「そうなんだよね……」

 黄瀬くんの話題は避けたいと思っていたけれど、結局避けるどころじゃなくなってしまった。

「黄瀬くん、何か迷惑をかけてますか?」
「えっ、どうして?」
「中学でのことを彼に話したくなかった理由は分かりますが、さんさっき僕の前で黄瀬くんの話題をためらったでしょう?」
「……そう見えた?」
「僕のもうひとつの趣味が人間観察なの、忘れちゃったんですか?」
「それはバスケの時だけなのかと思ってた」
「そうですね、でもそんなことしなくても、なんとなく分かります。僕たちたくさんお喋りしたでしょう」

 一緒にお喋りをした時間を楽しかった思い出として今も覚えていてくれている。黒子くんの表情や声色からそれが伝わってきて、嬉しかった。
 私も同じように、楽しくて、大切な思い出として心に残っているから。

「黒子くんはなかなか分かりにくいよ」
「ポーカーフェイスってやつです。それにさんは素直なところが良いんですよ」
「えぇ、私わかりやすいかな?」
「やっぱり黄瀬くんが何かしたんですね」
「してないしてない!何にもないんだけど、なんていうか……」

 なんて言えばいいのだろう。
 まさか黒子くんにここ数日の出来事を話すわけにはいかないし、かといって黄瀬くんとこれ以上仲良くなりたくないだなんて言っても、変な誤解を招いてしまう。
 記憶に残らない女の子のままでいたかったとは、言えないのだ。

さん、困ったことがあるなら何でも言ってください。僕から黄瀬くんにガツンと言ってやります」
「ふふ、ありがとう。頼もしいね」
「本当ですよ?」
「うん、でも大丈夫。ちょっと気まずかっただけなの」

 むしろ、私がガツンと思わず口走ってしまったせいでこうなってしまったのだ。
 私は溶けてきたバニラシェイクを飲みながら、黄瀬くんが戻ってくる前に帰ろうかな、と思った。このままここにいても黒子くんと本の話は出来なさそうだし、そもそも練習試合で来ている彼の邪魔にならないように、長居するつもりもなかった。
 借りていた本と、黒子くんにおすすめしようと思っていた本が入っている袋を鞄から取り出して黒子くんに渡そうとすれば、黒子くんは少しむっとした口をした。

「渡して帰ろうとしてますね」
「だってほら、黒子くん練習中だし」
「今は休憩中です」
「これからお昼食べなきゃでしょ?」
「ここで一緒に食べればいいじゃないですか」
「私持って来てないもん」
「僕のを半分あげます」
「いいよ、午後からも練習あるんだからちゃんと食べないと。ていうかそういうことじゃなくて……」
「黄瀬くんのせいでさんと久しぶりの時間を邪魔されるなら、僕は黄瀬くんを許しません」
「え、えぇ」

 そうだ、黒子くんは意外と頑固なのだ。
 そして私が黄瀬くんを避けて帰ろうとしていることもバレている。
 黒子くんは受け取ることを拒否するように、片手で持っていたバニラシェイクに空いている手も添えて、両手で持ちながら飲み始めてしまった。まるで私が帰らないと言うまで会話もしてくれないと言わんばかりだ。
 差し出した本を受け取ってもらえないまま、どうしようと考えているところで黄瀬くんが戻って来てしまった。

「仲良くランチタイムの始まりっスよ〜。はい、黒子っちのカバン」
「ありがとうございます、黄瀬くんは中で食べて来てください」
「え〜!?なんでそんなヒドいこと言うの!」
「君がうるさいせいでさんが帰っちゃうからです」
「なんでちゃん!オレたちデートもした仲じゃん!」
「っ、してない!あれはデートじゃないから」
「オレはデートだと思ってたよ」
「分かりました。黄瀬くん、さんに馴れ馴れしくしないでください」

 私と黄瀬くんの会話を遮るように「分かりました」と言う黒子くんは、私が黄瀬くんに困っている理由をなんとなく察したようだった。
 本当は黄瀬くんだって私が困っている理由を分かってくれているはずなのに。どうしてこの調子を続けてくるのか、私は本当に理解できなかった。

「馴れ馴れしい、って、だってオレちゃんと同じクラスだし、席も前後なんスよ」
「そんなの関係ありません」
「そもそも黒子っちにそんなこと言う権利ないじゃないスか。ちゃんの彼氏じゃないんでしょ?」
「少なくとも君よりは仲が良いですし、さんのことを知っています」
「だからオレだってこれから仲良くなろうとしてんじゃん!ね、ちゃん」

 せっかく黒子くんが注意してくれても、なんだか逆に黄瀬くんに火をつけてしまっているようにしか聞こえない会話に私は苦笑いをすることしか出来なかった。
 やっぱり黄瀬くんが戻ってくる前に帰るのが正解だったんじゃないかと思いながら、譲らないふたりを前に私が諦めるしかなかった。

「とりあえず休憩時間終わっちゃうし、ふたりともお昼食べなよ」
さん、僕のお弁当半分どうぞ」
「シェイクあるし大丈夫だよ。気にしないで食べて」
「僕もこれを頂いたので、半分でちょうど良いんです」
「黒子っちまーだ少食なんスか。ちゃんと食べないと身体強くなんないよ?」
「嫌味ですか」
「心配してんの!ちゃんの分はホラ、オレのあげるから好きなの選んで」
「……なんですかその量。火神くんを目指してるんですか?」

 カガミクン、とは誰だろうと思いながら、私も黒子くんと同じように黄瀬くんの持って来たビニールの袋の中にある大量のサンドウィッチやおにぎりに驚いていた。

「ファンの子の差し入れっスよ。あ、ドリンクもあるから好きなのいいよ」
「「…………」」

 中学の時から黄瀬くんのファンの子はいたし、高校に入ってからの方が女の子の反応が凄くなっているのは知っていたけれど、いざこうして大量の差し入れを見せられると何とも言えない気持ちになってしまう。
 手作りじゃないにせよ、女の子がくれたものを私が食べてもいいのかな……。

さん、遠慮しないで僕のお弁当食べてください」
「え〜!?なんでなんで!手作りじゃないから変なモン入ってる心配ないっスよ」
「そういうことじゃないです」
「じゃあ何?黒子っちばっかりちゃんと仲良くしようとするのずりーっスよ」

 お弁当をひとつしか持ってきていない黒子くんからお昼をわけてもらうのは申し訳ないものの、かといって黄瀬くんのファンの子の差し入れは食べにくい。
 どうするべきかと迷っていると、今度は黄瀬くんが鞄から手作りのおにぎりを取り出した。

「差し入れが嫌なら、オレのかーちゃんのおにぎりもあるよ」
「黄瀬くんのお母さんが作ってくれたものなんですから、ちゃんと自分で食べてください」
「それは黒子っちも一緒でしょーが」

 そうしてふたりからおにぎりを差し出されてしまい、迷った末に私は黄瀬くんのお母さんのおにぎりに手を伸ばした。
 黄瀬くんのが良かったわけじゃない。黒子くんにちゃんとお弁当を食べて欲しかったのと、ファンの子が黄瀬くんのために用意したものに手をつけにくかったからだ。

「オレが選ばれた!」
「黄瀬くんを選んだんじゃなくて、黒子くんにちゃんとご飯食べてほしかっただけだよ」
「そもそも君、いつもそんなに食べてるんですか?」
「いや〜無理無理、ありがたくバスケ部みんなで頂いてるっスよ。練習終わりに腹減るじゃん?」

 事も無げにそう言う黄瀬くんに、どう返せばいいのか返事に詰まってしまう。
 ファンの子たちも、黄瀬くんがひとりでこれを全部食べられるだなんて思ってはいないだろうけど……やっぱり黄瀬くんにとって、これは“慣れた日常”なのだ。
 黄瀬くんは、袋の中のサンドウィッチを選びながら「あ、これ期間限定で気になってたやつ」と嬉しそうにしている。そんな彼を横目で見ながら「いただきます」と、見た事もない黄瀬くんのお母さんへ向けてお礼を言って、私はおにぎりに口をつけた。
 まさか私が黄瀬くんのお母さんの手作りおにぎりを食べる日が来るとは思いもしなかった。お母さんもきっと美人な人なんだろうなぁ、なんて考えていると再び黄瀬くんが声を上げた。
 黒子くんが一緒にいると、やっぱり黄瀬くんは特に騒がしい気がする。クラスの中で振舞っている黄瀬くんとはまた違う、彼の姿。

「うちの梅干し、ばーちゃんから貰ったやつだからすげー酸っぱいんだけど平気?」

 突然声を上げるから何事かと思えば、黄瀬くんは「甘いやつじゃなくて、マジでガチで酸っぱいやつ」と心配そうに私とおにぎりを交互に見つめた。確かに、ひとくちかじったところから少し見えている梅干しは真っ赤でとても酸っぱそうだった。
 けれど、そんなことをそんな心配そうに言わなくたっていいのに。

「そんなことで急に大きな声を出さないでください。びっくりしました」
「だって全然オシャレな具じゃなかったから」
「おにぎりにオシャレとかあるんですか」
「あるんス!ね、ちゃん大丈夫?」
「ふふ、黄瀬くんってバカだよね」
「えぇ!?」
「同感です」
「なんで!?」

 やっぱり私は、黄瀬くんにとって記憶に残らない女の子のままでいるのが良いなぁ。
 笑いながら、三人で過ごした日のことを思い出した。





 中学二年のある日、突然教室に来た黄瀬くんがニコニコと笑顔で黒子くんの名前を呼んだのを今でも覚えている。黒子くんと一緒にお喋りをしていた私は驚いて、何の話をしていたのかすっかり忘れてしまうほどだった。

「黒子っち!ねぇねぇ、今日部活一緒に行こ」
「一緒にって、教室から体育館までですか?」
「うん」
「わざわざ一緒に行く意味が分かりません」
「え〜っ、いいじゃん!オレ迎えに来るし」
「結構です。放課後になれば体育館に行きますし、黄瀬くんもわざわざ僕の教室まで来ないでひとりで行ってください」
「ぜってー待たせないようにソッコーで来るから!ね?」
「はぁ……好きにしてください。僕は待ちませんからね」
「オッケー!あ〜早くバスケしたいな〜」
「それは同感です」

 同じ学年にモデルをしている男の子がいることは有名なことで、人目を惹く黄瀬くんの容姿は校内で何度か目にしたことがあった。けれど同じクラスじゃなかったから話をしたこともなくて、ましてやこの距離で見た事もなかったから、黒子くんが彼と平然と話しているのを隣で見ていて、私は内心ドキドキしていた。
 モデルをしているだけあって、やっぱり綺麗な顔をしているんだなぁ、なんてよくある感想を抱いていた気がする。
 噂で聞こえてくる彼女の名前がいつも違っていたり、こうして軽いノリで話しかける姿を見て、そういうタイプなんだろうなぁと改めて思ったりもした。
 友達に呼ばれて教室から出て行った黄瀬くんを見送ってから、驚いた余韻のまま黒子くんに問いかけると、あまりにもそっけない反応に私は笑ってしまった。誰にでも穏やかで優しいと思っていた黒子くんが、案外はっきりした性格をしていることを知ったのはこの時だった。
 そんな黒子くんのことをますます好きになったこともよく覚えている。

「黄瀬くんと仲良くなったんだね」
「仲良くないです」
「えっ!?すごい仲良さそうに話しかけてきてたし、お迎え来たがってたよ?」
「彼が何をしたいのか僕にもよく分かりません」

 それから黄瀬くんは黒子くんによく会いに来るようになって、何度か一緒に話をしたこともあった。
 たまに見かけたことがあるだけの私が抱いていた黄瀬くんのイメージは、そういうタイプの人、プラスどこか冷めている、というもの。だから黒子くんと話している姿や、私にも同じように話しかけてくれる彼のことをほんの少し意外に感じていた。
 誰にでも人懐っこい人なんだね、と黄瀬くんがいなくなってから黒子くんに聞くと「まさか」と何かを思い出すように渋い顔をされた。「良くも悪くも彼は素直すぎます」という黒子くんの言葉は、私にはあまりピンと来なかった。黒子くんの前にいる黄瀬くんは何かを偽っているようには見えないけれど、普段の黄瀬くんは素直に、というよりは“器用”に、その場を過ごしているように見えていたから。
 全部ぜんぶ、よく知らない、私の勝手な印象だけれど。





「ねぇちゃん、この後の練習見てってよ」
「友達との約束もあるし、もうちょっとしたら帰るよ」
「え〜!なんで?何時から?ちょっとくらい良いじゃん、せっかく黒子っちもいるし」
「黄瀬くん、さんを困らせないでくださいってさっき僕言いましたよね」
「さっき言われたのは馴れ馴れしくしないでクダサイでした〜」
「同じことです」
「なんでオレがちゃんと仲良くしようとすんのが困ることになんの!?」

 何の説明もしていないのに、黒子くんの言うことは私の思っている通りだった。
 黄瀬くんが私と仲良くしようとすることこそが、私の困りごとの原因なのだ。
 気付いていないのは黄瀬くんだけ。というか黄瀬くんも、気付いているはずなのに。

「ちょっとだけでもだめ?」
「最初はアップするだけなんですから、見ていても楽しくないですよ」
「そこからもーちょっとだけいてくれたら、午後は試合練習じゃん」

 粘る黄瀬くんにどうしたものかと思ってると「おーい黒子」と、黒子くんを呼ぶ声が聞こえた。
 声のする方に顔を向けると、体育館の中から出て来たのは背の大きな赤い髪の男の子。背が大きいのは黄瀬くんで見慣れているけれど、黄瀬くんとは違う迫力のある容姿に私は少し驚いてしまった。カガミくん、と黒子くんが答えるように彼の名前を呼んだのを聞いて、なるほど彼なら大きな袋いっぱいのお昼ご飯も簡単に平らげてしまいそうだ、と思った。
 なんとなく、黒子くんがカガミくんと話しているのを見て、私たちは別々の学校に進学したんだということを実感した。今更だけど、本当になんとなく、もう帝光は卒業して高校生になったんだという自分たちの変化を感じた気がした。
 きっと、久しぶりに黒子くんと黄瀬くんと3人でお喋りをしていたせいだ。

「お前こんなところにいたのかよ。午後始まる前にちょっと───────」
「火神っち、ちょうどよかったっス!休憩終わる前にオレと1on1しよ!」
「ハァ?なんだよ急に」
ちゃん、今ならまだ時間へーきだよね?オレが勝つから見てて!」
「いや俺は黒子に話が、つか誰だ」
さんです」

 現れたばかりのカガミくんは、黒子くんに話しかける暇もなく黄瀬くんに体育館に戻るよう背中を押され、部外者である私の存在に困惑していた。黒子くんが私の名前を紹介してくれたのを聞いて「お、おう」と戸惑いながら私に目線をくれたまま体育館の中に消えてしまった。
 カガミくんはきっと、私の名前を知りたかったんじゃない。誰とどういう関係なのかということや、どうして私の前で1on1をしなきゃいけないのかを知りたかったんだと思う。だから私の名前だけを紹介されて戸惑っていたのに……案外、黄瀬くんだけじゃなくて黒子くんもマイペースだ。
 あっという間に体育館の中に行ってしまったふたりを追いかけるように、私たちも立ち上がった。

「時間大丈夫ですか?」
「うん、まだ大丈夫だけど……今のって同じ一年生?」
「はい、黄瀬くんに負けないくらい強いですよ」
「カガミっち、って呼んでたね黄瀬くん」
「火神くんは嫌がってますけどね」
「ふふ、私もやっぱり黒子っちって呼ぼうかな」
「やめてください」

 体育館の中で1on1を始めた黄瀬くんとカガミくんを見ながらそんなことを言えば、黒子くんはあの日と同じように拒絶をして、そして笑った。

 あの日の黒子くんは、笑い声なんて漏らさずに本当に嫌そうな顔をしていたよね。





 あれは放課後に、黒子くんと委員会の仕事を終えた後のことだった。

 部活はないけれど自主練をしてから帰るという黒子くんと、そのまま帰る予定で玄関へ向かっていた私が体育館の前を通ると、中からボールが跳ねる音が聞こえてきていた。

「あ〜ッ、クソ!何だよ今の!」
「なにってただのシュートだろ」
「ンな単純なもんじゃねーから!」

 体育館の中では、黄瀬くんと青峰くんがふたりで1on1をしていた。
 悔しそうに膝をつく黄瀬くんと、余裕そうに笑いながら人差し指でボールを回す青峰くん。
 何でも器用にこなしてしまいそうな黄瀬くんが、あんな必死に、悔しそうな声を出すんだ、と何故だか見てはいけないものを見てしまったような気分でドキリとした。
 モデルのイメージが崩れたとかそういうことじゃない。放課後の誰もいない体育館の中が、まるで勝手に覗いてはいけない黄瀬くんの心の中のように見えてしまったのだ。
 黄瀬くんがそれを隠しているのか、そうじゃないのかは分からない。けれど、そんな黄瀬くんを見ることが出来たのは奇跡的で、私の前で彼があんな表情をすることはない、本当なら一生見られない姿のような気がした。
 それくらい、すごく特別に見えた。

「青峰っち、もーいっかい!」

 立ち上がった黄瀬くんは好戦的な目をしていて、負けていたのに嬉しそうで、ボールを奪われてもとても楽しそうに笑っていた。
 ころころと表情を変える黄瀬くんを見ながら、本当はそんな風に笑うんだ、と思った。普段から表情が豊かだけれど、それとはまったくの別物。

 きらきらと、まぶしく見えた。

 いつもより下がった目尻に、ぴんと跳ねた睫毛。
 嬉しそうに笑い声を上げて、飾らない無邪気な笑顔。

 その笑顔が好きだなぁ、と思った。
 彼のどんな表情よりも、そうやって笑っている姿が、一番きらきらして見える。
 黄瀬くんがあんな風に笑うのは、バスケがそれほど楽しいからなのか、青峰くんと対戦できるからなのかは分からないけれど。そのどちらもが、黄瀬くんの笑顔に繋がっていることには間違いなかった。
 黄瀬くんをあの笑顔にできる存在であることが、少し羨ましく思えた。

「バスケって、楽しいんだね」

 ふたりの攻防戦を見守りながら独り言のように小さく呟けば、黒子くんは少し不思議そうにした後「とても楽しいですよ」と頷いた。
 再びボールを奪われてしまった黄瀬くんは、あっさりとゴールを決めた青峰くんに悔しそうに「青峰っち強すぎ!」と叫んでいた。
 その独特な呼び名を聞いて、思わず笑ってしまう。

「黒子くんのことも“黒子っち”って呼んでたよね」
「自分が認めた人はそう呼んでるらしいです」
「じゃあ、私も黒子っちって呼ぼうかな?」
「やめてください」
「あれっ、黒子っちそんなとこで何してんの〜!?」





 あの時、早速名前を呼ばれて嫌そうな顔をした黒子くんを見て笑ってしまったけれど、本当は羨ましかったの。いつか“っち”って呼んでもらえる日が来たら、私の前でも黄瀬くんはあんな風に笑ってくれるのかなって思って。
 あの無邪気な笑顔を、目の前で見てみたかった。

 楽しそうにカガミくんとバスケをしている黄瀬くんを見て、やっぱり思うんだ。私は“楽しそうにバスケをしている黄瀬くんを見ている”のが、好きなんだって。
 だから───────



 ねぇ、黄瀬くん。
 私ね、黄瀬くんに “ちゃん” って呼ばれたいわけじゃないんだよ。

 それなら、ちゃんって呼ばれてるままで良かったの。




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