09.さよなら囚われのお姫様 前編





ちゃん、オレに好きになられたらイヤなの?」

 柔らかく笑いながら、なんて嫌なことを聞いてくるんだろう、と思った。





 あの日ほどじゃないにしても「冗談でそういうこと言わない方がいいよって言ったじゃん」と、そう言った私の声はそれまでの会話とは違ってやや冷めた温度になっていたと思う。それでも気にする素振りも見せずに、まるで子供のように無邪気で純粋な、なんの意図も含んでいなさそうな黄瀬くんの態度が私には理解できなかった。
 どういうつもりでこんなことを聞くんだろう?
 黄瀬くんにとっては本当に何の意味もなさそうなその言葉が、余計に私を苦しめるのに。

 じくじくと痛む心臓を、大きく息を吐くことで落ち着かせて、私は顔を上げた。

「うん……やだ」

 黄瀬くんと話をするようになってから、自分が今どんな顔をしているのか不安になることが増えた。それはきっと、自分の素直な気持ちを表に出せないから。自分の素直な気持ちが、ぐらぐらと揺らされてよく分からなくなってしまうから。
 私は黄瀬くんのように取り繕うことが上手じゃないのに、彼と一緒にいると自分の本当の気持ちよりも“こうしなきゃいけない”言葉と表情ばかりで、それが上手くできているのか分からなくて、いつも不安が消えない。
 黄瀬くんと一緒にいてこんなことばかりなら、私は本当に黄瀬くんが“イヤ”になる。

 今は敢えてわざとらしく不機嫌な顔をしていたかった。冗談のように、怒っている、というポーズをとりたかった。
 あの時みたいな動揺を、もう悟られないように。

「えぇ〜、なんでっスか〜」

 へにゃりと眉尻を下げて笑う黄瀬くんに、ほっとして息が漏れる。
 私が上手く“冗談のような不機嫌さ”を顔に出すことができていたのか、黄瀬くんがそんな私を察してくれたのかは分からないけれど、これで私の避けたかった空気からは抜け出すことができた。
 私たちの間に、本心のやりとりは必要ないのだ。

ちゃんって変だよね」
「黄瀬くんの方がよっぽど変でしょ」
「どこらへんが?」
「そこらへん」
「も〜テキトーすぎっスよ!」

 私がこんな態度でいるから、黄瀬くんは珍しがってあんなことを言ってみたくなってしまっただけなのかもしれない。
 彼のあの言葉が本気じゃないことくらい、私にも分かる。もちろん最初の“ダイスキ”だって、本気じゃなかったのは分かってる。むしろ今言われた言葉よりもよっぽど、黄瀬くんなりの純粋な感謝の言葉だったんだと思う。ただ、あの時の私が上手く受け止めきれなかっただけ。
 ひとつだけ分からないのは、どうして黄瀬くんがまた放課後この教室に来てくれるようになったのかということ。あの時の言葉すら上手く返事が出来ずに、お互いに失敗だったと感じていたはずなのに。それなのに、どうして黄瀬くんはまた、私に同じような言葉を投げかけてきたんだろう。
 今だって、なんとか必死に私が返事をしていること、きっと黄瀬くんは分かっているはずなのに。

 結局、どんな時でも黄瀬くんの本心は見えないのだ。いつだって胸が痛いのも、体が重くなるのも、私だけ。

「……はぁ」
「あ、溜め息ついた」
「ご、ごめん、これは」
「いいよ、オレの方こそごめんね。ちょっとふざけすぎた」

 自分を落ち着かせようと静かにしていた深呼吸が、思わず溜め息として漏れてしまった。
 流石に失礼な態度だったと慌てると、黄瀬くんの口から漏れた「ふざけすぎた」という言葉に、全身の力が抜けるような気分だった。
 分かってた。
 黄瀬くんが本心であんなことを言うわけがないんだって、ちゃんと分かってた。だからどんな風に動揺したって意味がないんだってこと、私はちゃんと理解していた。だけど本当は、本人の口から本心じゃないって直接聞いて安心したかったのだ。だから黄瀬くんからその言葉を聞いて、嬉しいと思ってしまうくらい、私はほっとしてしまった。
 あの日からずっと、あの言葉に、黄瀬くんに、囚われなくていいんだよって、自分を安心させてあげたかった。

 これでようやく、私は自分の立つべき場所にちゃんと戻って来ることが出来たんだ。

「でも、本心っス」

 それなのに。
 ほっとした、次の瞬間だった。
 黄瀬くんは、いとも簡単に私の気持ちを振り回してくれる。意味が分からない余計な一言を、私は聞きたくなんかないのに。
 もう一度溜め息をつきたい気持ちを抑えながら、今度は振りでも何でもなく、私は呆れて目を細めた。

「ふざけた本心ってなに?」
「ん〜?なんスかねぇ……嘘じゃないよってこと」
「嘘でいいんだけど」
「あ、また溜め息ついた。幸せ逃げちゃうよ?」
「黄瀬くんのせいだから」
「いや、これは授業中に居眠りしてたちゃんのせいっス」
「ここでその話に戻るわけ?」
「でもあれ以来、ちゃんマジで寝なくなったよね」
「だから、私は黄瀬くんと違ってあの日たまたまなんだってば」

 ふざけすぎた「好きになっちゃった」が嘘じゃないなんて、それがどんな本心なのか私にはまったく理解が出来なかった。黄瀬くんなりの謎かけなんだとしても、私はそれを解く気も答えを知りたいとも思わない。
 黄瀬くんはふざけていた、私が覚えておけば良いのはそれだけ。
 たった、それだけのこと。

 あっさりと話題は変わり、昨日の部活であった面白い話をし始めた黄瀬くんに相槌を打ちながら、先ほどの会話が長引かなかったことに私は安心した。
 黄瀬くんのちょっとしたおふざけも、今日できっと最後だ。
 明日も彼がプリントを綴じに来るのかは分からないけれど、来たとしても明日でもう、全てが終わる。担任から言い渡された罰も、黄瀬くんとの時間も、明日が最後。それが終われば、私たちは元の大した接点のないクラスメイトに戻るのだ。

 これでようやく、ようやく元通りに戻れる。






 時折会話をしながらも、要領を掴んでいる私たちは初日よりも早く作業を終えることが出来た。プリントの整理と鍵の返却は私がするから部活に行っていいよと黄瀬くんを促せば、「また明日ね」と手を振り笑顔が返ってくる。また明日本当に来るのかな、なんて内心で思いながら手を振り返し、資料室を出て行った彼の後ろ姿を私は目に焼き付けた。

 こうして背中を見送るのも、もしかしたら今日が最後になるかもしれない。
 たった数日で、本当に色んな想いで見つめた黄瀬くんの後ろ姿を、背筋をぴんと伸ばしたまま見送ることが出来て良かった。
 もうすぐで、いつもの私の穏やかな日常が元に戻る。


 だけど、ほんの少しだけ、今だけは───────

 さみしいって思っても、いいよね?




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