09.さよなら囚われのお姫様 後編





 黄瀬くんのおふざけは、どうやらまだ続いているらしい。





「これはオレたちがデートする運命だったってことっスよね」

 鍵を返した後、担任から労いの言葉と共に「以後、居眠り厳禁」という小言を貰って職員室を出ると、黄瀬くんはキラキラとした眼差しを私に向けた。

 置いていかれないためにか、あの後黄瀬くんはすごいスピードで作業を進め、私と同じタイミングで倍の量を終わらせて勝ち誇った顔を見せていた。それでも、鍵を返し終わればこれでハイ解散、となると思っていたのに。
 まさか、本当にデートしようとしてるの?

「運命じゃなくて黄瀬くんが合わせてきただけでしょ」
「そうだよ、オレどーしてもちゃんとデートしたかったからね」
「もう……ほんと急にどうしたの?」

 黄瀬くんの昨日からの変化が本当によく分からない。ここまでくると、今日で最後だからと考えるのを放棄するのもいい加減無理がある。
 もしかして、私が黄瀬くんを好きにならないと分かった途端に悔しく思い始めたのかな。だけど黄瀬くんがそんな風に考えるとは思えないし、そもそも先に“落ちること”を煩わしく感じたのは黄瀬くんの方のはずだ。
 今日で最後なら、黄瀬くんの手のひらを返したような変化にどんな理由があったって平気だ。だから聞いてしまおう、そう思ったのに、そんな決意も一瞬で崩れてしまいそうになった。
 質問に返事もせずに、黄瀬くんが突然私の手首を握って歩き出したからだ。

「ちょっ、な、に」
「デートに行くって言うまで放さない」

 私がOKを出す気がないことを悟ったのか、黄瀬くんは意地悪そうな顔で振り返りながら私の手を引いた。
 黄瀬くんの中で私とデートをするということはもう決定事項で、そして自分で決めたことは絶対実行なのだろう。
 手を繋いでいる状態とは少し違うけれど、それでもこんな姿を見られて変な噂話のネタになるのは嫌だった。黄瀬くんもそれを分かっているから、敢えて手を繋がずに手首を掴んでいるんだと思う。けれど黄瀬くんが触れているなら、それがどんな場所であろうと意味はないのに。
 しっかりと握られた手首を自分に引き寄せてみても、黄瀬くんの歩く速度は変わらず、本当に放してくれる気はないようだった。

「ちょっと待って黄瀬くん!」

 いくら今日が最後でも、これじゃ本当に困る。
 大きな声を出せば、私の切実さが伝わったのか黄瀬くんの足が止まった。けれど、ほっとしたのもつかの間。
 振り返った黄瀬くんは笑っていた。

「あ、わかった。手繋いだままでいたくて逆にOKしずらくなっちゃったんスね?」

 意地悪な笑顔で私を見下ろす黄瀬くんに、いい加減我慢の限界だった。

「行・き・ま・す!」

 もうどうにでもなれ、と腕を思い切り振り払いながらそう言えば、黄瀬くんは嬉しそうに笑って手を離した。
 きっと私には、黄瀬涼太という男のことを理解できる日はこないのだろう。

 数日前の冷えた声と目の色が、今でも私の心をそっと冷やすのに。黄瀬くんにとってはもう覚えてもいないくらい、どうでも良いことだったのかもしれない。





 校外へと一歩足を踏み出すと、心臓の鼓動が早くなった。

 学校以外で黄瀬くんと一緒にいる、ということにどうしても緊張してしまう。こんなことになるだなんて、本当につい数日前の私は考えたこともなかった。
 デート、だなんて言いながらも自分と一緒にいることで他の女の子からどう思われてしまうかということはしっかり把握してくれているみたいで、黄瀬くんは気を遣って生徒の通りが少ない裏門から出ることを提案してくれた。どこに行くのかも分からないし、とりあえず変な噂話をされないですむのならそれで良かった私は大人しく黄瀬くんについて行くことにした。
 ここまできたら、もう何もかも諦めるしかない。
 何度も自分に言い聞かせてるように、こんな風に振り回されるのも今日で最後なんだと思えば、後はもうきっと良い思い出になる。
 
「オレのお気に入りの場所に連れてってあげるから楽しみにしててね」
「……どんなところ?」
「そんな警戒しなくても変なところじゃないっスよ!」

 諦める、とは思ったものの、思考回路が読めない黄瀬くんが連れて行く場所がどこなのかと思わず身構えてしまった。そんな私の態度に黄瀬くんは笑うけれど、彼のお気に入り、だなんて言うせいで余計に緊張してしまう。

「ほっと出来る感じの場所っス」
「カフェとか?」
「それはついてからのお楽しみ。ほんとは少し寒くなってからがベストなんスけどね」
「今は時期じゃないってこと?」
「ん〜、今時期のもあるんだけど、寒くなってからの方がほっと出来るかな。って言ってもオレも春に見つけたからまだ寒くなってから行ったことないけど」
「なぞなぞみたいな言い方しないで教えてよ」
「だ〜め。穴場だから他の子には秘密にしといてね」
「それはいいけど」
「え、秘密にしといてくれるの?」
「うん」
「素直すぎじゃん!」
「だって秘密にしておいて欲しいんでしょ?それとも本当はキセリョ出没スポットですって広められたいの?」
「いや、そうじゃないんだけど……」

 そう言って笑いを堪える黄瀬くんに、私は首を傾げた。
 秘密にしておいて欲しいって言うから素直に頷いているのに、どうして驚かれなきゃいけないんだろう。

「秘密にする代わりにオレに何かして欲しいって交換条件出したりするかなぁと思って」
「しないよそんなこと」
「そう?可愛いおねだりは女の子の特権じゃないスか」
「……そうかなぁ」

 呆れて返せば黄瀬くんは笑い声を上げた。
 秘密にして欲しい、という相手に交換条件を出すのは可愛いおねだりなのだろうか。そう思うものの、ほんの少しでも黄瀬くんの気をひくために、あの手この手を使うのは彼のそばにいる女の子にとっては当たり前のことなのかもしれない。
 その中のひとりになれないからこそ、私ははじきとばされて、彼と距離をとることを1番に願わなきゃいけないわけなんだけど。

「そもそも、私がそんなこと言わないの分かってるから連れて来たんでしょ?」
「そのとーり。ちゃん分かってんじゃん」

 でもね、黄瀬くん。
 黄瀬くんがそうして嬉しそうに笑いかけてくれた理由も、これまでの言葉の意味も、私はまったく分からないままなんだよ。






 学校から10分も歩かないで辿り着いた小道を入ったところにある、小さなお店の前で黄瀬くんの足が止まった。
 彼の秘密のお気に入りの場所は、小さなたい焼き屋さんのようだった。知っている人じゃなきゃ気付かないような場所に、昔ながらの古めかしい窓がついたお店で、ちょうど近所に住んでいる風のお客さんがお店のおばあちゃんから紙袋を受け取っているところだった。
 ほっとする場所で寒い時期に来たい、という黄瀬くんの言葉の意味がすとんと落ちた。
 初めて来るのにどこか懐かしいような雰囲気で、ふんわりと漂うたい焼きの良い香りに心が穏やかになるのが分かる。
 氷、と書いたのれんを見つけて、これが“今時期”の方か、と全ての答えを見つけて思わず笑ってしまった。

「謎が解けた?」
「うん、全部わかった」

 そうしてお店の前まで来ると、店番をしているおばあちゃんが黄瀬くんに気づいて「あらぁ」と微笑んだ。

「初めて彼女連れてきたね」
「いつもみたいに良い男いっぱいに囲まれたかった?」
「それも嬉しいけどねぇ。モデルさんが良い子とお付き合いしてるみたいで安心したよ」
「オレは見る目があるんスよ。ここのたい焼きが世界一うまいの見抜いたのもオレだしね」
「ふふ、いつもありがとねぇ」

 目の前で交わされる会話のどこで口を挟むのが正解だったのかと思いながら、私はとりあえず優しそうなおばあちゃんから向けられた笑顔に微笑み返した。

「ここのたい焼きマジでうまいんスよ。暑いからかき氷にしようと思ったけど、たい焼きも食べる?」
「うん、食べてみたい」
「あんことクリームどっちがいい?」
「じゃあ、クリーム」
「おばあちゃん、クリームふたつと、オレはレモンのかき氷。ちゃんはシロップどうする?」
「いちごでお願いします」

 メニューから顔を上げてそう言えば、おばあちゃんは嬉しそうに頷いた。
 黄瀬くんがほっとするのは、懐かしいお店の雰囲気だけじゃなくて、きっとこのおばあちゃんの笑顔なんだろうなぁ、と思った。
 秘密にしたい場所なのがよく分かる。のんびりした時間が流れるこの場所は、行列ができるよりも時折お客さんが来て賑やかになる、それが良いんだと思う。

 お店の軒先にあるベンチにふたりで座って待っていると、蝉の鳴く声と氷が削られる音が響いた。
 夏祭りでもない、平日の学校終わりに地元の人だけが知っているような昔ながらのたい焼き屋さんの前で黄瀬くんとかき氷が出来上がるのを待っているのは、とても不思議な気分だった。ほんの少しの時間、がりがりと氷が削られる音を聴きながら私と黄瀬くんは無言で、だけどそれが気まずく感じられないのが心地良かった。
 初めてふたりで居残った日を思い出すような、そんな感覚がした。

 お礼だから、と言ってお金を払ってくれた黄瀬くんにありがとうと伝えてかき氷を受け取れば、おばあちゃんが「またおいでね」と微笑んでくれた。つられるように微笑んで返事をしたものの、私が黄瀬くんと再びここに来ることはもうないことを思うと、ほんの少しだけ、小さく胸が痛んだ。




 小道を曲がってお店が見えなくなってすぐに、黄瀬くんは私を見下ろして笑った。その笑い方に、また何か言われる、と嫌な予感がした通りだった。

「ねぇ、彼女」
「誰の彼女でもないです」
「さっき否定しなかったじゃないスか」
「おばあちゃんに否定したって仕方ないでしょ」
「良い子で安心って言われてたのにそんなこと言うの?」
「交換条件なしで秘密を守るんだから、良い子でしょ?」
「も〜つれないなぁ」

 不満そうに呟く黄瀬くんに、いよいよ心の中にある文句をぶちまけてしまいたくなる。黄瀬くんが変なことを言わないでいてくれれば、何も考えずに楽しい時間を過ごすことが出来るのに。
 私が何かをおねだりするとしたら、ふたりでかき氷が出来るのを待っていた時のような、ぐらぐらと心を揺らされない穏やかな時間だけなのに。
 どうしてなのか、黄瀬くんは全然分かってくれない。

 そんな自分の気持ちを飲み込むように、私は甘い氷を口の中に押し込んだ。

「すぐそこの公園に屋根ついたベンチあるから、そこで食べよっか」

 案内された公園は当たり前だけれど何の変哲もない、いたって普通の公園で、黄瀬くんがこんなところにいるのが少し不思議な感じがした。

「いつもみんなとここで食べるの?さっき言ってた良い男いっぱい、ってバスケ部のことでしょ?」
「うん、でもだいたいすぐ食っちゃうから、歩きながらの方が多いかなぁ。何かちょっと話ある時とかにたまーに来たことあるけど……あ、やっぱ可愛いカフェとかの方が良かった?」
「んーん、私はこういうかっこつけてない黄瀬くん好きだよ」

 そう言ってから、しまったと思った。

 どうしてすんなりと思ってることを口に出しちゃったんだろう。
 生徒の目のない公園と、たい焼きの甘い香り、両手に抱えたかき氷。じりじりと蝉が鳴く、あまりにも日常的なシチュエーションに、リラックスしすぎてしまったのかもしれない。
 横目で黄瀬くんを伺えば目を丸くしていて、あの日のような気まずい空気はないものの、彼が私の発言に驚いているのは明白だった。
 そもそも、スキとか簡単に言わない方が良い、だなんて言って最初に空気をおかしくしたのは他でもない私なのに。どうして自分でそれを言ってしまったんだろう。
 どうにか誤魔化すことは出来ないものかと、私はかき氷をベンチに置き、紙袋に入ったたい焼きを取り出した。

「わ、私もたい焼きが好きだから、っていう意味ね、今の」

 こんな信じられない誤魔化し方、自分でもありえないのは分かってる。だけど、静かに黙って黄瀬くんからの返事を待っていられる余裕がなくて、何か言わずには居られなかった。
 もう、あの日のような胸に針が刺さるような、そんな空気は嫌だった。

「そんなベタなこと言う人いる!?」

 まん丸だった目を細めて屈託無く笑う黄瀬くんに、私はほっとして泣きそうだった。そして、そういういところ、とまた声に出してしまいそうになる。

 そういう風に笑う黄瀬くんが、私は好きだよ。

 もうそんな笑顔は見られないと思っていたのに。遠くで眺められるだけで良いと思っていたのに。
 ほんの数秒前まで焦っていた心が、黄瀬くんのこの笑顔ひとつで柔らかい熱を帯びる。
 やっぱり私は、黄瀬くんとメンドウなあれこれなしでお喋りしていられる距離感が1番良いんだ。

「たい焼き美味しいよ。黄瀬くんも食べなよ」
「オレもちゃんとこうしてるの好きっスよ」
「会話が噛み合ってない」
ちゃんに言われたくないなぁ」
「たい焼き美味しいね?」

 私がもうその話題に触れる気がないことを了承してくれたのか、黄瀬くんもたい焼きをひとくち食べてから「そうでしょ?」と笑った。

「もうちょっとしたら秋限定の栗餡が出るっておばあちゃんが言ってたから、また食べにこようね」

 二度目を誘う黄瀬くんに、本当にこれは何なんだろうなぁと思った。
 きっと二度目が来る前に、黄瀬くんはこの意味の分からない時間に飽きているか、約束をしたことすら忘れているはずだ。そもそもこれは、約束にすらならない挨拶なのかもしれない。
 こんなことを考えているから黄瀬くんに面倒だと思われるのかな、とたい焼きを頬張りながら返事をしないでいると、「ね?」と念を押されてしまった。返事をするまで諦める気がないのか、黙っている私に黄瀬くんはもう一度「ね」と同意を求めた。
 それでも無言でいる私に三度目の「ね」を言おうとした黄瀬くんを「しつこい」と遮って、思わず笑いが漏れた。

ちゃんが返事しないから」
「約束なんてしなくていいよ、黄瀬くん忙しいでしょ」
「忙しいけどォ」
「おばあちゃんにたい焼き美味しかったって伝えてね」

 無邪気な黄瀬くんは好きだけど、こういう悪気のない黄瀬くんはあんまり好きじゃない。
 また今度、なんて私はわくわく待ってたりしないよ、黄瀬くん。

 もう全部、これが本当に最後なんだから。








 溶け残ったかき氷を飲み干して、汗で張り付いたスカートをはがしながら立ち上がる。ごちそうさま、もう帰ろう、と提案する私に黄瀬くんは今度は素直に頷いてくれた。

 駅まで送ってくれた黄瀬くんに「ありがとう」と笑顔で手を振れたのは、これまでの数日間に、ちゃんと別れを告げることが出来たから。

 今日で本当に最後の───────

「ばいばい、黄瀬くん」




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