05.飾りのままの金平糖





 はじまりは、いつも授業中に寝てしまうオレを密かに隠してくれていたはずの前の席の女の子が、オレと同じタイミングで居眠りをしていたことからだった。




 その日最後の授業。
 ただでさえ眠くなる時間だっていうのに、担任はまるで呪文のように歴史ロマンだか何だかを長々と語っていた。淡々と響くその声が余計に眠気を誘う。
 欠伸を噛みしめたのはこれでもう4度目だった。自分の世界に入り込んでいて注意力もないだろう、と5度目の欠伸をしたオレは部活前のエネルギーチャージということでひと眠りさせてもらうことにした。上半身を倒し机に寝そべり腕を枕にすれば、寝る態勢は簡単に整った。夏休み明けにした席替えで前の席が女の子になってしまったせいで、その背中に隠れるのは少し難しそうなものの、壁際の席であるここは教師の目に意外と入らない穴場だ。
 まぁ、寝てることなんてよくあるし、バレた所で特に問題はないだろう、とオレはいつものように目を閉じた。


 そうして担任の声を子守唄に、あっという間に意識を手放したオレを眠りから覚ましたのは突然頭に走った痛みだった。

「痛てェ!」

 驚いて反射的に起き上がれば、怒りのオーラを放つ担任から10クラス分のプリントを綴じる罰を命じられていた。どうやらオレを隠さず同じように居眠りをしていたらしい、前の席の女の子と2人で。
 10クラス分なんて何時間かかるのか分からない量をひとりでやらずに済んでラッキーだとは思いつつも、そもそも前の席の子が寝ていなければこんなことにはならなかったんじゃないかと思ってしまう。更にはクラスの女の子数人が手伝ってくれると言っているのに、それすら却下する担任にオレは溜息を吐いた。

 プリントが完成すりゃ良いんだから、オレじゃなくて女の子達がやってくれてもいんじゃねーの?10クラス分って、放課後何日分?何時間分?オレは早く部活に行きたいっつーのに。





 猶予は10日間。
 とりあえずは1日1クラス分をやって様子を見ようということになり、オレは1クラス分のプリントを抱えて廊下を歩いていた。20枚のプリントをひとつにまとめて45人分。手にしてみれば予想よりも少ないプリントの量に、これなら割とすぐに終われそうな感じがした。けどこれが後10クラス分。ペースを掴めば1日に2、3クラス分は出来るんじゃないかと思いつつも、それでも最低あと3日はやらなくちゃならない。1日に残る時間を多くしてバスケに行く時間を遅らせるか、なるべく早く練習に行けるようにして日数を増やすべきか。考えてみたところで、どちらも面倒くさいとしか思えなかった。
 早くバスケをすることばかりを考えているオレの横には、ホチキスと資料室の鍵を持ったちゃんが静かに歩いている。オレと同じく、呪文に倒れたちゃん。集まって来た女の子数人に手伝ってもらえれば早く終われて良かったものの、一緒にやるのがちゃんでまぁ良かったかと考えていた。
 席替えをしてから1週間ほど経っても、今のところ彼女は熱狂的なファンのように騒いだりせず、オレの気を惹こうと媚びたりもしてこないからだ。

「キセリョー!」

 ちゃんが資料室の鍵を開けた所で、オレの背中に大きな声がぶつけられた。
 振り向けば、恐らく先輩である女の子達が先日発売されたばかりのオレが表紙の雑誌を持っていた。

「この表紙超イイ!」
「キセリョ最高!」
「「大スキー!」」

 テンポ良く叫ばれる黄色い声に、誰だあれはと思いつつも笑顔を返した。営業スマイル、と言うにはあまりにも使い慣れてしまったこの笑顔。
 プリントを持っているせいで手を振り返すことが出来ず、仕方なくオレも彼女達につられるように大きな声を出した。

「ありがと、オレも大スキ!」

 騒ぐ先輩達に驚いているちゃんの横を通り過ぎ、オレはさっさと資料室に入った。
 これ以上騒がれるのはカンベンして欲しい。足止めをくらっている暇なんてオレにはない。1秒でも早く体育館に行ってバスケがしたいのだ。それに、1秒遅れるごとに笠松先輩の蹴りが増えるんじゃないかって、気が気じゃない。
 プリントを机に置き、ちゃんが資料室に入って来たのを見てすぐにドアを閉めた。薄暗い資料室の電気を点けながら、彼女達がここまで来ないことを祈る。

「いつもすごいね」
「モテる男の運命っスよ」

 感心したような声で見上げるちゃんに、笑って答えた。やっぱりちゃんで良かったと思う。この子は、あんな風にオレに対して特別騒ぎたてたりしない。
 まぁそれも、2人きりになったらどうか分かんないけど。

 しかし、そんな風に内心思っていたオレの目を丸くさせたのは、ちゃんのそっけない一言だった。

「早く終わらせちゃおうよ」

 オレが寝ていたのがバレたのはちゃんが居眠りをしていたせいだ、なんてからかっていると、彼女はオレの作業が遅い、とたしなめるように言い放った。
 放課後に喜んでプリント綴じをする生徒はいない。ちゃんの言い分は何ひとつ間違ってはいない。けれど自分に向けられる言葉としては、ひどく新鮮だった。自慢ではないが、女の子と一緒にいて早く帰りたいだとか、その手のことを言われたことは今まで経験がなかったのだ。

「どうしたの?」

 驚いてプリントを手にしたまま固まるオレに、ちゃんは伺うように声をかけた。
 まさかオレも、女の子全員がオレに惚れるだなんてバカげたこと思ってはいない。きっと彼女には好きな男か、もしくは恋人がいるのだろう。だから女の子が騒ぐモデル・キセリョに見向きもしないのだ。そう予測したものの、恋人がいるわけではないらしかった。

「好きな男がいるからオレに興味ないんだと思って」
「黄瀬くん、世界中の女の子みんなが黄瀬くんのことを好きになるわけじゃないんだよ」

 半分本気、半分冗談で笑って見せれば、ちゃんはわざとらしく目を細めて声のトーンを下げた。そんなちゃんの反応がやはりオレには新鮮で、そしてどこかなつかしいように心に馴染んだ。
 居残りをする相手がちゃんで良かったと、改めて思った。

 今まであまり話したことはなかったけれど、この子となら気兼ねなく窮屈な思いをせずに過ごして行けると、オレはそう思っていたんだ。







 けれどやはり、ちゃんも“女の子”だった。

 真面目に居残りをしようと思う反面、バスケをする時間を削られてしまうことがどうしてももどかしかった。手伝ってくれるという女の子の手を借りたい、というよりは全てお願いしてしまいたいという気持ちは喉まで出かかった。こっそり女の子に頼めば担任にもバレないだろうと思うものの、真面目に作業し、早く練習に行きたい気持ちを酌んでくれるちゃんの手前言い出せずにいた。
 だから、どうしても出たい練習があり焦っていたオレに部活に行っていいと言ってくれたちゃんに、オレは浮かれていた。
 他の女の子のように騒がないちゃんが面白くて、部活を優先させてくれようとしつつもしっかりとオレにも作業をさせる真面目さに好感を抱いていた。そんなちゃんとの放課後の時間は部活を抜きにして考えれば、少なくともオレは好きだった。
 けれどオレの思っていた“スキ”とちゃんの思っていた“好き”は、違っていたのだ。浮かれていたオレは、迂闊にも今まで気付いてあげることが出来なかった。


「も〜ちゃんダイスキ!」

 嘘ではない。
 それはオレなりに感謝の気持ちを込めた本心だった。

「……そういうこと、簡単に言わない方が良いよ」

 ちゃんから返って来たのは震えそうな冷えた声で、まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったオレは驚いてしまった。けれどそれはオレだけではなかったのだろう、彼女の表情もまた、戸惑いで揺れていた。

 一瞬止まった空気に、あぁ────────と腹の底が冷える感覚がした。

 ちゃんもやっぱりそうか。
 騒ぎ立てないだけで、ギャラリーにいる女の子と一緒なのだ。彼女も“キセリョ”に恋する女の子のひとりなのだろう。それが悪いことだとは思わない。むしろとても光栄なことだ。悪いのは、接し方を間違ってしまったオレの方。言葉のまま軽く受け取ってくれればいいものを、彼女は予想以上にマジメちゃんだったらしく、遊ぶタイプの女の子じゃないのに冗談が過ぎたオレのミスだ。
 でも、オレは彼女を喜ばせようだとか調子に乗ったわけではなく、少なくともあの言葉は本心からのものだった。ちゃんには、そのニュアンスが通じるものだと思っていた。
 この数日の放課後、キセリョの隣にいることにドキドキしているというよりは、オレとの会話を楽しんでくれているように思っていたのに。
 やはり見抜けなかった、オレのミスだ。

「ほら、早く部活行って」
「じゃあ……よろしくっス」

 固く結ばれた唇を必死に動かして笑顔を作ろうとするちゃんを見て、残念な気持ちになる。それなりに楽しめていた放課後は、もう明日からはない。これじゃあ余計に早く部活に行きたくて仕方がなくなってしまいそうだ。
 上手に笑顔を作れないちゃんを見ながら、オレは慣れた笑顔を作り返事をした。
 オレにとってはこんな笑顔を作ることすら簡単なこと。思えば、ちゃんにはあまりこの顔を見せていなかったような気がする。それでも彼女もキセリョの笑顔に魅了されてしまう一人なのだと思うと、やはり残念な気持ちだった。


 教室を出てから溜息をひとつ吐く。
 ファンなのであれば、あの言葉に浮かれてくれていれば良いのに。
 真面目で純粋な女の子をオレの軽口で本気にさせてしまってはカワイソウだ、とちゃんとの距離の取り方を考え直した。
 プリントはまだ7クラス分も残っている。今日でサヨナラには出来ない。
 なるべく面倒なやりとりは回避したかった。女の子にはソクバクされず楽しく、がオレのモットー。それが一番楽で、楽しいお付き合いの仕方。

 オレをソクバクしていいのはバスケだけ、なんてね。
 ふざけたことを頭の中で考えながら、体育館へと走った。










 次の日の朝、予想通りちゃんは気まずそうにしていた。
 面倒臭い展開を望まないオレとしてはあの一瞬の空気はなかったことにしようと、あくまでいつも通りに話しかけた。声をかければ普通に返してくれる彼女を見て、そこらへんは空気の読める子で良かった、と思った。
 けれど昨日の今日で落ちついていないのが良く分かる。
 教室の後ろを振り返ることはほぼないし、プリントをオレに回す時ですらぎこちないほどだった。
 少し距離が必要だろうと判断したオレは、一か八か帰りのHRが終わった後、担任が教室を出て行ったのを見計らって彼女の前で両手を合わせた。

ちゃんゴメン!どーしても頭から部活出たくて!今日の分まかせちゃってもいい?」

 懇願してみせれば、ちゃんは少しだけ目を開いた後に、ほっとした表情を見せた。
 やはりオレと2人になるのは気まずいのだろう。こうして彼女からも距離をとろうとしてくれるなら楽だ、と思った。

「うん、大丈夫だよ。部活頑張ってね」
「ありがと」

 しっかりとちゃんからの了承を得て、オレは颯爽と教室から出た。
 さて、後は残り6日分をどうするか。明日から3連休だし、休み明けのちゃんの様子を見てから考えればいーかな。










 そんな休み明け、声をかけてきたのはちゃんの方からだった。
 おはようと声をかけた雰囲気ではまだ完璧に前と同じ状態には戻れていない空気を感じ、流石に3日間でどうにかなるほど乙女心は簡単ではないか、と思った。けれどお昼休みに、ちゃんの瞳がしっかりとオレを捉えた。ちゃんからの視線を受け止めるのはなんだか久しぶりのような気がした。
 お弁当を持ち立ち上がったちゃんがそのまま横を通り過ぎるのだと思えば、足を止めてオレを呼んだのだ。少し強張った声に何を言われるのかと内心身構えれば、その構えが一気に抜けるような一言だった。

「今日もひとりでやるから、部活に行っていいよ」

 戸惑いの声を漏らすオレが返事をする前に、残りの分も全部ひとりで出来るから真っ直ぐ部活に行って良い、とちゃんは続けた。まるで告白もしていないのに振られたような奇妙な気分を味わいつつも、流石に昨日の分を含め7クラス分をひとりでやらせるのは良いものかと悩んだ。
 しかしちゃんがその方が楽だと思うのならそれでいいのだろう。
 オレも部活に行けるし、ラッキー、ということで。

「んじゃプリント重いから、資料室にプリントだけは運んどくっスね」

 いくらラッキーだと思っていてもせめて何らかのポーズが必要だろう、と提案するものの、それすらちゃんは首を横に振った。

「プリントは黄瀬くんが部活に行った後に先生が全部持ってきてくれてるから大丈夫」
「げ、あの後来たんスか担任」
「黄瀬くんはトイレに行ってるって言ったからバレてないよ」
「うわ〜、ありがとちゃん。行ける日には手伝いに行くっスから!」

 手伝いに、というのはオカシイ。これはちゃんだけではなくオレに対する罰でもあるのだから。それでもオレは、なるべく”部活に行ってほしい”と思っているちゃんの意志を尊重してあげたい。下手に近付かない方が、きっと彼女のためだ。
 3日前よりも幾分以前と同じように接してくれるちゃんに感謝の意を伝えれば、やはりほっとしたような笑顔が返って来た。

「リョータぁ」

 オレとちゃんの会話に終止符を打つように、明るい髪の女の子が前方のドアから顔を覗かせてオレを呼んだ。
 丸く大きな瞳にぽってりとした唇がグロスでツヤツヤと光っている。この子は自分の武器が大きな瞳と厚みのある唇だと思い強調したメイクをしているが、オレはすっと通った鼻が1番綺麗だと思う。だからきっと、メイクはもう少し薄い方が可愛い。
 そんなどうでも良いことを考えながら、オレは立ち上がった。

「ほんとありがとね。何かあったらスグ言って」

 敢えて申し訳なさそうな顔を見せながら、オレはドアから顔を覗かせている女の子の所へと向かった。
 彼女は、ソクバクされずに楽しく、な女の子のひとりだ。ちゃんと彼女のような関係を築けるとも築きたいとも思ってはいなかったが、少なくとも今のような関係になるとも思ってはいなかった。




 まぁ、ショウガナイのだ。
 後ろにいるちゃんがどんな想いで、どんな表情で立っているかだなんて、オレとちゃんの距離との間では見えないもの。見えなくても良いものなのだから。




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