蛍くんのお姉ちゃんにとっての本当のSSR

月島家兄弟構成
長女:/長男:明光/次男:蛍








 時計が明日に切り替わるかどうかという時刻。
 お風呂から上がった僕は、冷蔵庫からペットボトルを取り出し部屋へと戻る途中だった。静かな家の中で、自分の足音だけが響いている。けれど火照った足を階段に乗せた瞬間、2階から言葉に表しようのない悲鳴が聞こえた。



 こんな言い方をすれば、まるで怪談か何かのようにも聞こえるけれど、あの間抜けな悲鳴を聞けば、これが怪奇現象でも何でもないことが分かってもらえるはずだ。いやむしろ逆に、こんな時間にあんなバカみたいな声を出しているのが僕の姉だということの方がよっぽど恐怖だった。

「……うるさ」

 何時だと思ってんの?ていうか、ナニゴト。
 眉間にシワが寄るのを感じながら階段を上り、悲鳴を上げた人物の部屋の前で立ち止まって声をかけた。

「ちょっと、何時だと思ってんの。うるさいんだけど」

 けれど部屋の中から返事はない。
 あれだけ大きな声を出しておいて、寝ているわけがなかった。もし寝ているんだとしたら寝言ということになるけど、あんな大きな寝言、それこそ怪奇現象レベルだ。何年も一緒に過ごしてきて、おかしな寝言や寝相は見たことがあるものの、流石にこんな風に叫ぶ寝言を聞いたことはなかった。つまり、起きているはずなのだ。
 僕はドアノブに手をかけ、ノックもせずにドアを開けた。一応すぐには覗き込まず反応を待ってみるものの、何かを言われる気配もない。そのまま部屋の中を見れば、ベッドの上でうつ伏せに倒れ込む姉ちゃんの姿があり、まっすぐ頭上に伸ばされた両腕の先には横向きのスマホが力無く握られていた。

「……なにやってんの」

 スマホに何かがあったようにも見えるその体勢の姉ちゃんに声をかけると、突然顔を上げるものだから思わず肩を揺らしてしまった。顔を上げた姉ちゃんは今にも泣き出しそうで、まさか彼氏に振られただなんだと、そんな話を聞かされるのではないかと思い、僕はドアを開けたことを後悔した。
 そもそも彼氏がいるかどうかすら聞かされてないし、そんな話を聞きたくもない。

「……っ、出ない〜〜〜!」

 うるさい、と最初に言ったのを覚えていないのか、そもそも聞こえてすらいなかったんじゃないかと思うほどの大きな声で僕に向かって叫ぶ姉ちゃんに引きながら「出ない」という言葉の意味を考えた。喧嘩中の彼氏が電話に出ないとか、そういうことなのだろうか。だとしたら今すぐに部屋から出て行きたい、と思ったところで姉ちゃんのスマホから男の声が聞こえてきた。
 それは、やたらと良い声だった。
 思わず目線を向けると、そこには僕の知らないキャラクターの男が、画面の中で微笑んでいた。

「もぉ〜なんで出てくれないの〜?」

 もはや半分泣いているのでは、というような声で僕に嘆く姉ちゃんに呆れながら、ようやく「出ない」の正しい意味を理解した。ガチャが、出ないということなのだろう。
 というか、何やってんのこの人。しかも良い年してこんな時間に騒ぐって何?一瞬でも心配した僕の親切心を返して欲しい。

「うるさいってば」
「だって出ないんだもん〜!この子、この子のカードだけ出てほしいのに〜」
「ちょっと、変なの見せないでよ」
「変なゲームじゃないから!」

 この子、と言って画面の中で微笑む男を見せてくる姉ちゃんにわざとらしくそんなことを言えば、姉ちゃんは笑いながら体を起き上がらせた。

「あ、それ一口飲みたい」
「やだよ、僕もまだ飲んでないのに」

 僕の持っているペットボトルを見て手を伸ばす姉ちゃんに見せつけるように半分ほど飲み干せば、意地悪だと言ってTシャツの裾を引っ張られた。何でこの人は本当、いつまでも子供のように僕に接してくるんだろう。

「今のでTシャツ伸びたから弁償してよ」
「えぇ、そのTシャツ代を課金したらガチャ出るかもなのに?」
「そんなのに課金するより僕にした方がよっぽど有意義でしょ」
「蛍にはいつもケーキ課金してるんだけどなぁ」

 その割にSSR率めちゃくちゃ低いのどうにかしてくれない?と、いつまでも欲しいカードが出ないことを引きずっているのか、姉ちゃんは溜め息をつきながら僕のTシャツから手を離した。僕のSSRってどんなんだよ、と思いながら飲みかけのペットボトルを渡せば、それを抱えるようにして再びベッドに蹲ってしまった。

「絶対欲しかったのに……なんで出てくれなかったの?」
「また引けばいいでしょ」
「もう引けないの、最後の1回だったの!」
「石貯めてまた引けば」
「今しか出ないカードなの!」

 あぁでもない、こうでもないってうるさいな、あのキャラクターのどこが良いんだよ。
 どことなく黒尾さんに似ていたキャラクターを思い出しながら飲む気のないペットボトルを取り戻そうと手を伸ばせば、ペットボトルを掴んだ僕の手に姉ちゃんがしがみついた。

「ちょっと、飲まないなら返してよ」
「慰めてよ〜」
「ほんとキモいからやめて離して」
「クロードはそんなこと言わないもん!」
「はあ?誰だよ」
「私の推し」

 なんで微妙に名前まで黒尾さんと似てるんだよ……。
 苛立ちにまかせてペットボトルを奪えば、仰向けになった姉ちゃんが涙目で僕を見ていた。

「ひどい……クロードは出ないし、蛍はSSRしてくれないし、一口も飲ませてくれないし、冷蔵庫に入れてたプリンはなくなってたし」

 最後の一言に身に覚えがあるものの、どれもこれも僕が何かしたわけじゃない。ひどい、だなんて言われる筋合いがない。そもそもSSRするってなんなの。

「わけわかんないこと言ってないで寝なよ」

 強制終了。
 電気を消して部屋を出れば、ようやく今が何時なのか把握したらしい姉ちゃんの小さな声が「蛍のばか?」と叫んでいた。バカはどっちだ。あんな目つきの悪い軽そうな男より、もっと兄ちゃんに似て爽やかで誠実そうなキャラクターはいないのかよ、あのゲーム。

 とりあえずゲームに課金される前にTシャツを買ってもらいに行こう、と思いながら僕はベットに横になった。












翌朝。

 信じられないことに、昨晩に引き続き間抜けな悲鳴を上げている姉ちゃんの声で目が覚めた。久しぶりに練習のない休みの朝としては最悪の目覚めだった。
 どうやらリビングで騒いでいるらしい姉ちゃんに文句を言おうと階段を降りれば、今度は嬉しそうな笑い声が聞こえてきていた。

「ほんっっとにうるさいんだけど」
「蛍!見て!」

 笑顔の姉ちゃんの手には、一枚の写真が握られていた。
 どうやらそれは姉ちゃんが大事にしていた写真で、ここ最近なくしてしまったのだと思い探していたものの、実は母親が祖母に見せるために持ち出していただけだった、ということらしい。

「ごめんね、まさかそんなお守りみたいにして持ってるとは思わなくて」
「だってこんなに可愛いんだよ?仕事で疲れた時とかについつい眺めちゃう」

 私のSSR、と嬉しそうに姉ちゃんが僕に見せてくる写真に写っているのは、紛れもなく幼少期の僕だった。記憶にもないほど小さい僕は、何がしたかったのか姉ちゃんの手を頬に当てて、嬉しそうに笑っていた。

「なん……で人の写真勝手に持ち歩いてるんだよ!」
「いいじゃん自分の弟の写真なんだから〜!覚えてる?蛍、5歳くらいまでよくこーやって私の手をほっぺに当ててにこにこしてたんだよ」

 可愛かったよねぇ、と母親と嬉しそうに話す姿を見て全身に血が巡るのを感じた。いくら年の差があれど、姉に幼少期の自分の写真を大事にされている弟の気持ちがわからないのだろうか。こんなことを兄ちゃんに相談してみても、きっとあの人は姉ちゃんが自分の写真を持っていたとしても喜ぶ───────どころか、兄ちゃんまで僕の写真を持ってそうで怖くて確認すらしたくなくなってしまった。
 仲良しで羨ましいだなんて山口は言うけれど、うちの姉ちゃんと兄ちゃんは絶対におかしい。
 
「マジできもいからやめて」
「きもくないも〜ん。蛍がそうやって笑ってくれなくなっちゃったから、お姉ちゃんはこうやって昔の蛍に癒されてるんだからね」
「いくつだと思ってんの」
「明光は今もにこにこ笑ってくれるじゃん」
「………」

 ほんっ……とにさあ!
 まるで抱きしめるように写真を持つ姉ちゃんから写真を奪えば、おもちゃを取り上げられた子供のように声をあげた。本当に、いくつなんだと問いたい。

「やだ蛍、返してよ!ぐちゃぐちゃにしないでね!?」
「こんなの捨て───────」
「朝から賑やかだな〜」

 いつもの光景、というように母親は朝食の準備を始めていて、その後ろで写真の取り合いをしている僕と姉ちゃんの動きを止める呑気な声がリビングに響いた。
 信じられないタイミングだ。

「なにやってんの?俺もまぜてよ」
「明光!蛍がわたしの大事な写真を取ったの、助けて!」
「えっ、なになにの彼氏の写真?」
「それより全然大事なもの!」
「だからキモいこと言うな───────ちょっと兄ちゃん!」

 この二人が揃うとタチが悪いのだ。
 兄ちゃんは僕の背後に回って両腕を拘束し、姉ちゃんに今のうちだと指示をだしていた。背は僕の方が高いものの、無駄に筋肉のある兄ちゃんの拘束は簡単に外せそうにもない。その隙に姉ちゃんは僕の脇腹をくすぐり、ふざけた攻撃に気が抜けた僕の手からはいとも簡単に写真が床へと落下して行った。床に落ちる前に写真をキャッチした姉ちゃんはそれはそれは嬉しそうに笑い、高らかに頭上へと掲げている。

「取り戻した〜!」
ちゃんちゃん、俺にも見せて」
「いいよ〜可愛いくてきゅんとしちゃうよ」
「これは…!蛍がやたらとちゃんの手のひらを頬に当てたがってた時期の!」

 姉ちゃんに見せられた写真に同じようなテンションでにやける兄ちゃんを見て、心底げんなりとした。僕の姉と兄はおかしい、絶対におかしい。
 イライラしながら溜め息をつけば、兄ちゃんはびくりと肩を揺らした。

「兄ちゃんなんで帰ってきたの?」
「ひどっ!お、俺もちゃんに写真を見せてあげようと思って……」
「え〜何?なんの写真?」
「この間仕事で行けないって言ってた蛍の試合の写真」
「あの時の!?見たい見たい!!」
「……来たの?誰が来ていいって許可したわけ?」
「も〜蛍が兄ちゃんに冷たい〜」
「明光、実家出ちゃったから慣れてないんでしょ、こんなの蛍の通常営業だよ」
「ちょっとここで広げないでよ!ていうか盗撮だから!」
「わぁ、この蛍笑ってるよ!?ガッツポーズしてるし可愛いい〜!!」
「これむちゃくちゃ良いブロック決まった時のやつ!試合の中盤で───────」
「ちょっと!!!」

 ほんとに、この人たちなんなの!?
 勝手に試合は観に来るわ、盗撮してるわ、今時写真なんてスマホで送り合えばいいのにわざわざ現像したの眺めてるわ、意味が分かんないんですけど!しかも、まるでアイドルの写真を眺めるようなテンションで自分の写真にはしゃがれて、黙っていられる人間がどこにいるっていうわけ!



 この二人が揃うと手に負えない、と助けを求めるように母さんに声をかければグラスに注いだ牛乳を差し出して「蛍もお部屋に3人で写ってる写真飾ってるじゃない」と微笑まれてしまい、僕は黙って怒りを押し込めるように受け取った牛乳を飲み干すしかなかった。

「僕の写真1枚につきTシャツ1枚だから!」







20200914
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