僕の世界







「とおるー?」

 約束の時間より少し早めに及川家に着いた私はおばさんに挨拶をしてから徹の部屋のドアをノックした。声をかければ、距離感がつかめていないような大きめの声が聞こえて来た。

「いらっしゃーい」

 徹の少し大きなその声に、ヘッドフォンをしていることが安易に想像出来る。日曜日の練習終わりの午後4時。彼はきっと、バレーのDVDを見ているのだろう。



 部屋に入れば案の定徹はパソコンにかじりつくようにバレーの試合を見ていた。
 少し早めに着いちゃったし、きっと気になる試合なんだろうと思い私は鞄を置いて、徹から少し離れた所に座った。漫画でも読んで待ってようと本棚に手を伸ばせば、徹の腕が私を呼ぶように手招いていた。
 何も言わない。ヘッドフォンはしたままで、視線も画面に釘付けになったまま。
 それでも呼ばれた私は這うように膝で歩いて徹に近付き、隣に座った。

 徹はバレーボールを抱えていた膝を崩し胡坐をかいて、私がいる反対側に抱えていたバレーボールを置いた。
 徹は部屋にいても、暇さえあればいつもバレーボールに触れている。まるでそれはおしゃぶりを手放せない赤ちゃんのようにも見えるし、徹とバレーボールの間に離れられない磁力があるようにも見える。徹にバレーボールが吸い寄せられているのか、徹がバレーボールに吸い寄せられているのか。ただひとつ言えることは、徹の傍にはいつだってバレーボールがあるということ。バレーボールを見れば徹を思い出すことが出来るし、徹を見ればバレーボールが目に浮かんでくる。絶対に切り離せないものだった。
 徹の手から離れたバレーボールをぼんやりと見つめていると、その手が私の腰をぐっと引き寄せた。引き寄せられるままに私は足の間に座らされていて、徹はバレーボールの代わりに私を抱き締めた。
 けれど、意識はパソコンの画面に向けられたままだった。

「ごめん、もーちょっと」

 今度は囁くように、ひどく小さな声。
 ヘッドフォンをしているせいで、自分の声の大きさが分かっていないのだろう。音も聞こえないバレーの試合を見ていても、私はあまり楽しむことが出来ない。けれど徹の腕の拘束を解く気にもなれなかった。漫画を持ってここまで来れば良かった、と思いながら私は徹の胸に背中を預けた。
 ヘッドフォンからは試合の熱気が漏れている。こんなに大きな音で聞いていて、よく私の声が聞こえたなぁと感心しながら瞼を下ろした。









ちゃーん」

 名前を呼ばれ、わしゃわしゃとした髪の毛が首筋に当たるくすぐったさで目が覚めた。いつの間にか、とは言えないほど意識的に瞼を下ろした私は、徹の体温と静かな息遣い、そして少しだけ漏れて来る試合の音を子守唄に眠っていたようだった。
 頭を擦りつけて来る徹から離れるように顔を傾ければ、私が起きたことに気付いた徹と目が合った。
 ヘッドフォンはもう外されていた。

「おはよ〜。俺をほっぽって寝ちゃわないでよ」

 いつも通りの大きさで話す徹の声が寝起きの頭に響いた。先に私を放っておいたのはどっちだ、と思いながら徹に問いかける。

「試合のDVD、もういいの?」
「うん、ごめんね。これ後で岩ちゃんに回さなきゃなんなくてさ」
「いいけど」

 パソコンに表示された時間を見れば、私が部屋に来てから1時間が過ぎていた。徹がバレーに意識を持っていかれてしまうのはいつものことだし、久しぶりに来た徹の家でたった1時間眠ってしまうようなことになったって別に、気にしていない。けれど寝起きの私はそれを上手く繕うことが出来なかったようで、声が少しだけそっけなくなってしまった。
 本当に、嫌だとは思っていないんだけど。本当は、ちょっとだけ寂しかったのかもしれない。

「な〜にぃ、俺の腕の中にいたのに寂しかったの?」

 茶化すように顔を近付ける徹に、私は「全然」と答えた。

「1時間もこの状態で腕とか痺れてないの?」

 徹の足の隙間にお尻を置いていたから、私の体重は直接乗っかってはいない。けれど背中を預けていたし、徹の腕は私の体に回されたままだった。眠っていたせいで重かっただろう、と思い背中を離せば、離れた背中を追うように徹は私の体にくっついた。

「及川さんの逞しい体はそんなヤワじゃないです」
「ふーん」
「それに寝顔見てたら可愛いくてあっという間に時間経っちゃったよ」
「……」

 嘘付き、私じゃなくてバレー見てたくせに。
 そう軽く返そうと思ったものの、そう言ってしまえばバレーに嫉妬しているようで、DVDを見ていた徹を責めているように聞こえる気がして口に出せなかった。
 本当にそんなつもりはないのだけれど、こうして胸に引っかかる何かがある辺り私は多少なりとも徹のバレーに対する情熱に嫉妬と寂しさを感じているのだと思う。それを口に出せないのは子供染みた独占欲のような気がするからだ。そして本心から、DVDを見るのを止めて欲しいとは思っていないから。

「あれ、信じてない顔してるね」
「ただの寝起きの顔です」
「ホントだよ。DVD、30分前には終わってるもん」
「え?」
「その後起こそうと思ったんだけど、寝顔眺めてたらついつい可愛いくて30分も経っちゃった」
「えっ、ほんとに30分も寝顔見てたの?」
「うん」

 冗談のような口ぶりで、それこそ徹は本気の顔をしていた。
 寝顔を眺めていたと言われて恥ずかしくならないわけがない。逃げるように徹の腕を振りほどこうとするものの、本人の言う通り逞しい体はびくともしない。仕方なくその腕におさまったまま、せめてもの抵抗にと私は顔を伏せた。

「そういうの止めてよ」
「なんでー?」
「恥ずかしいから」
はなかなか素直にならないね」

 寝顔を見られて恥ずかしい、と思うのは十分素直な気持ちだ。そう思っていると私を拘束している腕が片方離れ、隣に置いてあったバレーボールを掴んで私の目の前にかざされた。

「なに?」

 見上げれば、徹はにっこりと笑っている。

「この子にヤキモチ妬いてたでしょ」
「……やいてません」
「も〜、俺にはバレバレなんだから隠さない!」

 バレーボールを揺らしながらそう言う徹に、私は頭の中をフル回転させていた。
 本当は、一緒にいてもいつも手が空いていればバレーボールへと手を伸ばす徹を見て、いいなぁと思っていた。私もあんな風に手を伸ばされたい、大事にされたい、だなんて。でもそれを誰かに言ったことなんてない。友達にも、ましてや徹にも。感づかれるような発言だってしたことがないはずだった。
 それなのにどうして、徹にバレているの?

「岩ちゃんに言ったんでしょ、俺が四六時中バレーボール抱っこしてるって」
「だって、さっきも抱っこしてたでしょ」
「そんでその後にこう思ってたでしょ、"私もバレーボールになりたい”って」
「おっ、もってないよ!なに言ってんの!」

 まさに、だ。
 言い当てられてしまい動揺する私を見て徹は楽しそうに笑う。岩ちゃんから聞いたその言葉から、どうして続く私の気持ちまで読みとれてしまうのかが分からない。岩ちゃんに話した時だって、徹はバレーバカだと二人で茶化すように話していた時なのに。

「も〜だから、バレバレだってば」

 あやすように私を抱き締める徹に、降参するように肩に顔を伏せれば更に距離を縮めるように腕に力を入れられた。



「ちゃんとお前のことも見てるよ」



 低く囁くその声に、全身がぞくりと粟立つ。

 ずるいよ。
 そんなことを言っても、試合を見ていた時は私のことは意識の隅にあったくせに。
 それでも、私をしっかりと掴んで離さないなんて。

 想いをぶつけるようにしがみ付けば、応えるような甘く柔らかい唇が耳元に落ちた。








20140720
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