もう一歩、あとちょっと

「あと一歩、もうちょっと」の続き







「あれ、飛雄ちゃん」

 は友達と購買に向かう途中でふと目に入った窓の外に、黒くてまんまるい後頭部を見つけた。いつもは自分の目線よりも高い位置にあるそれが、今はとても低い場所にある。それはが校舎の中にいて、影山が校舎の外にいるからということだけではなかった。

 先に買って教室に戻ってて、と友達に声をかけたはそのままここから一番近い校舎の外に出るドアまで小走りで向かった。
 ────────飛雄ちゃん、何してるんだろう。
 の心の中に、むくむくと好奇心と悪戯心が芽生えていた。
 影山が何をしているのかはここからは見えないものの、校舎の外にある木の間にしゃがみこんでいるのだけは良く分かる。何かを見ているのだろうか、じっと動かないその背中にそっと近づいて、声をかけて驚かしてやろうとは考えていた。どうしてかいつも、影山の姿を見つけると嬉しくなり、声をかけに近寄りたくなってしまうのだ。

 ベンチも花壇も何もないただの校舎脇。お昼休みの時間帯と言えど何もないここは静かだった。校舎の外に出たは走って影山の背後まで忍び寄りたい気持ちを抑えて、足音を立てて気付かれてしまわないようにとゆっくり慎重に近づいていた。けれどの焦る心配を他所に、影山はよほど真剣に何かをしているらしく、ぴくりとも動く様子がない。彼は一体何に夢中になっているんだろう、と疑問に思いながらも、ようやく背中に手が届く位置まで来たは静かにしゃがみ、小さく息を吸い込んだ。

「飛雄ちゃん!」

 思い切り声をかけるのと同時に、両手でパシンと背中を叩く。びくりと揺れた肩に、作戦大成功だとは笑顔になった。そして驚いた顔で影山が振り返るのをわくわくとしながら待ち構えていれば、振り返った影山はの想像とは違う殺気漂う鋭い目つきをしていた。
 ────────あれ、デジャヴ
 前にもこんな目つきで振り返られたことがある、いやその時以上だと思いながら影山以上に肩を揺らしたは、思わずそのまま後ろに倒れ尻もちをついてしまった。
 怯えて尻もちをついてしまったを見て、影山は動揺するように目を丸めた。その表情を見て、あぁまた目つき鋭くしちゃったことを反省しているんだろうなぁと、は微笑ましい気持ちになった。申し訳なさそうにしている影山に微笑み返していると、もぞもぞと唇を動かしながら彼はの腕を掴み引っ張り上げた。

「す、すんません、あの」

 大きな手に自分の二の腕がすっぽりと掴まれてしまうこと、そして少し痛く感じる力強さに、は一年後輩である“飛雄ちゃん”もやっぱり男の子なのだということを実感していた。けれどそのことにはドキドキとしている暇もなく、影山の体が少し動いたことで気付いたもうひとつのことに声を上げた。

「猫ちゃん!」
「う……ス」
「飛雄ちゃん、ずーっと猫ちゃん見てたの?」
「はい」
「かわいーねえ。飛雄ちゃんと一緒でつやつやの黒」 

 にっこりと笑顔を向けるに、影山は小さく頷いた。
 きっと猫が触りたくてじっと見つめていて、そして声をかけた時に驚いただけじゃなくて猫が逃げてしまうと思ってあんなに殺気立った目つきをしていたのだろう、と納得のいったは、可愛い後輩の可愛い行動に口元が緩んでいた。

「飛雄ちゃん、猫ちゃん触りたいの?」
「あの……はい、ちょっと」
「首輪ついてるからお散歩中っぽいし、野良猫じゃないから抱っこさせてくれそうだけど」

 どうかな、と言って体を起こしたは膝をつき、少しずつ猫へと近寄って行った。すると猫はも同じように少しずつに近づき、そしてそのままの膝にするりと顔を寄せた。

「ほら!大丈夫!」

 そのままの膝に飛び乗った猫は、大人しくに背中を撫でられていた。おいでおいでと影山に手招きをすれば、緊張した面持ちで近づいてきた。けれど猫はの膝に大人しく乗って逃げる気配もなく、おずおずと手を伸ばす影山にも背中を撫でらせていた。
 猫が逃げないことにほっとしている様子の影山を見て、猫と影山の仲を取り持つことが出来たは喜んでいた。

「触れて良かったね」
「はい、ありがとうございます」
「飛雄ちゃんもずっと見てないで近寄ったら触れたかもよ?」
「いや、近づいたら逃げられてたんで動けなかったんス」
「飛雄ちゃんの真っ直ぐな瞳に怖気づいちゃったかな」
「あの……さんは怖くないんスか」
「え?飛雄ちゃんのこと?」

 確かに影山には度々鋭い視線を向けられ、部活内でもよく「こえーよ!」と声をかけられているのを目撃している。部内で騒いでいる時は微笑ましく見ていられるが、自分にその視線が向いた時はわずかに肩を揺らしてしまうこともある。けれどそれで影山をこわいと思ったことはないし、揺れた肩も反射的に動いてしまっているだけで本当に恐怖を感じたこともない。それは、影山から怯えさせられるような敵意も感情も向けられたことがないからだった。
 そしては、こんな風に影山から問いかけられることに驚いていた。少なくとも彼は、自分のその目つきのことを気にしているということなのだ。影山に対して怯えた態度で接したことはないものの、先ほど尻もちをついてしまったせいで気にさせてしまったのかもしれない、とは思った。

「こわくないよ?なんで?」
「よくあいつらにも言われる、し……猫も逃げるし、さっきさんにも」
「さっきのは先に驚かした私が悪いでしょ?」
「いや、でも」
「それを言ったら旭さんもこわい時あるけど、飛雄ちゃん旭さんのことこわい?」
「こわくないっス」
「いっしょいっしょ」

 へーきへーき、と言っては猫と同じように影山の背中を撫でた。気にしていない、こわくない、そして猫のように逃げたりしないよという気持ちを込めて。
 影山が純粋で一生懸命な男の子だということは、私だけじゃなくみんなもちゃんと気付いているのだ。一年生たちはどうか分からないけれど。田中とノヤっさんもどうだか分からないけれど。いやそれでも影山が“こわいやつ”ではないということは、みんなちゃんと分かっている、とは思った。何よりも自分が影山に対してこわがっているなどという風には思われたくなかった。

「猫ちゃんも、飛雄ちゃんのこともうこわくないよねー」

 猫にもそう話しかけながら小さな頭を撫でると、ニャアと可愛らしい声が返事をした。

「あ、そうだ飛雄────────っ」

 そう言いかけたの口を、影山の手が塞いだ。

 突然のことに、は驚きで思わず息を止めていた。声を出すせいで猫が逃げるのではないかと影山は心配していたが、今は逆にの口を塞ぎ喋るのをやめさせたせいで、急に動いた影山に驚いて猫は逃げてしまった。
 先ほど腕を掴まれた時に感じた以上に、影山の手の大きさをは感じていた。そして想像していたよりも滑らかで柔らかなその手に、驚いていた。あれだけ毎日ボールを触っているのだから、もっとごつごつとして乾燥した手を想像していたのだ。けれど影山の手は、とても滑らかで、あたたかかった。それでもやはり男なのだと感じる骨っぽさが、を余計に緊張させていた。そのせいで、何故急に口を塞がれたのかということを考えられなかった。
 影山は何か切羽詰まったような瞳でを見つめ、触れられた部分にばかり意識が向いてしまうは何も考えられないままにその瞳を受け止めていた。

 まるで時が止まってしまったかのように、二人は硬直したまま動けずにいた。

「お前らなにしてんの?」
「「 っ!? 」」

 その二人を動かしたのは、いつの間にか現れていたバレー部の先輩、菅原の一言だった。

「す、すがわらさん!」
「影山お前、の口塞いでどした?」
「あ!いや、これは!」

 影山は菅原の存在に慌てた様子を見せるものの、手はぴたりとひっついてしまったかのようにの口を覆ったままだった。菅原が不思議に思いながら指摘をすれば、影山は更に慌てて手を離した。そのままの勢いで「すんません!」と頭を下げる影山に菅原だけでなくも同じように首を傾げた。今になってようやく、何故口を塞がれたのかという疑問に辿り着いたのだ。

「お前なんか変なこと言ったの?」
「え?いや、うーん……今猫ちゃんがいたんですけど」

 あの時の状況を考えて、は影山の行動の理由を探した。

「私の声で猫ちゃんが逃げると思ったんだよね、飛雄ちゃん」

 その前から普通に話をしていたけれど、菅原が言うように変なことを言っていたわけではないから理由はこれしかないのだろう、と思った。影山は何とも言えない表情をしているようにも見えたものの、の意見に否定もしてこなかった。だからきっとそういうことなのだろう、と。そう思いながら菅原を見上げれば、何やら彼は面白そうに口角を上げていた。

「つか、“飛雄ちゃん”はないべー」
「え?」
「影山の柄じゃないっていうか。な!影山!」

 菅原の突然の発言をは不思議に思うものの、しゃがみこんだ菅原が影山の肩に腕を回して同意を得れば、影山は大きく頷いていた。二人には何かが通じているようだった。

、オレのことスガちゃんって呼ぶか影山のこと飛雄って呼ぶかどっちにする」
「えぇ、先輩のことそんな風に呼べないですよ」
「じゃあ飛雄で決まり!な、飛雄!」
「ウ、ウッス!」
「飛雄?って呼んでいいの?」
「良いです!!」

 やたらと大きな声で返事をする影山には面食らい、菅原は隣でけたけたと笑っていた。
 猫の話から一転、何故こんな話題になっているのだろうと思ったものの、少し嬉しそうに頷いている影山を見て、はようやくこの間の「その呼び方、止めてもらえませんか」と言われた言葉の意味を理解した。
 ────────そうか、“ちゃん”をつけられるのが恥ずかしかったんだ
 はからかいや茶化すために影山を“飛雄ちゃん”と呼んでいたわけではない。少しでも親しみを込めて、となりに後輩との仲を深めようとしていたのだ。いきなり呼び捨てで呼べば嫌がられるかもしれない、けれど“影山くん”と呼ぶよりは気楽に。影山にだけ“飛雄ちゃん”と呼んでいたのは、影山のことを考えた上でが選んだ呼称だった。けれど“飛雄”と呼んで嬉しそうにしている影山の姿を見て、“飛雄ちゃん”よりもこっちの方が彼にとって嬉しい距離感なのだということを菅原のおかげで今ようやく気付くことが出来た。
 口を塞がれたのもそのためだったのかと納得したは、この間から口下手ながらも一生懸命伝えようとしてくれた影山に気付くことが出来なかった自分を反省した。そしてそれに気付かせてくれた先輩を見習うべく、後輩である影山の想いにしっかりと応えてあげようとは意気込んだ。

「飛雄!」
「は、ハイ!」

 大きな声を出して立ち上がったに、影山はびくりと肩を揺らした。

「私購買行く途中だったから、また放課後にね!授業中寝るなよ!飛雄!」

 確かめるように何度も影山の名前を呼び、彼のつるりと黒い頭を撫でては走り出した。






 ひらりとスカートを翻し走り去ったの背中を見送りながら、菅原はようやく抑えていたにやにやとした気持ちを表情に出した。

「おーい、先輩に感謝しろよ飛雄〜〜」
「あ、りがとうございました」

 腑に落ちなさそうな顔をしながら頭を下げる影山に、菅原はにやけが止まらなかった。
 ここに来る途中に自分の足元をするりと通り抜けて行った黒猫。艶々とした毛並みに誰かを思い出させると感じながら猫が来た先を辿ってみれば、部活の後輩であると影山がいた。何をしているのか、影山がの口を塞いだままの状態で二人は固まったように動かないでいた。何か甘い空気でも流れているのであればそっとしておくべきだとも思うが、そのような気配はなにもなく、むしろ声をかけてやった方が良さそうに感じた菅原は二人の元へと足を速めた。
 しかし急ぐ必要もなく、そして自分の気配に気づく様子もなく、二人はじっと硬直状態を続けていた。一体こいつらは何をしているんだと菅原は面白くなってきていた。
 そうして声をかければあまりの動揺っぷりに影山が思わずしでかしたことなのだと気付き、そしての口から“飛雄ちゃん”という言葉を聞いた瞬間に表情を強張らせる影山を見て、菅原は気付いたのだった。
 ────────なるほど、思わず口を塞いでしまうほど、止めて欲しかったと言うわけだ
 今までも薄々感じてはいたものの、まさかそこまで真剣だったとは。そしてそれを口で言うことも出来ずに、まさか口を塞いでしまうとは。コートの中ではあんなにも堂々と振る舞うくせに、の前になるとこんなにも挙動不審になるものなのかと菅原は笑いを堪えていた。
 きっと影山のことだから、考えるよりも先に行動に出てしまったのだろう、と。

「にしても、お前もーちょっとうまくやんないとさー。確かに女子は壁ドン好きらしいけど」
「なんスかカベドンって」
「え?カベドン知んないの?」
「……丼ぶり、っすか」
「そのドンじゃねーよ!」

 チョップをかましてやれば答えを教えない菅原に影山は口を尖らせ不満そうにしていた。確かに呼び捨てで呼んで欲しい、と改めて口にするのはいささか自然ではない会話ではあるものの、“ちゃん”をつけるのをやめてくれと言うだけでここまでこじれている影山に、これじゃ先が思いやられるなと菅原は思った。

「こないだ旭が女子に借りてた少女漫画面白かったから、飛雄も読みなサイ」
「そんな暇あったらバレーします」
「一生“飛雄ちゃん”のままでいーのか?」

 ほんの少し漫画を読む暇すらないわけないだろうと思いつつも、影山なら本当になさそうでこわい、と菅原は思った。けれど“そんな暇”と言うような無駄な時間ではないはずだ。本当にそう思うのなら、わざわざ影山が“飛雄ちゃん”呼びにこだわるはずもないのだから。
 菅原は影山の肩をポンポンと叩き、影山が昼飯用に買ったであろう購買の袋の中につめられたメロンパンを取り出した。

「お礼にもらってくぞー。授業中に寝るなよ飛雄〜」

 楽しそうに手を振る菅原の背中を見送り、影山はとりあえず感謝だ、と思い小さく頭を下げた。







* * * おまけ * * *








「す、スガちゃん!ドリンクです!」

 がそう菅原に声をかけてドリンクを渡した瞬間、体育館にいた全員がどよめき息を飲んだ。を目の前にしている菅原も同様、じわじわと頬に熱が集まるのを感じ、渡されたドリンクに手を伸ばせないでいた。

「オ、オイいま、スガさんのことなんて呼んだ?」
「ス、スガ、え……ちゃん、もしかして、え、えぇ!?」

 これでもかと同様する田中に、少女漫画に感動している女子のように震える東峰、興奮して雄叫びを上げる西谷に、娘の交際を知らされていなかった父のような微笑みで菅原を見る澤村。一年生たちはただただ驚いているようでその場で動きを止めていたが、菅原は背後に感じる影山の殺気に慌ててからドリンクを受け取った。

「な、なんだよ!さっきの冗談だぞ!」
「えっ、そうなんですか?てっきりスガさんよりスガちゃんの方が良いのかと思って」
「ちがうちがう、別にそう呼んでもいーけど、あれは冗談」

 急に呼び名を変えられるのは照れる。そして何よりも“スガさん”よりも急に仲が深まったかのような“スガちゃん”呼びにみんなが妙な誤解をしたように、菅原自身も変に意識をしてしまっていた。それがバレないようにとドリンクを飲み熱を冷ましていると、ほっとしたようには笑った。

「なんだあ。緊張したんですよ!もう今まで通り呼びますからね」
「おう」

 何事もないようにしているのはだけで、いつものように全員にドリンクを配るのを再開していた。なんだ冗談か、と多少疑念が残りつつも気にしないようにしている部員をよそに、澤村の隣でもじもじとしている旭に菅原はチョップをかました。

「お前変な勘違いしてっとチョップするぞ」
「もうしてんじゃん!」
「おいスガ、ビビらせんなよ」
「ないないちがう、それより主将、オレ殺気にやられそうなんだけど」
「自業自得だべ」

 影山の物凄い視線を背中で受け止めながら菅原が苦い顔をすれば、澤村は楽しそうに笑った。
 影山はあれほど“ちゃん”をつけて呼ばれることを嫌がっていたが、それの何が嫌だったのだろうかと、先ほど少し恥ずかしそうにドリンクを渡してきたを思い出しながら菅原は思った。
 ────────そんな風に呼んできて可愛いって思っちゃったけど

 こんなことは口が裂けても言えない、と練習再開後にやたら集中攻撃してくる影山に菅原は苦笑いを漏らした。









20171009
2style.net