あと一歩、もうちょっと







 自動販売機の前で睨みつけるような視線を機械にぶつけている可愛い可愛い後輩の姿を見つけたは、歩いていた方向を変え小走りで近寄った。

「飛雄ちゃん!」
「っ!─────っち、ちわス」

 声をかければ自動販売機を睨みつけていたよりも鋭い視線を一瞬向けられは驚いてしまったものの、いつものように礼儀正しくお辞儀をしながら挨拶をする影山にすぐに笑顔を返した。
 影山が向けた強い視線の意味を、は理解していないのだ。

「今日はどっち飲むのー?」

 以前田中に“影山が自動販売機を睨んでいる時はだいたい牛乳か飲むヨーグルトにするか迷っている時だ”、と聞いていたは自動販売機を睨んでいた影山を見つけて田中が言っていたことに遭遇出来たこと、そしてそれが本当だったことに面白がっていた。睨みつけるほど迷いを見せる影山を見て、やはり可愛い可愛い後輩だ、と思った。
 そんな風ににこにことしているとは反対に、影山は苦い顔をしていた。いつもの顔と言えばいつもの顔なのだが、先輩の言うことには割と素直に返事をする影山がの問いかけにすぐ答える気はないようだった。

「あ、の。さん」
「うん?」
「その呼び方、止めてもらえませんか」
「え、“飛雄ちゃん”?」

 意を決したようにそう言う影山に、は不思議そうに首をかしげた。すると影山は気まずそうにひとつ頷いた。そんな影山を見て、はみるみるうちにしょぼくれた気持ちになってしまった。

 ──────────そっかあ、私に名前で呼ばれるのは嫌なのかな

 まだ付き合いは浅いが、一生懸命にバレーをする姿や田中達に絡まれる影山をマネージャーとして見てきたは影山の性格をしっかりと把握していた。嘘をつけない直球な性格であること、そしてそこに人を傷つけようとする悪意が含まれているわけではないということ。可愛い可愛いと思うあまりは影山のことをついつい名前で呼んでしまっていたが、影山にとっては少し慣れ慣れしすぎたのかもしれない。
 ここで凹んでしまっては反って影山に気まずい思いをさせてしまう。いつか名前で呼んでも嫌がられないような仲になれるようにマネージャーとしてももっと頑張らなくては、と前向きに意気込みながらは顔を上げ影山を見つめた。

「えーと、じゃあ、“影山くん”?」
「う゛っ……」

 影山にとっては苗字で呼ぶのがベストな距離感なのだろう、と思ったが名前を呼び直せば、影山は息を詰まらせたような声を漏らした。“飛雄ちゃん”よりも距離を置いた呼び方は“影山くん”が一番だろう、と思ったものの影山の反応は明らかに嬉しそうなものではなかった。予想していたものとは違う反応を返す影山を見て、は頭を捻った。“影山くん”以上の距離がある呼び方が分からない。上下関係をしっかりと重んじる影山が先輩である相手に“影山様”などという呼び方を求めるとは考えられないし、ましてや“王様”なんて呼べば更に眼つきを鋭くするだろう。ではどうすれば良いのだろう、と考えるに影山は重い口を開いた。

「あ、の、やっぱ前のまんまで……いい、っス」
「えぇ?いいの?」

 大きく頷く影山に、はどういうことなのだろうかと悩んだ。影山は言葉は直球であるものの、いかんせん言葉数が少ないせいで意図することが読みにくい。しかしそのままで良いと言うのなら、名前で呼ばれることは慣れないもののきっと距離を縮めたいと影山本人も思ってくれているということなのだろう、と考えは素直に影山の言葉を受け取ることにした。

「じゃあ飛雄ちゃん」
「う……はい」
「……ねぇ、やっぱ嫌なんじゃないの?」
「全然嫌じゃないです」
「……そう?」

 言う通り名前で呼んでみるものの、やはり影山はどこか詰まるような態度を見せる。は改めて問いかけてみるものの、影山の返事は変わらないままだった。自分が先輩だからか、それともマネージャーとして他の部員よりも遠い場所にいるせいか、なかなか影山の素直な気持ちを引き出せないことにはもどかしさを感じていた。
 もっと仲良くなりたいと思うのに、影山との距離を縮めるのは中々に難しい。

「あの!」
「っ、はい!」

 本当にこのまま“飛雄ちゃん”呼びのままでいいものかと考えていると、影山は自動販売機に向けていた体をに向け、大きな声を出した。つられるように背筋を伸ばしたは、一体何を言われるのだろうかと内心怯えながら影山の言葉を待った。

「なんで……ひ、日向は“翔陽”なんですか!」
「しょ、翔陽?」

 やっぱり呼び方が嫌だとか、もしくはそれ以外の不満があるとか、何か指摘をされるのではないかと身構えていたが影山から飛び出した言葉は何てことはないことだった。
 しかし自分ではなく翔陽本人に聞けばいいのに、と思いつつあまりにも真剣な姿勢には答えてあげなければと悩みながらも口を開いた。

「えー……空を翔ぶ太陽のような存在になって欲しい、とかじゃないかな?」
「!?」
「あ、それか空を翔んで太陽を掴まえられるように、とかかな……翔陽に聞いてみなきゃ分かんないけど」
「そ、そうですか」
「ごめん、不満だった?」

 日向の“翔陽”という名前の理由は分からないものの、影山がの返答に対して不満を抱いているということはにもよく分かった。けれど影山はやはり、首を横に振りそれを認めようとはしなかった。
 先程から何ひとつ後輩の期待に応えられていないのではないか、とはいい加減に肩を落としそうになった。本人が気にするであろうと影山の反応を前向きに捉えていたものの、可愛がりたい気持ちとは裏腹に中々良い反応が返ってこない。どうしたものかと思いながらも、今自分に出来るのはこの最終手段しかない、とは悔しながらに自動販売機に手を伸ばした。

 ピッ──────────という音と共に、取りだし口に紙パックがひとつ落ちる。が押したのは牛乳のボタンだった。そしてすぐに制服のポケットから100円を取り出し、自動販売機に入れて再びボタンを押した。次に押したのは、飲むヨーグルトのボタン。
 ふたつの紙パックを自動販売機から取り出し、はそれを影山に差し出した。物に頼ることはしたくなかったが、今のにはこれしか影山を喜ばせる方法が分からなかったのだ。

「はい、今日も部活頑張ってね」
「えっ、いやそんな受け取れないっス!」
「なんで〜?私からのドリンクは飲めないって言うの?そんなこと言うなら練習中もドリンク作ってあげないよ」
「そ、うじゃなくて」
「可愛い後輩ちゃんは、素直に受け取りなさい!」

 無理矢理影山に紙パックふたつを押しつけ、はその場から足を踏み出した。

「ありがとうございます!」

 背中に大きな声をぶつけられて、は笑顔で振り返った。物に頼ってしまったけれど、それでも影山の声に嬉しさが含まれていることに気付いたからだった。

「じゃあね、飛雄ちゃん!また放課後ね〜」

 が手を振れば、影山はぺこりと頭を下げた。









「クソッ」

 ぱたぱたと走り去ってしまうの背中を見て、影山は小さく声を漏らし、いつも以上に眉間に皺を寄せ唇を尖らせた。

 ──────────さんを睨んじまった

 すぐに表情を戻したものの、“飛雄ちゃん”という呼び方は中学時代の先輩である及川が影山を呼ぶ時のものと一緒であり、つい気を張ってしまうのだ。そしてが呼んでくれる自分の名が、及川と同じだということを影山は良く思っていなかった。

 ──────────なんか、変な言い方しちまったし

 決してそうではないのだが、まるで及川がに教えたかのように思えてしまう“飛雄ちゃん”という呼び名を変えて欲しく、にそれを伝えたが返って来た呼び名は影山の求めているものではなかった。名前についている“ちゃん”をはずして欲しかっただけだ。けれどは何を思ったのか影山のことを“影山くん”と苗字で呼び直してしまった。及川を連想してしまう呼び名が嫌だったが、影山にとっては名前で呼んでもらえなくなる方がもっと嫌だった。慌てて元に戻してもらうよう言ったのだが、影山にとって名前に“ちゃん”がついているのはやはり悔しかった。及川を連想するだけではない、同じ一年である日向は“翔陽”と名前で呼んでもらえているからだ。けれどやはりに上手く伝えることが出来ず、の口から求めた“飛雄”という単語は聞くことが出来なかった。

「日向のボゲェエ!!」
「うおっ!?なんだよ急に!」

 悔しさと怒りのあまり声を荒げれば、ぴょんと跳ねた日向の姿が影山の瞳に映った。“ちゃん”が似合うのは自分よりも日向の方なのに、なんでこいつはに呼び捨てしてもらえているんだ、と影山は歯を軋ませた。

「な、なに睨んでんだよ、おれなんもしてないだろ!」
「うるせェボゲェ!」
「なんなんだよもー……あっ、お前二個当たったの!?」
「は?なんだそれ」
「なんかたまに詰め方が悪くて二個同時に出てくることあるらしーよ。いいな〜おれに一個ちょうだい!」

 影山の手にふたつ握られている紙パックを見つけた日向は影山が運良くふたつ手に入れたのだと思い、嬉しそうに手を伸ばした。しかし影山は片手で握っていた紙パックを大事そうに胸に寄せ、日向から顔を逸らした。

「やらん」
「なんでだよ〜!当たったんだろ!?」
「違ぇよ」
「じゃあお前二個買ったの?」
「これはさんに貰った」

 自慢するようにそう言えば日向はぱっと目を丸くし、その反応に影山は満足していた。に呼び捨てで呼んでもらえている日向を羨ましく思ったが、今時間を共有し、飲み物を奢ってもらえたのは他でもない自分なのだ、と。

「なんで!?なんでなんで!?なんでお前だけ!?」
「部活頑張れって言われた」
「なんでお前だけなの!?おれは!?それひとつおれのじゃないの!?」
「全部俺のだ」
「影山ずりーーーー!」

 騒ぐ日向に優越感を感じながらも、影山はいつか名前に付けられた“ちゃん”を外してみせる、と意気込んだのだった。








20140527
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