君のいるところ






「好きです!」

 遥か頭上から突然叫ばれたその言葉に、私は目を丸くして隣にいたクロを怪訝そうに見上げた。急に現れてなんの前触れもなくそう叫んだのは、彼の後輩であるリエーフだった。

「ククッ、お前なんでそんな顔してんの」
「……だって」

 お昼休みにジュースを買いに行くと言うクロについて来て、ジュースを買った後にそのまま自動販売機の横でお喋りをしているところに突然現れたのが、私をこうして困惑させているリエーフだった。存在感のある彼が突然現れれば、声をかけられなくても自然と意識は彼の方へと向いてしまって、何故だかクロではなく私と目が合っている、と思う間もなく彼の口から溢れた予想もしない言葉に、一瞬時が止まったような気さえした。
 告白の雰囲気もなく、しかもクロとお喋りをしている私に向かって急に叫ばれても、まさか本気の告白だなんて思えない。むしろ「バレーが好きです!」みたいな、選手宣誓のようにも聞こえる勢いだった。

 そもそも、彼が私のことを好いているということ自体が、信じられないことだった。クロと一緒にいる時に何度かリエーフと話したことはあっても、私たちにそれ以上の接点はない。ふたりっきりで会話をしたことすらないのだ。リエーフは目立つし、あのキャラクターだから私はある程度彼について知ってはいるものの、こうして呼び捨てで呼んでいるのだってクロの呼び方がうつったせいだったり、彼をマスコットのように見ているからであって、親しいからではない。
 そんな私たちの関係で、リエーフが私を好きになる理由があるとは到底思えないし、「好き」だなんて言われても、からかわれているのか、罰ゲームなんじゃないかと感じても当然だった。

「告られた時の顔じゃねーだろ、それ」

 クツクツと笑うクロにそう言われても、この状況も、あの言葉も、そしてそれを言ってきたリエーフについても、全て私の中で飲み込むことができなくて、クロに指摘されている眉間に寄った皺を戻すことは出来なかった。助けを求めるようにクロを見上げてみても面白そうに笑うばかりで、逆にチラリとリエーフを盗み見ても、ただ何かを待つように、大きな緑色の目で私のことをじっと見下ろしているだけだった。
 普段はあんなに騒がしいのに、そして物凄い勢いで最初の一言を放ったくせに、どうしてじっと黙っていられるんだろう。
 瞬きもしないで、まるでわたしを吸い込むように見つめる綺麗な緑色の瞳を、見つめ返す勇気がなかった。

「これ……ドッキリなの?」
「オレに聞くなよ」

 恐らく、いやほぼ確実にリエーフは私に対して声をかけていて、そして私からの返事を待っているのは分かっている。だけど疑問しかないこの状況でリエーフに返す言葉は見つからないし、私はクロに顔を向けたまま、リエーフを直視することも出来なかった。
 主将なんだから後輩が起こしたこの状況をどうにかしてよ、なんて思いながらクロに声をかけたものの、再び大きな声で「オレは本気です!」と答えてくれたのはリエーフの方だった。どうしてこんなに近い距離にいて、彼は大きな声を出すのだろう。確かに私と彼には大きな身長差があるけれど、普通に話してくれても十分に聞こえるほどの距離にいるのに。
 廊下にいる生徒の視線がじわじわと集まっているのが、余計に私を居た堪れなくさせた。

「ドッキリじゃないってよ」
「く……クロに言ってんじゃないの?」
「おォ、オレに言ってんのかリエーフ」
「オレが好きなのはさんです!」
「リエーフが好きなのはサンだってよ」

 心底愉快そうな声で復唱するのを止めて欲しい。
 確かに、クロを挟んでリエーフが起こしたこの状況を把握しようとしたのは私だけど、そんな恥ずかしいことを何度も繰り返させるためにクロを挟んだわけじゃない。私はおかしなこの状況をどうにかしたくて、助けてもらうためにクロを間に立たせたというのに。
 どんどんと上がる体温に、いよいよ本当にリエーフの方には顔を向けられなくなってしまった。横にいるクロを、最初こそ睨むように見ていたけれど、今となっては自分がどんな顔をしているのかも分からない。
 どうやらリエーフはドッキリを仕掛けたわけではなく、私に対しての本気であの言葉を言ったらしい。けれどようやく状況を把握出来たとしても、やっぱり理解ができない。
 どうして突然こんなところで、面白そうにひたすら笑い続ける男が横にいるこの状況で、私にあんな言葉を言ったのか。普通、もう少し場所を選ぶでしょ?
 それに、一番の疑問は───────

 どうして、いつの間に私にそんな想いを抱いていたのか。

チャン、ダイジョーブ?」
「大丈夫じゃないよ、バレー部の指導どうなってんの」

 困り果てている私を見てようやく心配の言葉をかけてくれるものの、クロは面白がってしかいなかった。当然だ、あのクロがこの状況を愉快に思わないわけがない。むしろこの場に居合わせたことを喜んでいるくらいなのだろう。

 リエーフが本気だと言うのならば、私もちゃんと返事をしたいと思う。そう思うものの、私はリエーフの顔を見ることも出来ないし、あまりにも突然のことに何を言えばいいのかも、言いたいのかも分からなかった。敢えて言うなら「どうして?」という疑問しか浮かばない。けれどそれを聞いたら最後、万が一にでもあの調子で理由を叫ばれてしまったら、なんて考えると安易に口を開くことも出来なかった。そもそも理由を答えてもらったからと言って、その次に返す言葉すら、今の私には考えられないのだ。

「バレー部はバレーを教えるところであってロマンティックについては教えてないからなぁ」
「オレは黒尾さんの前で正々堂々としたかったんです!」

 相変わらず大きい声で主張するリエーフの言葉は、更に私を混乱させた。
 正々堂々って何?勝負じゃないんだから……というか、黒尾さんの前でって言った?なんでクロの前で正々堂々する必要があるんだろう。

「クロは審判か何かなの?」
「オレがなんのジャッジすんのよ。つーかオレがジャッジしていいわけ?」
「選ぶのばもちろんさんです!でも、彼氏の前で言わないと狡いと思って」

───────彼氏
 その言葉に、私だけじゃなくてクロも一瞬思考停止したのが分かった。私たちはお互いに目を見開いて、そして言葉の意味を考えつつ、状況を把握するようにゆっくりと口を開いた。

「……お前、いつ彼氏できた?」
「……できてないけど」
「え!?黒尾さんと付き合ってるんじゃないんスか!?」

 信じられない言葉を聞いて、反射的にリエーフに顔を向けるとそこには飛び跳ねる勢いで驚いているリエーフがいた。誰よりも一番驚いている、というようなリアクションをしているけれど、リエーフが突然現れた時点でずっと驚き続けているのは私だと主張したい。
 いつどこで、私とクロが付き合っているということになったのだろう。驚き続きの私とは反対に、リエーフが何か勘違いしているのだと分かったクロは再び楽しそうに笑い声を漏らしている。

「やだもしかしてオレのこと好きだったの?」
「冗談やめてよ」
「気付けなくてごめんネ」
「ちょっと!もう、誰がそんなこと言ってたの?」

 どんな言葉を返せばいいか分からない、なんて思っていたけれど、今は最初の言葉に対する返事は一旦保留でいいだろう、と判断した私は、リエーフのおかしな勘違いのおかげでさっきまでの変な緊張感が抜けて、ようやくリエーフに向けての最初の一言を言うことができた。

「だってよく一緒にいるし、仲良いから」
「おお、お前の勝手な思い込みか」
「でも、ふたりが付き合ってないなら……オレの彼女にしても良いってことですよね!?」

 本日2度目の、クロとのシンクロフリーズタイム。先に硬直を解いたのは、吹き出すように笑ったクロだった。

「なんともこう……バレーと一緒で短絡的どストレートだなお前は!」

 短絡的すぎだし、ストレートすぎだし、たまにクロから話には聞いていたけど、これってやっぱりバレー部の指導不足のせいなんじゃないの!?
 クロの大笑いに包まれながらもひとつも動揺せず私を力強く見つめるリエーフに、私は再び返す言葉が見つからなかった。彼はひたすらに私からの言葉を待つように見つめ続けてくれるけど、どんなに見つめられても、この状況に驚くばかりの私が何も言えないのを分かって欲しい。

「おいリエーフ、ひとつだけアドバイスしてやる。バレーは体育館でやるもの、告白はどこでするものだ?」
さんがいるところでするものです!」

 自信満々にそう答えたリエーフは「でも、バレーはバレーボールがあるところ、どこでもできます!」と付け加えた。どちらも間違ってはいない、けれどそういうことじゃない、ということがきっとリエーフには伝わらないのだろう。そして残念ながら、それが彼の魅力なのだということは、今の私には嫌という程に伝わってきてしまっている。

 少し静かに考えさせて欲しい。クロの笑い声とリエーフの熱い眼差しに押されてしまって、最初に驚いたどきどきを引きずったまま、何も冷静に考えることが出来ない。
 私は手にしていたジュースを握り締めるようにしながら勇気を出して、リエーフに一言だけ伝えた。

「放課後、体育館裏で」

 クロのアドバイスの答えを教えてあげるつもりでそう言うと、リエーフはみるみる悲しそうな顔をした。どうしてそんな顔をするんだろう、と思えば、彼の口から初めて小さな声がぽつりと漏れた。

「決闘っスか……」
「ぶはははははは!」

 バカみたいに笑うクロを置いて、私はその場から逃げた。






 確かに決闘の時にも体育館裏は使われるかもしれないけど、今この状況でどうしてそっちが思い浮かぶんだろう?この話の流れならどう考えたって告白のシチュエーションでしかないのに、リエーフの思考回路がよく分からない。そもそも廊下で急に告白してきたり、クロと私が付き合ってるだなんて変な勘違いをしていたり、理解できないことだらけだ。
 まるで冗談みたいに突然なリエーフの告白が、冗談ではないくらい真剣なのだということが痛いくらいに伝わってきたから。そんな彼からの告白の返事を、静かな場所でさせて欲しいという私からの返事のつもりだったのに。それがおかしな誤解を生んだようだけれど、後はもうバレー部の主将に任せます、というか、私のいないところでバレー以外のルールもしっかりと指導しておいて欲しい。肝心の主将が最初から最後まで大笑いしていたけれど、私にはそんな余裕、これっぽっちもないのだ。


 ざわつく心を抑えるように、冷静になろう冷静になろう、と雑念を振り払うように足を早めてみても、まとわりつくように“あの瞬間”が頭から離れなかった。


「好きです!」


 確かにあの瞬間、自分が廊下にいたことも、ジュースを飲みながらクロとお喋りしていたことも忘れて、真剣な眼差しを向けるリエーフしか目に入らなかった。
 まるで、私とリエーフしかいない場所にいるみたいだった。

 あの瞬間が、何度もなんども繰り返されて、頭の中から消えてくれない。

 告白の返事をどうすればいいのかは分からないけれど、このことを伝えたら、真っ直ぐで周りなんてお構いなしのあの力強い眼差しは、次に私にどんな言葉をかけてくれるんだろう。



 いつの日か見た、真っ直ぐで力強いボールが、まさかコートではなく私の胸に落とされるだなんて、思ってもいなかった。








20200818
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