彼女の宿題





 を部屋に呼ぶのは、これでもう3度目だった。
 分からないという宿題を見てやって、なかなか理解しないコイツの頭の悪さにも最近は苛立たなくなった。冷めた紅茶を飲みながら、唸るを見ればもう限界が来たのかテーブルに顔を伏せている。
 顔にかかる髪を邪魔そうに耳にかけ、は開けた視界でオレを捕らえた。

「休憩していい?」
「もうしてんだろ」

 息を吐いて答えれば、は「だって」と言いながら瞳を閉じた。オレはの瞳から視線を外し、珍しく現れた耳を見た。いつもは髪に隠れていて、こんな風に耳から首筋にかけてのラインは見たことがなかった。

「お前、耳小さい?」
「えっ、ちっ、小さくない、と思うけど」

 思わず手を伸ばし耳に触れれば、閉じていた瞼が慌てて持ち上げられた。指で形どるように耳の輪郭をなぞれば、みるみるうちにの顔が赤くなる。
 小さく見えるのは、オレの勘違いか?

「い、つまで触ってんの」
「なに、文句ある?」
「文句、ていうか」

 動けばオレが手を離すとでも思ったのか、は体を起き上がらせて気まずそうな表情でオレを見た。
 いつもは髪に隠れて見えねぇけど、こうして髪をかけて耳を見せれば少しは女らしく見えんじゃん。
 未だの耳に触れている指でその耳を掴み引き寄せれば、少し痛そうな顔をしながらの顔と体がオレの方へと傾く。空いている手での後頭部へ手を回し、更に引き寄せて唇を重ねた。

 とキスをするのは、これが初めてだった。

 友達だった関係から付き合うようになり、それまでも他の奴等と一緒に遊ぶことはあったが、それからは当然だが二人で遊ぶことが増えた。部屋に来るようになったのは最近のことで、こんな雰囲気になったのは初めてだった。
 今だって別に、こんな雰囲気だったわけじゃねーけど。
 別に、手を出せなかったわけでも出さなかったわけでもない。今までそうならなかったのは、ただなんとなくだ。

「──────っん」

 漏れるの声に、肌の表面が揺れる感覚がした。

 やべ、なんかすげー……いい、んだけど。

 予想以上の感覚に、重ねた唇を離せない。なぞるように、押し付けるように、食むように、何度も何度も唇を重ねていれば、の口から漏れる息が少し、湿ったような気がした。
 その表情が見たくて、少しだけ顔を離してみれば濡れていたのは彼女の瞳だった。

「なんで……泣いてんだよ」
「ご、めん」
「ごめんじゃなくて、オレは泣いてる理由を聞いてる」
「なん、でこんなことするの?」
「なんでって……つうか質問を質問で返すな。オレが先に聞いただろ」

 正直に、が泣いている理由がオレには理解できなかった。こいつは真面目で純粋な所がある。付き合ってもいないのにこんなことをすれば嫌がりそうだったが、オレ達は付き合っている。喜ばれこそすれ、泣かれる理由なんてどこにもないはずだ。それなのに、“なんで”とはどういう意味だ。
 キスをするのに、理由なんてひとつしかないだろ。

「────っ、やっぱやだ」
「……は」

 オレの口から漏れた言葉には、疑問符すらつかなかった。

 ──────嫌だ?
 ──────やっぱり?

 何故が泣くのかも、何故嫌なのかも、皆目検討がつかない。何故なら、オレはとは真逆の感想を抱いていたからだ。
 オレの感覚がおかしいって言うのか?
 肩を押され、力の入っていない体はに押されるがまま離れた。

「…………」
「…………」
「……や、ヤマケン」

 名前を呼ばれて、自分が呆然としていたことに気付く。ただひたすらにの涙の粒を見つめて、そうしていればその理由が分かるのではないかと、無意識に思っていた。分かるわけもないのに。この状況をどう納めればいいのかと落ちる涙に手も伸ばせずにいると、は自分で涙を拭い、伏せていた瞼を持ち上げた。

「わたし……雫ちゃんの代わりはやっぱりやだ」
「ハァ?代わり?」

 口を開いたかと思えば、震える声で理解出来ない言葉を再び発した。

「最初は……ヤマケンと付き合えるな、ら、それでもいいって、思ってたけど」

 じわじわと再び瞳に涙を浮かべながら、は口を動かしていた。その涙が瞳から溢れてしまっても、やっぱりオレは手を伸ばせない。伸ばせばまた、嫌だと言われるのだろうか。そんなことを、瞳から溢れる涙を見つめながら思った。

「少しずつ好きになってもらえれば……って、思ってたけど」

 先に好きになったのは、だった。水谷さんの背中を見ていたオレの背中を、は見ていた。最初は気付かなくても、いつからかの気持ちにオレは気付いていた。いつからか、に目を向ける回数が増えた。オレの背中をずっと見ていたなら、オレが後ろを気にするようになったのも、へと振り向いたのも、全部気付いてるはずだろ。全部、見えていたはずだろ。
 それなのに────

「でも……やっぱり、雫ちゃんの代わりでこんな、こと、されるならやだ」

 今更なに言ってんだこいつ。
 理解が出来ずに空っぽだった体の中に、ふつふつと怒りが沸いてくる。前言撤回、こいつの頭の悪さにはやっぱり苛々する。

「お前と水谷さんは全然違ぇよ」
「そんな、に、否定されると」
「否定?むしろ肯定してんだよ。お前と水谷さんは全然違う。お前が彼女の代わりになんてなるわけないだろ」
「じゃあなんで私と付き合ってるの?」

 ──────じゃあ?
 ──────なんで?

 こいつは本当に馬鹿なんじゃないか。

「お前、なんでオレと付き合ってんの」
「自分だって質問で返して──」
「いいから答えろよ」

 腕を掴んで体を引き寄せれば、は戸惑ったような顔をしてオレを見上げた。瞳から溢れそうになっている涙も、そんなくだらない理由で流しているならいくらでも拭ってやる。多少乱暴になろうとも、絶対に文句なんて言わせない。

「なぁ、なんでオレと付き合ってんの」
「ヤマケンが……好き、だから」
「じゃあオレも一緒だろ」

 そもそも、この関係を始めようと持ちかけたのはオレだ。お前は、信じられないような顔をして、泣いて頷いたんだろーが。まさか今の今まで本当に信じていなかったのだとしたら、こんなに腹が立つことはない。

 代わりじゃなきゃ、嫌じゃねーんだろ。

 心の中でそう呟いて、苛立ちをぶつけるように再び唇を重ねた。

 なんでこいつは、こんなに態度で示してんのにオレの気持ちに気付かねーんだよ。オレはこんなにお前のこと想って触れてんのに。オレの気持ちをしっかりと理解するまで、絶対に離してやらないからな。





 このオレが教えてやってんのに、間違った答えを出すなんて許さない。






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