甘い罠をひとつ





「ねぇ
「なに?レン」
「Royge'の新作のチョコレイトがあるんだけど、食べない?」
「食べたい!」

 譜面と睨めっこをしていたは顔を上げて、ぱぁっと顔を明るくした。隣でに何やらアドバイスをしていたらしいイッチーは苦い顔をしている。

「まだ途中ですよ」
「ブレイクターイム!糖分補給しないと頭動かないよ。トキヤも食べる?」
「いえ、結構です」
「つれないなぁ。チョコ、ってことはレンも食べないでしょ」
「そうだね」
「じゃあ私ひとりでいただきまーす」

 そうしてチョコレイトを口にしたは、こちらまでもが溶ろけそうな顔をしていて、思わず口元が緩んでしまう。この顔が見たくて、ついついに甘いものを与えてしまうんだよね。

 そう思っているのは、どうやら俺だけじゃないようで。









ー!」
「んー」

 休憩時間も終わり、教室に戻ってきたおチビちゃんがを呼んだ。は「ありがとうトキヤ」とイッチーにお礼を言って、譜面をファイルにしまった。声のした方に顔を向けるにつられて顔を向ければ、そこには汗だくなおチビちゃんが立っている。

「え、休み時間10分しかないのにサッカーしてきたの?」
「違ぇよ、ホラ見ろ戦利品!」
「あっ、幻のグミ!」
「幻?」

 首をかしげる俺に、は詰め寄って「知らないの!?」と声を荒げた。近づいた顔に俺は知らないねぇ、と答えて更に顔を寄せた。
 いつもは顔を近づければ照れて怒りだすだったけれど、その“幻のグミ”とやらがよほどすごいものなのか、興奮して俺との距離なんて気にも留めていないようだった。そんな本人をよそに、しっかりと距離を気にしている奴もいるわけだけど。

「落ち着きなさい」

 イッチーはの肩を掴んで、俺から引き離すように自分に寄せた。そんなイッチーに笑って視線を送れば、返ってくるのは鋭い視線。おお、怖いね。

「まさかトキヤも知らないの!?」
「知、っていますよ」

 自分から引き寄せておいたくせに、振り返って詰め寄ってくるに身を引くなんて、まだまだだねイッチー。

「いつ販売されるかも分からない上に毎回限定10個しか販売しないグミのことでしょう」
「そう、その幻のグミを!この俺様がゲットしてきてやったんだ!」

 鼻高々にグミを掲げて叫ぶおチビちゃんに、ははしゃいで拍手を送った。

「すごーい!翔ちゃん俺様ー!」
「その褒め方なんかおかしいだろ!つーか褒めてんのかそれ!」
「褒めてる褒めてる!ね、ね、早く食べてみよーよ!」
「もう授業が始まりますよ」
「まだ先生来ないし、ひとつぶだけだから大丈夫っ」
「限定生産なのは分かったけど、幻って言うほどの代物なのかい?」
「食ってみりゃー分かるだろ、ほら」

 最初にに一粒取らせて、そうして俺にも袋を傾けたおチビちゃんに一粒もらうことにした。小さなグミをきらきらした瞳で見つめるは、さっさと授業の準備を始めたイッチーに声をかけた。

「トキヤは食べないの?」
「ええ、私は結構です」
「えーっ、幻のグミなんだよ?食べてみないの?」
「私の分もあなたに差し上げますよ」

 イッチーの言葉につまらなさそうに唇を尖らせるは最高にキュートだった。でも、そういうことじゃないのに、ねぇ?まったくイッチーは鈍くてつれない男だね。

「ほら、早く食わねーと先生来るぞ」
「んむ」

 自分の口に一粒を放り込んでから、おチビちゃんはの手を口に押しつけた。それを見ながら俺も幻のグミとやらを口に入れる。あぁ、なるほど、これは面白いね。

「なにこれ!」
「すげー!」

 口の中で跳ねるほどの弾力なのに、決して固いわけではない。口に入れて噛んでみないと感じることの出来ないこの触感は、たしかに幻のグミと言っていいほどだった。
 口をもごもごさせながら瞳をきらきらさせ興奮する二人はまるで小さな子供のようだ。そんな二人をゆっくり眺めている暇もなく、教室のドアが開いた。




♪ ♪




「おい神宮寺、前回の課題出てねぇのお前だけだからな」
「そうだったかな」
「そうだったんだよ。昼飯食う前に持って来ねーと受理しねぇぞ」
「せっかちだなあ、龍也サンは」

 そうして授業が終わり教室を出て行く龍也さんを見送れば、が怒った顔をして近づいて来た。

「お腹が空いてご機嫌ナナメかな?」
「また出してなかったの!」
「また、っていうのはひどいな。前回はちゃんと出したよ」
「私との共同課題だったからでしょ!もう、どうして出来るのにすぐ出さないの?」
「まぁまぁ、そんな顔しないで。今日は何を食べる?」
「課題出してからね!」

 まったく。俺はレディの怒った顔よりは笑った顔の方が好きなんだけどな。には怒られてしまうことの方が多いような気がするよ。それほど俺のことを想ってくれてる、ってことだろうけどね。俺の手を引いて立たせるの後ろで、イッチーの視線を感じて俺は思わず笑みをこぼしてしまった。

「トキヤと翔は先に食堂行ってて。私はレンがちゃんと課題提出するように見張ってから行くから」
「まったくよー、日向先生を困らせるようなことすんなよな!」
「はいはい、うっかり忘れてただけだよ」
「課題は出来ているんですか?」
「あぁ、もちろん。俺の部屋のどこかにあるよ」
「どこかって……もー、探しに行かなきゃいけないじゃん!」
「そんな膨れっ面しないで、俺はの笑った顔の方が好きだよ」
「こうさせてるのはレンですけど!早く行くよ、私お腹空いたんだから!」

 俺の腕を引いて怒るに合わせて一歩を踏み出せば「私も行きます」と、予想外のようで予想通りの声がした。

「あなた一人で探してたら時間がかかるでしょう」
「え、私ひとり?レンも探すでしょ」
「探すと思っているんですか」
「……じゃあトキヤも一緒に行こ」

 翔は席キープしといてね!と言い残して、は俺の腕を引いたまま早歩きで教室を出た。遅れずついてくるイッチーの視線が背中に痛いのは、きっと気のせいじゃないだろうね。




♪ ♪ ♪




 部屋のドアを開けてを通せば、その小さな背中がピタリと止まった。

「あ、マサ」
「どうしたぞろぞろと。昼食はとらないのか」
「マサの幼馴染のせーでおあずけくってんのー」
「また何かしたのか、神宮寺」
が俺に優しいだけさ」
「もう、いいから早く探すよ!」

 課題のありそうな所を探しだしたを眺めながら、俺はベッドに腰掛けた。イッチーと聖川の溜息が重なるものだから、ああ嫌だ、辛気臭いね。せっかくが俺の部屋にいるっていうのに。

「どうせまた課題を提出していないとか、そんなところだろう」
「ご名答です」
「本当に呆れた奴だな────ん?」

 会話の合間の静かな空間に、きゅるる、という可愛らしい音が響いた。
 を見れば耳をほんのり赤く染めて、動きが止まっていた。くすくすと俺が笑いを洩らせば、は俺を睨んだ。

「レンのせいだからね」
「だから俺は先にランチに行こうって言ったじゃないか」
「恥じることはない、人間の身体とは空腹になると腹が鳴るように出来ている。小鳥のさえずりのようで愛らしかったぞ」
「……どうもありがと」

 聖川のよく分からないフォローは、もフォローになっていないと感じたのか苦い顔をしたままだった。再び溜息をついて「早く探して行きますよ」と言うイッチーにも探す手を再開するのだけれど、それを止めたのは聖川だった。

「昼食の前に食べるものではないとは思うが、少しならかまわんだろう。、和菓子を食うか?」
「食べる!」

 マサのくれる和菓子好きー!と、今までの不機嫌さはどこへやら、上機嫌で犬のように聖川の元へは飛んで行った。畳の上に腰掛け、瞳をきらきらとさせている。
 ほら、ここにも一人。に甘いものをあげるのが好きな奴がいた。

「ひとつだぞ」
「えーっ、ひとつだけ?」
「昼食が食べられなくなったら困るだろう」
「えぇー…ひとつに決められないから、マサ選んで」
「じゃあこれにしろ。桜餡がほどよい甘さで後を引かん」
「うん、じゃあそれ!」

 行儀よく食べろよ、という聖川のじじくさい言葉には素直に頷いて、きちんと畳に座りなおして幸せそうに和菓子を頬張っていた。そんな中、ひとり課題を探していたイッチーが口を開いた。

「ありましたよ」
「おお、さすがトキヤ!早いね!」
「礼を言うよイッチー」
「結構です。ほら、行きますよ」
「まだ食べ終わってない」
「まったく貴女は、少しくらい我慢出来なかったんですか」
「出来なかったんですう。怒るならレンを怒ってよね」
からならいいけど、イッチーに怒られるのはご免だよ」
「そんな気もありません」
「つれないね」
「よし、食べた!ありがとマサ。マサもこれからお昼行くでしょ?」
「あぁ。、口元についているぞ」
「ん、ありがとう」

 立ち上がりかけたの口元を聖川の指が撫でた。それを見て、イッチーの肩がピクリと揺れる。が関わっていると、こんな風にイッチーが動揺する所は皆が気付いていないだけで俺はよく目にするけど、今日みたいに連続で見るなんて珍しいね。

「さ、早く提出してご飯食べに行こっ!」

 そんなことは微塵も気づいていないは和菓子を食べられたことに上機嫌だった。




♪ ♪ ♪ ♪




 リューヤさんに課題を渡してから食堂に行けば、既に俺達以外の全員が揃っていた。それぞれ昼食を目の前に、俺達が来るのを待っていてくれたようだった。

「遅せぇーよ、お前ら!腹減ったっつうの」
「ごめん、先に食べてても良かったのに」
「お食事はみんなで食べた方が美味しいですからねぇ」

 行儀悪くフォークを握ったまま睨むおチビちゃんの隣にはシノミーがいつもと変わらずにこにこと笑っていた。
 おチビちゃんは少しシノミーのおおらかさを見習った方がいいね。

「ほら、俺達も買いに行こう。今日はお礼に俺が奢るよ」
「ほんと!?デザート頼んでもいい!?」
「お好きなだけどうぞ」

 みんな待たせちゃ悪いから、早く行こう!と嬉しそうに俺の手を引くに微笑み返す視界の隅に感じるのは、やはりイッチーの視線。
 イッチーにも奢ってあげていいけど、そういうことじゃないんだろ?



 全員が席について、ようやくランチタイムが始まった。授業の話やら課題の話やら、最近出てきたアイドルの話と賑やかに話題は絶えない。そんな中、がじっとイッキを見つめた。

「ん?なに?」
「音也のドリア美味しそう」
「ひとくち食べる?」
「食べる!」
「はい、あーん」

 あーん、と口を開いて、はイッキから差し出されたスプーンを口に含んだ。それに合わせてピクリ、とイッチーの眉が動く。

「行儀が悪いですよ」
「えーひとくちあげるくらいいいじゃん」
「美味しい〜」
「ねぇねぇ、のハンバーグ俺も食べたい」
「うん、いいよ」

 あーん、と今度はイッキが口を開いて、から差し出されたフォークを口に含んだ。イッチーの動きは完璧止まり、シノミーはふふふと笑った。

「ふふふ、恋人同士みたいですねぇ」
「こっ恋び……ここは恋愛禁止ですよ!」

 シノミーの言葉に声を荒げるイッチーに、とイッキだけじゃなくみんなが驚いた顔をしていた。

「ど、どうしたのトキヤ、恋愛なんてしてないよ」
「そうだよーなにマジになってんのー」

 えへら、とイッキは笑う。も驚いていたけれどいつものイッチーの生真面目なお説教だと思ったのか笑ってプチトマトを口に放り込んだ。そんな二人のいつも通りの態度にイッチーは複雑そうな顔をして味噌汁を飲んでいた。

 あぁ、もどかしい。恋愛禁止令をやぶろうとしてるのは誰だろうね?

 それぞれ食事も済み、はデザートに手をつけた。最後までクリームブリュレにするかガトーショコラにするか迷いに迷って、どちらも頼みなよと言った俺の言葉を払いのけて決めたガトーショコラを、は幸せそうに頬張っていた。こんなに幸せそうに食事をするを見ていると、世界はなんて平和なんだと、この世界の平和を実感して胸に幸福感が湧くよ。まったくもって、大袈裟じゃないくらいに。俺は頬杖をついての緩んだ表情を眺めた。
 明日はクリームブリュレを買ってあげようかな。




♪ ♪ ♪ ♪ ♪




「ふふ、僕もデザート食べたくなって買ってきちゃいました」
「あっクリームブリュレ!」

 が最後まで迷いに迷っていたクリームブリュレをトレーに乗せて戻って来たシノミーに、の瞳が輝いた。
 だから、どっちも頼みなよって言ったのにね。

ちゃんも食べますか?」
「いいの!?」
「もちろんですよぉ。ふふ、これで僕達も恋人同士みたいですねぇ」

 あーん、と嬉しそうにスプーンを差しだすシノミーに、も嬉しそうに口を開けた。クリームブリュレをそれはそれは幸せそうに頬張ったは、溶ろけるような瞳でシノミーに笑いかけた。

「美味しい〜。那月大好き」
「僕もちゃんだぁいすきです」

 ふわふわと幸せそうに笑い合う二人の横で、どす黒い不穏なオーラがチラついている。
 おっと、と思った時にはもう遅い。この可愛らしい雰囲気をぶち壊すような低い声でイッチーが口を開いた。

、いい加減にしなさい」
「だから、ホントに恋人とかそういうんじゃないってば」
「そうじゃありません、人の物を食べてばかりいて」
「ちゃんと那月にもあげるもん!はい、那月あーん」

 あぁ、どうやらもうイッチーは限界のようだね。
 が皆から何かを貰うという光景はよくあることだけれど、今日はそれが立て続けに起きていた。しかも俺から始まりおチビちゃんに聖川、イッキにシノミーと全員がに何かをあげて、その幸せそうな笑顔を独占している。人の物を、なんてもっともらしいことを言っているけど、イッチーの本心はそんなことじゃない。自分がその笑顔を独占出来ないことがただ悔しいだけだ。
 甘い物を食べているは、とても幸せそうで可愛らしい笑顔をしている。みんなそんなを見るのが好きで、それはイッチーも例外ではない。だと言うのに、素直じゃないイッチーはその笑顔を正面から向けられることがなく、いつもただ横から眺めているだけなんだから、そりゃあ悔しいだろうね。ただに甘い物をあげるだけの単純な行為が、イッチーには出来ないんだから。

「だから、そういう話じゃないと言っているんです」
「じゃあどういう話?」
「そんなに甘い物ばかり食べていたら太ると────」

 はい、アウト。
 あーあぁ、イッチー。レディになんてことを言うんだい?普段から礼儀だ作法だデリカシーだなんだと説いている自分がこれじゃ困るよ。しかも、よりによってレディが1番嫌がるこの言葉。
 イッチーが全てを言いきらず口を噤んだのは、自分の言ったことの問題に気付いたからじゃない。の噛んだ唇と寄った眉間に気付いたからだ。それからようやく、イッチーは自分が言ってしまった言葉の意味に気付いていた。まったく、真面目で理論的すぎるのも問題だね、頭ばっかり使ってちっとも自分の気持ちに素直に行動出来ないなんて。それで好きな女の子を悲しませちゃうなんて、バカとしか言いようがないよ。
 ふるふると震えるの瞳を見て、俺は小さく息を吐いた。

「太っ、て、ないもん」
「そうは言ってな────」
「でも、私が太ったってトキヤに関係ないし、トキヤからは何ももらってないし、別に……」
「──っ」
「……っ、トキヤのバカ!」

 まったくその通り。
 御馳走様でした、と叫んでは席を立った。お皿に残ったガトーショコラが、に食べて欲しかったと寂しげにイッチーを睨んでいるようにも見える。けれど、よりももっとショックを受けているのは他でもないイッチーだというのだから困ったものだ。
 が言った「トキヤに関係ない」の一言に息を詰まらせ固まるこの男にかける言葉が見つからないよ。

「トキヤ、なんであんなこと言うんだよ!」
「………私は今後のことを考えて言ったまでです」
「確かには甘い物を少々取り過ぎる所はあるが、あんなに幸せそうにしているのだから良いのではないか」
「そーだよ、太って来たわけでもねぇしよ」

 イッキ、聖川、おチビちゃんと矢継ぎ早に責め立てられ、なんだか更にイッチーが可哀想に見えてきた。誰もイッチーの初心な本心には気付かずに、クソ真面目な一之瀬トキヤだと思っている。で乙女心を傷つけられただろうけれど、きっとその倍でイッチーの恋心の方が傷ついているね。
 レディに対してあの発言は頂けないものの、なんだか慰めてあげたくなってきちゃったよ。

「もっと違う言い方があっただろうけど、あまり偏った食事をするとの健康に良くないからね」
「味覚音痴のお前に言われても説得力ねぇな」
「おチビちゃんはもう少し牛乳を偏らせて飲んだ方がいいんじゃない」
「うるせー!」

 騒ぎだしたおチビちゃんに、笑って会話に入るシノミー。これで少しは話の流れが変わったかな、と思った所でイッチーが自分のトレーとが置いて行ったトレーを持って立ちあがった。

「お先に失礼します」

 相変わらずピシッと伸びた背中を全員で見送れば、イッキが溜息を吐いた。

「トキヤってなんでああいうこと言っちゃうんだろ」
の体のことを想ってだよ」
「だから余計にさ。を傷つけたかったわけじゃないだろうし」

 イッチーと同室で上手くやっているだけあって、音也にはイッチーの不器用さが分かっているようだった。
 けど、イッチーの本心にまではまだ気が付いていないのかな。

「トキヤくん、ちゃんにごめんねしに行ったんですかねぇ」
「どうだろうな。まぁのことだから昼開けにはトキヤと普通にしてるだろうけど」
も一ノ瀬のことを理解してやっているだろうしな」

 だといいね、イッチー。
 いくら澄まして背を伸ばしていても、本当はちょっぴり猫背になりたいような気持ちを抱えている事をここにいる皆も、そしても知っているんだから少しくらい素直になったっていいんだよ。本人は頑なにそんな感情があることを認めないだろうけど。
 でもまぁ、がイッチーの性格を理解していることについては同意しても、お昼明けには許してくれているだろうというおチビちゃんの考えには同意しかねるよ。皆まだまだ女心が分かっていない。女の子にあの発言はタブー中のタブーだよ。
 いくらだって、そんなすぐに機嫌が直るかな?




♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪




 教室に戻ってみれば、授業開始のベルは鳴ったものの教室内は閑散としていた。午後の授業は各自課題に取り組む、ということで自由だったことをすっかり忘れていた。俺は教室に入りかけた足を戻した。

「レン、どこ行くんだよ」
を探しに」
「俺も行く!」
「おチビちゃんは課題やってた方がいいんじゃない?」
「今は課題よりもだろ!」
「男気全開だね」

 バカにしてんだろ、と小突くおチビちゃんに押されるように一歩を踏み出して、がいつも使う自習室へと向かった。すると教室にはと、イッチーがいた。
 イッチーも今来た所なのか、椅子に座り課題を眺めていたが調度顔を上げた所だった。ここからではの背中しか見えず、見えるのはイッチーの無表情だけだ。
 本当はもどかしくて悲しげな表情を浮かべたいだろうに、こんな時までもクールだね。

「おい、入らねぇの?」
「うん、俺達はここまで」
「はぁ?いねぇのかよ」
「いたよ」
「じゃあ────」
「静かに。仲直りはふたりでさせてあげよう」

 俺の後ろにいたおチビちゃんは中の様子が見えず、俺の体を押した。半分だけ開けた教室のドアから中を覗いていた体を少しだけずらしておチビちゃんを入れてやれば、状況を理解したのかおチビちゃんは声を潜めた。

「あれ、トキヤ手に何か持ってね?」
「ふうん」

 あれはこの間クラスの子羊ちゃん達が嬉しそうに持っていたLADURENのマカロンボックス。
 意外、だね。まさかイッチーがそんな謝り方をするとは。のあの笑顔を俺達がそれぞれ独占していたことがよっぽど悔しくて、そして自分も向けられたかったんだね。なんにせよ少しは素直になったということだ、良いことじゃないか。
 やはり意中の相手を目の前にするとそれ以外に意識がいかないのか、教室の後ろからドアを半分も開けて堂々と覗き見をしている俺達に気付く様子もなく、イッチーは口を開いた。

「先ほどは……女性に対して失礼な発言をすみませんでした」
「…………」
「貴女が甘い物を食べいている姿は幸せそうで好き……だと、皆さんが言っていました」

 最後の一言がいらないよイッチー!
 あぁもうじれったい、なんでも器用にこなすくせに、自分の感情となるとどうしてああも不器用なんだろうね!

「なので健康に害を及ぼさない程度に、食べるのなら」
「トキヤは」

 イッチーの声を遮るように、の不機嫌な声が響いた。

「私の体のこと、心配してくれたの?」
「……はい」

 今の間をは聞き逃しても、俺は聞き逃さないよイッチー。素直に「嫉妬しただけです」って言いなよ。その手にあるマカロンを渡して、自分も「貴女の笑顔が見たいんです」ってさ。だって、そのために持ってきたマカロンだろ?

「トキヤの言うことは正しいと思うから、少し気をつける」
「無理だと思いますけどね」
「もう、なんでそういうこと言うの!?」
「お詫びにどうぞ」

 は今、どんな表情をしているのかな?声から察するに、もうあまり不機嫌じゃないようだけれど。イッチーがお菓子をくれる、だなんてことはこれが初めてだろうから、きっと驚いた顔をしてるかな。
 ここからじゃの表情を見ることが出来ないのがつまらないね。

「トキヤでもお菓子持ってんだな」

 黙って見ていたおチビちゃんが口を開くくらい、イッチーの手にお菓子があるなんてレアだ。俺の予想が正しければ、あれはのために用意したんだと思うよ。渡すタイミングがなくて今まで部屋のどこかに隠されていたあの可愛らしい箱が、こうしてとイッチーの瞳を彩ることが出来て良かったね。

「いいの?これ限定ボックスのやつだよ?」
「私には興味がありません」
「えー、ここのマカロンすっごく美味しいんだよ。一緒に食べようよ」
「お詫びなのですから、貴女が全部食べて下さい」
「……トキヤが食べてくれなきゃ許さない」
「何を言っているんですか」
「口も利かないから、話しかけないでね」
「なっ──」

 やるねぇ。だからイッチーはに夢中なのか、それとも夢中だからこそこんなにも翻弄されるのか。ポーカーフェイスでいつだって冷静なイッチーをいつだって簡単に乱せるのはだけだよ。
 不機嫌な声が戻り、顔を背けたにイッチーの眉が寄った。

「……分かりました、今回だけですからね」
「ほんと!?やったぁ!」

 イッチーから箱を受け取り、嬉しそうに箱を開けながらはイッチーに座る様に促した。と向かい合って座るイッチーの表情には困惑の色が見てとれる。ほっとしているんだか、甘い物を食べるのが嫌なのか、とこうしていられることが嬉しいんだか。
 きっと全部だろうね。

「あのねトキヤ、私甘いもの好きだけど、みんなと食べるのが好きなの」
「そうですか」
「みんなと食べるともーっと美味しいんだよ」

 そう言って、は箱の中から淡いピンク色のマカロンを取り出した。

「はい、あーん」
「な、にを言っているんですか、自分で食べられます!」
「えぇ、自分で食べたらトキヤずるしそうなんだもん」
「目の前にいるのにどうやって食べないフリが出来るんですか」

 イッチーは素早く箱の中から濃いパープルのマカロンを取り出して、一口噛じった。
 あーあ、どうして自分からせっかくのオイシイ展開を逃しちゃうかなぁ。後で色々とお説教だね。

「ほら、食べましたよ」

 欠けているマカロンをに見せつけるイッチーに、肩の力が抜けてしまう。そこは堂々とする所じゃないんだよ。

「美味しい?」
「甘すぎます」
「もー、トキヤは甘い物の良さが分かってないんだよ」
「だから貴女が全部食べなさいと言ったでしょう……残りは食べて下さい」

 さっきのからの「あーん」を断ったのは、自分からしたかったからなのだということに合点が行った俺は笑いを堪えた。やっぱりずっと羨ましくて仕方なかったんだねイッチー。
 ここからじゃ見えないけれど、イッチーが口元に寄せたマカロンには素直に口を開いたようだった。

「美味しい、ですか」
「うん、美味しいっ」

 が声を発する前に、イッチーの顔はとても幸せそうに緩んだ。
 きっと、今までずっと見たかったものが見れたのだろう。幸せそうなのその笑顔を、目の前の特等席でようやく。







 ここから二人を眺めていて本当に良かった。の背中しか見えないおかげで、あのの笑顔はイッチーだけが独り占めすることが出来たし、何より俺はイッチーの幸せそうな顔を見ることが出来たからね。
 こんなに穏やかな顔は、きっと俺たちじゃ見ることが出来ないんじゃないかな。

「無事に仲直りも出来たみたいだし、行こうかおチビちゃん」
「あぁ。仲直り出来て嬉しそうだったな、トキヤ」

 違うよ、おチビちゃん。イッチーが嬉しそうにしてたのは仲直り出来たことよりも、のあの笑顔を見れたから。



 ほんの小さなことでも、好きな女の子を自分の手で幸せに出来たからだよ。






20121203
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