be filled with...





「手を出して」

 にっこりと色香を纏う笑顔で私を見下ろすレンに、私はいつものように心を跳ねらせる。そして素直に手を出せば、私の手に転がったのは一粒のキャンディだった。ルビイのように紅く輝い包装には金色の文字が刻まれている。見たことのない、そのキャンディが転がる瞬間、レンの指が私の手に触れたのはほんの一瞬だけだった。

「ありがとう」

 そう言う私に、レンはただ微笑むだけ。返事の言葉もない。いつもと、同じ。いつもと違うのは、貰ったものがキャンディだということだけ。
 昨日は花をもらった。小さいけれど、凛とした紫の花。その花は私に長く長く眺められた後に、押し花として私の傍にずっとあるために本に挟まれている。花を優しく押し包むのは、先月レンからもらった本だ。





 授業の合間の休憩中、私はひとり廊下で生徒の声を遠くに感じていた。ポッキーを食べながら課題の楽譜を眺めていると、ふと前を横切ろうとするトキヤが視界の隅に映った。引き止めて手招きすれば、ポッキーを銜えたままの私にトキヤは眉間に皺を寄せた。そのままお説教、かと思えば那月がふと現れて、ポッキーが欲しいとふんわりおねだりをされた。そうして三人でなんとなしに話をしていれば、ふらりとレンが現れたのだ。
 レンはいつもそう。私が一人でいる時には決して近寄って来ない。ふ、と瞳が合わさっても。それだけ、なのだ。声をかけることも、傍に来ることも、決してない。だけど誰かと、レンが心を許しているであろう彼らと傍にいる時だけ、レンは私に近付いて、声をかけてくれる。そうして私になにかひとつプレゼントをくれるのだ。大きなものじゃない、手に収まるくらいのもの。「手を出して」と言われて手を出す私が、レンの手から受け取れるもの。連日くれる時もあれば、一週間空くこともある。いつも、艶のある笑みで私の心をぐらりと揺らして、たった一言「手を出して」と甘い声で鼓膜から私の全身を捕らえて、一瞬だけ私の肌に触れるのだ。その一瞬で全身に走る痺れる感覚をこらえるために、私はレンから受け取ったものをぎゅっと握りしめる。レンから受け取ったものを、ほんの少しも逃さないように。

「可愛いキャンディですねぇ」
「うん、可愛いから開けづらいね」

 このまま部屋に持ち帰れば、長いこと眺めて、そのまま食べるタイミングを失ってしまう自分が簡単に想像できた。
 声に出して言ったわけではないのに、そんな私を見透かすように那月が微笑んだ。

「じゃあ今食べて、感想を聞かせて下さい」
「え、いま、ここで?」
「はいっ」

 わくわくとした表情で私を見る那月に、私はたじろいだ。今、ここで?ちらりとレンを見れば、楽しそうに、穏やかな目で私を見ていた。いつも私にくれるものについて何も言わず問わず、私が伝える感想をただ聞いているだけのレンが、今日は私の感想を少し楽しみにしているようだった。私はそのことが恥ずかしくて、どうしたものかと唇を軽く噛んだ。
 いつもレンに返す言葉は、受け取ったものを自分ひとりの時に眺めて、楽しんで、それからの後日なのだ。こんな風に受け取った目の前で楽しむことも、感想を伝えることもない。そのことに恥じらいを感じるということは、きっと誰にも理解されない。ただひとり、レン以外には。
 レンだけは、分かっている。私がレンから受け取るものを愛しく思っていることを、レンが傍に来てくれるのは限られた時だけだということにもどかしさを感じているということを。
 けれどレンはきっとこのスタンスを崩さない。卒業までは、絶対に。私はそのことをきちんと感じ取って、理解している。
 もどかしいけれど、強く強く、あたたかいレンと私の関係。

「そんなにもったいないなら、もうひとつもらえばいいじゃないですか」

 レンならいくらでも持っているでしょう、と私が食い意地をはっていると思っている失礼なトキヤは息をついた。もうないんですか?とレンの顔を見る那月に、私は首を振る。
 ふたつも、みっつも欲しくない。今レンがくれた、レンが私に「手を出して」と言ってくれたものだけでいいの。私はそれだけが、欲しいの。

「いいの、これだけで」

 そう言えば、レンもその返事がくることを分かりきっているようだった。私は心臓が手まで移動してしまったような、脈打つ手でそっとキャンディの包みを開けた。中のキャンディは、包装紙と同じ、ルビイのような紅。そっと触れて、口に運ぶ。甘くて、酸っぱい、ベリイの味だった。何万粒もの、何億粒ものベリイがぎゅっとひとつにつまっているような、甘酸っぱさ。全身に走る感情に、やっぱりひとりでいる時にしておけば良かったと思った。いつも、いつもこうなのだ。レンがくれるものには、レンの想いが溢れんばかりにつまっている。このキャンディの甘酸っぱさは、レンの気持ち。そして、私の気持ち。
 いつもいつも周りにいる女の子に甘い言葉をかけるレン。私はそんな言葉をひとつももらったことがないけれど、こうして何かを介して全身で感じさせてくるんだから言葉をかけてくるよりもタチが悪い。言葉がないことに不安やもどかしさを感じるのに、こうやって全身で感じてしまえばレンから受け取る感情を否定しようがないのだ。

「何の味でしたかぁ?」
「……ベ、リィ」
「顔が赤いですよ」

 那月の問いかけに顔を赤くした私に、どうしました?とトキヤが不思議そうな顔をした。そんな私に追い討ちをかけるように、レンの声が聞こえた。

「美味しい?」

 顔を上げて、レンを見つめて、私はいよいよ堪えていられそうもなかった。
 今まで、そんな風に聞いてきたことなんてないじゃない。それなのに、私に聞くの?私に答えさせるの?知ってるくせに、分かってるくせに。レンはずるい。私だってレンにあげたい気持ちはいっぱいあるのに、それでも我慢してるのに。レンには伝わっているだろうけれど、私だっていつも伝えたかった。レンへの気持ちだけでも溢れそうなのに、いつも私の身体中、レンの気持ちでもっといっぱいにされて、私はそれが溢れないようにするのに必死でいる。レンの気持ちも、私のレンへの気持ちも増えていく一方で、私には気持ちを伝えさせてくれないんだから、レンはずるい。
 私はレンを見つめて、小さく息を吸った。少しでも、私の気持ちがこの言葉に沁みて、レンに届きますように。

「すごく、美味しい」

 レンは、柔らかく微笑んだ。

「すっごく、すごくすごく美味しい」

 ねぇ、レンの身体の中にも、レンへの私の気持ちでいっぱいになってる?私だって、レンの身体から溢れてしまうほどの気持ちがここにあるんだよ。

 たった二文字の言葉なのに。それが口に出来ないことがすごくもどかしい。

 たった二文字の言葉なのに。その言葉が私の身体いっぱいに溢れそう。





 たった二文字の言葉を、ねぇ早く言わせてよ。





20111219
2style.net