それは私が縁側でお昼寝をしていた時のことだった。

 今日は蝶屋敷での仕事がなく、昨晩ついつい夜更かしをしてしまったせいで朝からとても眠たかった。からりと晴れた青空に目が覚めるかと思いきや、あたたかいお日様の光に身体をぽかぽかとあたためられて、私は逆に眠たくなってしまっていた。気持ちの良い日差しの中で洗濯物を干し終わり、縁側に腰を掛けた途端、どんどんと重たくなる自分の瞼を持ち上げ続ける気力は一瞬にしてなくなった。

 こんなに気持ちの良いお天気の日に縁側でお昼寝だなんて、贅沢。

 お昼寝、というには随分と早い時間。それは分かっているのだけれど、と心の中で言い訳をしながらも、そのまま素直に体を横にしてうとうととしていると、眠りに落ちるのはあっという間だった。




 どのくらい眠っていたのだろう。
 30分も経っていないような気がする。眠る時には日陰になっていたのに、日が昇ったせいで顔にも日差しがかかり、眩しさで目が覚めてしまった。庭ではなく部屋の方を向いて寝ていればもう少し眠っていられたのに……と、眠気が覚めない頭で私はぼんやりとそんなことを考えた。
 眩しさを拒絶するように瞼を固く結び、横に向けていた体を仰向けにして日差しを遮るように手で顔に影をさす。そうしてからゆっくりと瞼を持ち上げて、私はぎょっとした。
 静かなふたつの群青が、私を見下ろしていたからだった。

「ぎ、勇さん」

 日差しを遮っていた手をそのままぺたりと顔に被せて、困惑する声を出した私に返されたのはいつもと変わらない静かな声だった。

「どうした」

 それはそのまま私が返したい言葉だった。
 本当は顔よりも、心臓の上に手を当てていたい。どきどきと心拍数を上げる鼓動を感じながら、私はゆっくりと息を吐いた。静かに眠っていたところから、いきなりこんな風に心臓を動かすだなんて身体に悪いにもほどがある。なによりも、寝起きの呆けた顔を義勇さんに見られるのは、余計に心臓に悪い。もしかして寝顔を見られていたんじゃないか……と、考えることすらこわかった。
 いつからそこにいたのか、と問うのがこわくて何も言えないまま、私は驚かされたことに抗議することしかできなかった。

「びっくりさせないで下さい」
「……物音は立てていない」
「それがびっくりしちゃうんですよ」

 きっと彼は、起こすつもりも、驚かすつもりもない、と言いたいのだろう。
 自分の手で顔を覆い隠しているせいで義勇さんの表情を読み取ることは出来ないけれど、返事をするまでの少しの間から、彼のそんな気持ちが伺えた。表情を見たところで、そこから読み取れる情報はいつもとても少ないのだけれど。それでもきっと、本当にほんの少しだけ、彼はきっと「こんなに静かにしていたのに、何故驚くのだ」と、そんな疑問を表情に浮かべているはずだった。

 こんな風に義勇さんを感じられる自分がいることが、なんだかくすぐったくて嬉しかった。

「ふふ」
「……まだ夢を見ているのか?」
「そうかも」

 私は笑いながら返事をした。
 きっと彼の頭の中には、先ほどよりもたくさんの疑問符が浮かんでいるのだろう。それがまた嬉しかった。私の小さな笑いひとつを、疑問に感じてくれることがとても嬉しかった。
 くすくすと、嬉しくてひとりで笑いをこぼしていると、相変わらず顔を覆っていた私の手の上に、義勇さんの手が重ねられた。

 いつもとても静かな彼とは正反対の、硬くかさついた激情を感じる手のひら。

 こうして手が触れるのは、初めてだった。
 触れた驚きと、私が想像していたよりもずっと、戦う男の人の手をしていたことが、胸の奥をツンと刺激した。いつも静かに佇む彼が、厳しい戦いの中に身を置いているのだという事実を目の当たりにさせられたような気分だった。
 小さく微笑んでいた気持ちを、ほんの一瞬で吹き消してしまうような現実。彼の手のひらの硬さが増す一方で、私がこうして微笑んでいられるという現実。

 そんな私の気も知らないで、義勇さんは私の手を持ち上げた。
 硬くて、大きな手。しっかりと体温のある、義勇さんの手。
 ひらけた視界の先には、私を見下ろす彼が、ほんの少し眉間に皺を寄せていた。

「…………」
「どうしたんですか?」

 手を持ち上げたまま、義勇さんはじっと私を見下ろしていた。その表情からは、何も読み取れない。そして何も言ってくれない。ただ静かに見つめ続けられ、恥ずかしさに身をよじってしまいたいのに、目を逸らすことも出来なかった。
 何か言って欲しい、そんなことを思いながらもう一度彼の名前を呼ぶと、義勇さんは私の手を握る力を強めた。

「お前は……俺が嫌いか?」
「えっ……」

 わずかに、ほんのわずかに義勇さんの眉間が寄った。声色はいつもと変わらず、何の感情も読み取れないけれど、そこには困惑や不満、単純な疑問だけではない感情があるような気がした。

「嫌いじゃない、ですよ」
「…………」
「どうしてそんなこと聞くんですか?」

 好きか嫌いかだなんて話題を、義勇さんからされるとは思わなくて驚いたけれど、また胡蝶さんに何か言われたのかもしれない。嫌いじゃない、どころか好きですよ、だなんてとても言えるわけもなく、聞かれた通りの返事をしたものの、義勇さんはどこか納得がいかないようだった。

「とても……しあわせそうに眠っていた」
「寝、顔、見てたんですか」
「俺は起こしていない」
「そういうことじゃなくて……」
「けれどお前は、俺が近寄ると顔をしかめただろう」

 それはきっと、たまたま、私が眩しさで目を覚ましたのと、義勇さんが私に近寄ったタイミングが重なってしまっただけ。けれど、義勇さんは自分が近づいたことで私が顔をしかめたのだと思ったようだった。どうしてそんな勘違いをしてしまうのだろうと思いつつ、それよりもまず、人の寝顔をじっくりと見るのはやめてくださいと、そう伝えたかった。
 義勇さんはそんな私の気持ちはおかまいなしに、私が顔をしかめたことを気にしているようだけれど。

「やはりお前は俺を、」
「まぶしかっただけですよ。その後に私、すぐ起きたでしょう?」
「…………そうか」
「納得してくれました?」

 私の手を握る力が緩められるのを感じながらも、自分からその手をすり抜ける気にはなれなかった。それでも、いつまでも寝転がった状態で義勇さんに見下ろされながら話すのも恥ずかしい。
 起き上がろう、と体に力を入れようとすると、義勇さんは私の手をそっと縁側に下ろした。

「今は俺が影になっているから、眩しくないだろう」
「? はい」
「もう一度眠ると良い」
「え、えぇ」
「さぁ、寝ろ」

 こんなじっと見下ろされている状態で眠れる人がどこにいるというのだろう。こういうことを言うから、胡蝶さんにあれこれ言われちゃうのに。義勇さんはきっとそれが分からないんだろうなぁ。

「そんなこと言われても眠れないです」
「何故だ」
「何故って、寝顔を見られるのが恥ずかしいというか……義勇さんが寝ている時に、私がじっと寝顔を見ていても良いんですか?」
「俺の寝顔を見て何の意味がある」
「もう、それなら私だって同じですよ」
「お前は違う」

 そう言って、義勇さんは目を細めた。
 優しいその眼差しに、私はそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 私の寝顔に、一体どんな意味があるというのだろう。
 「しあわせそうに眠っていた」と義勇さんは言うけれど、何か幸せな夢を見ていたわけでも、特別心地よく眠りについていたわけでもない。いつもと変わらない、ほんの僅かな時間のうたた寝に過ぎなかったはずだった。いつもと何ら変わりないはずの私の寝顔に、どうして義勇さんはそんな風に思ってくれたのだろう。
 義勇さんが眠ってくれている方が、その姿を見ている方が、よっぽど私は安心する。しあわせな時間が流れている、と思えるのに。彼が眠っているということは、血生臭さも、理不尽も、私たちのしあわせを脅かすその全てが、今ここには近づいていないのだと思えるから。

 だから眠るのなら、こうしてまた無事に帰って来てくれたのなら、私は義勇さんの寝顔こそ見ていたいのに。

「……子守唄が必要か」
「えっ、唄えるんですか、義勇さん」
「それくらい俺にも唄える」
「ふふ、聴かせてください」
「目を瞑れ」

 あくまでも、私を眠らせたいらしい。「俺にも唄える」とムッとした声を出して、私に目を瞑るよう促す義勇さんに笑いを漏らしながら、眠る気もないのに私は素直に瞼を下ろした。
 義勇さんが子守唄を唄ってくれるだなんて、そんな貴重なことなかなかない。嬉しくて、余計に眠れるわけがなかった。
 わくわくとしなが唄が始まるのを待っていると、義勇さんは相変わらずの静かな声で「ね〜んねん ころ〜り〜よ」と、読み上げた。それは唄ではない、ただ文字を読み上げたとしか思えないものだった。それなのに義勇さんは何の疑問も感じないのか、そのまま「おこ〜ろ〜り〜よ〜」と続けた。
 それが面白くて面白くて、私は眠るどころじゃなかった。笑いながら目尻に溜まる涙を拭えば、やはり不満そうな顔をした義勇さんが私を見下ろしていた。

「何故笑う」
「だって……ふふ」
「間違っていないだろう」
「ふふ、今度私が唄ってあげますね」
「今聞かせろ」
「だめです、子守唄は眠る時に唄わないと」
が今から眠るだろう」
「私が唄う時は、義勇さんが眠る時ですよ」
「俺は夕刻には立つ予定だ」

 二週間ぶりに会えたというのに。
 ほんの数時間で、義勇さんはまた旅立ってしまう。彼のその言葉に、笑っていたはずの口元があっという間にしぼんでしまった。

 いつもそうだった。
 義勇さんは気がづいたら側にいる。私が鈍いせいなのか、それとも鬼殺隊の隊士ほどでなければ彼の気配に気づくことが出来ないのだろうか。私はいつも、いつの間にか現れる彼に驚かされて、そしていつも突然現れてくれる彼に、喜ばされていた。また明日、今度はいつ、だなんて約束をしたことは一度もない。けれどいつも、義勇さんは静かに、気がついたら私の隣にいてくれた。それがまた明日の時もあれば、一ヶ月後の時もある。彼が鬼殺隊である限り、次がいつになるのかも、次があるのかも分からないのは仕方がないことだった。

 だから彼は、いつも次の約束をしないのだろうか。
 だから私は、いつも次の約束をとりつけるのが怖いのだろうか。

 私はただ、気がついたら彼が隣にいることを信じていることしか出来なかった。

「ね〜んね〜ん ころ〜り〜よ〜」

 私は目を閉じて子守唄を唄った。
 数時間後にはまた隊務に赴いてしまう義勇さんに「また今度眠る時に」とは言えなかった。いつまで経っても「また」と、約束を結ぶことが私には出来ない。
 未来へと続くささやかな約束が力になるのではと思う反面、重りになってしまうのがこわかった。

 私にとっても、義勇さんにとっても。

「こうやって唄うんですよ」
「…………」

 短く唄い終えてから瞼を持ち上げれば、今度は義勇さんがそっと目を閉じた。
 それが合図のように、今度は瞼を下ろした義勇さんの顔を見つめながら、もう一度私は子守唄を唄った。

「ね〜んね〜ん ころ〜り〜よ」

 今日が最後だなんて思わない。
 けれど「また」と、どうしてもうまく約束をすることが出来なかった。それはきっと、不確かな私たちの関係を言葉に出来ないことと似ている。
 私からも、義勇さんからも、決して結ばない次への約束。
 それでも、いつだってこうして、気がついたら義勇さんが私の側に現れてくれるって、信じて待っている。

 いつだって、今日だってそうだったように。




 唄い終えてしばらくしても、義勇さんは瞼を下ろしたままじっとしていた。
 まさかこの状態で眠ってしまったのかと思えば、クゥ……と小さなお腹の音が聞こえた。可愛らしい空腹の音に思わず笑っていると、義勇さんは静かに瞼を持ち上げ、そして「台所に鮭がある」と言った。
 きっと、買って来たものを台所に置いて、私がいないからとここまで探しに来てくれたのだろう。

「お昼は鮭大根にしましょうか」

 そう言えば、義勇さんは小さく頷いた。
 起き上がろうと上半身を起こせば、義勇さんは私の手をとって立ち上がった。腕を引かれるように私も立ち上がれば、彼はそのまま台所へと歩き出した。
 私の手を、握ったままで。

 初めて、こんなふうに手を握られた。

 手が触れ合うのすら、先ほど初めてだったのだから当然なのだけれど。
 どうして良いか分からず、ただ手を引かれるままに義勇さんの背中を見つめた。いつも、どんどんと離れていくばかりのその背中が、今はずっと同じ距離にある。それが嬉しくて、思わず手を握り返すと、返事をするように握り返してくれた義勇さんの手の力が、痛かった。

「ふ、ふふ」
「……また夢を見ているのか?」

 いつも刀ばかり握っているから力加減が分からないのだろうか。それとも、久しぶりに人の手を取り、握る感覚が分からないでいるのだろうか。
 きっと、そのどちらもなのだろう。
 とても、とても優しくて不器用で、繊細な彼が握る力の強さに、黙っていては泣いてしまいそうだった。その力強さに、私の手よりも胸の方が痛かった。胡蝶さんの声を借りられるのなら「女性の手を握ったこともないんですか?」と、笑ってからかえたのに。彼の想いが痛いほど伝わってしまう私はからかうことなんて出来なくて、笑ってごまかすことしか出来なかった。

 先ほど目が覚めてから突然笑い出した私が、まどろんでそうしたのだと思ったように、今もまた夢を思い出して笑っていると思っているらしい義勇さんは振り返って私を見た。相変わらず、静かな瞳。けれどきっと、頭の中に疑問符が浮かんでいるのでしょう?

 いつまで経っても私は「また」だなんて約束を結べないのに。義勇さんだって、約束をしてはくれないのに。それなのに、私は 気が付いたら彼が側にいる と、そう想ってしまう。
 知らず知らずのうちに、私の心は次へと結ばれてしまっているのだ。

 握り返された手が痛い、だなんて絶対に言いたくはなかった。
 固く握られた義勇さんの手のひらの中に閉じ込められた私の手には、彼の気持ちがちゃんと伝わってきている。それは私が泣きそうになってしまう事実だけじゃない。義勇さんからの、あたたかい気持ち。力強さの中に包まれた、義勇さんの気持ち。

 決して離れないのなら、痛くたってなんだっていい。このままずっと、彼の手が握るのは私の手だけであればいいのに。
 そう想ってしまう。

「……俺も手伝う。まだ寝ぼけているのだろう」

 何も言わず、笑い声を漏らすだけの私に、義勇さんはそう告げて再び歩き出した。
 握る手は、今も固く結ばれたまま。






 忘れないで、と願った。

 眠る時に、私が子守唄を唄うこと。握る手が、ここにあること。私の心がもう、貴方へと結ばれてしまったということ。
 今はまだ側にある半々羽織を見つめて、私は願った。






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