彼方の君へ



※アニメ8・9話近辺で栗山さんが秋人を殺そうとする前の日常を想像してお読みください。
※秋人→博臣の流れがありますので苦手な方はご遠慮下さい。





「栗山さんはいいね、秋人を殺すことが出来て」
「な、に……言ってるんですか」
「私は秋人を守ることも、殺してあげることも出来ない」

 ぽとん、と音が聞こえそうなほど大粒の涙が頬も伝わずにひとつぶ落ちた。

「それってどういうことだか分かる?」

 何も言わず戸惑ったように私を見る栗山さんに、私は続けた。ふたつぶめの涙は、まだ瞼に貼り着いて落ちるのを渋っていた。

「私は、秋人の傍にいられないってことだよ」

 言い終わるのと同時に、ふたつぶめの涙が落ちた。

「私も、眼鏡っ子だったら良かったのかな」

 涙を堪えて必死に笑って見せたのに、何故か栗山さんは「ごめんなさい」と言って泣いた。






 全部全部、栗山さんが始まりだった。
 栗山さんが現れるまで、私は秋人が半妖だということも、それを狩る異界士という存在があることも、美月と博臣がその異界士だったことも知らない。皆が私に話したくなかったと言うのなら知らないままでも良かったし、知ってしまったからと言って秋人のことが嫌いになるなんてこともあり得なかった。
 全部全部、栗山さんが始まりだった。
 栗山さんが現れてはじめて、私は秋人が抱える寂しさに気付くことが出来た。今まで、この1年間一緒に過ごして来たけれど、私の存在は秋人のその寂しさを埋めてあげることが出来なかったんだ。
 だけど栗山さん、あなたなら秋人を“ひとりぼっち”から解放してあげられるんだよね?
 私じゃなく、栗山さんだったら────────




 
* * *





 お昼休み。私は秋人と二人、誰もいない部室でお弁当を広げていた。

「なんか今日変だぞ」
「えー、そうかな」
「口数が少ない、食が進んでない」
「よく見てるね」
「よく見てなくたって、もーずっと一緒にいるんだし分かるだろ」

 “ずっと”
 ”一緒に”
 秋人からの本心の言葉だって分かってるのに、“それならどうして?”と何度も何度も繰り返した考えが余計に胸を締め付ける。

 これでもう最後。
 そう思うと上手く会話が出来なくなるのも、お弁当が進まないのも分かるでしょ?

「秋人のお弁当、ひとくちちょうだい」
「ん?あぁ」

 お弁当箱いっぱいに詰められた秋人お手製のオムライス。これも、もう最後なのかな。
 “最後”が過ぎたら、私達の関係はどうなってしまうんだろう。

「おいしくない」
「なに!?」

 秋人がスプーンですくってくれたオムライスを私の口の中に入れてくれるのを大人しく待てば、口の中で広がったのはいつもの秋人のオムライスの味だった。何の特徴もなくて、美味しいと褒めることの出来ない、不味いわけではないオムライス。
 秋人の家に行くたびに、いつも秋人が作ってくれるのはこのオムライスだった。

「なんだよどいつもこいつも!別に不味いって言うほどまずい味してないだろ」
「あきひと」
「なんだよ」
「私達、これで最後」
「……は?」
「お、わかれ……しよ」
「な────────オムライスが不味いからか?」

 目を丸くして、表情を固めた秋人はすぐにこの空気を壊そうと笑顔を作った。けれど我慢の限界にきてしまった私が泣いたのを見て、表情を元に戻した。とても悲しそうな顔をしている。それが少しだけ嬉しかった。
 こうなることを、望んではいないってことだよね?

「なんでだよ、僕のこと嫌いになったのか」
「大好きだからだよ。秋人も、分かってるでしょ?」

 ずっとひとりぼっちで、寂しさを抱えて生きて来たのは秋人なんだから、その寂しさを埋めてくれる人が誰なのか、誰といればひとりぼっちじゃなくなるのか、秋人が一番良く分かってるはずでしょう?
 私じゃ秋人の寂しさを埋めてあげられなかったけど、それくらいのことは分かるよ。秋人が大好きだから。秋人に幸せになって欲しいから。

「僕だってのことが好きだ」
「ありがとう。でも、もうこれで最後にしよ」
「なんでだよっ」

 “なんでだよ”
 それは、私が何度も何度も問いかけた言葉。答えが見つからない、言葉。
 私を強く抱き締めた秋人を抱き締め返して、私は秋人の肩を押した。次から次と溢れてくる涙のせいで秋人の顔がしっかりと見えない。最後、に。ちゃんと見ておきたいのに。まだ“私の秋人”の顔を。

「今までありがとう」

 そう言って、私は秋人の唇に唇を重ねた。
 すごくしょっぱくて、いつだか大喧嘩をして仲直りにキスをしたのを思い出した。いくら大喧嘩をしても、秋人とさよならするなんてこと考えたこともなかった。まだまだこれからもずっと、一緒にいられるんだと思ってたのに。喧嘩もしてないのに、もうこれで最後なんだね。

、僕は」
「秋人がひとりぼっちなの、私は嫌だよ」
「っ────────」
「ば、いばい」

 これでいいんだ。
 これが一番良いんだ。
 これしかなかったんだ。

 何度も、何度も何度も頭の中で繰り返して、私は走った。
 あんなこと言いたくなかった。こんな風になりたくなかった。色んな感情を涙で押し流しながら、私は必死に走った。







 遠くではお昼休みの終わりを告げ、授業開始のチャイムが鳴り響いていた。




 
* * *





 屋上に逃げ込んだことを後悔した。ここには、秋人との思い出がありすぎる。
 ここだけじゃない。どこに行ったって、きっと私は秋人を思い出してしまう。それなのに、どうして私は秋人に別れを告げてしまったんだろう?本当にこれで良かったの?秋人なら、私が何も言わなければきっとこのまま付き合ってくれた。好きなままでいてくれた。好きでいようとしてくれた。私が別れを告げなければ、今日だってまた一緒に帰ることが出来たのに。だけど────────こうするしかなかったの。
 これが、私にとっても秋人にとっても一番良い選択だった。
 何度も自問自答しては最終的に行きつく結末に、余計に涙が溢れた。


 泣きじゃくり、嗚咽を漏らすごとに揺れていた私の肩がふいに止まった。
 首筋に当たるストールの感触から、私を後ろから抱き締め肩の揺れを止めたのは博臣だと分かった。“博臣”と、先輩である彼をそう呼ぶようになったのも秋人の影響だ。私の日常には、もう切り離せない部分に秋人の影がたくさん隠れている。
 何を考えても、何を想っても、秋人に繋がってしまう。胸の痛みは増すばかりで涙も溢れる一方だ。
 博臣のおかげで揺れが治まった肩も、再び小さく震えた。そんな私を押さえこむように、博臣の腕の力が強くなった。

「俺がアッキーを忘れさせてやる」

 まるで少女漫画の常套句のようなことを言う博臣に、いつもなら笑い飛ばしていたのに、と思った。思うだけで、今は少しも笑いが込み上げてこない。もう私はこれから笑うことなんて出来ないんじゃないかと思うほど、悲しくて苦しくて、この感情をどうすればいいのか分からなかった。

「っそ、んな、冗談やめ、て」
「冗談じゃない」

 真剣な博臣の声に、余計に涙が溢れた。
 なんで?本気で言ってるの?博臣が私を好きだって────────本気で言ってるの?
 私は博臣の腕を振り払って、彼の顔を見た。涙でぼやけた彼の表情はひどく苦しそうに見えた。

「わた、しは秋人が、好きっなの」

 嗚咽を呑みこんで、ひとつひとつ紡ぐ言葉に博臣は頷いた。

「知ってる」
「なん……で」

 ────────なんで?
 博臣にだけじゃない。自分にも、秋人にも、栗山さんにも、全てに問いたい言葉だった。
 どうして私じゃダメだったんだろう?
 どうして栗山さんだったんだろう?

「栗山さんのこと、好きだけどっ……でも、栗山さんが現れるまでは秋人、私のこと、好きでいてくれたのに」
「アッキーは今でものことが好きだよ」
「違う、それはちが、うよ」

 変わってしまった。
 秋人も、私のことが好きだと言ってくれたけど。でも、栗山さんが現れてから、その気持ちは変わってしまったの。秋人は私よりも栗山さんを目で追うようになってしまった。

「栗山さんが現れなきゃ良かったのにって、思っちゃう自分が嫌」

 そしたらきっと秋人は私のことを好きなままでいてくれた。
 だけど、栗山さんが現れなきゃ秋人はひとりぼっちのままだった。私じゃ、寂しさを埋めてあげることが出来なかったんだ。

 ねぇ、どうして?

「なんで?なんで私じゃダメだったの?私だって秋人のこと大好きだったのに、一緒にいたのに、どうして秋人の寂しさを埋められるのは私じゃなくて栗山さんなの?」

 叫ぶようにして博臣に感情をぶつければ、博臣は何も言わずに私を抱きしめた。

「なんでっ、なんで秋人は私のことが好きなのに、栗山さんのこと、なんで、なんでっ」

 なんで────────栗山さんのことを好きになってしまったの?

 博臣の背中に手を回し、制服を握りしめながら私は子供のように大声を上げて泣いた。






「っう、っ」
「もう泣き止め。頭が痛くなるぞ」

 声も涙も枯れ声を上げるのも止めた頃、博臣は私の背中を優しく撫でた。体温が低くて、大きな手。私がしがみついている体は、秋人よりも大きくてしっかりしていた。
 いつもは、秋人がこうして私を抱きしめてくれていたのに。

「うぅっ」
「おいおい、やっと落ち着いてきたのに、あんまり泣くと頭が痛くなるぞ」
「頭よりも、こころが、いた、い」
「そうだな、良く分かるよ」

 博臣のその言葉に、私は顔を上げた。博臣の顔を見て、またひとつ私の心が痛くなった。
 博臣は、本気で言っている。

「好きだよ」
「ひろ、おみ」
「俺もが好きだから、の気持ちは痛いほど良く分かる」

 博臣が私のことをそんな風に思ってくれてるだなんて、知らなかった。私だけじゃない、秋人だって知らなかったはずだ。
 博臣も、私と付き合っていた秋人を見て“どうして俺じゃないんだ”って、そう思っていたの?いつから、こんなに苦しい心の痛みを抱えていたの?

「アッキーがを好きになる前から、俺はが好きだったからね。そう考えると俺は1年もその痛みを引きずっていることになる」
「う、そ」
「嘘じゃないさ。でも俺はアッキーと幸せそうにしているを見ているのは好きだったよ」
「うそだ、そんな……」

 そんなの、嘘だ。そんなわけない。
 私は、秋人と栗山さんの気持ちに気付いてから、二人が一緒にいる姿を見かけると寂しい気持ちになったよ。私だけどこか遠くにいるみたいな、そんな気持ちになったよ。
 だけど博臣はそうだった。今まで私が少しも気付けなかったくらいに、博臣と私は“友達”の距離が保たれていて、私と秋人が一緒にいても博臣は少しも曇った顔を見せなかった。いつだって私達を見る目は穏やかだった。だから私は、博臣の気持ちに気付けなかった。

「常々美月に言われているように、俺は本当に変態のようだな」
「そんなわけ、ないじゃ、ん」

 ここで私が泣くのはお角違いだ。博臣の気持ちに気付けず、今だって秋人が好きだと泣いて彼の気持ちに応えられない私が泣くなんておかしな話なのは分かってる。だけど、私は博臣と友達だったから分かる。彼が優しい人だと言うこと、面倒見が良いということ、きっと今の私と同じように痛んでいた心を見せないように隠してくれていたんだということ。そんな博臣を思うと、心が余計に痛んだ。
 今まで少しも博臣の気持ちに気付かなかったのに、博臣が隠すのを止めた今なら分かる。痛いくらいに伝わってくる。博臣が、私のことを好きだと思ってくれていることが。
 感情っていういのは操ることが出来なくて見えもしないのに、どうしてこんな風に感じ取れちゃうんだろう。
 私は秋人が私のことを今でも好きだと言ってくれたことを疑ったりしてない。秋人の気持ちはちゃんと私にも伝わってた。だけど、秋人が栗山さんを見ていて、栗山さんが秋人を想っていて、秋人の寂しさを埋めてあげられるのは栗山さんしかいないんだって、二人を見ていたら全部伝わってきてしまった。

 何も気付かなければ幸せだったのかな?
 でも、何も気付けなければきっと不幸だった。

 私は、秋人が大好きだったから。秋人の寂しさを埋めてあげたかったの。今でも心の底からそう想ってる。秋人をひとりぼっちにはさせたくない。
 だから、さよならをした。
 秋人の寂しさを埋めてあげるために、ひとりぼっちにさせないために。それが例え私の手ではなくても。

「ごめ、ん博臣」
「何に謝っている?」
「私は、秋人が好、き」
「そんなこと知ってる」
「だ、から────────」
「“だから”?」

 博臣は私の体を押し倒した。眩しいくらいの青空を遮る様に、博臣の顔が見える。
 泣いたせいで痛む頭は、屋上のコンクリートに小さく打ちつけ痛みが増した。けれどそんな痛みなんてどうでもいいと思うほど、胸の奥の痛みが私の心臓を締め付けて離してくれない。
 博臣は笑っていた。

はきっと、俺を優しい奴だと思っているだろうね」

 前髪をかき分けるようにして博臣は私の頭を撫でた。
 その手はやっぱり、秋人よりも冷たい。だけど秋人と同じように、とても優しい手つきだった。

「自分が望まないことはしないだろうって、そう思ってる」
「……なにをする気なの?」
「この状況でそれが分からないほど、アッキーとは清い関係だったのかな」

 じわじわと浮かぶ涙を、博臣は意地悪な言葉とは反対に優しい手つきで拭った。

「俺は無理矢理にでもアッキーを忘れさせるよ」
「そ、んなことできない」
「出来るさ。俺はアッキーのようにを泣かせたりしない」
「それでも私は秋人が好きだよ。人の気持ちは、誰かの意志でどうこう……でき、ない」
「あぁ、そうだな」

 言ってて悲しい言葉ばかりだ。博臣に向ける言葉は、全部私に返ってくる。言葉にする度に心の奥の痛みが増す。
 尻すぼみになった言葉を聞いて、博臣は寂しそうに笑った。
 どうして上手くいかないんだろう。私は博臣にこんな顔をさせたいわけじゃないのに。
 だけど、秋人への想いを忘れることなんて出来ない。

はバカだな」
「どうして?」
「そんなにアッキーが好きなら、手放さなければ良かったんだ。アッキーのためなんて考えないで、自分のためにアッキーの手を離さなければ良かったんだよ」
「そんなの、誰も幸せにならない」
「自分さえ幸せならそれでいいだろ」
「私だって、それじゃ……」
「じゃあそれまでだったんだよ。手放してしまえる程度の“好き”だ」
「ちが、う!」

 どうしてそんな言い方をするの?私のことも秋人のことも知ってる博臣なら、こうするしかなかったんだって、これが一番良かったんだって、分かるでしょ?
 睨んでも、博臣は少しも動じなかった。先程から私の頭を撫でる彼の手の優しさは少しも変わらない。

「俺は絶対に離したりしない。アッキーにへの気持ちが残っていても、がアッキーのことを好きでも」
「博臣はそれでいいの?」
「当たり前だろう?やっと俺のものになるんだから」

 ずっとこの瞬間を待ってたんだ。
 そう言って、博臣は私に顔を寄せ口付けを落とした。

 視界に入る髪色が、秋人とは違う。
 近付く香りが、秋人とは違う。
 唇の柔らかさが、秋人とは違う。
 キスの仕方が、秋人とは違う。
 ぜんぶぜんぶ────────秋人とは違う。
 こんなにも秋人が溢れてくるのに、忘れることなんて出来るの?

 唇が離れた合間に零れた嗚咽は、あっという間に大きくなった。
 私は両手で顔を覆い、再び声を上げて泣いた。こんなにも、こんなにも秋人のことが好きなのに。秋人でいっぱいなのに。

 博臣は私の両手を掴んで顔から離して、涙に唇を落とした。

「大丈夫、の胸の痛みはすぐになくなるから」

 そう言って、博臣は私を抱きしめて一緒に横に寝転がった。
 そんなの信じられない。

 腕枕の感触も、体に回された腕の重みも、秋人とは違う。
 すぐにそんな風に考えては心が苦しくなるのに、その痛みがすぐになくなるなんてことがあるの?
 こんなにも秋人のことばかり考えている私のそばにいて、博臣は本当に幸せなの?

 絶対に博臣だって苦しいはずなのに、まるで自分の利益のためだけのような言い方をして私のそばにいてくれる。博臣はやっぱり優しい人。秋人のことでいっぱいで博臣の気持ちに応えてあげられないのに、こうして一緒にいてくれることに私は救われていた。
 秋人の手を離して、自分がひとりぼっちになってしまうことが怖かった。博臣の手を掴むことも出来ないのに、ごめ────────そう心の中で言いかけて、止めた。
 秋人も、
 私も、
 栗山さんも、
 博臣も、
 誰も悪くない。誰も、謝るようなことも謝られるようなこともしていない。

 今度は博臣のストールだけじゃなくてシャツまでも涙で汚してしまう。だけど────────

「ありがとう、博臣」
「あぁ、その言葉なら歓迎だ」

 私は本当に涙が枯れるまで、ここで泣こうと思った。






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