花弁の囁めき







「お前が俺にドキドキすんのは、俺がいい男だからだ、好きだからじゃねぇよ」

 意地悪そうに笑って、からかう左之さんに私は何も言い返せなかった。いつもなら、自分で“いい男”だなんて何言っちゃってんの、とか言い返せたのに。まったくその通りすぎて私は何も言い返せない。けれど後者の、“好きだからじゃない”の言葉に、私はささやかな反抗を示した。

「好き、だよ」
「あぁ、知ってるよ。でもその好きは、平助のとは違ぇだろ?」
「平助のことは好きじゃないってば!」
「だから、いつまでも意地張ってたっていいことなんかなーんにもねぇぞ」
「だってだって、ちびじゃん」
「おうおう、またそれか」

 そして左之さんは楽しそうに笑う。私はちっとも楽しくない。私が好きなのは、左之さんみたいに背が高くて、左之さんみたいに大人で、左之さんみたいに優しくて、左之さんみたいに色気があって、とにかく左之さんみたいな人が私は好きなのだ。左之さんみたいな人、じゃない。左之さんのことが私は好き。左之さんは背が高くて強くて格好良いし、いつも私に優しくて大人で、私を包んでくれる。そして私はいつも左之さんの色香にくらくらして、ドキドキしてしまうのだ。だから左之さんのことが好き。好きになるなら絶対に左之さんがいいのだ。なのに左之さんは、私が平助のことを好きだと言う。ちびでがきな、平助のことを。そんなことを言う左之さんを、私は睨んだ。

「私は左之さんみたいに背が高くて大人で色気がある人が好きなの」
「そりゃ嬉しいねぇ。でもは背が高くて大人で色気がある野郎が好きなんであって、俺が好きなわけじゃあねぇだろ?」
「……?左之さんが好きなんだよ」
「それじゃあ、も平助と変わんねぇ、まだまだガキだな」

 私は再び押し黙る。左之さんの言っている意味が分からない。背が高くて大人で色気がある左之さんが好きだって言ってるのに、左之さんが好きなわけじゃないってどういうこと?それが分からないから平助と同じがきだなんて、意地悪だ。じゃあ私が「そうだよ左之さんが好きなわけじゃないよ」って言えば、がきじゃないってことになるの?そんなこと、言えるわけないのに。やっぱり左之さんの言うことの意味が分からない。

「左之さんの意地悪」
「いいや、これがの好きな俺の大人なところってやつさ」
「もっと意地悪!」
「しょうがねぇな、分かりやすく教えてやる」

 が平助のこと好きだ、っつーことをな。そう言って目を細めて優しく笑い、左之さんは私の頭を撫でた。だから私、平助のこと好きじゃないって言ってるのに、好きになるなら左之さんって言ってるのに。こうやって頭を撫でられている間も、私の心臓はドキドキといつもより大きめに騒ぐ。それでも左之さんは、私が左之さんのことを好きだというのを否定するの?

「俺と新八と平助で島原に行くだろ」
「うん」
「いーっつも、は平助だけに怒るよな」
「……べろべろに酔っ払ったり、次の日寝坊したり頭痛いって言うから」
「新八だってべろべろに酔うだろ、むしろ絡んできたり平助よかタチ悪ぃぞ」
「でもそれが新ぱっつぁんじゃん、絡まれても楽しいし、可愛いもん」
「それでなんで平助には怒るんだよ?」
「だからそれは……」
「心配してんだろ?」
「ち、ちが」
「そして妬いてんだ」
「違う!」

 一際大きく跳ねた心臓の音を隠すために、咄嗟に大きな声が出た。左之さんはそんな私の大きな声に驚くこともなく、にやりと笑う。ちがう、ちがうちがう!ドキドキと騒がしく跳ねる心臓の音を聞かないように心の中で否定してみるのに、否定すれば否定するほど私の心臓はうるさく騒いだ。

「俺達が傷負って帰ってくるとな、はいつも泣きそうな顔をするんだ」
「……心配だから」
「あぁ。でもいっつも平助には怒るよな」

 私はもう、左之さんに何て返事をすればいいか分からなかった。

「泣きそうな顔して怒るんだよ。一番、心配なんだろ?」
「私は、みんなが心配だから……一番なんてないよ」
「なあ、なんで認めてやらねーんだ」
「だって私、左之さんにドキドキする」
「まったく」

 だから好きなのは平助ではなく左之さんだ、という意味を左之さんは受け取ったのか呆れた顔で私を見下ろした。左之さんだって、私が左之さんにドキドキしていること、好きだということを認めてくれないじゃない。口を尖らせたい気持ちで左之さんを見れば、左之さんはじっと私の目を見た後、まったくもって予想もしないことを言った。

「よぉし、じゃあ俺と付き合うか」
「えっ」
「俺のことが好きで、ドキドキするんだろう?じゃあいいじゃねーか」
「好、きだしドキドキするけど……良くないよ!」
「なんでだよ」
「左之さんは私のこと好きじゃないでしょ!」
「俺ものこと好きだぜ?」
「ち、違う、その好きじゃない」
「どの好きだよ」

 そんなの私が聞きたい。どの好きが恋の好きで、どの好きが恋の好きじゃないの?
 左之さんはさっきまでの呆れ顔も意地悪な顔も笑顔も、全部全部とっぱらって真剣な顔で私を見下ろしていた。そしてひとこと、またひとこと言葉にする度に私にじりじりと近寄ってきて、最後には私の頬に触れた。すごく顔が近い。吐息がかかるほどのその距離で、私は何も言い返せずに黙って左之さんを見つめ、うるさい心臓の音を聞いていた。
 耳が、触れられた頬が、体全部があつい。

「確かめてみりゃ早い」
「……え?」
「口付けをして、嫌なら俺のことは好きじゃない」

 言い終わるか終わらないかのうちに左之さんはぐっと私に顔を寄せた。私は咄嗟に目を瞑る。唇が触れるぎりぎりで、そっと左之さんの息が私の唇にかかった。口付けではない、私の唇に触れたのは左之さんの息。思わず目を開けると、意地の悪い笑みを浮かべた左之さんの顔が目に映るのと、障子が勢い良く開く音が耳に響いたのは同時だった。

「左之さぁん!新ぱっつぁんが───────」

 驚いて振り返れば、そこに立っているのは平助だった。目を丸くして、私たち二人を見ている。私と左之さんが、口付けをする寸前の形のままでいるのだから無理もない。左之さんの手は私の頬に添えられ、顔は吐息がかかるほど近いままだ。私は顔だけ平助の方に向け固まっていると、左之さんはゆっくりと顔を平助の方に向け、ゆっくりと口を開いた。それは平助に見せ付けるようにも見えるし、余裕を見せているようにも見えるし、どっちにしろ平助に見せ付けているようにしか見えなかった。

「どうした平助」

 驚いているのは私と平助だけだ。左之さんはいつものように笑い、平助にいつものように声をかける。左之さんに声をかけられたことで我に返ったのか、平助はびくりと肩を揺らし、そして障子を開けたまま走っていなくなってしまった。遠ざかる平助の足音を聞いたまま、私は動けない。左之さんは私の頭をぽんぽんと撫で、密着していた体を離した。

「いやだったろ?」
「……いやじゃない」

 顔を左之さんの方に向けて、私はぼそりと呟く。

「んな泣きそうな顔で言われても説得力ねぇぞ」
「いやじゃない」

 本当に、いやじゃない。いやじゃなかった。だから私、左之さんのことが好きだって、ドキドキするって言ってるのに。いやなわけない。だけど、だけど──────────

「じゃあなんで泣きそうなんだ」
「私が聞きたい」

 そうしてついに、堪え切れなくて私は涙を落とした。
 顔を伏せて着物の端で涙を拭う。左之さんはそっと私に近付いて、優しく頭を撫でた。私が聞きたい。どうして左之さんに触れられるとドキドキするの。どうして左之さんに口付けられそうになってもいやじゃないのに、平助に見られただけで、こんなにこんなに、こんなにも胸が痛いの。

「本当にいやじゃないの」
「あぁ、分かったよ。は俺に口付けされても、新八や総司や齋藤に口付けされてもいやじゃない、でもそれを平助に見られるのはいや、そうだろ?」
「……」
「それを“いや”だって言うんだよ」
「どうして私、平助に見られるのがいやなの?」
「平助が好きだからだ」

 私を諭すように優しく、ゆっくりとそう言う左之さんの顔を、私は俯けていた顔を上げて見た。左之さんは私の涙をひとつすくって、そうして優しく笑う。

、お前が分かること、それはなんだ?」
「分かる、こと?」
「どうして俺にドキドキするか分からない。俺に対する気持ちは“好き”じゃないと言う俺の言葉の意味が分からない、俺に口付けられるのはいやじゃねぇが平助に見られるとどうして涙が出るのか分からない。ぜんぶぜんぶ、分からねぇことだらけか?」
「分かる、こと」

 私が分かること。
 左之さんにドキドキするということ。左之さんが私の理想だと言うこと。平助はちびでがきだということ。だけど、ちびでがきな平助と遊ぶ時間はいつもいつも楽しいということ。左之さんと新ぱっつぁんと平助が島原に行くと、いつも少し寂しいということ。そしてべろべろに酔っ払って帰ってくる新ぱっつぁんは、私に絡んでくるけれど可愛い、ということ。でも平助がべろべろに酔っ払って帰ってくると、本当は怒ってるんじゃなくて心配だということ。明日二日酔いで頭痛くなっちゃうんじゃないか、見廻り中に隙が出来ちゃうんじゃないか、と不安になってしまう。心配だけど、本当は心の奥底で、平助が酔えば酔うほど島原で遊女と楽しく遊んできたのだと、それほど楽しかったんだと見せ付けられているようで悔しくて悲しかったということ。傷を負ってみんなが帰ってくると心配で心配で、そして無事帰ってきてくれたことに少しほっとして泣きそうになるということ。その中で平助を見つけると、どうしてか堪えてた涙が溢れ出てきそうで、それをこらえるために怒ってしまうこと。でもこのときばっかりは、堪えるだけじゃなくて、どうして怒ってしまうのか自分でも分からない。そして、左之さんにはやっぱりドキドキするということ。口付けをされそうになっても、全然いやじゃなかったということ。だけど、それを平助に見られることが、どうしてかすごくいやだった。胸が苦しくて、涙が落ちてくる。
 それが、私の分かること。

「分からねぇことがあってもいいんだ、分かることをちゃんと見てれば」
「分かることを、ちゃんと見る?」
「ああそうだ。分からねぇことを考えることも悪かねぇが、分かってることを無視しちゃいけねぇよ。が分かってることは、それはの真実だ」
「私の真実」

 私は左之さんの言葉を繰り返して、言葉の意味を噛み締めた。私が分かっていること、それが私の真実。私の、本当の気持ち?
 それじゃあ、ねえ、それじゃあ私は──────────

「左、之さん」
「おう」

 私は再び顔を俯けて、少しの間止めていた涙を全部溢れ返させたように泣いた。着物の裾だけじゃない、膝にまでぼたぼたと涙が滲む。少しの間止めていた涙はもうとっくに流れ終わったはずなのに、次から次と涙は止まらなかった。今まで“分からない”と言って塞き止めていた気持ちが、全部溢れ出すように。
 ねえ左之さん、それじゃあ私は、私の分かってること、真実は──────────





「平助が好き」






20100629
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