王子様の仰せのとおり





、キス、してもイイ?」

 ソファに座って椋から借りた漫画を読んでいると、隣で一緒に静かに漫画を読んでいたはずのシトロンが急にそんな甘い言葉を囁いた。
 いつもなら拒否するはずもないけど、今私はすれ違っていた二人の勘違いが解けるかどうか、という大事な瞬間に立ち会っているのだ。ようやく二人が結ばれるかもしれないのに、私だけがそんな甘い誘惑に乗るわけにはいかない。

「だーめ」
「Oh、つれないヨ、マイプリンセス」
「今良いとこなの〜」
のイイトコはワタシの腕の中のはずダヨ?」

 気を引こうと、私の二の腕をちょんちょんとつつくシトロンに思わず吹き出しながらも、私はページを捲る手を止めなかった。

「ほら、シトロンも続き読みなよ。もう少しで椋帰ってきちゃうよ?感想語り合うんでしょ?」
「ワタシは今、とキスするシーンに練乳したネ」
「…………突入?」

 いつもの独特すぎる単語の間違え方に思わず顔を上げてしまえば、シトロンは嬉しそうに口角を上げた。
 しまった───────と思ったのに。
 彼はぴたりと鼻がくっつくほど私に近づいて、視界がぼやける距離で私の頭を優しく撫でた。

「シ、トロン」
「プリンセスの嫌がることはしないよ」
「え……?」
「キス、はしちゃだめネ?」

 先ほどの私の言葉を確認するように髪を撫でていた手で私の唇をそっとなぞり、その手でシトロンは私の肩を優しく押した。
 ソファに倒れこんだ私の視界に映るのは、色めかしく微笑むシトロンと、天井の白。
 持っていた漫画はそっと奪われて、再び近付くシトロンに思わず瞼を閉じるのに、感じ慣れた感触も温度も、私に触れることはなかった。

 けれど柔らかな息遣いだけが、優しく私に降り注ぐ。

 そっと瞼を持ち上げれば、先ほどと同じ距離にシトロンがいて、近すぎるその距離に彼の表情を読み取ることは出来なかった。

「その代わり、クチビル以外はぴったりヨ」

 優しいその声色に、今も彼が微笑んでいるのが分かった。
 唇に、シトロンの吐息がくすぐったく触れる。彼の言葉の意味を理解したのは、体にゆっくりと伸し掛かる重みを感じてからだった。
 唇は触れていない。
 けれど、おでこに、鼻先、胸からお腹にかけてぴったりと私の体に自分の体を重ね合わせるシトロンに、私は思わず息を止めた。

がドキドキしてるの、しっかり聞こえる」

 これなら、ほんの一瞬のキスを許せば良かった。
 どんどんと大きくなる心臓の音が恥ずかしくて、シトロンの肩を押すのにびくともしない。

「……ダメ、一回離れて」
「ワタシの国ではコイビト同士で “ダメ” と言っていいのは1日1回までヨ」
「そ、そんなの聞いてないよ」
「ワタシの今日の分、のために使うネ」

 体を離したシトロンの表情が、ようやく私の視界いっぱいに広がった。
 顔にかかる柔らかな絹のような髪に、同じ色の伏せられた睫毛。まるで本当に私がお姫様なんじゃないかと錯覚してしまうほど、彼はまぎれもない、王子様だった。

「キスしちゃダメなんて、言っちゃ “ダメ” ヨ」

 ずるい。
 先にキスがしたい、と言ったのはシトロンなのに。
 その“ダメ”は、本当に私のため?

 いつもの不思議な喋り方をしながら熱っぽく私を見つめて、時折きれいな言葉と声で、私の息を苦しくさせる。
 私の隣に並んで変わらない日常を過ごしてくれるのに、どうしたって彼は、王子様なんだということを私に忘れさせてくれない。

 唇の温度に安心するのに、どんどんと心臓の音は大きくなるばかりだった。



 ずるい、シトロンは本当にずるい。
 だって、全部ぜんぶ、本当に私のためになっちゃってるんだもん。






20210205 僕は君にキスがしたいシリーズ
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