オトナノタシナミ



※万里は高校生
は(≠監督で社会人 / 満開寮で生活しつつカンパニーのお手伝いをしています)







 冷蔵庫からコーラのペットボトルを持って部屋に戻る途中だった万里は、まるで鉄の扉が開くようにゆっくりと動く玄関のドアを不審に思いながら足を止めた。
 寮内全員の帰宅状況を把握しているわけではなかったが、こんな時間に帰宅する可能性のある社会人組でまだ姿を見ていないのはだけのはずだった。万里の思った通り、ゆっくりと開いたドアの隙間から見えたのは俯いたの姿だった。

「おかえり。なんだまた呑んできたのか?」

 仕事終わりに友達と呑んで帰ってきて眠くて動けないでいるのだろうか。そう思って声をかけたものの、からの返事はすぐになかった。普段なら「ただいま」とテンポよく返ってくるはずのその一言が、今日は聞こえてこない。
 はドアを開け玄関に足を踏み入れた状態のまま、返事どころか動きもしなかった。
 まさか酔っているどころかその状態で寝ているのだろうか、と心配になった万里は玄関に置いてある誰のものでもないサンダルに足をかけ、が重たそうに支えているドアに手を伸ばした。

「大丈夫か?」

 万里が近づいてもは俯いたままで、その表情は読み取れなかった。名前を呼んでみても顔を上げずに、じっとドアにもたれかかっている。
 酔っているのだと思っていたからはアルコールの匂いはせず、その代わり、いつもの彼女の香水の香りがほんの少しだけ、消え入りそうに万里の鼻を掠めた。

「……またってなに?」

 ようやく聞こえて来た声は小さく、香水の香りと同じように今にも消えてしまいそうだった。その小さな声を聞き取ろうと万里が顔を近づけると、次いで発せられたのは予想外の大きな声。

「これが酔っ払いの顔に見える!?」
「なんっ、いや見えねーけど!なんで半ベソなんだよ」

 俯き加減だったが急に顔を上げ、大きな声を出したことに万里はたじろいだ。
 ようやく見えたの顔は酔っ払いのそれとは明らかに違い、青白く疲れ果てていた。そして万里を睨む瞳は今にも涙を落としそうに潤んでいる。
 全てが予想外の展開に万里は慌てながらも、とりあえずが持っていた鞄を持ち上げた。たいした重さではなかったが、まるで玄関のドアが鉄の扉に見えたように、この鞄も彼女を苦しめる重りのように見えたのだ。
 それほど、今のは万里の目に弱々しく映った。

 大人しく鞄を万里に渡したは睨んでいた目元を緩ませ、ほっと息を吐くようにたどたどしく話し始めた。

「いましごとおわってかえってきたの」
「は?仕事?この時間って終電だろ」
「いましごとおわってかえってきた」
「それは聞いたっつの」
「わたしはついさっきまでしごとをしていたの!」

 万里は状況が飲み込めず、混乱する一方だった。
 酔っ払いなのであれば手を引いて部屋まで連れて行き、水を飲ませてからベッドに押し込めばいい。
 けれどそうではなかった。はこんな時間まで仕事をしていた、とよく分からないテンションで万里に主張をした。
 ただ「仕事をしていた」と。
 こんな時間まで仕事だったということに驚きながら、この状態のをどうすればいいものかと万里は頭を悩ませた。青白い顔をしているが、話している感じから元気はあるということなのだろうか。だとしたら、何か食事でもすれば顔色の悪さも、疲れも吹き飛ぶのではと考えた万里はの腕を掴み、とりあえず靴を脱ぐよう促し玄関に上がらせた。

「臣のメシ残ってるのあっためてやるから、リビング行くぞ」
「ごはんいらない」
「何か食ってきたのか?」
「いいの」
「いいのじゃなくて……昨日もこんくらいの時間だったのは遊んでたんじゃなくて仕事だったのかよ?」
「ねえ、いたるどこ」
「至サンなら部屋だろ。つうか、昨日もメシ食ってなかったよな。んな青白い顔して───────おい、どこ行くんだよ」

 リビングとは反対方向へと歩き出したを、万里は思わず腕を掴んで引き止めた。疲れたから部屋に戻るというのならそれはそれで良いのかもしれない。けれど疲れ切った顔をして、ろくに食事もとっていなさそうな彼女には睡眠だけではなく、栄養も必要なはずだった。
 万里に引き止められたは、玄関にもたれかかりながらそうしたように、再び万里に目を細めた。
 そして万里はここでようやく気がついたのだ。
 の態度は疲れて機嫌が悪くなった子どもと一緒だ、ということを。

「いたるのとこ!」
「いや、その前にメシ食えって。そんな状態で仕事続けてたら倒れんぞ」
「いいの、すぐ寝なきゃだし、至のとこ行ったら寝るから」
「なンだよ、いたるいたるって」

 心配している自分を他所に、いたるいたると違う男の名前を呼ばれ、逆に万里の方が機嫌が悪くなりそうだった。至の所に行ったところであるのはゲームだけで、栄養も睡眠もとれはしないというのに。そんなの態度に無理やりにでも腕を引いてリビングに連れて行きたい衝動に駆られたところで、ふいに万里の手の力が緩んだ。
 先ほどから潤んでいたの瞳から、ついに涙がぽたりと溢れたからだった。

「なっ、泣くほどのことかよ」
「わたしぜんぜんしごとおわらないのに……」

 ───────それなのに至は定時で上がって、LIMEでずーっとゲームの報告してくるの。私はまだイベント報酬もらえてないのに
 そう言って、はまるで子どものように潤んだ瞳で万里に訴えた。青白い頬を濡らす涙を拭ってやりながら、万里は眉間に皺を寄せた。
 自分は一体、こんな時間まで何をして帰ってきた何歳児を目の前にしているのだ?と。遅くまで仕事をして疲れて帰ってきた、と言われれば素直にお疲れ様と労う事もできた。けれどの不思議なテンションに戸惑わされ、それでも身体を心配して食事をと促しても他の男の名前を呼ばれて嫌がられる。にとって食事よりも睡眠よりも大事なことは何なのだと思えば、まさかの仕事中の嫌がらせに対する文句とゲームに対する嫉妬。
 これが社会人同士のやりとりなのかと疑いたくなるような話だった。
 小さくため息をつきつつ、万里はあやすようにの背中を2、3度撫で、そのまま歩みを促すように背を押した。

「ほら、文句言いに連れてってやっから」
「……うん」

 至に文句を言うまでは、食事も睡眠もとる気がないのだろう。そう判断した万里はの意思を優先することにした。
 ぺたり、ぺたりと歩き出すに、これじゃあどちらが年上なのか分からないほどだった。
 至にしてもそうだ。これから部屋に行って目の当たりにするだろうが、恐らく今も寝る気配もなくゲームに没頭しているのだろう。ゲームに対する至の姿勢と情熱は並大抵のものではない。

 それにしても相当疲れているのだろう、と静かに歩くを見下ろしながら万里は思った。
 こうして背中を押さなければ歩けないのではないか、と思うような弱々しい背中に不安になる。

「コーラ飲むか?」
「いい、だいじょうぶ」
「なんも食ってねーんじゃねぇの。軽くでも食わないと身体壊すぞ」
「いいの、至に文句言ったら寝るから」
「アンタら大人のクセしてほんとガキみてーだな」

 文句を言う、の一点張り。心配している自分よりも至に意識が向いていることが万里は面白くなかった。
 そんな言いようのないイライラを感じながら、万里は至の部屋の扉をノックした。

「至さーん、クレームきてるっスけど」
だろ」

 まるで来ることが分かっていたかのように、部屋からは半笑いの至の声が返ってきた。
 万里がドアを開ければ、ソファに座ってゲームをしていた至が煽るように笑っている。

「社畜乙〜♪」
「いたる!!」

 まだドアを開け切っていないというのに、は万里の隣からすり抜けるように部屋に踏み込んで行った。
 それまで消え入りそうに歩いていたのが、まるで嘘のように。

「オツカレ。こんな時間までヤバイな」
「まだ仕事中って言ってるのにずっとLIME送ってくる至の方がヤバイから!」

 ソファに突進するように座り込んだに動じる様子もなく、至は笑っていた。そんな至には半分泣きそうな声で、先ほどからぶつけたがっていた文句を言っている。
 万里が動揺したのこの不思議なテンションも、至は見慣れているようで驚きもせず、ゲームをしながら返事をしていた。

「通知オフっとけばいーだろ」
「天馬も稽古見に来いとか言ってくるし!」
「だーから、通知オフっとけばいーだろ、って聞いてる?」
「稽古も見に行きたいし私もゲームしたいし!」
「あ、俺もう報酬確定デス」
「知ってるよ、それもLIMEで言ってきたじゃん!」
「いや〜今回他のイベントと凄い被るから走り遅れたけど、まぁ余裕でしたわ。明日の昼でイベント終わるけど、お前間に合うの?」
「間に合わないよ!まだ半分もクリアできてないもん!」
「あーらら。今回の推しイベなのに、そんなんでいいわけ?」
「よくないけど繁忙期だし仕事終わんないし至いじわるするし私だってもう帰りたいし!!」

 ───────疲れて駄々をこねる子どもと、それにちょっかいをかける意地悪な兄にしか見えねぇ
 部屋の入り口で取り残された万里はそう思った。
 連日帰りが遅く、よほど疲れや鬱憤が溜まっているらしいは至に畳み掛けるように文句を言った後、急に黙り込んだ。そして今度は文句の代わりかのように、先ほど万里に見せた時よりも勢い良くポロポロと涙を落としていた。
 テレビゲームのコントローラーをカチャカチャと操作しながら散々からかって楽しそうにしていた至は、そんなを横目で見てふっと笑った。それはからかいとは違う、どこか安心しているような、柔らかい眼差しだった。
 至はコントローラーをテーブルに置き、泣き出したの頭を撫でながら抱き寄せてあやすように背中に腕を回した。
 そんな二人の姿を見て、が目の前をすり抜けて行った時よりも更に深く、万里の眉間に皺が寄った。

「よしよし、社畜は可哀想だね」
「至だって社畜じゃん」
「俺はエリートだから」
「わ、わたしだってがんばってるけど仕事の量おかしいんだもん」
「頑張ってていい子いい子」
「イベント報酬わたしもほしいのに……なんで至だけ定時で上がるの?なんで私は帰れないの?」
「はいはい、スマホかして。しょうがないから優しいオニーサンがやってあげるから」
「やさしいオニーサンがあんなにLIMEしてこないでよ……」
「本当は嬉しいクセに」

 子どもを寝かしつけるようにを抱き締め、前後に揺れながら至はのスマホを使ってゲームを始めた。
 至にあやされながら、どんどんと声が小さくなっていたはすぐに何も話さなくなった。まさかと思って万里が近づけば、睫毛に涙のつぶを乗せながら瞼を下ろしている。

「マジかよ」
「まぁ、俺の手にかかれば朝までに達成は余裕」
「そっちじゃねぇよ」
「ん?の寝落ち?」
「そう」
「あるあるだけど」
「マジかよ!」

 慰めるだけで抱き締める必要があるのかとイライラを募らせていた万里だったが「あるある」だと言う至に、それが寝落ちのことなのか抱き締めてあやすことも含めてなのかが分からず余計に気が立った。けれどそれを確かめるのも面白くない。
 まるで自分だけが蚊帳の外のような、ムシャクシャする気持ちを押し流すように万里がコーラを喉に流すと、ひとり何の起伏もない至が平然とした声を出した。

「万里、部屋に運ぶの任せた」
「…………」

 そう言って、至はゲームをしながら眠ったの体を万里の方へ傾けた。万里はコーラをテーブルに置き、すっきりとしない気持ちのままの体を支えた。
 至との仲が良いことは知っている。お互い気心が知れているのであろうことも、見ていれば嫌でも分かる。けれど正直、ここまでだとは思っていなかった。そんな思いで至を睨みつけてみても、万里の視線を意に介した様子もなく、至はスマホから目を離さず返事をした。

「なに?」
「こんな騒ぐほど疲れてんだから、煽るのやめてやったらどーっスか」
「いんだよ、俺のLIME見て気抜いたり気合い入れたりしてんだから」
「泣くほど騒いでただろ」
「いーのいーの、はこれですっきりしてんの」
「ほんとかよ。なんの解決にもなってねぇだろ」
「大人には解決じゃなくて上手く解消してこなすことが大事なこともあるってコトダヨ、ガキンチョくん」
「ゲームに騒いでるヤツがガキ扱いすんな」

 わざと煽るような言い方をするその言葉は、万里の苛立ちの核心を突いていた。けれど敢えてふざけた言い方をする至が、本気で煽ろうとしているわけではないということが余計に万里の心を逆撫でていた。先ほどから子どものようなやり取りをしていると至よりも、自分の方がよっぽど子どもなのだと言われているように万里は感じていた。どんなにを心配しようとも、社会人としての“疲れ”は、万里にとっては想像するしかないことなのだ。
 けれど、そんな万里の内心すら全て見透かしたように至は笑った。バカにするわけでもなく、単純に面白そうに声を上げた。

「ははっ、万里イライラしてんな〜」
「してねぇよ」
「ザンネンながら、社畜にならないと社畜の気持ちはわかんないんだよ、ドンマイ未成年」
「だァから!」
「ハイハイ、が起きるから静かにな」
「チッ」
「じゃあよろしく。変なことすんなよ」

 スマホの画面からは一切目を離さず、自分の腕の中で眠ったをなんの惜しげもなく万里に押し付けた至はひらひらと手を動かし、さっさと部屋を出て行けと無言のアピールをした。
 そんな至に、二人の距離感に焦らされていた自分がまるで本当にガキのようだと万里は奥歯を噛んだ。
 けれど宣戦布告のように至を睨んだところで、既にもう至の頭の中はゲームをクリアすることで埋め尽くされていることは分かり切っている。

「……ハァ」

 至がに対してどういういつもりでいるのかを万里は測りかねていた。こうして今も、自分が知りもしない仲の良さを見せつけられたところで至の気持ちは分からず仕舞いで、そもそも仲の良さをアピールするつもりすら至にはないのだろう。
 結局今日も、考えたところで埒があかない。
 それよりも喚くほど疲れているを早く寝かせてやろう、と溜息のような息を吐いて万里はを抱いて立ち上がった。
 先ほどまで弱々しいと心配していた背中が、眠ってしまえばしっかりとした重みとあたたかさがあることを初めて知った万里は、もう一度コーラを喉の奥に流し込んでしまいたい気分になった。
 至は、そんなの重みも知っているのだ。



 を起こさないように部屋を出た万里は、静かな廊下を歩きながらの寝顔を見つめていた。
 うっすらと涙の跡が残る頬を見ながら、睡眠や食事を心配する自分よりも、煽るような至の方がの気を紛らわせているのだろうか、と考えていた。けれどこんなの姿を見ていたら、どうしても心配をする方に気持ちが傾いてしまう。

 ───────ジメジメ考えんのは性に合わねェ
 の部屋に辿り着いた万里はドアの前で立ち止まり、を抱きしめるように腕に少し力を込めながら、自分の額をの額に寄せた。

「がんばれよ」

 小さな声でにエールを送り、万里はの部屋のドアを開けた。






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