?」

 ふいに高い声音が私の名前を呼んだので、ぎくりと背筋を伸ばす。
 真っ先にリオナとサリーの顔がよぎって、胃がきゅっと痛んだ。
 恐る恐る振り返ってほっと息をつく。そこに立っていたのは、リリー・エヴァンズだった。
 翠色の瞳を細めて心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「ここいいかしら」
「あ、うん!もちろん」

 彼女は向かいに座るとぎこちなく微笑んだ。私も同じように微笑み返す。
 お互い何からまず言えばいいのか探りあっている感じだった。

 リリーは私に気を使って言葉を選んでいるのだろう。
 きっと、さっきの会話に彼女も立ち会っていたのだ。


「リリーも……昼間の話、聞いてたよね」
「ええ。私も居たから」
「あー、ごめんね。あの時緊張してて周り良く見えてなくて」

 リーマスとリオナの顔は見たけれど、それ以外を視界に居れている余裕が無かった。
 慌てて取り繕おうと馬鹿みたいに笑う私に、リリーは優しく微笑み返してくれる。

「……ごめん。リリーには関係ない話なのに」

 遠慮してそう言ったつもりの言葉に、リリーの表情が陰る。

 しまった。やってしまった。

 こういう事は前にも何度かあった。
 相手に迷惑をかけると思って断った言葉が、拒否として相手に伝わってしまう。

 ああ、どうしよう。
 そういう意味じゃないのに。

「こっちこそ勝手に首をつっこんでごめんなさい」

 心の中でおろおろとしていると、リリーは何事もなかったかのようにそう言った。
 ああ。リリーが謝ることなんてないのに。何気を使わせてるんだろう。

「……でももうこれで関係無くはなくなったわ」
「え?」
「話を聞いたからには、私にできる事はなんでも言って頂戴」

 顔を上げると、そこには、リリーのらんらんと光る瞳があった。

「え、え?」
「それに、友達は助け合うものでしょう?」

 彼女の言葉に呆気にとられる。
 卑屈で無神経な私の言葉に、引くどころかぐいぐい迫ってくる。
 まるで太陽に照らされたように、体の奥から熱がじわじわと滲んでくるのを感じた。

 この感覚に覚えがある。
 前にも同じようなことがあったのだ。


 同い年のはずなのに、自分よりもずっと体格が良く彫りの深い顔。
 どもる私に苛つく声。臆病な私を揶揄する言葉。
 ずっと前、そんな人ばかりだと思いこんでいた。

 気が付けば私の周りには優しい人がたくさんいる。
 暗い廊下を一人で歩いていた自分を思い出して情けなくなる。
 なんでもっと早くその事に気づかなかったんだろう。
 なんでもっと早く、この薄暗い城の美しさに気づけなかったんだろう。

 そうしていたら、きっとこんな可笑しな悩み、抱えなくて済んでいたろうに。
 みんなを悲しませなくて済んだだろうに。













 私はリリーの好意に甘えて、当面の心配事を彼女に話してみた。

「シリウスが?なんで?」

 話を聞いた後、リリーも私と同じように目を丸くして驚いた顔をする。
 私をダンスパーティに誘うシリウスの真意がなんなのか、聡明なリリーにわからないのなら私がわかるはずがない。

「あのシリウスが、ねえ……」

 頬杖をついて何か深く考えているようだが、思いついたようにぱっと顔を上げると、リリーは私に尋ねた。

「ドレスは?」
「も、持ってないけど」
「うーん。今からじゃ仕立ててもらうのも時間が足らないわね」

 真面目な顔で考え込むリリーに違和感を感じる。
 あ。何か勘違いしてないだろうか。

「どうやって断るかっていう相談だったんだけど……」
「行きたくないの?私はパーティには出た方がいいと思うわ」
「な、なんで?それに私踊れないよ」
「そんなのどうとでもなる。心細ければ、私もダンスパーティに参加するし」

「それって本当!?」

 唐突にテンションの高い声が耳をつんざいた。
 驚いて身を縮める私たちの傍に、いつの間にかやってきたらしいジェームズがひょこりと頭を出した。
 盗み聞きでもしていたのではないかというくらいのいいタイミングだ。
 リリーは即座に苦虫でも噛んだように顔をあからさまにしかめた。

「……貴方と踊るつもりはないわよ、ポッター」

 低い声で唸るように言うリリーはまるで威嚇する母獅子のようだ。
 しかし丸眼鏡の彼ははそんな様子など少しも気にしないようで上機嫌でにこにこ笑って返していた。
 
「今年は最悪な年末だと思っていたけど、突然未来が明るくなったよ!生きてるのって素晴らしい!」

 ジェームズは饒舌に喜びを語りながら私の背後に回ると、私の腕を取って両腕を勢いよく持ち上げた。

「バンザーイ!バンザーイ!」
「やめなさいよ。が困ってるわ」
「あれ、嫌だった?ごめんね」
「い、いや……」

 リリーに窘められ、ジェームズは素直に私の手をぱっと放して両腕を挙げた。
 確かに困った。こんなに手放しで喜ばれては(私の事ではないけれど)行きたくないとは言いづらい。

は相手決まってるの?」

 ジェームズの問いに、私たちは目を合わせる。
 私はやや間をおいておずおずと答えた。

「……シリウス」
「ははは!も冗談言うようになったじゃないか〜!」

 笑うのはもちろんジェームズだけだ。
 もう一度リリーの方をちらりと見たが、彼女は腕を組みながら口の端をゆがめて、何か訴えるようにジェームズを見ていた。
 沈黙が三人の間に流れた後、何かの間違いに気づいたようにジェームズの笑顔がさっと消えた。

「……マジで?」
「マジかマジじゃないかっていう質問なら答えはマジね」
「君たち一体どうなってるの?」

 それは私も是非教えて頂きたい。

「あぁ!」

 リリーが突然大きな声をあげて立ち上がったので、私もジェームズも驚いた。

「いい事思いついたわ。私の部屋に来て頂戴!」

 椅子から立ち上がると、リリーは女子寮の階段に急いだので、慌てて私も彼女の後を追った。
 まるでジェームズから離れる口実をわざと作ったようにも見えた。
 落ち込んで居ないだろうかと階段の上から覗き込むと、彼はこちらを見ながら柔和な笑顔で手をひらひら振っている。
 鈍感なのか、はたまた強かなのか。不思議な人だ。
 私の前を歩くリリーの髪が、階段を上るたびにふわふわと揺れた。

「我ながらとってもいい案だと思うの!だからもう心配ないわ」

 部屋の戸をあけながら、彼女は満面の笑みで私に言った。

 いや、不思議な二人だな。



 リリーは部屋に入ると、引き出しの中をごそごそかき回して巻き尺を引っ張りだした。
 羽ペンと羊皮紙の切れ端を鞄の中から用意すると、リリーは私にこう言った。

「さあ、服を脱いで」

 私は言われるがまま制服を脱いで下着姿になる。
 すると彼女は私の体中に巻き尺を巻き付けた。
 慣れない手つきで彼女の手が何度も体に触れてこそばゆい。
 しかし私の胸囲を測る翠眼は真剣そのものなので、小さな注文は押し殺すことにした。
 秋の紅葉のように赤い豊かな髪をしたリリーは、長く影を落とす睫毛まで赤く染まっているのに初めて気づいた。
 彼女が美人であるのは周知の事だけれど、近い程彼女の美しさは際立つ事を知った。
 ジェームズはその事を良く知っているのだろう。

「ジェームズ、凄く喜んでたね」
「あぁ。あの人のせいで余計断りづらくなったわよね。気にしなくていいのよ。私も無理強いはしないし」
「あ、いや」

 うんまあ確かにそれはそうなんだけど……。

「リリーが羨ましいなと思って」
「羨ましいって……はは。迷惑なだけよ」

 ジェームズはあんなに熱心にリリーにアピールしているのに、リリーにその気持ちは一切ない。
 好きだという気持ちはただ純粋に綺麗な気持ちなはずなのに、それが”迷惑”という言葉に変わることもあるのだ。
 顔を顰めるリリーに、切ない気持ちになる。

「でも、ジェームズは凄いと思う。あんな風に真っ直ぐに自分の気持ちを言葉に出来るんだから」
「……そうね」

 そう小さな声で言ったリリーの目が、少し優しくなったように見えた。

「今朝の事だけど」

 一通り測り終え、巻き尺を巻き直しながらリリーは言った。

「リーマスの事、嫌いにならないであげてね」

 シャツを着なおしながら、一瞬その名前にどきりとする。
 リリーの口から彼の名前が出たことが不意打ちだった。

の事、凄く心配してたのよ。彼も素直に言葉に出来ない人だろうから」
「……うん。わかってる」

 だけど、あの言葉を思い出すと今でも息苦しくなる。
 リーマスは優しい人だ。私なんかに気を遣ってくれて、いつも守ってくれる。
 だからこそ、あの攻撃的な言葉が一層胸に刺さった。

「でもね、リオナ達もきっと同じくらい心配してくれてたよ。だから、リーマスの言葉はまだ許してあげられない」

 リリーに背を向けローブに袖を通しながら、私は自分の気持ちを確かめるように言った。
 そうだ。リーマスを簡単に許してしまってはいけない。
 リーマスは知らないんだ。リオナ達が私にしてくれた事や、ディックがどれだけ私の為に悩んでくれていたかも。

「だけど早く仲直りしたい、な!?」

 リリーを振り返ったとたん、彼女は腕を広げて私を包み込んだ。
 甘い花の香りが鼻をかすめる。
 突然の出来事に何事かと驚いていると、耳元でリリーの声がした。

「もう、あなたって子は」
「ど、どうしたの?」
「もう一度言うわ。私に出来る事があったらなんでも言ってね。必ず力になるわ」

 リリーの声と抱きしめる腕は優しくて力強い。その言葉に心底ほっとする自分が居た。
 彼女に任せればなんでも上手くいくようなそんな気にさせられる。
 きっとその力があるから彼女はそう言い切るのだろうし、体を預けたくなるのだ。

 私はリリーの背をきゅっと抱いてから体をゆっくり離し、リリーの目を見て言った。

「ありがとう。そう言って貰えるとすごく嬉しい。私、やらなきゃいけない事はわかってるの。だから、応援して欲しい」

 暗い道を一人で彷徨っているつもりだった。
 だけど、いつの間にか優しくて強い人たちが私の周りを囲ってくれていた。

 私は何度も同じやり取りをしたような気がする。
 そして私は何度も首を縦に振るだけの大馬鹿者だった。

 本当にありがとうリリー。でももう助けてとは言えない。
 今度こそ、自分の力で頑張ってみせるよ。

 リリーが私に頷きかけた時だった。
 大きな音を立てて窓が開いたと思うと、雪をまき散らしながら茶色の物体がベッドの上に転がった。
 驚いて私たちは抱き合ったまま体を固める。
 茶色の物体はもぞもぞと動くと、くるりと回って丸い二つの金色の目がこちらに向いた。

「び、びっくりした。なんて不躾な梟なのよ」

 梟はリリーの言葉に目を細くして不満げな顔をすると、翼を伸ばしてぴょんぴょん跳ねて窓辺へ戻り、そのまま空に飛んで行った。
 あの生意気そうな顔、どこかで見た事があるような……。

「全く、なんだったの?」

 リリーは雪で濡れた部屋を見て憤慨しながら窓を閉める。
 私はフクロウが着地したベッドの上に赤い封筒が落ちているのに気が付いて拾い上げた。

「これを届けに来たのね」
「クリスマスカードかしら。ちょっと早いけど」

 宛名は自分の名前になっている。
 裏返して送り主の名前を確認して目を見開いた。



「……ディックからだ」


 思い出した。
 あの捻くれた感じのドジな梟、彼が飼っていた梟だ。

(2016/12/6)
  
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