「何もなかったって言ってんだろ!」

 レギュラスと別れ寮に戻るやいなや、耳に入ったのはシリウスの怒鳴り声だった。
 怖がる下級生が様子を気にしながらも私の傍を通り過ぎて寮の外に逃げていく。

 きっと私の話だ。

 思わず止めてしまった足をいつ踏み出そうかと唾を飲み込んで様子を窺った。

に黙ってろって言われたんじゃなくて?」

 シリウスとは真逆の落ち着き払ったサリーの声。
 やはり彼女たちは疑問が残っている様子だ。シリウスの話ではまだ納得いっていないのだ。

「……少なくとも、俺は何も知らない」
「本当に?」
「何回も言ってんだろ」

 彼は律儀にも私の言った事を守ってくれている。
 サリーの声は落ち着いてはいるけれど、ごまかしを許さない色をしている。
 言及をうけるシリウスに申し訳なくなる。マジでごめん。今度お詫びに何かしよう……。
 早く彼のフォローに行かなければと思いつつ、どこで登場すればいいのか見失っていた。

「でも、それが本当なら安心だけど」

 少しの沈黙の間に飛び出そうと思ったが、リオナの声にやはりためらってしまった。

、突然ディックが好きなんて言い出すし」
「は?」

 彼女の言葉にぎくりとする。
 どこで出て行こうか様子を見るつもりだったが、まだしばらく出て行けそうにない。

がディックに片思いしてるのは前からなんじゃないの?」

 ジェームズの声。もしかしたら、朝に居たメンツはみんな揃っているのかもしれない。
 そしたら、きっとリーマスも居るんだろう。
 リオナが次に言う言葉に嫌な予感がして思わず息を止めた。


「その噂流したの私だもん」


 彼女の無垢な言葉が一瞬時を止めたように感じた。
 まるで氷でもかぶったかのように一気に体が冷えていく。
 リーマス、どんな顔してるだろう。
 あの時の私を彼は嘘だったと思うんだろうか。
 お腹の底がずんと重たくなる。立っているのもつらくて私は頭を抱えながらしゃがみこんだ。

 あぁあああ。なんて事ばらしてくれるんだ……。


「……どういうこと?」

 今まで黙っていたリーマスも口を開いた。
 彼の言葉に感情は読み取れないけれど、平静な声色がとても冷たく聞こえる。

「ウィルとの話が噂にならないようにって、考えて流したのよ。遅刻が酷かったのはほとんどウィルのせいだったし。だからは本当はディックのファンでもなんでもないの」
「は?でも好きって言ったんだろ。ならそうなんだろ」

 リオナの話を聞いて、そう言ったのはシリウスだった。

のディックに対する好きはそういう好きじゃないと思うよ。はディックに……なんていうか、依存してたというか」

 耳を塞いでしまいたかった。
 私が告白したあの夜、リオナとサリーはとても不安げな顔をしていた。まるで、歪なものでも見るように顔を顰めて。
 あの時は言葉だけは優しい言葉をくれた二人だった。
 心の中では薄々感じていた事だったけれど、実際言葉にされると辛い。

 私のこの気持ちは全部まがい物だったと言うのだろうか。
 あの時の嬉しさも、あの時の胸を刺すような痛みも、涙も……。

「だったとして、何が関係あんだよ」
はディックに守られてた。でももうホグワーツには居ないの。それなのに、は縋りつこうとしている」

 突然、自分のしたことが恥ずかしくなった。
 大空に見送ったはずのフクロウが戻ってこないだろうか。もうあれから随分経ったから手紙が届いていないはずはないけれど。
 ディックも手紙を読んでそう思っただろうか。未練たらしくまだ守ってほしいと縋る女だと思われただろうか。

 私の彼を想う気持ちは、全部自分の為だったのだろうか。



「……そんなんだから、君たちは何も知らないんじゃないのか」



 リーマスの言葉に場が静まり返った。
 冷静さを欠かないその声には非難の色が潜んでいるのを感じた。

「ディックも君たちも軽率すぎる。の為と言って面白がっているんだろう?」
「な、なに言ってるの?そんなわけないじゃない」

 恐ろしい。聞いたことも無いくらい冷たい声だ。
 返すリオナの声も震えている。きっと刺すような目つきをしているに違いない。

が陰で泣いていたのを知ってる?がどんな想いで彼にっ……」

 リーマスの声が少し荒くなる。
 私の為に怒ってくれているのは十分にわかった。それはとても嬉しい事だ。
 ……それなのにどうしてだろう。
 どうやったら彼の口を塞げるだろうかとばかり考えていた。
 彼が私の友達に向けた敵意に対する恐怖の方が、感謝の気持ちを大きく上回っている。

「やっぱりディックは大間違いだった」


 やめて。もうそれ以上は……。



「友達失格だな」



 私は気がづくと談話室に飛び込んでいた。
 タイミングを窺っていた今までの時間を無駄にして、私は向う見ずにもただ衝動のままに体を投げ込んでしまった。
 呼吸が浅い。息苦しい。皆の視線が痛い。

 皆私の登場に息をのんでいた。
 誰の顔もまともに見られない。

……」

 リーマスが最初に私の名を小さく呼んだ。私の顔を見ると、苦いものでも噛んだように顔を顰めている。
 立っていた彼は一歩こちらに歩み寄るが、睨み付けるとぴたりと足を止めた。
 胸がぎゅっと苦しくなる。


「何も知らないのはリーマスだ」


 怒鳴るつもりで発した声は弱弱しく、独り言のようだった。
 リオナ達を思えばもっと強く言ってやりたいのに、これでリーマスとの今までが全部なくなってしまうかと思うと、情けなくも気が怯む。
 リオナもリーマスも、私にとってはどちらも大切なのにどうして両方を取れないんだろう。
 それだけが悲しい。
 すべての元凶が自分であることに絶望する。


 これ以上この場にとどまるには自分は弱すぎた。踵を翻してまた寮を出ようとすると、リオナが私の腕をとる。
 彼女は何も言わない。何を言っていいのかわからないんだろう。
 けれど、なんとなく彼女の気持ちはわかっていた。

「……ごめん」

 今は誰の顔も見れない。
 私はリオナの手を振り払って寮を後にした。








 早くこんな事終わらせよう。
 リオナやリーマスにあんな事を言わせたのは、他ならない私の責任だ。
 私が頼りなくて、何の努力もしてこなかったせいだ。

 大股でホグワーツを歩く。
 それだけじゃ足りなくて、終いには走り出していた。
 にじみ出る涙がこめかみに流れる。


 頭の中で何度も言葉が巡っていた。


はディックに……なんていうか、依存してたというか”

”友達失格だ”



”リーマスの奴、責任感強いから頼まれると断れないんだろうな”




 駆け抜けるホグワーツがおどろおどろしい建物に見えた。
 動く奇妙な絵画。生に未練を残すゴースト達。宙に浮かぶ蝋燭。蠢くガーゴイル。
 小さく弱い私にはとうてい生き抜ける気がしない。

 こう思うのは初めてじゃない。

 この広い城の中、私は前も独りぼっちで歩いていた。


 突然、家から引き離され、心のよりどころなく、ただ怯えながら歩いていた私。

 どこに向かっても薄暗い部屋へと通じる廊下を、絶望しながら亡霊のように歩いていた。



 だけど、あの時の私は救われたのだ。





「そっちじゃない」


 後ろから腕を引かれる。
 私は驚いて振り返った。

「なん……で」
「何処行くつもりだよ。ここは立ち入り禁止だぞ」

 私の腕を強く引っ張って彼は反対方向にずんずん歩き出した。
 どうして彼がここにいるんだろう。追いかけてきたの?でもなんで?
 理解できない事が多すぎて頭がパンクしてしまいそうだ。

 彼に腕を引っぱられながら、廊下をずんずん進んでいく。
 あの時もそうだった。私は無知で考え無しで、馬鹿で間抜け。

 このままじゃだめなんだ。私は足を踏ん張って彼の手を振り払った。
 その行動に驚いたようで、彼も立ち止まって私を振り返った。

「自分で歩ける」
「……そうかよ」
「どうして?」
「なにが?」
「どうして……貴方なの、シリウス?」 

 シリウスは私の台詞に眉根を寄せて不機嫌な顔をした。

「リーマスじゃなくて悪かったな」
「そ、そういう意味じゃない」

 別に誰かに追いかけてきて貰いたかったわけじゃない。
 談話室で全部振り切って来たのは私だ。
 だけど、どうしてシリウスが私を追いかけてきたんだろう。
 ずっと私を嫌っていたみたいだったのに。
 昨日の夜もそうだ。別に嫌いじゃないと、彼は言ったけれど、その意味は一体なんだったのだろう。
 じゃあなぜ嫌いじゃなかったのに、今までは散々私に意地悪な事ばかりしてきたんだろう。

 考えなければいけない事がたくさんあるのに、彼の謎な行動が私を更に混乱させるのだ。

「とにかく、寮に戻るぞ。やっぱり皆に正直に話したほうがいいだろ」

 シリウスはそういうとふいと背を向けた。

「行かない」
「あのなあ、意地張ってても仕方ないだろ。お前ひとりで解決できるわけないんだから」
「できるよ!」
「おうおう。自信満々じゃねえか。さぞ立派な作戦があるんだろうなぁ」

 私はシリウスの目をしっかりと見据えた。
 やっぱり、シリウスとレギュラスは似ているかもしれない。
 友達想いで、お節介焼き。

 だから彼は今私の目の前に居てくれているのだ。
 そう思うと腑に落ちて、彼と共に歩くことを納得させてくれる。


「ウィルとちゃんと話をするよ」











 の名前とシリウスの名前が重なった。

 僕は忍びの地図を閉じて目を伏せた。
 喉の奥の方が震えている。
 自分の言葉がまた頭の裏でエコーして吐き気がした。

 自分はなんと心無い人間なんだろう。があんな顔をして僕を責めるのも当然だ。
 リオナはあの後、一滴だけ涙を流した。罪悪感は、謝っただけではぬぐえない。
 あの時、ダメだと思うのに体が言う事をきかなかった。



「よっ」

 背中を強くたたかれて、僕は思わず顔をあげた。
 不意打ちの衝撃に痛みが体中に響く。

「いったぁ……。やりすぎ」
「はは。ごめんごめん」

 ジェームズは悪びれもせずに笑って言う。
 こんな時だって彼は呑気に笑う。まあ、彼にとって、昼間の問題は他人の話なんだろう。

「シリウスはのとこか」
「……ああ」

 今見ていたのかと聞きたくなるくらいの的確な予想。
 シリウスは誰にも言わずに寮を出たのに、何でわかるんだろう。
 エスパーか何かなんだろうか。

「いやしかし、青春だね」
「他人事だと思って面白がってるだろう」
「いやいや。今の君は正に以前の僕だなと思ってたんだ」

 また僕の知るよしもないエヴァンズとの思い出話でも出てくるのかと覚悟したが、次にきた名前は予想外のものだった。

「リーマスが僕で、がリーマスだ」
「……どういうこと?」

 僕は首をかしげる。どこが似てるっていうんだろうか。
 ジェームズは丸メガネの奥で瞳を細くして愉快そうに笑った。

「僕らが初めて満月の夜に君に会いに行った後、君はとんでもなく怒ってた」

 ああ。
 そういえばそんな事もあったな。
 今じゃ全く考えられないけれど、最初で最後の酷い喧嘩だった。

「リーマスは、僕が軽々しく君に会いに行ったと思っているだろうけど、これでも結構悩んだんだよ」
「それは知らなかったな」
「まあ、面白半分なところもあったけれど」
「十分軽々しいじゃないか」
「でも考えたよ。結構僕って打算的だからね。命は惜しいし、僕に何かあれば家族だって悲しむだろう、迷惑かけるだろう。君にこれ以上深入りして、果たして僕にとって有益か――」

 そりゃそうだろう。僕は狼男で、決して友達になんかなれる代物じゃないのだ。
 しかし、ジェームズは酷く冷静なことはわかっているつもりだったけれど、やはり正直に言われると少し胸に刺さるものがある。

「ああ、勘違いしないでくれよ。それは君が人狼だからっていう意味じゃないぞ」

 ジェームズはいつも通りのおちゃらけた口調だったけれど、至極真面目な顔をしていた。

「誰かと真面目に関われば人生が変わるんだ。その人の居ない今までの道を捨てて、その人が居る道を取る。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、僕にとって友人になるってのはそういう事なんだ。そして、それにはそれなりの覚悟が必要だ」

 一体何の話だろと思っていたら。
 僕をなぐさめているつもりなんだろうか。僕は頬杖の手の中で密に微笑んだ。

「それで僕の居る道を選んでくれたのか。光栄だよ」
「ああ。君は僕にとって有益だと感じたからね。お陰で”プロングズ”が手に入ったし」
「はは、僕の居る道はなかなか険しいだろう」
「まさか」

 ジェームズは僕の言葉を笑い飛ばす。

「一番つらいのは覚悟を決めるその時までだ。その後の道は自ずと決まってくるだろう。僕はそこをただ歩くだけだよ」
「……君らしいね」

 この人はどこまで眩しい人なんだ。彼の笑顔を直視できない程だ。
 どうしたらそうやって居られるんだろう。
 僕だって、そうありたかったのに。
 ジェームズが僕にもたらしてくれたように、僕も誰かに何かを与えたい。

 ただ、そう願っただけだったのに、どうしてこうも上手くいかないのだろう。


「君は今一番つらい所なんだろうなぁ」


 ジェームズはこれだけ言っておきながら、ぽんと突き放したように他人に話すみたいに言った。

「助けてはくれないんだな」
「まさか。僕はただのお人よしじゃないよ。これでも一応助ける相手は選りすぐっているんだ」
は助けるに足らない?」
「そうじゃなくて」

 彼は当然の事のように言った。


「僕が助けなくたって、他に助ける人が居るだろう?」

(2016/8/20)
  
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